2009年12月31日木曜日

Beautiful Japan


中央本線藤野駅から見えるラブレター



 現在、朝7:57。中央本線高尾行きにて山梨県の大月駅を出発したところだ。たまたまリュックに入っていたノートパソコンを取りだしてこれを書いている。



日本に帰ってきてるの?と驚く人も多いかもしれない。そう、昨夜NYから帰ってきた。 それにしても、帰国の翌朝に山梨にいるのにはわけがある。



昨日、成田に着いたのは午後1時過ぎ。空港で携帯をレンタルし、それから成田エキスプレスに飛び乗った。車内では家族全員で爆睡してしまった。



新宿に着き、中央特快に乗った。目指すは武蔵境、妻の実家だ。いかにも海外から帰って来ました、というように周りには見えたのではないだろうか。4人家族の物が一式詰まった大きなスーツケース一つ、僕の背中にはコンピューターなどの貴重品が入ったパンパンのリュック、胸にはスリングに入って爆睡している美風、琴栄が押すベビーカーには2歳になったばかりの愛音が靴もはかずにガン寝していた。



運良く、乗った車両に優先席があり、座ることができた。重そうなリュックを気遣い、琴栄が、「リュック上に乗せたら?」と言ってくれた。やっと肩の荷も下りて、僕らは一息つくことができたのだ。あとは三鷹駅で各駅停車に乗り換えるだけ。もう少しだ。



乗り継ぎも順調で、三鷹駅に着いた時には既に向かいのホームで各駅が僕たちを待っていてくれた。さあ降りよう、と僕はスーツケースを持ち、琴栄はベビーカーを押して中央特快を後にした。 



ただ一つ、網棚のリュックを残して…。







気付いたのは妻の実家について、風呂にも入り食事をしていた時だった。目が乾いた妻が、僕のリュックに入った眼鏡を探したのだ。



「えー、無いわけないだろ。」

「 … 」

「あっ、電車!!」



僕ら二人の顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。



「お金!」

「銀行の通帳!!」

「パソコン!!!」

「パスポート!!!!」

 「…、いや、パスポートは俺が持ってる。」

 「どうしよう。」

 「まずは電話だ。」

 「…どこに電話すればいい?」

 「JRの落し物センターだ。あ、東日本!JR東日本の落し物センター!!」

パニックだった。

落し物センターの係員と話すこと約5分。気持ちが動揺してリュックの色を説明するのさえままならない。



と、その時、空港でレンタルしたばかりの携帯が鳴った。

この番号はまだ実家の母しか知らない。

スクリーンに映し出される見慣れぬ番号…。

もしかしたら!

すぐに琴栄に渡し、そっちの電話に出てもらった。



「はい。え?はい、鈴木です。あ、そうですか。ありがとうございますっ!!」



リュックが大月駅にあるという電話だったのだ。

もし、あのリュックの中に借りた携帯の契約書が入っていななったら…、そう思うとぞっとする。



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電話を下さった駅員さんが、朝の9時まで大月駅にいらっしゃるという話だったので、直接お礼を言うために6:01武蔵境発の電車で大月に向かった。行きの電車、僕の心は晴れ渡っていた。



高尾を過ぎると、中央本線の景色は一変する。

ちょうど日が昇り始め、山間の町には朝霧がたちこめていた。幻想的だった。

相模湖を過ぎ、藤野という駅に着くと、ホームから見える山肌に大きなラブレターが描かれていた。いったい誰への手紙なのだろう。



 八王子から自分と一緒に中央本線に乗り換えた一人の青年がいた。

ドアを挟み、僕の反対側に座ったその青年は、ギターケースを持っていた。そして、窓の外の山々を見ながら缶ビールを飲んでいた。穏やかな表情で朝7時にビールをすするその青年は、どこか好感が持てた。これからどこへ行くのだろう。大晦日の今日だから、実家にでも帰るのだろうか。ビールを飲み終わった彼は、しばらくすると寒さを避けてボックス席に移っていった。しかし、すぐに思いだしたかのように、イスの下に置いた空き缶を取りに戻って来た。公共心の低いニューヨークでは考えられないことだ。みな、そこら中にゴミを捨て、通りも電車の中もゴミだらけだ。他の人のことを気遣うその青年のおかげで、僕の心はまた少し暖かくなった。



 電車に乗ること約1時間半、大月駅に着いたのは7:19だった。



大きな駅かと思ったら、何の変哲もない、いたって小さな駅だった。

心の底で別に改札を出なければお金を払うこともない、というせこい気持ちもあったが、恩がある人たちにそんなことをしてはいけないと思い、精算機に向かった。

精算をしていると、精算券が出た後に急に機械が止まった。お釣り切れらしい。20円だったし、そのために駅の方の手を煩わしたくなかったので、僕は走ってきた駅員さんに、お釣りは結構ですと告げて改札を出た。



