“We have all the answers. It’s the questions we don’t know.” - Dostoevsky
大裕さんの詩、とても好きです。写真も。この詩は、その時の受け手側の気持ちによって、きっと響き方が違うね。この青の輝きに、未来を見据えたり。逆にこの写真の青がまぶしすぎて、苦しくなったり、今度の長い休みには、海に行きたいって思いはせたり…。この詩には、音楽はなくてもいいのかもしれないですね。CMとかもそうだけど、音調によって、受け手の気持ちが、誘導されたりすることもあるものね。以前にブログのコメントで、西洋的・東洋的って表現をしたけれど、”色彩”にも東洋・西洋で色の表現が違うね。日本人の使う”青”(和色)と、外来語として”ブルー”は、違う色なんだよ。和色の青系には、瑠璃色(秘色)、群青、浅葱色、藍色、薄藍、天色、露草色…。色の表現なのに、ことばの響きがよくないですか?昔の人たちは、すごく繊細な表現をするよね。自分が今までに見たことがない色に出会ったら、きっと自分で色の名前をつくったんだろうね。またステキな詩、ブログに登場すること、楽しみにしています。以前のコメントへの返信として~、久松真一は、ユングとかの対談で、合わなかったところがあるみたいだけれど、接点を見出していたのは、やはり大正生まれで英訳本も20数冊ある鈴木大拙かな。大拙が90歳前後でエッセイとしてまとめている「東洋的な見方」も普段なんとなく感じているけれど、それは何なんだろう?って思う曖昧なものが、ちょっと腑におちたりできた本です。(それでも全てが理解できているわけではないですが)大拙は50年代にフロム(「生きることの意味」の執筆者)の招きで、シンポジウムをしたり、フロムの考え方って、大拙の影響あるのかなぁ~なんて想像してます。西洋的・東洋的は決して対立軸ではなく、結局根底は、同じところなんだと思います。だからヤナさんと大裕さんが、つながっているという感じも、もちろんうなずけます。長~いコメントでごめんなさい!AKI
大裕さんの詩、とても好きです。写真も。
返信削除この詩は、その時の受け手側の気持ちによって、
きっと響き方が違うね。
この青の輝きに、未来を見据えたり。
逆にこの写真の青がまぶしすぎて、苦しくなったり、
今度の長い休みには、海に行きたいって思いはせたり…。
この詩には、
音楽はなくてもいいのかもしれないですね。
CMとかもそうだけど、
音調によって、受け手の気持ちが、
誘導されたりすることもあるものね。
以前にブログのコメントで、
西洋的・東洋的って表現をしたけれど、
”色彩”にも東洋・西洋で色の表現が違うね。
日本人の使う”青”(和色)と、
外来語として”ブルー”は、違う色なんだよ。
和色の青系には、瑠璃色(秘色)、群青、
浅葱色、藍色、薄藍、天色、露草色…。
色の表現なのに、ことばの響きがよくないですか?
昔の人たちは、すごく繊細な表現をするよね。
自分が今までに見たことがない色に出会ったら、
きっと自分で色の名前をつくったんだろうね。
またステキな詩、ブログに登場すること、
楽しみにしています。
以前のコメントへの返信として~、
久松真一は、ユングとかの対談で、
合わなかったところがあるみたいだけれど、
接点を見出していたのは、
やはり大正生まれで英訳本も20数冊ある鈴木大拙かな。
大拙が90歳前後でエッセイとしてまとめている
「東洋的な見方」も普段なんとなく感じているけれど、
それは何なんだろう?って思う曖昧なものが、
ちょっと腑におちたりできた本です。
(それでも全てが理解できているわけではないですが)
大拙は50年代にフロム(「生きることの意味」の執筆者)の招きで、シンポジウムをしたり、フロムの考え方って、大拙の影響あるのかなぁ~なんて想像してます。
西洋的・東洋的は決して対立軸ではなく、
結局根底は、同じところなんだと思います。
だからヤナさんと大裕さんが、
つながっているという感じも、
もちろんうなずけます。
長~いコメントでごめんなさい!
AKI