2009年11月29日日曜日

私はなりたい② ~2年C組  5 / 2005~



私はなりたい。


自由気ままなゾウに 私はなりたい。

大空を自由に飛ぶ鳥に 僕はなりたい。

人の手に渡って ただで色々な場所へ行けるお金に 私はなりたい。

世界中を素早く飛び回る光に 僕はなりたい。

自由に 空をゆっくりと浮かんでる 白くてふわふわな雲に 僕はなりたい。

自由に飛んで 自由に動いて 好きな時に形を変えられる 
マイペースな雲に 僕はなりたい。

見ると得した気分になれる きれいな夜空に 私はなりたい。

いつも夜になると きれいに光る星に 俺はなりたい。

どんな時でも人々を信じることができる星に 私はなりたい。

7色の光が幸せをあたえてくれる 光りかがやく虹に 私はなりたい。

みんな必要で大切な水に 私はなりたい。

いるかいないかわからないけど なきゃ生きていけない 
みんなに必要とされる空気に 私はなりたい。

誰からも大切にしてもらえそうな古いつぼに 僕はなりたい。

だれからも好かれる人気者で みんなに夢をくれるミッキーに 私はなりたい。

すごいシュートが打ててカッコイイ サッカーのスパイクに 俺はなりたい。

必ず人を笑顔にしてみせるメロンパンに 私はなりたい。

無重力の世界にいるかっこいい宇宙人に 僕はなりたい。

花粉症を一滴で完全に治す目薬に 僕はなりたい。

人々に情報や楽しみを伝えられるテレビに 僕はなりたい。

心からみんなをすくえるほどの笑顔をもつ 
天使のキーホルダーに 私はなりたい。

いつもみんなの顔をながめられる時計に 俺はなりたい。

ちょっとしたことですぐに熱くならない氷に 僕はなりたい。

絶望の中で光る希望の歌に 私はなりたい。

雨にも風にも負けない しっかりとした木に 僕はなりたい。

きれいな音色を出して 人々の心をいやせる 優しいピアノに 私はなりたい。

広く青くきれいな 人を元気づけられる海に 僕はなりたい。

いつまでも思い出を残してくれる 皆が笑顔のクラス写真に 私はなりたい。

人の心も なんでも洗えるせんたく機に ボクチンはなりたい。

さわやかに吹き抜け ときには闘い ときには汗をかわかし 
ときには疲れをいやす そんな風に 私はなりたい。

どんなに重い人が座っても 文句一つ言わないイスに 僕はなりたい。

言われると 誰もが心があったかくなってうれしくなる 

「ありがとう」という言葉に 私はなりたい。

大きな心を持ち みんなを包みこむ大きな広い海に 私はなりたい。

すべてのものを優しく包みこめる 広々とした青い空に 僕はなりたい。

私はなりたい。

2年C組  5 / 2005



2009年11月25日水曜日

先日、ドキッとしたこと

11月に中旬にしては驚くほどポカポカした日だった。

みな薄着をし、紅葉と暖かい日差しを楽しんでいた。ランチに友達のケビンと会った。

神学校の中庭のベンチに座り、なんて気持ちの良い日なんだろう、と僕は彼に言った。すると、彼は笑みを浮かべてこう言った。



   「でも考えると怖いものがある。」



ケビンは、あれ見えるかといって中庭の真ん中に立つ木を指差した。

ほら、枝の先に新芽がつき始めているのが見えるかい?急に暖かくなったから、木が、春が来たと勘違いして芽を出しているんだ。



まさか新芽だとは思ってもいなかった僕は驚いた。

 

そんな僕にケビンは丁寧に教えてくれた。



寒さが来たらどうなると思う?芽は取れ落ちて、そうなった木は春が来ても芽吹くことはないんだ。



僕は恥ずかしかった。

2009年11月24日火曜日

セヴァン裏話(続編) ~小野寺愛さんから~

  以下は小野寺愛さんが "You adults..." に書いてくれたコメントです。コメントに気付かない人もいるかと思ったので、ゲスト投稿として載せることにしました。

大裕
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「あれだけのスピーチ、12歳の女の子が考えるなんて本当にすごい。カナダで準備してから行ったの?」と聞いたら、「実はあれはね、会場にむかうタクシーの中で考えたの。みんなで言いたいことをノートに書いて、書いて、書いて、ギリギリまで順番を並べ替えたりして」と話していました。

カナダに住んでいた12歳のセヴァンは、世界で初めての国連環境会議の開催にワクワクすると同時に、憤慨してもいました。「子どもの未来について話し合う場なのに、子どもが招待されていないなんておかしい!」と考えたセヴァンたちは、自分たちでお金を集めて、リオまで飛ぶことにした。そして、大人たちのNGOにまじって、会場外に自分たちのブースを出展しました。でもそれじゃあリーダーたちに自分たちの声が伝わらないと考えて、毎日、「自分たちを本会議場に招待してほしい」と本会議場に入っていく大人たちに向けてロビイング(!)したのです。それが功を奏して、最終日になって「あなたたちの声が聞きたい」と受け入れられ、突然スピーチできる運びになった。

セヴァンの環境活動の原点は、8歳のときに家族で訪れたアマゾンの地。環境活動家だった両親は、アマゾンのダム建設反対の運動でカヤポという先住民の人々と親しくなっていて、彼らの村に遊びに行ったのだそうです。裸の体にたくさんの模様を描いたあたたかい人々に受け入れられ、大興奮したセヴァン。弓矢で魚を捕まえる方法や、カメが卵を隠す場所のみつけかたや、昼ごはんのパパイヤをナタで採るやりかた、ピラニアの釣り方などを教わり、カヤポの人々が何千年と生きてきたのと同じようにしてセヴァンたちも滞在期間を過ごしたそうです。ブラジルのアマゾンと恋に落ちたセヴァンは「大きくなったら生物学を学ぼう」と心に決めたといいます。その翌年、5年生になったセヴァンはさっそく友達を誘って環境NGOを立ち上げました。

・・・子どもにとって、原体験がどれだけ大切かを思い知らされるようなエピソードです。はっと息をのむような美しい景色や、まったく新しい発見に出会うとき、子どもたちは大人の何十倍もすごい感受性でそれを体験しています。

それじゃあ、ひとりの大人として「できること」は何か。いろいろあります。マイはしやマイバッグも大切だけど、それだけじゃあまりに情けない。まずは、この世界がどれだけ素晴らしいかということを子どもと共有できる大人でありたい。「自分は子どもたちにどんな世界を見せることができるか」ということをすべての大人が真剣に考えるとき、きっと「環境問題」に終止符が打たれるんじゃないかと思います。

2009年11月23日月曜日

"You adults" から "We adults" へ - セヴァン・スズキのメッセージを今どう聞くか

晴天の四万十川
(四万十川ユースホステルのさっちゃんから)




 「きれいだねえ。ちゃんと覚えておくんだよ。」


 子どもと美しい自然を眺める時、いつも同じ言葉が口から出てくる。そんな言葉が出てくるのは、自分の中にどうしても拭い去れない不安があるからだ。


 この美しい光景をこの子たちは将来目にすることができるのだろうか。

 くだらないことで悩む自分のちっぽけさを、透き通る空の青さに慰めてもらえるのだろうか。

 山を悠々と旋回する鳶の飛行に、駆け足で生きる自分のせわしない生活を戒めてもらえるのだろうか。

 もし自分が自然から受けてきた恩恵が、この子たちの子どもたちには残されていなかったらと思うと、切なくて仕方ない。




『再誕生』
(by さっちゃん)




 先日小野寺愛さんが『私の夢』の中で紹介してくれたセヴァン・スズキ (Severn Suzuki) のスピーチをご覧になっただろうか?もし、まだの人がいたら、まずご覧になって頂きたい。1992年、ブラジルのリオで行われた世界環境サミットで行なわれたという伝説のスピーチだ。世界中のリーダーたちが一堂に会するその堅苦しい雰囲気に、臆することなく自分の怒りをぶつける12歳のセヴァン・スズキに僕は度肝を抜かれた。







 おそらく、度肝を抜かれたのは壇上に登る12歳の少女を拍手で迎え入れた世界各国の要人たちも同じだろう。



 なんとセヴァンは、冒頭の挨拶からいきなりその場にいた全員を説教し始めたのだ。



“I came to tell you
that you adults must change your ways.”