 どこかお土産を買える店はないかと探したが、そんな朝早くからやっている店があるわけがない。仕方なく、駅近くのコンビニに入り、リポビタンD1ケース、肉まん10個、あったかい缶コーヒー5本と缶コーンスープを5本買って駅に戻った。



 窓口に行くと、先ほどの駅員さんが僕に気付き、小さなジップロックに入った20円を渡してくれた。戻るか戻らないかもわからない客のためにわざわざお釣りを取っておいてくれるなんて…。心がまた暖かくなったのを感じた。貴重品がたくさん入った僕のリュックをちゃんと取っておいてくれたのもわかる気がした。



 リュックのことを告げると、電話で話した方が出て来て下さった。お礼を言い、買ってきたものをお渡しすると、恐縮して受け取って下さった。



 帰りの電車、僕の心はポカポカしていた。NYでの苦い経験があったから尚更だった。2008年、大学院留学のために家族で渡米した時、航空会社の手違いでスーツケース2つが届かず、4日後に届いた時には、中の貴重品が全て抜き取られていたのだ。



 もし、あのリュックを忘れたのがNYの地下鉄の中だったら、発見された10分後にはストリートで全てさばかれていただろう。



 僕は、日本がますます好きになった。そして新年を前に、将来日本に恩返しをすることを強く誓ったのだった。

2009年12月26日土曜日

四万十川から学んだこと Part I ~さっちゃんから~

はじめまして。
私は四万十川ユースホステル(四万十川YH)のさっちゃんです。
本名・佐藤幸代(さとうさちよ)。1961年10月24日生れ(48歳)。


 四国の高知県「日本最後の清流」と呼ばれている
『四万十川』の畔で定員11名の小さな宿を営んでいます。 
年間述べ1200~1500人位の旅人が四万十川YHを訪れ、
そのほとんどは2泊して四万十川でカヌーを楽しんでくれます。








 大裕は十数年前の1996年に四万十川YHを訪れた旅人の1人でした。
前向きで頭が良く、明るくて親しみやすい好青年でした。
そして普通の旅人とはちょっと違ったオーラを発していました。

 彼は2泊したけれど、カヌーには乗らずに最寄りの江川崎駅近くの
小さな雑貨屋で銛(モリ)を買い込み、川エビ捕りを楽しんでいました。
川エビは専用の仕掛けやエビたまという小さな網で捕るものですが、
自分で材料を買い、新しい手法を開拓しながら100%楽しんでしまう
様な所を見て「こいつはタダモノではないぞ!」と直感的に感じたのを
覚えています。




 大裕とはそれ以来十数年の付き合いです。
付き合いと言っても、時々手紙や電話のやりとりや私が上京した時に
連絡して会ったりする程度のものですが、ただ私達は何故か同じ本を
ほぼ同じ時期に読んでいたり、それをお互い紹介しようとしたり、
色々な物事に共感したりする等、会って話をする中で度々起るシンクロ
に、小さな驚きと興奮を覚えたものでした。大裕と私はまったく違う世界
を生きているけれど、志や目指す所は共通していて、人生の岐路や
長い間隔でお互い大きな影響を与える関係なのかも知れません。 
私は大裕の大きな志が必ず叶うと確信しています。





 大裕が再び四万十川YHに帰ってきてくれたのは、運命の人
(琴栄さん)を連れてでした。その時は二人でカヌーに乗ったり河原を
散歩したりしてゆっくりと四万十川を満喫してくれました。
琴栄さんは客室に置いてあった電子ピアノで彼女が作曲した
ピアノの曲を演奏してくれました。そのメロディはとても優しくて静かに
拡がっていく温かさが感じられました。二人がこの先実現していく
世界が思いやりと優しさに満ち溢れたものだと確信しました。



 今年の9月後半に大裕からメールで『あなたと分かち合いたいこと』
というテーマで投稿しないかという誘いがありました。

 「きっとさっちゃんの世界観が多くの人を勇気づけると信じているし、
ブログが分かち合いの輪を広げ、良き出会いの場になればいいなぁ、
と思っている。俺の財産は『人』だから・・・」

・・・そんなメールをもらった時はすごく嬉しくてときめきました。
いつか大裕と何か協力し合う時が来ると感じていたから。
そして私の財産も『人』だから。 

 私は仕事を通じて沢山の人々と出会い、色々な物事を分かち合い、
共感し、与えたり、与えられて生きているので、人との絆がどんなに
大切かを痛感しています。そして『四万十川YH (しまんとがわユース)
のさっちゃん』の仕事は、私だからこそ出来る天職です。
私の仕事は四万十川に集まってくる沢山の人々と出会い、
人と人とをつなげ、人と自然をつなげるパイプ役です。
私の役割はつなげる『場』であり『パイプ』そのものなのです。
私は子供の頃から無意識にパイプ役を演じてきましたし、
役割を発揮出来ている時は輝いていました。





