自分は高校でアメリカに行ってから、第二の人生が始まったと思っている。毎日が未知の連続だったし、分からない英語で、どうやって自分という人間を表現しようかと必死だった。慣れてきてからも、幸福なことに、自分の才能を本気で信じてくれる数多くの素晴らしい先生に出会い、常に新たな課題を与えられ、自分の可能性に挑戦させられた。何かとてつもないことに挑戦することの楽しさを知り、自らの無限の可能性を信じられるようになった今も、挑戦は続いている。だから毎日が失敗、反省の連続だし、自分が日々進化しているように思う。普通、社会に出て職を持った時が「将来」と言うのだと思うが、30歳を超えた今も、自分の将来にワクワクしているし、「将来の夢」もある。今、こうして今までのことを振り返ってみて言えること ― 無駄なこともたくさんしたし、遠回りもいっぱいした。でもいつもがむしゃらだった。
人は、現在からはまったく創造もつかないような生活を思い浮かべ、自分の「未来」に期待を膨らませる。でも、今日なしに明日はない。何が起こるか分からない未来に期待を膨らませる前に、何が起こるか分からない今日という新たな一日に胸を躍らせるべきだと思う。「未来」なんていつまで待ってもやって来やしない。やってくるのは「今日」だけだ。
じゃあ未来とは何なのか。それは灼熱の砂漠の向こうに突如現れ、一人で旅する少年を誘惑する湖の蜃気楼のようなものだと思う。追っても追っても辿り着けない幻。来る日も来る日も懸命に歩き続けた少年はふと立ち止まる。自分自身を見つめた時、少年はいつしか知恵も勇気もある、たくましい男に成長している。そして、鏡を見つめる自分が、小さい頃夢に現れた旅人であることに気付く・・・。未来とはそんなものなのだと思う。あるのは「今」だけであって、その現在とは過去の自分にとっての未来なのだ。
将来自分は何をしたい?どんな人間になっていたい?もしそれを本気で考えて、本気で実現しようとしたら、そのために自分は「今」というこの瞬間に何をすべきなのか、きっと分かるはず。ある朝、目が覚めたら急に自分が強くなっていた、なんてことあるわけがない。ふと起きたら自分が大人になっていた、なんてあり得ない。だから結局は、一日一日を自分がどう過ごすか、何を学んでどう成長していくかが、その人の未来を決定するのだと思う。今日という一日を精いっぱい、命いっぱい生きよう。
人は、現在からはまったく創造もつかないような生活を思い浮かべ、自分の「未来」に期待を膨らませる。でも、今日なしに明日はない。何が起こるか分からない未来に期待を膨らませる前に、何が起こるか分からない今日という新たな一日に胸を躍らせるべきだと思う。「未来」なんていつまで待ってもやって来やしない。やってくるのは「今日」だけだ。
じゃあ未来とは何なのか。それは灼熱の砂漠の向こうに突如現れ、一人で旅する少年を誘惑する湖の蜃気楼のようなものだと思う。追っても追っても辿り着けない幻。来る日も来る日も懸命に歩き続けた少年はふと立ち止まる。自分自身を見つめた時、少年はいつしか知恵も勇気もある、たくましい男に成長している。そして、鏡を見つめる自分が、小さい頃夢に現れた旅人であることに気付く・・・。未来とはそんなものなのだと思う。あるのは「今」だけであって、その現在とは過去の自分にとっての未来なのだ。
将来自分は何をしたい?どんな人間になっていたい?もしそれを本気で考えて、本気で実現しようとしたら、そのために自分は「今」というこの瞬間に何をすべきなのか、きっと分かるはず。ある朝、目が覚めたら急に自分が強くなっていた、なんてことあるわけがない。ふと起きたら自分が大人になっていた、なんてあり得ない。だから結局は、一日一日を自分がどう過ごすか、何を学んでどう成長していくかが、その人の未来を決定するのだと思う。今日という一日を精いっぱい、命いっぱい生きよう。
今こそが未来。
1 / 1 / 2005 鈴木 大裕
1 / 1 / 2005 鈴木 大裕
大祐さんの言うことわかります。すごくよくわかる。でも自分が何をしたいのか、どういう人になりたいのか、全然分からなくなった時はどうしたらいい?今まではいつも目指すべき何かがあって、掴みたいと思う光があって、それに向かって必死で走ってきたのに、今はそれが見つからないのです。(前は探さなくたって向こうからやってきたのに)どこを向いても歩いても、何にもない砂漠がただただ続いているだけ…。そんな風に感じる時は、どうやって今日を生きたら良いのですか?