「あなたたち大人は生き方を変えなければいけない。
そのことを伝えるために私は来ました。」




 環境サミット史上、前代未聞の話だ。カメラに映る各国の代表の中には、あっけにとられている人も少なくない。



 「ちょっと待て、私を一緒にするな」 と感じた参加者も少なくないのではないだろうか。でも、セヴァンの攻撃は容赦なく続く。 「あなたたち大人は…」



 聴いているうちに、セヴァンはただナイーヴに大人全員をいっしょくたに非難しているわけではないことが明らかになってくる。



“In my anger, I’m not blind.”

「私は怒りの中で盲目になってはいません。」



 彼女は、環境問題を何とかしたいと心配している人がいることも分かっているのだ。でも、隠すことなく自分の怒りをさらけ出すセヴァンはこう言いたげだ。



もし本当に心配しているのなら何故怒らない?

自分のスーツと肩書に隠れ、座って議論している場合じゃないでしょ。



 そうして12歳のあまりにもストレートな言葉は、世界中のリーダーたちの肩書を一枚一枚剥がしていく。



国を代表する前にあなたたちは一人の人間であり、親であり、誰かの子どもだ。

そして私たちはあなた方の子どもだ。

今あなたたちが決めているのは、他でもない、私たちの未来だ。



 17年前のこのスピーチ、現代に生きる我々にとってどんな意味があるのだろう。もちろん僕はあの場にいなかったし、いたとしても未成年だ。でも、彼女が話しかける“You adults”の中には、間違いなく2009年の自分も、今年29歳になったセヴァン・スズキ自身も含まれている。

彼女はこう言った。

“I’m here to speak for all generations to come.”

「私はこれから来るであろう全ての世代の代表として話すためにここにいます。」





 彼女の言葉は我々に気付かせてくれる。

「環境保護」という名目で我々が取り組んでいるのは子どもの未来に他ならない。

だからこそ、それは我々にとって人間的、個人的な問題でなくてはならないし、真の原動力は、理論ではなく感情でなくてはならない。

地球を讃え、子どもを愛する気持ちこそが、バラバラになった人々を一つにしてくれる。

 2009年に生きる僕たちにとって、「あなたたち大人は!」 と非難した時代はもう終わった。今度は自分たちが 「私たち大人が!」 と胸を張って言える時代を築く番なのではないだろうか。


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セヴァン・スズキのその後

 彼女のその後が気になった人もいるのではないかと思う。彼女と交流のある小野寺愛さんが教えてくれたことを、この場を使ってシェアしたい。


 セヴァンのスピーチは、小野寺愛さんの師匠でもあり、セヴァンのお父さんのDavid Suzuki(カナダでは国民的大ヒットの自然科学番組のナビゲーター)と古くからの友人でもある辻信一さんの協力で、『あなたが世界を変える日』(学陽書房)という一冊の本になり、日本にも講演ツアーに来たそうだ。


 今、彼女は一人の妻、そしてこの夏産まれた子どもの母親として、幼少期から毎年夏を過ごしたアメリカ先住民ハイダ民族の村で暮らしているという。愛さんいわく、12歳のあの日以降も、「一切錆びることなく、むしろどんどん素敵な、優しさをたたえた女性になっている」そうだ。

朝靄の四万十川
(by さっちゃん)

2009年11月19日木曜日

On Responsibility

 以下はちょっとした出版用に書いたエッセイです。以前、『約束のバトン』でも紹介したMaxine Greene と Thomas Sobol という二人の偉大な教授について書いたものです。また、これまた以前に紹介したResponsibilityという日本語エッセイの英語翻訳版でもあります。

The following is what I wrote for AERA-GS Graduate Studies Discussion Forum. It was originally a part of the teacher autobiography that I wrote for one course.                   

Daiyu

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     Taking Maxine Greene and Thomas Sobol’s classes this academic year was such an honor and luxury for me. These two giants, Professor Greene (age 91) and Professor Sobol (age 77) are indeed the heart of Teachers College. Having known where they have been and what they have done imparted extra gravity to each word they spoke. We students knew they were not in their best health conditions. But they taught us by their presence that what we were learning and what we would make of it will make every difference in the world. But, most important, they taught us what it means to live a responsible life.


     I have always thought of committing myself to education as my responsibility. Ever since I encountered Mr. Walker, the first teacher of my life, I became so eager to share what I was given by him. Later on, when I was teaching ESL in Japan, I came across the word origin of “responsibility.” I learned that it consisted of three parts: “re” (return), “spondere” (promise), and “ability” (ability). A strange sensation of comfort took over me. While unable to make a logical sense, I felt a strange sense of acceptance in my heart. The more I thought about it, the more it made sense to me.

     I interpreted the etymology in this way. The components imply a relationship between the giver and the given, where there is a sense of obligation in the latter to give back for what has been given. In this sense, this relationship assumes continuity and growth of capacity over time. It is also a relationship that is sustained by trust and a promise. On one hand, the giver waits, believing in the potentiality of the given. On the other hand, the given builds on what was entrusted to him and commits himself to returning the gratitude. Responsibility, then, is proactive in essence rather than reactive, internal instead of external. It emerges out of one’s appreciation, resolution, and the ability to live it.

     Teaching and pursuit of better education is a promise I have made in order to return gratitude to my teachers. Having witnessed Maxine Greene and Thomas Sobol define what it means to be responsible by the ways they have lived and continue to teach, my resolution is even stronger. Their promise has become a part of mine, and I owe them to fulfill this promise.