 もちろん自分の役割を思い出す迄の道のりは長く、
迷いと辛い体験ばかりでした。自分に確信を持つまでは、
いつも何か違うという「違和感」が心の中心にあって、
自分の居場所や使命や生涯やりとげたい仕事が知りたくて
「確信」を求めて色々な事にチャレンジしてきました。





 漸く確信をつかんでも、自分の役割を100%発揮することが
出来なくなる様な事態や状況に陥ったり試しが次々とやってきました。
例えば逃げ出したくなるような事態に追い込まれて護りの姿勢になり、
向き合うことを恐れてしまったり、意地を張ったり、強がって自分を
追い込んでしまったり・・・。そうして試しに負けて自分の軌道から
はずれてしまうと、必ずもっと大きな試しが起きて真実の自分に戻る
ように力が働きます。だから今も常に自分の課題を意識して毎瞬毎瞬
チャレンジしています。





 私のこれまでの人生はとても奇抜で急転回の急展開の
ジェットコースターみたいな人生でした。蛇の様に何度も何度も脱皮して
カメレオンの様に色々な顔に変化してきました。
普通では体験しない様な体験を沢山しています。
そんな私の世界観はやっぱり奇抜かも知れません。
親の離婚と再婚、小児病の紫斑病、腎臓病、摂食障害、学校中退し
職を転々と変え結婚、出産、夫の暴力、離婚、娘を手放し傷心旅行の
後看護学校入学、看護免許取得、再婚、ユースホステルの仕事に就く、
四万十川YH設立、別居、整体士免許取得、ドイツ短期留学、
四万十川YHに戻る、食道癌、手術、リハビリ・・・
自分の過去を振り返ってみると統一性の無い滅茶苦茶な経歴です。
気が着くといつも迷っていました。





 いつもどうして良いか判らず、自分に自信が持てず苦しかった
記憶があります。そんな中で自分の視点を大きく変えたり、価値観を
変えたり、私の世界に大きな影響を与えてくれた映画や本があります。 
そして何よりも私の人生を軌道に戻してくれたのは「旅」です。 
私は旅によって視野が広がり、自分の世界が拡がり、色々な人々に
出会い、気がつかなかった自分自身の意外な一面に出会い、
考え方が180度変わりました。


 挫折を味わった時、行き詰まった時、迷った時、自分の力に限界を
感じた時、自分を変えたい時・・・・旅をして人と出会い、景色と出会い、
違う世界を沢山見ていくうちに、心が開いて、凝り固まったものが
溶けていって、いつの間にか迷いが吹っ飛んで、気がついたら心の
モヤモヤがすっかり消えて夢と希望で一杯になっていたりすることが
よくあります。






 だから私は旅人が立ち寄る1つの「場」となって、
人が自分の世界を変える一瞬に関わりたいと願っているのです。
快適に過ごせる空間と雰囲気と健康的で美味しい食事を作って・・・・。

クリスマスの朝 ~てるみさんから~

 以下は『雪のニューヨーク』のコメント欄にてるみが載せてくれたコラムです。読んでいない人もいるかも、と思いこの場でシェアすることにしました。25日の毎日新聞の学生紙面に載ったそうです。てるみ、心温まるクリスマスカードありがとう!!

                      大裕

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 クリスマスの朝は、プレゼントをあける音で目が覚める。
我が家には今でも、毎年サンタからプレゼントが届く。
夜には何もなかったはずの枕元に、リボン付きの箱の列。
包装紙をビリビリ破く妹を見て、私はあったかい気持ちになる。

   「ああ、クリスマスの朝だ」

 私と5人の兄弟と頑張りやの母。
7人家族での生活を始めてから16年間、
クリスマスは家族全員で過ごす1年で1番大切な日だ。
おこずかいや誕生日プレゼントなんてない。
洋服は姉たちのお下がりをもらい、妹に譲った。
決して裕福でない生活の中でも、クリスマスにはプレゼントと
優しいメッセージが必ず枕元に置いてあった。

 「いつもお手伝い偉いね」「受験合格、本当に頑張ったね」。
サンタはみんなの頑張りをちゃんと見てくれてる。
いつのころか、母にもプレゼントが届くようになった。
差出人はもちろん、サンタから。

 そんな我が家も、今、大きな変化を目前にしている。
長女は春に結婚、兄は地方で社会人1年目を迎え、
私は夏から夢に見たフランス留学へと旅立つ。
皆でそろってプレゼントを開けるのも、今年が最後かもしれない。

 だけど家族の絆が弱まることはきっと無いだろう。
どんなに離れて暮らしても、一人一人が頑張っていることや、
皆で支えあって生きていく大切さを、もう十分分かっているのだから。
重ねてきた16回のクリスマスの朝が、私達家族を支えている。

 あなたの家族にも、ハッピーメリークリスマス!