返信削除私も自分が本当は何がしたいのか?これからどうしたいのか?どういう人になりたいのか?全く見えなくなってしまった時期がありました。それはとても長かった・・・約2年間もズルズルと答えが見つからないまま中ぶらりの時間を引きずってしまいました。
返信削除それは迷っていた時期です。今までの自分や今までの環境をより良く変えたいと思っていながら出来なくて、そこから逃げてしまいました。
私の場合は見えなくなったのではなくて、見ようとしなかっただけでした。本当は知っていたのにそれをする勇気がなくて、それを否定していただけでした。迷うことで時間稼ぎをしてやるべき事を引き延ばしていただけだったのです。 中ぶらりの時間は前に進めない気がして辛かったけど楽だったから。覚悟を決める勇気を出すまでに2年間も費やしてしまいました。でもその2年間は決して無駄な時間ではありませんでした。
先が見えなくなってしまっても、時間は過ぎていきます。いつも取り残された空虚な感覚を引きずったまま日々を送っている様でも、それは逆に、意識が常に答えを探し求めているから(自分の真実を追究しようとする意識です)すごく意味のある時間なのです。
目指すべき何かが見つからなくなってしまった時こそ、軌道修正、或いは真実に向き合うチャンスかも知れません。そういう時は「自分の真実とは?」「本当は何がしたいのか?」という課題をしっかりと胸に秘めながら、焦らずなるべくリラックスして今を楽しむ事です。課題から目をそらさなければ必ず自分にしか判らないメッセージがやってきます。
そうして気がついてしまったら、後は加速度的にグワァーンとエネルギーを使うことになるのでしょうから、今は充電の時ですね! by 四万十川YHのさっちゃん
いいこと言うね〜!
返信削除>「未来」なんていつまで待ってもやって来やしない。やってくるのは「今日」だけだ。
本当にそうだよね。自分の大切なものに忠実に、きちんと「今日」を生きることができる人は、あるときふと気づいたら居るべき場所に到達している。人生ってそういうものだと思う。
目標や夢がはっきり見えているときは、生きやすいし楽しいけど、そういうのって「今」を真剣に生きた結果として自然に湧いてくるものであって、無理にひねり出すものじゃない。
あとから振り返ってみれば、「今の時点の自分」なんてちっぽけなものだから、その小さな自分に思いつける程度の「目標」なんて実はたいしたことなかったりするんだよね。大切なのは、「今」!!
コメントありがとう。
返信削除興味がある人は、愛さんの『船乗り日記』もどうぞ。彼女が自らの体験と照らし合わせて「今こそが未来」にレスしてくれています。
http://www.facebook.com/l/45199;ameblo.jp/sunday0106/
あと、四万十川ユースホステルのさっちゃんは、日本最後の清流と呼ばれている高知県の四万十川ほとりで癒しの宿をやっている友人です。1993年、一人旅で四国を周遊中、彼女の宿に泊まって以来、僕を支えてきてくれた大切な友人です。心癒されたい人、ちょっと立ち止まって自分の人生を見つめ直してみたい人、是非訪れてみてください。さっちゃんブログもどうぞ!
http://40010sachan.blog55.fc2.com/
はじめまして。愛さんの出している船に乗船させて頂いたかりんと申します。(本名は、かなと言います)
返信削除私は最近まで船に乗って世界を旅し、そして日本に帰って日本でも少し旅をしました。そして最近、旅で知ったことの大きさに気づき、それをどう処理していいのか悩んでいました。
それは、私が今ここに生きている事は、誰かの犠牲の上に成り立ち、そしてこんな生活が出来るのは一握りの人達だけだということです。
しかし、知る事をやめてはいけないと思い、あらゆる事を見たり聞いたりした1週間で、それで何か消化していけるかもしれないと思ったのですが、逆に蟻地獄のように考えるループにはまっていました。
どういう思いで生きていけば、、、
「償い」まではいかないですが、それに近い事をするにはどうすればといいのかという思いが強いように思います。
でも、写真の『私が無駄に過した今日は 昨日死んだ人が痛切に 生きたいと思った一日である』という言葉を始め、大裕さんのブログに感心しました。言葉では、うまく言えませんが、自分がどういう思いを持ってこれから生きていけばいいかが何となく見えた気がします。
本当に感謝です。
大裕さんは今はコロンビア大学で勉強されているんですね。
本当に素晴らしいと思います。大裕さんはまさしく教壇に立つべき人だと思います。
今後のご活躍も期待しております。
かりんさん、
返信削除こちらこそありがとう。心のこもったコメントに力をもらいました。今日自分が過ごした一日が、何か意味があったような気がします。
大裕
かりんさん、
返信削除最近書いた、『Love the Questions...』の中のリルケの言葉、かりんさんに贈ります。