もし、僕に世界中の時間が与えられたら



長野で見かけた麦畑

 統計学の授業をさぼっている間、もう一つ、考えたことがある。それは、「贅沢な」時間だ。



数学まみれの統計学は別に好きではないが、大事だと思っている。何も知らずに、これが事実だからと誰かに突き付けられた数字にだまされないためにも必要な知識だ。ただ、決められた時間に参加しなくてはいけない授業で学ぶのと、図書館で自分に必要な時間をかけて勉強するのではわけが違う。昔は、勉強することが贅沢だなんて思いもしなかった。できればしたくなかったから。でも今では、まとまって勉強できる時間は「贅沢」に感じる。



大人になってからは、仕事に対してさえそう思うようになった。教員時代、教材研究の時間がなく、いつも時間との勝負だった。正直言って、一つの授業に毎日1時間を費やすのが精いっぱいだった。朝、部活の朝練に出る前の時間が僕にとっての教材研究の時間だった。



新しいレッスンが一つある時は、1時間、2つある時は2時間。4時起きも少なくなかった。でも、年に数回、職員会議が早く終わった時やテスト週間の時は、放課後の部活もないので、学校近くのスターバックスに行って教材研究に没頭した。教科書に登場する新しい文法事項や単語を使ってどう生徒の世界を広げようかと想いを馳せたものだった。



こんなことを書いていると、今年ドイツで見た光景を思い出した。ウルムという田舎町のはずれにある森の中を走った時だった。砂利道を抜け、少し坂を上がると、急に麦畑に出た。目の前に180°広がる麦畑に僕は声を失った。



夕日をいっぱいに浴びる黄金の麦が、行ったり来たりのどかな風になびいていた。宮崎駿監督の映画が好きな人は、ナウシカが歩いた黄金の草原を思い出してくれればいい。



少し歩くと、なだらかな丘に広がる麦畑を見下ろせる所に、ぽつんとベンチが置いてあった。周りには公園も何もない。あるのはそのベンチと目の前に広がる麦畑だけだ。なんてすてきな感性を持つ人々なんだろうと、僕はドイツの人々が大好きになり、感謝の気持ちがこみ上げて来たのを覚えている。



もし、世界中の時間が与えられたら、僕は気のすむまでそこに座って麦畑を眺めているだろう。そこに日記とペン、それにおいしいコーヒーがあったらいうことはない。




p.s. あなたの脳裏に焼き付いている自然の恵み、そして贅沢なひと時、この場で分かち合ってみませんか?
   daiyu.suzuki@gmail.com

校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空






 今日、一つ授業をさぼってしまった。統計学の授業だ。

 担当の教授がモゴモゴ、しかも早口でしゃべる人で、正直僕にとっては何を言っているのかさっぱりわからない。まるで教授の中にもう一人の存在がいるかのように、生徒たちにというよりも自分自身と会話している。そんな彼のトークが僕にとっては面白く感じられて仕方がないのだが、授業の内容はちんぷんかんぷんになりつつあった。いろいろ考えたあげく、今日は授業に行かずにインターネットにアップされる彼の講義ノートをじっくり図書館で読み返すことにした。



 授業が始まる30分前まで授業に行こうか迷っていた僕は、同じ授業を取っている友達に電話をし、ノートを取ってくれるように頼んだ。



 ランチを買いに外に出た。空が急に広くなったように感じられた。11月中旬にしてはとても暖かく、とても気持ちのいい天気だ。心の中に新鮮な空気がいっきに入って、知らぬ間に僕の胸を縛っていたロープを解いてくれた気がした。



 自然と僕の足取りもゆっくりとなり、何か得した気分だ。大きくなった空を見上げながら、尾崎豊が校舎の影芝生の上で見上げた空もこんなんだったのかなぁと思いを馳せた。

教室の窓から見える空と同じ空には到底思えない。



 ゆっくり歩いていると、いろいろな記憶が蘇ってきた。







 風邪をひき、初めて幼稚園を休んだ土曜の朝。僕の中に残っている、父親との最初の記憶の一つだ。家に父親がいるのをとても不思議に感じた。幼稚園でコマまわしが流行っていること、まだ僕がまわせなかったことを母親から聞き、父親が教えてくれることになった。



僕が何回やってもまわせなかったコマを、いとも簡単にまわした父親を、僕は尊敬の眼差しで見上げた。そして特訓した結果、昼ご飯前には僕もまわせるようになったのだ。



その時父親が言った言葉、そして見せた優しい表情を今でもはっきりと覚えている。



「どうだ。たまには幼稚園を休むのもいいだろう。」








 中学校で英語の教員をしていた時、ほぼ毎年、千葉市中学校英語発表会の指導、引率をさせてもらった。夏休み中、部活の合間に参加する生徒を学校に呼んで指導するのだが、9月初頭に稲毛海浜公園近くの会場で行われるその大会に行くことは、僕の楽しみでもあった。

 

 午前の部と午後の部の間に少しまとまった時間がある。僕はいつもその時間を大事にしていた。引率した生徒たちと近くの砂浜にエスケープするのだ。普段なら教室で他のクラスメートたちと勉強している時間、そんな時に見る海は格別にきれいだ。



 学校という枠組みから一歩出るだけで、景色は全く違って見える。ただの道路もいつもと同じように見えないし、体に入ってくる空気でさえ、どこかいつもと違う味がする。



 目の前に広がる砂浜、そして海。工業地帯に囲まれている海でさえ、どでかく見え、ゴミが点在する砂浜でさえ美しく見える。恥ずかしがりながらも、波打ち際まで走ってみたり、大声(本人いわく。実際はそうでもないが…)で海に向かって叫ぶ中学生の姿を見るのが大好きだった。








 学級に「T」といういわゆる「問題児」を抱えていた時にも同じような経験をしたことがある。実質、両親とも不在の状態で4人の兄弟だけで暮らすTは、学校に来たがらなかった。いつものように自分の空き時間に彼を家まで迎えに行った時のこと。



「朝ご飯食ったか。」



「いや。」



「学校行く前に食ってけよ。」



「食うもん何もねーし。」



 「そうか。…じゃあ吉野家でも行って朝飯食うか?」



 「え…?」



 驚いたことに、Tは席に着くと何も言わずに僕の箸とナプキンを取ってくれた。それに、店を出る前には頭を下げて「ごちそうさまでした」と言ったのだ。



 朝10:00、中学生などいるわけもない駅前の松屋で、二人で並んでかき込んだ牛丼はめちゃくちゃうまかった。


11/16/2009

2009年11月18日水曜日

私はなりたい ~1年C組 11 / 1 / 2004~






初めて中学一年生を担任させてもらった時、素直で、キラキラしている子どもたちを前に、いつかこの35人全員による詩を残そうと心に決めた。以下は一人ひとり違った感性、違った将来を夢見る子たちによるモザイク詩だ。