             てるみ 

2009年12月24日木曜日

雪のニューヨーク


雪のコロンビア大学 





 振り返ってみると、今学期もなかなか激しい学期だった。あと1日続いたら、間違いなく両肘、両膝 ともに腱鞘炎(けんしょうえん)またはエコノミー症候群になっていただろう。そう意味では最後が48時間試験で良かったのかもしれない。おかげさまで、最後の試験も、時間制限ジャストである17:00に無事教授に送信することができた。教授も笑ってくれたに違いない。



 終わってからもう何日経ったのだろう。今日が12月23日だから、既に3日が経ったのだ。終わってから今までの時間は、ほとんど脳死の状態だった。家族と時間をたくさん過ごし、今まで(多少)我慢していたビールを昼間っから飲んでいた。そのうまいこと。今度ビールについて書いてみようか。未成年の諸君は大人になってからの楽しみとして読んでくれればいい。大人になってから飲む酒の方が絶対うまいのだから。



 さて、今回の48時間試験中、ニューヨークは大雪に見舞われた。初日、午後5時に配られる予定の試験勉強をしていると、午前中から雪が降り始めた。さらさらの粉雪で、中庭に降る雪が建物の壁に沿って舞い上がっていく不思議な光景に目を奪われた。


秋にこんな感じだった通りが、今は…





こんな感じ。

昼食をとりに外に出ようとした時には既に積り始めていて、仕方なく出前でチャイニーズを頼むことにした。そして、夜9時に図書館を出た時には、両足がすっぽり雪に埋まるほど積もっていた。自分のように天気予報をチェックしていなかった人もいたようで、中にはスリップして坂を上がれない車もいた。タクシーを止めるのにも一苦労だ。



Before






After



次の朝、しっかり4時間ほど寝て起きたら、外は真っ白だった。雪景色を楽しむゆとりくらいは持っていようと思い、雪のニューヨークをカメラに収めながら、学校への道のりを楽しんだのだった。








2009年12月18日金曜日

48-hour Exam













 今日もまた自分にとってのサンクチュアリーにこもるつもりだ。
今日の午後5時、今学期最後の期末試験が教授からメールにて送られてくる。以前『期末試験』で話した、法学部の48時間試験だ。今週月曜日から今日までの間だったらいつピックアップしてもよいというオプションがあったので、既に終わっている人間も多いのではないかと思う。ただ、書くのに人の何倍も時間がかかる自分にとっては、準備時間は長ければ長いほど良い。だから始めるのはギリギリまで待つことにしたのだ。あと何時間も無いが、大事な論文を書く時にいつも頑張ってきたこの場所で、最後の準備をしたいと思う。

 

 ずっと勉強していると、何のために勉強しているのか分からなくなることがある。準備期間最終日の今日は、朝から、このクラスを通して自分は何を学んできたのか、また、大袈裟に聞こえるかもしれないが、この勉強が将来の自分そして日本の教育にとってどんな意味を持っているのかを繰り返し考えている。



 現在午前11:24。つい先程、今日のお祈りをあげたところだ。



「今日も自分が強くいられますように。自分の力の全てを発揮できますように。」

2009年12月16日水曜日

命は命によってしか支えられない

 2004年、84歳で亡くなった石垣りんさん。
彼女の詩に出会ったのは、亡くなった直後に見た新聞記事が
きっかけだった。すぐに本屋に行き、『空をかついで』という
詩集を買った。ページをめくるごとに、彼女の生きてきた世界に
吸い込まれていく自分を感じていた。



 先日投稿した『いただきます』のコメントでAKIさんが、現代の
便利な生活では、「命をもらって生きていることが実感しずらい」
と書いてくれた。それを読んで頭をよぎったのが、石垣りんさんの
『儀式』という詩だ。



 彼女の詩には、フェミニズムや環境などを取り巻くいかなる
理論をも超えた、生きた経験に基づく説得力がある。
謙虚に選ばれた言葉の数々からは、彼女の名前の通り、
「りん」とした一人の女性の強さが伝わってくる。 



 母と娘の間で交わされる『儀式』を描くこの詩に、こんな節がある。

 

