2009年10月17日土曜日

形にできない想いを乗せて③ ~音楽と言語~

 僕が書くエッセイは、手紙やメールのやり取りから偶然できるものが多い。『形にできない想いを乗せて』もその一つだ。あれは、エッセイの中でも紹介したチェコ人のヤナ(Jana)に書いたメールから生まれたもの。ヤナに書くメールはなんでいつもこんなに時間がかかるのだろう、という素朴な疑問がきっかけだった。

 今日、そのヤナからメールの返事があった。そのメールの中で、彼女も時間や言語という題材から音楽に話をつなげていたことに驚いた。僕とヤナは英語を通り越した共通の言語を持っていると言った所以だ。


 ヤナがこう言った。音楽もある種の言語よね。しかも言葉ほど形にとらわれず、その分パワフルでもある。


 全くその通りだと思う。僕の可能性信じ、ずっと心の支えとなってくれている四万十川ユースホステルのさっちゃんは、宇宙共通の言語を探索中だが、音楽もそれと深く関わるものがある。今のところ、僕は音楽以上にパワフルなコミュニケーションの媒体を知らない。音楽は、いわゆる「言語」の思考の壁を越え、異なる肌の色や文化を持つ人々の心に直接訴えかける。

 もう一つ大事なのは、ヤナが言ったように、音楽が形にとらわれない点だと思う。これを書きながら自問してしまうが、以前も言ったように言葉は少ない方がいい。説明はない方がいい。もともと形のない自分の想いを、わざわざ狭いパッケージに閉じ込める必要はないのだ。相手に既製品を押し付けるだけではコミュニケーションは成立しない。

 その分、音楽は寛大だ。作者や奏者は自らを音の中に自由に表現し、その解釈は聴き手に委ねるのだから。

  作者はどんな想いを託したのか
  
  奏者はどんな光景を想い描いているのか

       聴き手は奏でられる音色に、ただ想いを馳せる。

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