私はなりたい。


どこまでも尽きることのない、深みのある宇宙に、僕はなりたい。

青白くて、すごく熱い、1番キラキラ光っている星に、私はなりたい。

あたたかい光で見守ってくれる、そんな月に、私はなりたい。

いつも明るく光っている太陽に、私はなりたい。

あったかくてポカポカしてる太陽に、私はなりたい。

暖かい日ざしで陸を見守れる、優しい太陽に、私はなりたい。

とっても青い、のんびりしてられる空に、僕はなりたい。

上から都会、田舎、海を見わたせる、青く澄んだ空に、私はなりたい。

笑顔も泣き顔もすべて見せ、世界中を受け入れる広い空に、私はなりたい。

いつもぷかぷか浮いている、様々な形の雲に、僕はなりたい。

自由に空を飛んで、どこにでも行ける鳥に、僕はなりたい。

空を自由に飛べる、力強いワシに、僕はなりたい。

速く、自由に空を飛び回る鳥に、僕はなりたい。

空を飛んでいろんな所に行きながら幸せを運ぶ青い鳥に、私はなりたい。

幸せを望んだら幸せにしてくれる青い鳥に、私はなりたい。

全ての国が平和に、不幸な人がいなくなるように
幸せを運ぶ青い鳥に、私はなりたい。

ゆっくりと地上を見下ろせる、世界で一番大きい山に、僕はなりたい。

世界中をめぐり、世界中の人の心の背中を
そっとおすような希望の風に、僕はなりたい。

墜落・ジャック率0%で、毎日客を安全に送りながら
世界を行き来できる飛行機に、僕はなりたい。

人々を迷うことなく進路に導き、何年たっても光り続ける灯台の光に
僕はなりたい。

寒い時にあったかく、暑い時にはすずしい、やさしいひかげ、
ひなたに私はなりたい。

広い心を持った、青々とした海に、私はなりたい。

家では好きなだけ寝て、エサがもらえて好きな時に好きなだけ出かけて、自由気ままに生活している、人や物に害を与えない外出猫に、私はなりたい。

足がとっても速く、かっこいいチーターに、僕はなりたい。

長生きできる、マイペースなカメに、僕はなりたい。

シャーペンだけど、いちよーなんでもできそうなリンゴ王子のシャーペンに
私はなりたい。

かわいがられて大切にしてもらえる、
恋人がいるペアの男の子熊のぬいぐるみに、私はなりたい。

坂道を走るととても気持ちのいい自転車に、僕はなりたい。

人間そのものを表し、みんなによく使われるすばらしいことわざに
僕はなりたい。

長生きしていろんな時代のことがわかる、生命力のある樹木に
僕はなりたい。

見た人が心から喜ぶような、きれいな桜に、僕はなりたい。

見ているだけで幸せな気持ちになれる、きれいな花に、私はなりたい。

踏まれても曲げられても成長し続ける、丈夫で強い雑草に、僕はなりたい。

いろいろな命をつくりだす土に、私はなりたい。

さまざまな生物に必要な、生命の水に、僕はなりたい。

私はなりたい。


1年C組 11 / 1 / 2004





 
 





2009年11月17日火曜日

冬、東京で会いましょう





みなさん、

 大変ごぶさたしました。

思い返せば、アンジェラアキの「手紙」を読んで、

 「今自分にできること、自分にしかできないこと、きっとあるはず。それを通して子どもたちにメッセージを送ろう」

と呼びかけたのは11月3日。今からちょうど2週間前のことだ。そう考えると、この「夢」シリーズが、もっとずっと長い間続いているような気がしてならない。



 たった2週間で素晴らしい出会いに恵まれ、多くの情熱に触れることができ、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。皆さん本当にありがとう。この情熱の輪、まだまだ広がって欲しいと思っている。



 今回投稿してくれた多くの人が、自分の夢を世界と分かち合ったことで逆に勇気をもらった、更に力が湧いてきたとのコメントをくれた。その後、夢プロジェクトがどうなっているのか、是非中間報告もして欲しいなと思う。



 また、昨日の元教え子からの投稿を読み、我々「大人」のメッセージがちゃんと中学生にも伝わっていることを知り、心から嬉しかった。もしかしたらもっと若い子たちにも伝わっているのかもしれない。



      「もっと教えて」



 君からのそんな一言には、僕たち大人をどこまでも突き動かす力がある。メッセージ、待っているよ。





 今回の企画を通して一つ嬉しかったこと、それはこのブログが少しずつ 「みんなのもの」 になっていったこと。前にも言ったように、僕が望んでいるのは一方通行のコミュニケーションじゃないから。コメント欄が充実したのも嬉しかった。誰かのメッセージに他の誰かが応え、人と人とが繋がっていく…、そんなダイアローグにこそ価値があるんじゃないかなと思う。



 それと、このような企画を今後も続けていきたいな、と強く感じた。読者の皆さんからの「こんなメッセージを集めて世界に届けよう!」なんて企画の発信も面白いかも。最終的には、そんなことを通してこのブログがみんなで作る分かち合いの場になれたら言うことはない。そんな新しいブログの形、ありなんじゃないだろうか。



 以前にも、このブログを「出会いの場」と位置付けたけれど、決してそれはヴァーチャルの出会いの場を意味したわけではない。いつかどこかでお互いの道がクロスすれば、と本気で考えている。



 冬には僕自身も一時帰国します。一月、時間が許す人は東京で会いましょう。

2009年11月16日月曜日

Re: 私の夢 ~F,Sさんから~

大裕先生へ




国と国の架け橋になることや、放課後の時間の有効活用・・・



小さい頃、英語や、海外にそこまで興味を持ってるわけではなかったのに、最近、大裕先生のブログに出会い、たくさんの夢を読まさせてもらって、すごく、外国語と世界に興味をもちました。

  

外国に出るためにはどんな人間になり、どんなことを頑張ればいいのか・・



どれくらい大きな地球か知らないわたしは、ブログにある写真や文で自分のみている海や空と全くちがくて思わず「きれい・・・」と言って、見とれてしまいます。そう思うたびに、はやくひろい世界にでたいな、と思います。何より、中学1年生のとき、大裕先生に出会わなかったら、わたしは、まだ夢なんて考えてもいないかもしれないです。まわりには、信頼できる先生と大人がいて、よかったです。



外国に一人でいくには、すごく勇気が必要で自分にできるか心配です。周りの環境や言葉について不安もあるけれど、その不安は、いずれ楽しみになっていくんだな、とわかりました。



先生のブログに出会って、以前よりもっと夢をかなえたいと思えたし、考えや見方が美しい景色や夢によってひろくなり皆さんにすっごく感謝してます。



これから、夢のためにも、外国や地球、人についてもっともっと知りたいのでおねがいします!                          