洗い桶に

木の香のする新しいまな板を渡し

鰹でも

鯛でも

鰈でも

よい

丸ごと一匹の姿をのせ

よく研いだ包丁をしっかり握りしめて

力を手もとに集め

頭をブスリと落とすことから

教えなければならない

その骨の手応えを

血のぬめりを

成長した女に伝えるのが母の役目だ

パッケージされた片々を材料と呼び

料理は愛情です

などとやさしく諭すまえに

長い間

私たちがどうやって生きてきたか

どうやってこれから生きてゆくか

詩集 『空をかついで』より 石垣りん 童話屋発行

(全文はこちら http://homepage3.nifty.com/ja8mrx/rinn-gisiki.htm)



 AKIさんのコメントを読んでいて、もう一つ思いだしたことがある。

 アメリカはベジタリアンの人口が多い。宗教や健康面など、
様々な理由で選ばれている食形態だが、中には動物が可哀想
だからという「道徳的」な理由で肉を食べるのを拒む人々もいる。
これには僕も戸惑いを感じてきた。そこまで意識しているだけ
立派なのかもしれないが、なぜ肉はダメで野菜は良いのだろうか。
大量生産が問題なのだろうか。それだったら野菜も変わりはない。
違いは何なのだろう…。



 と、そのようなことを母に話していた時、賛同した母が
言った一言。



    「命は命によってしか支えられない。」







 何歳になっても、親に教えられることはまだまだあるのだ。




あとがき
 
 石垣りんさんに興味のある人は、wikipediaにも詳しく載って
いるのでお勧めしたい。彼女の詩で僕が好きなものはたくさん
あるが、中でも特に 『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』
が僕は好きだ。

2009年12月13日日曜日

コロンビア大学名所案内 ~ Part I ~

 



 以前サンクチュアリーで紹介した神学校の図書館に続き、今日はコロンビアのメイン図書館であるButler Libraryを紹介しよう。前の芝生広場にはカバーがかけられ、NYの厳しい冬の到来に備えている。



 コロンビアには25の図書館があり、総冊数800万を超えるコレクションはアメリカ全土の研究機関の中でも5本の指に入る。普段は朝9時から夜11時までだが、期末試験中は午前0時まで開いている。



 他にも、図書館の中には学期中ならいつでも24時間開いているスタディーラウンジがあり、学生たちに人気だ。今でこそ夜中は家でやっているが、引っ越す前はTeachers Collegeの大学院を追い出されるとよくButlerの24時間ラウンジに通っていた。



 夜遅くに行くと、ソファーで寝ている人や、暗い中でラップトップと向き合っている人、机いっぱいに本やノートを広げている人、栄養ドリンクやスナックを買い込んでいる人など、様々な人間模様が見ることができて面白い。お年寄りも少なくない。



 大学の図書館には、卒業するのが大変と言われるアメリカの大学(院)ならではの文化があるのだ。





あとがき

 今度Butlerの中も紹介したいと思う。中もまた、格式の高い雰囲気を醸し出していてなかなか良いのだ。

子どもこそ大人、大人こそ子ども



 今日もあの花たちに会いに行ったら、皆、下を向いていた。

中には、大人になることなく、命尽きて茶色くなっているものもいた。



 そんな花たちの姿は、自分が見てきた中学生たちとかぶるものがあった。



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 思春期真っ盛りの中学生は、子どもと大人の世界の狭間で様々な苦悩を経験する。多くの子どもたちにとって、人生最初の挫折を味わうのもこの時期だ。自分の夢、明るい未来、「正しい」大人を疑うことなく過ごしてきた幼少期が終わりを迎え、受験、現実、社会や大人の矛盾が見え始める。その一方で、大人への憧れは強く、皆「大人」になろうとする。



 そんな生徒たちを相手にする中学校の教員にとって、一つの大事な役割は、どんな「大人」を提示するかだと思う。



 残念ながら、上級生になればなるほど冷めていく子どもたちも少なくなかった。それは、「大人」への成長を「子どもらしさ」の否定と勘違いする子たちだ。その子たちにとっては、先生の呼びかけに元気に返事をしたり、校則に従順に従うことが幼稚だったり、恥ずかしかったりする。



 でも、そうなのだろうか。







 担任として初の卒業生を送り出した直後、教員三年目にして初めて持たせてもらった一年生に僕は衝撃を受けた。



 「子どもって大人なんだな。」 これがその時の感想だった。



    誰かのふとした行為に、自然と出る「ありがとう」の言葉。

    自分の過ちを素直に認める「ごめんなさい」。

    頑張っている人を応援できる明るさと思いやり…。



 考えてみれば、これらは大人に求められることなのではないだろうか。





 子どもこそ大人であり、大人こそ子ども ― 僕がその子たちから学んだことだ。





 一年生から三年生に上級するに連れ、段々と素直さを失い人生に冷めていく子どもたち。一年生のこの素直さを保つことこそが自分の使命と強く感じた。 『今こそが未来』もその時の生徒たちに宛てて書いたものだ。





