2016年7月8日金曜日

ある校長先生のお話。




家で古本を処理していたら、手をつけていなかった本を一冊読んでしまった。以下はその中の一節。


 ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
 種目にクラス対抗リレーがあり、各クラスから選ばれた代表が出場した。その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。からかい半分で選ばれたのである。
 だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。
 その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。校長先生である。
 校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
 その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。

藤尾秀昭 『小さな人生論』より


ある時、「学校は人を育てる所だから」という恩師の一言にハッとしたことがある。今では校長には教育者としての資質よりも、経営者としての手腕が求められる時代になってしまった。そんなんで人が育つわけがない。教育者が相手にするのは生身の子どもであって、商品ではない。売るのではなく、育てるのだ。もちろん、教育にたずさわる者が一流の経営者から学べることはたくさんある。ただ、それは彼らの多くが人を育てる一流の教育者でもあるというだけで、経営ノウハウを学ぶわけではない。
 先述のエピソードのように、校長には学校の教育活動をリードする教育者であって欲しい。校長が自らプールに飛び込んだことで、きっと多くの人が恥ずかしい想いをしたはずだ。からかい半分でA子さんを推薦した生徒。それに賛同したクラスメイトたち。生徒間のそのような人間関係を許してしまった担任の先生。一生懸命泳ぐA子さんに対して生徒たちが野次を飛ばせるような雰囲気を許してしまった他の先生たち…。A子さんはどのような想いでその推薦を受け入れ、どのような覚悟で、その水泳大会当日に臨んだのだろう。もし私がその場にいたら、その校長と一緒に飛び込めていただろうか。


「頑張れ」「頑張れ」


その校長先生の声が聞こえてくるようだ。

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