F,S

2009年11月13日金曜日

私の夢⑤ ~寺澤 美帆さんから~



今夏訪れたフランスのCassis(カシ)という町の海岸。
海はどんな時も、私に忘れかけていた大切な想いを
思い出させてくれる大好きな景色です。



鈴木大裕 様






こんばんは。



先日、ブログにコメントを投稿させていただきました、

「ベルボワイユ」こと、大学2年の寺澤 美帆といいます。



小野寺 愛さんのブログで大裕さんのことを知ってから、

つらい時や落ち込んでいる時でも、ブログを見るたびに

前向きな気持ちを持てるようになりました。



ここまで導いてくれた出会いの連鎖に、

毎日、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。





そんな中、今回の話題が「夢」についてでした。



拙い文章かもしれませんが、

『少しでも広い世界を共有できれば』

と思い、今回メールを書いています。











高校2年生の時、研究船で太平洋に航海にでた私は

船上から見た



360度見渡す限り広がる海と空、

地球が丸いことが分かる水平線、

手が届き掴めそうな星空、

キャッチボールしてるように飛ぶトビウオ

とっても人懐っこいイルカ



…などなど、言い出したら止められないくらい

数々の生きた地球の姿を目の当たりにした私は、

当時話題になりつつあった地球温暖化のことを知り、

環境問題について勉強したいと思うようになりました。



そんな中で、「環境」と「人の暮らし」との密接な関わりを感じた私は

現在、大学の経済学部で勉強しています。





そんな私には今、生まれたての『夢』が2つあります。



それは



お金に対する価値判断の基準を変えること





そして



夢や希望が、感謝の気持ちから生まれる世の中を広めること



です。







まず一つめについてですが、簡単な例を言うと、

現在、戦争や軍事費に使われているお金を、

地球環境の保全や、世界中の困っている人を助けるなど、

もっとpeacefulなことに使えるように

新しいお金の流れを創っていきたいと思っています。



そのためには、まず、今現在、多くのひとが抱いている

お金に対する価値判断の基準や意識を変える必要があると考えています。





そして二つめについてですが、これは、今の私がそうであるように、

この地球(ほし)に生まれて、とっても素敵な出会いや奇跡にめぐりあえた時、

自分が生きていることに感謝して、そこからまた新しくさらに素敵な世界を築きた

いというmotivationが生まれることで、すごく良いcycleができるのではないか

な、という実感に基づきます。



私の身の回りには、幸いなことに、このwaveがたくさんあります。

でも、もっともっと広まっても良いんじゃないかなぁ、と思っています。





愛さんや、大裕さんのブログを拝見させていただくようになってから、

私は「社会と関わることはすごく楽しいんだ」ということをよく感じます。

もちろん、ブログを通して出会う方々も含め、みなさんとっても素敵です。



今、私の友人などには、将来自分が何になりたいのか分からなかったり、

あるいは、レベルの高く難しい資格試験を目指しても、

その先に何があるのか見つけられず悩んでいる人がいます。



悩んでしまうのは、少しは本人のせいかもしれませんが、

でもその人、本人だけの責任でもないと思います。



しかし、これからの未来を担う同士としても、

未来を見据えることをあきらめずにいてほしい

という気持ちがあります。

なので、そんな友人には、愛さんや大裕さんのブログを

読むように薦めています。笑



『一人の百歩より、百人の一歩』

これからもたくさんの人が夢を語り合えたらすてきですね。



今回、このような場をお借りして、今私の胸にある思いの丈を

お話させていただけたことを大変うれしく思っています。



本当にありがとうございました。





愛さん、モモちゃんと

私の夢④ ~小野寺愛さんから~




はじめまして。小野寺愛といいます。


年に3回「地球一周の船旅」を企画しているNGO、ピースボートで働いています。



大裕のパートナー、琴栄は大学時代からの大切な友人です。大裕との出会いは10年前、大裕に出会ったばかりの琴栄から「運命的な出会いをした!」と留学先まで連絡をもらったのを覚えています。その後紹介してもらった大裕は、琴栄のことばどおり素敵な人で、笑ってしまうくらいにロマンチストで、情熱あるまっすぐな教育人でした。私は、大裕が中学校の先生時代に生徒さんたちにあてて書いた文章がすごく好きです。先生対生徒だからといって「上から目線」にならずに、対等な大人に語りかけるように投げかけたまっすぐな言葉の数々。へたな説教をするよりもずっと心に響き、彼らが本当の大人になるのに一役も二役も買っただろうなと思います。



その、かつての生徒さんたちも見ているという大裕のブログに「まだ将来どうするかを決めていない彼らが、この場を使っていろんな大人の夢と人生に出会えるように、文章を投稿してほしい」と誘ってもらい、困りました。私の歩いてきた道は自分のブログ(「長い!とツッコミが入りそうな自己紹介」(http://ameblo.jp/sunday0106/entry-10006458921.html)にあるとおりですが、「夢」を語るとなると、すごく難しい!



私にも、これまでに数えきれないくらい、たくさんの夢がありました。ジャーナリストになりたかったり、タヒチに留学したかったり、世界の貧困をなくしたかったり。でも、最近、かつての自分が「夢」だと思っていたものは全部「目標」でしかなかったのかなと思うようになりました。夢というのは、達成する・しないではかれるような短期的なものではなく、もっと自分の根本にある「生きかたそのもの」ではないかと思うのです。



ガンジーは、“Be the change you wish to see in the world.(あなたが見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい)”と言いました。「こうなったらいいのにな」と思う変化がどこかから訪れるのを待つのではなく、自らがその変化の一部になればいいじゃないか、という意味のことばです。大学を卒業して、待遇はいいけれど仕事の意味を見いだせない職場で働いていた頃の私は、このことばを聞いて衝撃を受けました。他力本願で何かが起こるのを待ったり、目の前にある状況に文句を言ったりすることは、誰のためにもなりません。そう気づき、1年半で会社を辞め、待遇は悪いけれど自分の気持ちにまっすぐでいられる今の職場に就職しました。「アフリカで出会ったあの子たちのために学校を建てよう」「パレスチナの友人のために、医療支援をしよう」という風に、「こうなったらいいのにな」という世界の出来事に対して日々自ら働きかけることができる職場です。小さな変化しか起こせなくても、自分が望む変化のために自ら動くことができるというのは、まさに夢のような生きかただと思いました。



ガンジーはまた、“There is no way to peace. Peace is the way.(平和への道はない。平和こそが道なのだ)”とも言いました。ガンジーにとっては究極の夢であったはずの「平和」についてのこの言葉。私は、これをそのままこんな風に置き換えて共感しています。“There is no way to your dream. Your dream is the way.(夢への道はない。夢こそが道なのだ)”



私は現在、2児の母です。1人目の桃(もも)は2歳半、2人目の杏(あん)は2週間前に生まれたばかりです。子どもたちは、とてもまっすぐです。先のことばかり考えて悩んだりすることなく、「今、ここ」を楽しむのがとても上手。それでいて、彼女たちは今からなら何にだってなれる、無限大の可能性を秘めた存在です。そんな子どもたちと一緒にいると、自分が何になりたいとか、自分がどこに行きたいとかというような自己実現欲はものすごく小さくなり、代わりに、子どもたちの生きていくこの社会のことがとても気になるようになりました。だから今の私の夢は、子どもたちがどれだけ「この世界は素晴らしい場所だ」と感じることができるか、少しでもいいからそれに貢献できる生きかたをしていたい、ということに尽きます。



日本でテレビや新聞に登場するニュースからは、世界がどれだけ素晴らしい場所であるかということよりも、世界にどれだけ問題があるかということばかり伝わってくるようです。でも、私は思うんです。大人が子どもに「温暖化で地球が危ない。君たちの未来は明るくない」なんてことを伝えるのは罪ではないかと。実は太陽光は、全人類が必要とするエネルギーの1万倍以上の熱を地球に届けてくれているのだし、水素エネルギーも開発が進んでいる。問題は、地球にではなく、人間の作った不完全なシステムにあるのです。だったら大人は、素晴らしい地球の力を子どもたちと一緒にみつめて、どうやったらそれを生かせる社会を作れるかを考えたらいい。それに、「21世紀になっても紛争も貧困もなくならない」という悲惨さだけを伝えても、子どもたちにはどうしようもありません。それなら、実は世界の軍事費のほんの1割でも削減することができたら世界中の子どもたちが学校に行けるようになることを伝えて、じゃあ自分たちはどう動いたらいいかを子どもと一緒に考えたい。



「大人が”自分たちの時代は終わった、次は若い君たちの時代だよ”というのはポジティブなようでいて、実はすごく無責任」とカナダの環境活動家、セヴァンが話していたことを思い出します。12歳の時に友達と一緒にお金を貯め、リオデジャネイロで行われていた環境サミットに乗り込んで、世界中の政治リーダーたちの前で伝説的なスピーチをした彼女は、「あのとき、私たちのやりたいことを信じて、応援して、一緒に動いてくれた大人たちがいなかったら、結局自分に夢があっても、何も実現できなかったはず」と話していました。大人には、子どもたちの好奇心や「やりたい」「知りたい」を応援するために努力し続ける責任があると思うのは、私も同じです。