 僕は、野球や剣道の大きな大会で、「一流」と呼ばれるチームの中学生に会うたびに、心洗われる想いをしたのを覚えている。子どもならではの尽きることのないエネルギーに溢れ、屈託のない笑顔、大人の心を突き抜ける声、先生や仲間を信じる透き通った目…。彼らは大観衆を前に、支えてくれている人たちの想いを背負い、勝負しているのだ。そんな子たちを目の当たりにする度に、なんて大人なのだろうと心を震わせた。



 毎年夏の甲子園をテレビで見ていると、決まって陥る錯覚がある。

 大人だったはずの自分が、いつしか、自分より何歳も年上の高校球児にテレビの前で声援を送っているのだ。テレビの画面に映る高校球児が、とてつもなく大きな、大人な存在に感じるのだ。

    そんな経験、あなたにはないだろうか。



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 本当の大人は、現実をしっかり見据えつつ、子どものような真っ直ぐさを貫いている人だと僕は思う。だからこそ、我々「大人」と呼ばれる者の使命は、子どもたちの信じる力と、素直な心を大事に育てることなのではないだろうか。



 笑顔を忘れ、暖かい春が必ずやって来ると信じることを諦めつつある中庭の花たち。狂った環境に翻弄された、あまりにも残酷な運命だ。

2009年12月11日金曜日

『来るはずのない春の到来を信じて』 ~ Part II ~

この前紹介した花たちを訪れるのが、僕の最近の日課になっている。

あの小さな花たちは、今日もちゃんと咲いていた。

仲間を増やして。

来るはずのない、暖かい春の到来を信じて。



その花たちを見ていて、一つ思いだしたことがある。

10月、産まれたばかりの美風に会いに、

琴栄の御両親がニューヨークに住む僕たち家族を

訪れた時のことだった。



自分の腕の中で安心しきって寝ている美風を見て、義父が言った。


     子どもの寝顔ほど平和なものはない




風に体を震わせるその花たちを見ていると

冬の寒さが余計に身にしみた。

2009年12月10日木曜日

太陽の恵み





以前紹介したコロンビアの神学校。
自分にとってのサンクチュアリーだ。






神学校にふさわしい荘厳な正門。
図書館3階のリーディングルームの奥には…










2つしか机のない秘密の部屋がある。
論文を書くときはだいたいここに来る。
中庭に面しているこの席からは、向かいの校舎で
練習する人たちのオペラの歌声が聞こえてくることがある。






 昨日、『私はなりたい』 で紹介した1年C組の子から1通のメールが来た。






「なんか恥ずかしいね~。でも私今でも変わらず太陽になりたいよ!」





 試験勉強のため図書館の奥にこもる僕にとって、心まで温めてくれる、太陽の恵みだった。

2009年12月9日水曜日

来るはずのない春の到来を信じて





異常なほど暖かい冬に、誤ってつぼみをつけてしまった木。



初雪が降り、やっと冬らしい寒さがやって来た。

あのつぼみたちはどうなったかと思い見に行くと、

小さな小さな花を咲かせていた。



寒い中、一生懸命咲こうとする花たち。

来るはずのない春の到来を信じて、凍えながらも笑ってる。

その無垢な姿は、悲しいほど美しかった。


2009年12月8日火曜日

不自由していないことの不自由さ



































 『物では満たされることのない心の隙間』 そして 『いただきます』 と、2回に続き日本の物質的豊かさと日本の病理の深い関係、そしてその関係から見えてくる教育の方向性を書いたつもりだ。引き続き、その考えを少し膨らませたいと思う。



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   「だってあいつ困ってないもんな。」



小関先生のもう一つの口癖だ。



 中学校教員時代何度も聞いたこの言葉から、 「困ること」 が学びの絶対条件であることを僕は学んだ。



 このことは 「無知の知」 でも書いたが、自分も身をもって体験したことだ。



 自分の教員時代を振り返ると、僕にとって教えた経験とは教えることを学んだ経験に他ならない。ただ、その学びの経験はすぐには始まらなかった。最初に教員になった時、アメリカの大学院の修士号を持つ自分は少なからずうぬぼれていた。英語を教えることなど朝飯前、生徒の人生を変えることなどお安いご用と考えていた。教えるという行為に対し、僕は困っていなかったのだ。



 それが、3年目を境に、自分が指導する野球部の子たちと小関先生が指導する剣道部の子どもたちの質の違いが急に見え始めたのだ。自分は何もわかってないということに気付き、僕は愕然とした。



 それは、小関先生の教えが「入った」瞬間だった。教員としての僕の成長がようやく始まったのだ。








 「困ること」が学びの条件…。それは同時に教えの条件でもある。


10年前の2.4倍、100万人を越えると言われる今の日本のうつ病人口。


 小関先生は言う。


 「学者達は、不況の影響だとか、以前より軽度の人たちが受診しているからだとか言っているが、実際には近年行ってきた教育の結果そのものだ。」


 「満たされている」 と勘違いしている生徒に、本当は満たされていない自分に気付かせること、 「わかっている」 と思っている生徒に、実は何もわかってなかったという衝撃を与えることが大事なのだ。必要とされるのは、仕組んで 「よい子」 に 「バカ」 と言える指導者の器だと、小関先生は教えてくれた。


 これこそが 「豊か」 な日本の教育が抱える最大の課題であるように思えてならない。




あとがき

 以前も、小関先生のことを自分にとっての 「つまずきの石」 と説明したが、彼のもとで、自分の教えに満足することなく最後の最後まで試行錯誤を続けることができたことは僕にとって幸せなことだった。もっと言えば、それは今も続いている。小関先生のおかげで、僕は 「教え子」 と呼べる生徒たちを持たせてもらった。今も自分に存在意義を感じさせてくれる大事な生徒たちだ。今、こうしてブログを書いているのも、一つにはやり残したことをしようと思っているから。彼らと分かち合いたいことはまだまだ尽きない。

2009年12月5日土曜日

「いただきます」

 一昨日、同じコロンビアのTeachers Collegeで勉強する仲間から嬉しいメールが来た。僕が『物では満たされることのない心の隙間』で書いた最後の文の意味が今ひとつ分からなかったと言う。




   「貧しい国々の助けを必要としているのは日本の方だ。」



 もしかしたら同じ疑問を持った人もいるかもしれない。


 僕が言いたかったのは、一つには、ここまで豊かな日本だからこそ、溢れる物に隠れてどんどん広がっている心の隙間に気付いてないということ。


 僕は、日本語が好きだ。その中でも、「いただきます」という言葉が好きだ。


 これは、アメリカに長年住んだ経験があるからこそ感じることなのかもしれない。アメリカでは、いろいろな意味で両極端が共存する不思議な社会だ。ムチャクチャ裕福な地域があると思えば、公園を挟んだすぐ隣には、比較の対象にもならないような荒れ果てた地域がある。人権など、アメリカの権利意識はここまで進んでいるのかと思えば、国内にいまだに存在する人種差別に愕然とさせられる。


 食文化もそうだ。敬虔なクリスチャンやユダヤ人のお宅に招かれると、目をつぶり、時には両隣の人と手を握って、世帯主が神に捧げるお祈りによって食事が始まる。そうかと思えば、席に着いた順番に、何の合図もなしに勝手に食べ始める家庭も多い。



   「いただきます。」



なんてシンプルで、自然な言葉のだろう。いかにも日本らしいと思う。

 語源はどうなのか、神道の影響があるのか、誰に向けられた言葉なのか、神、料理を作ってくれた人、それとも食べ物?考えてみると不思議だが、あえて答えを出すことに僕は意味を感じない。


 感謝の気持ち、それだけでよい。


 ただ、今の日本、どれだけの感謝の気持ちが「いただきます」に込められているのだろうか。子どもたちが、食べ物にすら感謝できない…。これこそが日本の教育における難しさを象徴しているように思う。




p.s. ここで書いたのは、本当は言いたかったことの半分にしか過ぎない。明日、また続きを書こうと思う。試験の真っ最中だったことを思い出した…。

2009年12月4日金曜日

サンクチュアリー


自分のサンクチュアリー、コロンビアの神学校の入り口。
Thanksgiving も終わり、アメリカはすっかりクリスマスムードだ。




長い長い廊下。歴史的な建築物だけに、どこか荘厳な雰囲気がある。
先日は Law in Order というテレビ番組のロケが行われていた。



歩くと古い建物独特の匂いがある。歴史の匂いだ。
むき出しの電球もなぜかかっこいい。



今はこの建物の至る所にこのようなアートが展示されている。



柱や階段の裏側まで、凝った細工が施されている。
昔の建築家のプライドが感じられる。
この階段を上まで登っていくと…



まるで発見されるのを待っていたように、
古いベンチが一つポツンと置かれている。
気軽には座れないような、そんな神聖さがある。



神学校の図書館。論文を書く時にはいつもここに来る。
来週水曜日提出の論文を書くために、今日は一日中ここにこもるつもりだ。



中に入るとこんな感じ。最上階の Reading Room だ。

この神聖な空気を吸うと、

「今日も自分の責任が果たせますように…」

と祈りたくなる。



2009年12月3日木曜日

物では満たされることのない心の隙間

 以前紹介した、佐藤新吾という友人がブログを立ち上げた。ニュージーランドで一学期間共に学んだ仲間だ。その投稿の中で、彼が現代日本の病理について書いている。それを読みながら、僕の恩師である小関先生がいつも言っていたことを思い出した。