(★セヴァン・スズキのスピーチ: http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg)



私は、子どもたちが大自然に触れたときや新しい発見に出会ったときの、「わあっ」という顔がとても好きです。地球一周の船旅を企画し、これまでに地球を船で6周分旅をしてきた私には、実は世界はそんな「わあっ」に満ちた場所であることを知っています。ひとりでも多くの人がそう感じることができるように、7年前からピースボートに関わり、地球一周の船旅の企画を作り続けてきました。母になってからは、小さな子どもたちでもその体験ができるようにと思い立ち、船の上に「ピースボート子どもの家」という保育園を作りました。この春、さっそく私自身が2人の子どもたちと一緒に地球一周に参加し、親子で「わあっ」の体験を重ねてきました。

(★「ピースボート子どもの家」サイト: http://www.peaceboat.org/info/kodomo/index.html)

(★「親子で船旅」レポート: http://ameblo.jp/sunday0106/entry-10385919992.html)



海の上の保育園を作った今、次なる夢は、小学生になった子どもたちがいかに暮らしの中で「わあっ」を感じることができるかです。とくに、学校を終えたあとの放課後を子どもたちがどう過ごしているかがとても気になっています。共働きの親がどんどん増えている今、既存の学童保育だけで子どものニーズが満たされているわけがありません。今2歳半の娘が小学生になるまでに、毎日の学校が終わったら彼女が走って通いたくなるような学びの場を見つけたい。もし地元にそんな場所がなければ、子どもたちがワクワクしてやまない「放課後」を自分たちで作りたい。友達と一緒に、海や山を身近に感じて、からだをいっぱいに使いながら学べる場を作りたい。そう思って、少しずつそのための調査と仲間作りをはじめています。(湘南、とくに逗子方面で一緒にそんなことをできそうな方、ぜひ声をかけてください!)



海の上に最高の保育園を作ったって、日本中の子どもたちが参加できるわけではありません。自分の地元に素敵な「放課後」プログラムを作ったって、その恩恵を受けることができる人数が限られていることもわかっています。でも、そんな風にして、少しでも子どもにとって「いい変化」の側にいられることこそが私の望む「夢の生きかた」なんだと思います。(とはいえ、いちばん大切にしたいのは、そんなささやかなプロジェクトの成功よりなにより、「世界一のお母さん」であることです。世界一の平和活動家よりも、革命家よりも、いつだって自分の子どもの味方でいられる「世界一のお母さん」がスゴイと思う!)



・・・大裕に言われるがままに「夢」についていろいろ書いてみましたが、結局はいい妻、いい母、いい人間として、気持ちよく生きていたい、自分の夢はただそれだけなのかなと思います。今のところ、そんな夢の人生を自由に生きていられることに「カミサマありがとう!」と感謝の気持ちでいっぱいです。





(★国際交流NGOピースボート・a class="fixed" href="Fhttp://www.peaceboat.org/)" target="_blank">Fhttp://www.peaceboat.org/)

(★小野寺愛ブログ「船乗り日記」・a class="fixed" href="Fhttp://ameblo.jp/sunday0106/)" target="_blank">Fhttp://ameblo.jp/sunday0106/)





* * *





END

2009年11月10日火曜日

私の夢③ ~佐藤新吾さんから~



Describe the moment



 「あなたと分かち合いたいこと」を読まれている皆様、はじめまして。佐藤新吾と申します。

 このブログの著者である鈴木大裕くんとは、私がニュージーランドのオークランド大学に留学している時に知り合い(彼はアメリカの大学からオークランド大学に留学していました)、以来長い付き合いです。

 そんな彼が始めたこのブログでのコミュニケーションに非常に感銘を受け、また刺激を受け、自分もこの輪の中に自然と入り込んでしまいました(笑)。そして、みんなが自分の本音を素直に語り、自分をさらけ出して「夢」を語れる日本でも数少ない「共有の場」で、私もまだ漠然としてうまく言葉にできない「夢」を語ってみようと思いました。「夢」が何かということよりも、頭の中で漠然とモヤモヤとしている「夢のようなもの」を敢えて言葉にしてみる取り組み自体に大きな価値があると思えたからです。



 大学を卒業して大手電機メーカーに就職し、ビジネスという世界に10年以上身を置いてきた35歳の男が「夢」を語ること自体、今の世の中の風潮ではなかなかしにくいことですが、それを語っても許される場がこの「あなたと分かち合いたいこと」だと思えたこと、そしてそれを受け止めて、反応してくれる人たちがいるということが、私が自分の「夢」を言葉にしてみようと思ったきっかけです。もし、こんな私に共感してもらえる、私と同じようなビジネスマンの方がいましたら、一緒に夢について語り合いたいと思っています!





 では、そんな私の「夢」をお伝えします、、、。(ドキドキしますが、、、)



それは、



 「いつか日本とアジアの国々が本当に心を通わせて交流し合える時代を築くこと。その為のかけ橋になること」



です。



 日本の街中にも当たり前のように中国人、韓国人、台湾人、マレーシア人、インドネシア人、タイ人といったアジアの仲間たちが行き来し、日本の学校に通い、仕事をして、日本人も当たり前のように彼らと英語で語り合っている。逆にアジア各国に行っても旅行客ではなく、普通にその街に暮らしている日本人が街中の風景に溶け込み、普通に英語で会話し、談笑し、ビジネスや夢について熱く語っている。

 そして、やがてアジアは日本も含めてUnited Nations of Asia(UNA)といった共同体として、各国の歴史や伝統、文化はより彩り豊かに継承しながら、共に発展していく。



 そんな未来の実現の一役を担うこと。それが私の「夢」であり「志」です。





、、、、、、、「夢」と宣言して話すのは、何だかとっても恥ずかしい気分ですが、言ってしまったらスッキリした気分でもあります(笑)



 この「夢」に向けて、今は、現在勤めている会社の新規事業として、マレーシア進出の準備を進めている段階です。会社に事業として認められるかどうかはまだこれからですが、、、。





 少し話しがそれますが、最近感銘を受けた言葉で、「Describe the moment」という言葉があります。意味としては、「この瞬間を表現する」といったところだと思います。米国のオバマ大統領が大統領就任演説の原稿をスピーチライターに依頼した際に唯一注文したことが、この「Describe the moment」だったと言われています。ワシントンDCに集まる200万人もの聴衆に対して何を語るかを考えたとき、オバマ大統領は、自らの信条や覚悟、国の理想や課題ではなく、「この瞬間を言葉で表現する」ことにこだわったのです。そこに集まった200万人と共有する、この「瞬間」、この「場」の「意味」を「言葉」にしようとしたのです。そこに集まった聴衆が持っている「なんと表現していいのか、わからないんだけど、、、」「うまく表現できないんだけど、、、」といった漠然とした期待感、興奮、不安、そういった感情の出口を「言葉」によって作り出し、そこにいる全員のエネルギーを「行動への衝動」に転嫁したのです。



 オバマ大統領と自分を比較するなんてことは全くできませんし、ナンセンスかと思いますが、私も今回こうして、漠然としていた自分の「夢のようなもの」を言葉にしたことで、言葉にする前よりもずっと具体的な、形のあるものに変化したような気がしています。そして、行動を起こしたいという想いがとても強くなりました。

 それだけでも、私にとって今回「夢」を言葉にしたことの「意味」がありました。それをさらにみなさんと「共有」して、みなさんとここで出会えたこと、夢を共有できたことの「意味」をさらに「言葉」にしていければと思っています。



 みんなと一緒に「Describe the moment」ができたら、とってもハッピーだと思いませんか?


私もみなさんの「夢」、たくさんお聞きしたいです!

2009年11月4日水曜日

私の夢② ~穴澤智美さんから~

大学時代の仲間、先生たちと

鈴木大裕先生


夢、夢、夢夢夢♪

僕の夢、野球選手(選手)

カキーンやったぜホームラン

・・・・

夢を考えていると、小学校の時にクラスで"夢"をテーマに作った

歌を思い出した

当時の夢は「24時間テレビの司会をやるようなアナウンサー

になること」

でも小学生ながらに、今のアナウンサーはルックス重視だと悟り

諦めたことをよく覚えている



今の夢は、「おばあちゃんになった時に"いい人生だった"

と笑顔で語ること」

つまり、後悔しない人生を送ること



自分の20年あまりの人生を振り返り、自分にできること、

したいことを自問自答した時に自然と行き着いたのが

「せんせい」



小関先生に出会い、平凡に過ぎるはずだった人生が変わった

毎日が刺激的で、たくさんの感動や魔法の言葉と出会った

人を心から信じること、自分の無限の可能性を本気で信じる

ことを教えていただいた



ずっと「せんせい」という仕事は、自分には到底務まらないもの

だと思っていた



小関先生は私にとって神の領域だったのかもしれない

しかし、先生も実は同じ人間なのだとわかるようになった

色んな先生がいることも知った

根底にある「思い」さえあれば、その人らしく生徒と向き合って

いけばいいのだ



母がこんなことを言った

「学校中の先生が、全員小関先生みたいな熱血先生だらけ

だったら、きっと報われない子がいるはずだよ。

色んな先生がいて、個性溢れる子供たちが報われるんだよ

だからあなたは、あなたにしかなれない先生になればいい」



迷いながらも、毎日を必死に生きている子供たちと一緒に

考え、彼らの可能性を信じ、私自身も可能性に挑戦し続けたい



いつ咲くか、どんな花なのかわからない

みんなが咲かせようとする花の根や肥料になれたらいいなと思う



口下手せんせい頑張ります


教育実習をさせてもらった学級


「先生との出会いは一期一会だと思っているよ」

実習中に出会った、タボタボの制服のズボンをベルトで胸まで

絞り上げた男子生徒に言われた一言



同じように大裕先生にもこの言葉を贈りたい

大裕先生との出会いは一期一会だと思っています



改めて夢について考えた時、心も体も本当にポカポカに

なりました

頬も赤くなって・・熱でもあるのかな?



本当に有難うございました!





原稿用紙半分という約束は守れずに失礼致しました!

直観で書きました。



穴澤智美

2009年11月3日火曜日

私の夢 ~M.K.さんから~

私の大好きな海です。
疲れた時、背中を押してもらう勇気がほしい時、
自分の気持ちを整理したい時、私は海へ行きます。



こんばんは。

ブログにおじゃましたM.Kと申します。

語りかけられるメッセージにつられて、メールをしました(笑)





私の夢はひと言でいえば、

「手の届く距離、顔の見える場所で自分にとって大切な人の命を守りたい」という

ところからスタートしました。





今から10年ほど前、私が二十歳のころに父が病気で亡くなりました。

当時親元を離れて学生生活を送っていた私は、父が治らない病気だと

知りながらそれを受け入れられず、会うたびに痩せていく父を見るのが

切なくて、泣き顔を父に見せて心配をかけるのが嫌であまりお見舞いにも

行けずにいました。最期の時が近づき、自分の死期を悟った父は私と

二人きりになった空間で優しく、でも強く語りました。





「お父さん、もうダメみたいだからさ。

本当はもう少し生きたかったけど。わがままは言わないけど、あと10年

生きたかったけど。あと10年生きて、お前たちの将来を見たかったけど。

お父さんがいなくなっても、あんまり悲しまないでね。

世の中には、どんなに頑張っても変えられないことがある。だから、頑張り

すぎないで好きなことをしたらいい。笑顔を大切にしなさい。」





涙が止まらない私をみて、体を起こすことさえもつらかったはずの父が

立ち上り、笑いました。本当に強い人だなぁって思って。そして、どうして

もっとたくさんの時間を共有しなかったのかと後悔しました。残された時間

が分かっていたのに、もっとそばにいればよかったって。





父の最期の瞬間は、命はそう簡単に終わらないことを私に教えてくれました。

痛みに苦しんで、苦しんで、私たち家族は父の苦しみが早く終りますように

って願うことしかできず。でも、命は最後の最後まで生きようと必死だったんだ

なと。いのちって尊いなって思いました。





それから私は当時の大学で死生学について文献をたくさん読み、

「世代間における死生観の違い」について卒業研究をしました。





そして死について考えることは、今をどう生きるのかということに

つながるのだと実感しました。「死」が否定的に語られることの多い

世の中ですが、私は人生が有限であることに意義があると感

じています。不老不死なんてとんでもない。文明が発達し、医療が

発達し、いつか人が死ななくなる時代が来るとしたらそれは人としての

心を失うことにも等しいことなのかもしれないと、私は思います。

今日という日を大切にできず、自分の命も、誰かの命も大切にできず、

いつまでも、いつまでも今日と同じ明日が来ると思ってしまうのでは

ないかと。





父が亡くなってから、いつかは死が避けられない末期の患者さんの身体と

心の支えになれるような仕事がしたいと漠然と思いながらも、どうしていいか

分からず地元の地方公務員を受験し、地元に帰ってきました。大学で心理学

を学び、子どもに関わる仕事がしたいと考えていた私は児童福祉の現場に

携わることになりました。そこで出会った子どもたち、そして大人たちが私の

人生を変えてくれたのだと思います。福祉の現場に携わり、人と向き合い

手の届く距離で、顔の見える場所で相手のことを一生懸命考える仕事に

私はハマっていきました。それと同時に、死を避けられない人々の支えに

なれる仕事がしたいという思いもどんどん強くなりました。そして、人の身体、

病気のこと、そしてケアすることを学びたいと思い、看護の勉強をしようと

思いました。





現在、看護大学の3年生です。


勉強のお供のコーヒー。




人の身体について、病気について学べば学ぶほど感じることは、

「病気は治してもらうものではなく、健康は自分で守るもの」

自分の身体にみんなもっと責任を持って生きていかなきゃいけない

んじゃないの?ってことです。







 「私たちの身体には約60兆個の細胞があります。

60兆個ってどのくらいの数か想像できますか?