    「おなかいっぱいの子に食べさせるのは難しい。」



 中学校で教えていて、貧しかったり片親だったり、いわゆる「恵まれない家庭」出身の「荒れた」子の指導をする方が、裕福な家庭で育った優等生を教えるより、よっぽど簡単だということを知った。恵まれない家庭出身の子たちを見ていると、不足しているものは案外わかりやすいものだ。そして、それを補うことが教員の仕事に他ならない。もちろん、欠けているものは生徒によってまちまちだが、本当のところは、「妹の食事もおまえが作らなくちゃいけないなんて大変だろう」とか、「お母さん一人で頑張って立派だな」とか、その子に寄り添う気持ちだけで十分だったりする。愛情に飢えている分、ほんの一握りの気遣いも子どもの心に染み込んでいく。



 逆に裕福な家庭出身の子の多くは、最新の携帯を持つのは当たり前、ご飯は言わなくても出てくるし、洋服など何一つ不自由していない。あまりにも多くの物を与えられていて、物では満たされることのない心の隙間に自分さえも気付いていないのだ。裕福な子ほど、自分の心が発信するSOSに気が付いていないことが多い。



 今の日本の状況も、それと通ずるところがあるのではないだろうか。経済格差はもちろんあるし、年々広がっている。でも、国として見た時、日本が世界の大多数の国とは比べ物にならない程裕福であることも確かだ。



 今の日本、「恵まれない国」の人々のためにボランティアをする人も多い。僕は大事なことだと思う。でもそれは、それが人として正しいことだからと言うよりも、そのような経験がその人たち自身を救うからだ。助けなくちゃ、という気持ちで始める人間も、結果的に助けられるのは自分の方だったりする。ただ今日を生きのびることに懸命な人々を目の当たりにする時、我々は自分たちがいかに多くの物を持っているかだけではなく、いかに多くのことが見えていないかを知るのだ。



 僕が敬愛してやまないブラジルの教育哲学者、パウロ・フレイレが言いたかったのもそのようなことなのではないかと思っている。日本を「抑圧者」と見るか見ないかは議論の分かれるところだが、“haves” と “have-nots” が明確に分かれるグローバル化した市場において、日本が前者に入るのは否めない。そして、Oppressors(抑圧者)の悲劇は、oppressed(被抑圧者)の人間性を奪うことによって実は自身の人間性が奪われていることに気づいていないことだ。そして、抑圧者は被抑圧者の力を借りなければ、自分たちを解き放つことはできない。



 今の日本、僕は病んでいると思う。貧しい国々の助けを必要としているのは日本の方だ。

2009年12月2日水曜日

期末試験





 何だか随分とご無沙汰してしまった。

アメリカではつい先週 Thanksgiving(感謝祭)の休日が終わり、
僕たち学生にとってはこれからいっきにFinal(期末試験)に
突入する。必然的に授業もFinalを意識した内容となり、教室
にはいい感じの緊張感がある。図書館も連日満員だ。

 僕が一番気になるのは、Law School(法学部)で取っている
授業の一つだ。Take-Home Exam(家に持ち帰って書くレポート
形式の試験)なのだが、渡されてから48時間以内に提出
しなければならない。どうやらコロンビアのLaw Schoolでは
それが一般的な試験の形らしい。

 48時間という時間制限の中で書くということで、
はたしてどのような能力が問われているのか、教育を勉強
する者としてはいささか疑問があるがしかたない。

 ただ、一つ興味深いのは、決められた一週間の試験期間内
であれば、自分の好きなタイミングで試験に取り組むことが
可能ということだ。だから、早めに決着をつけたい者は月曜日
に始めればいいし、慎重に準備したい者は金曜日に始めれば
良いのだ。

 これを聞いて、驚く人も少なくないのではないだろうか。
もちろん、ズルをして早く始めた生徒から試験の問題を訊く
者が出る可能性もある。でも、そこはHonor Code
(カンニングなどの不正行為をしないという生徒による誓い)
を重んじるアメリカの高等教育ならではの発想なのだと思う。

 自分たちの良心を信じてくれる教授のことを考えれば、
裏切ることなどできるわけがない。