たとえ話をすると、今この地球上には、60億ちょっとの人間がいます。

たった60億ですよ。そのたった60億人しかいない人間たちが

争いあったり、奪い合ったり、憎しみ合ったりして、

結果として今この地球は平和ではありません。

それが私たちの身体の中では60兆個もの細胞がお互いに協力し合って

私たちを生かしてくれているのです。

すごいでしょう。私たちの身体ってすごいんです。」







ってある先生に教えてもらって、私、本当に感動しました。

すごいなーって。

それで、育ち盛りの子供たちの細胞ってもっともっとすごくて、

どんどん成長するんですよね。もう、自分のからだって宝物だなと思って。

それで、私たちは子どものころに、もっともっと自分のからだについて

学ぶ必要があったんじゃないかなって思うようになりました。






だから、今の私の夢は、これから大人になる子どもたちに、

私たちの身体ってすごいんだよ!!ってことを伝えたい。



そして、自分の身体に愛おしさを持ってもらいたい。

そんな風に考えてます。





現在は実習中で、生まれたてほやほやの赤ちゃんから、99歳のおじい

ちゃんまで本当に色々な患者さんに出会い、ケアさせていただいています。

毎日が楽しくて、日々を重ねることが楽しみで仕方ありません。




うまくまとまりませんが、29歳の私の夢、語りました!!

明日はきっといい日になる ~ 『手紙』を読んで ~




 今、自分にできること、自分にしかできないことは何なのか。



 山積みの宿題を横目に、もうかれこれ7時間ほど、自問自答をし続けている。一つの歌から重い約束のバトンを渡されたのだ。
 




「今 負けそうで 泣きそうで 

消えてしまいそうな僕は 

誰の言葉を信じ歩けばいいの?」





 ピンとくる人もいるのではないだろうか。シンガーソングライター、アンジェラアキによる『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』という歌だ。



 気分転換にと観ていたYouTubeで、彼女がとある中学校の音楽室で女生徒を前にピアノの弾き語りをしているビデオがあった。アンジェラアキの歌を聴きながら、多くの生徒が溢れ出る涙をこらえることができずにいた。



 それを見ながら、僕は自分が去年まで教えていた中学校の生徒たちのことを考えずにはいられなかった。理由があった。昨日、教え子からのメールで、自分が一年生の時に教えさせてもらった生徒たちのことをいろいろ聞いた。現在三年生、ちょうど十五になるかならないかくらいの生徒たちだ。自分の目標に向けて一生懸命頑張っているなどという良い話ばかりではなかった。中には目標を見失ってしまっている子、いじめられている子、家で親にさんざん反発している子、タバコを吸っている子、リストカットを繰り返している子…。



 先生たちはもっとあの子たちを可愛がることはできなかったのかと悔しく思う。もちろん、先生たちだけのせいではない。我々大人全体の責任だと思う。



 小関先生の口癖がある。



   「子どもは悪くない。」



 「良い子」も「悪い子」も、全ては周りの大人しだい。周囲の影響をまともに受ける子どもの素直さを信じる小関先生らしい言葉だ。



 そんなことを考えながらアンジェラアキの歌に涙を流す子どもたちを見ていると、無性に胸が痛んだ。この子たちの涙にはどんな意味があるのだろう。どんな想いをこの歌に重ねているのだろう。以前、 『形にできない想いを乗せて③ ~音楽と言語~』でも書いたように、彼女が歌を通して、年齢や環境や理屈の壁を越えて子どもたちの心に直接訴えかけているようだった。






 『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』は、合唱曲としてもアレンジされ、第75回NHK全国学校音楽コンクール・中学校の部の課題曲にもなった。その大会に集まった参加者全員によるこの曲の大合唱を撮ったビデオがある。それは間違いなく、僕が最近見た中で最も美しい光景だった。



 歌がうまいとかそういうことではない。全国から集まった十五の子たちが歌う『手紙』からは、傷つきやすく、でも信じ続けたいと願う彼らの魂が溢れ出てくるかのような錯覚を覚える。もはやそれは歌詞を越えて彼ら自身のメッセージとなっているのだ。



 まるで互いを励まし合うように紡ぎ合わされていくハーモニー、自然と湧き起こる手拍子、揺れる体、躍動する歌声…。どこか悲しく始まる歌は、歓喜の歌、今を一生懸命生きようという誓いへと変わっていく。



 涙を流しながら歌う子がどれだけいることか。男の子も、女の子も。今までこのような前例があったのだろうか。曲が終わり、会場には自然とお互いの健闘を讃え合う拍手が湧き起こった。そして、別れを惜しむかのように、誰も拍手をやめようとしなかった。何千もの心が一つになったのだった。







 この歌は、15歳だったアンジェラアキが将来の自分に宛てて書いた手紙が元になってできたものだそうだ。大切に保管していた彼女のお母さんが30歳になってから彼女に渡したのだという。



     「拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです」



こうして始まる二番は、30歳になった自分から15の自分への返事となっている。同時に、それは昔の自分のように悩み、もがいている若者たちへのメッセージでもある。



 この歌は我々にも問いかける。私たちは、大人としてどんな手紙を子どもたちに書くのか。



 僕は今の日本に生きる子たちがかわいそうでならない。新聞を広げても、暗いニュースで溢れている。文句を言いたい気持ちも、子どもの前では抑えて人生の良さを教えてあげないと。自分たちにとって大変な時代でも、大人が子どもの「素晴らしい明日」を約束してあげないと、子どもは何を励みに生きていけば良いのだろう。



 今自分にできること、自分にしかできないこと、きっとあるはず。それを通して子どもたちにメッセージを送ろう。



    明日は きっといい日になる。


手紙 アンジェラ・アキ in 西宮市立甲陵中学校
http://www.youtube.com/watch?v=Mph1oYYJz4c&feature=PlayList&p=247EC56C62F1D9DD&index=23

全国学校音楽コンクール・中学校の部 全体合唱 「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」
http://www.youtube.com/watch?v=C5ceI4uvNlQ&feature=PlayList&p=247EC56C62F1D9DD&index=20

手紙~拝啓 十五の君へ~卒業
http://www.youtube.com/watch?v=7CKWdNg1rpg&feature=PlayList&p=247EC56C62F1D9DD&index=16

2009年11月2日月曜日

秋色②


群馬県利根郡一ノ倉沢の秋色
(元同僚の先生から)


夢を語り 広い世界を分かち合う

 
    「いつか、本当の景色を見てみたい」



 前回の『秋色』に投稿された教え子からのコメントだ。

感謝、喜び、別れ、切なさ…。様々な要素が一枚一枚の葉の色として複雑に表れる秋。そんな、移りゆく秋の色彩を言葉で表現するのは空虚だと思い、写真で妥協することにした。でも、彼女の言葉は、ちゃんと伝わったと僕に教えてくれた。



 もともと、「あなたと分かち合いたいこと」というこのブログは、日本に残してきた教え子たちに向けたものでもある。このブログを通して、彼らがまだ見たことのない世界に出会うことができたらと思ってきた。今回、その子の言葉にこの思いを新たにした。



 もう一つ。 『世界と出会う』に「大人が夢を持つことが、世の中を明るくすることだって私は信じてます。」というMKさんのコメントを頂いた。僕も同じ気持ちだ。このブログを通して子どもたちが、「大人って楽しそうだな」とか「自分も早く大人になりたいな」と感じてくれたら、と思う。夢を語り、広い世界を分かち合う…。そんなことをこのブログでできないだろうか。



 あなたの見た秋色、あなたの夢、この場で分かち合ってみませんか?



メールお待ちしています。






p.s. 写真は圧縮ファイルで。



                    大裕