2010年5月31日月曜日

メリットペイを考える ~ まえがき ~

“For every complicated problem, there is an answer
that is short, simple, and wrong.”

(複雑な問題にはきまって短く、単純で、間違った答えがつきまとうものだ。)

- H. L. Mencken





 少し間があいてしまったが、過去二回に渡り 『教員を評価することの難しさ』 というテーマで書いた。今日、教員評価の難しさに対する理解を広めることは、我々教育を専門に勉強する者にとって切実な課題だ。その理由を、オバマ政権が推進する教員のメリットペイ (merit-pay) というコンセプトの考察を通して考えてみたい。







 この春で博士課程2年目が終わった。今年も去年以上に充実した1年だった。ただ皮肉なことに、勉強すればするほどわかるのは答えではなく、教育の複雑さだ。別にそのことに頭を悩ましているわけではない。それで良いのだと思う。きっと、道を究めようとするのはそういうことなのだ。



 だとしたら、我々教育学を学ぶ者の課題は何なのだろう。その最も大切な一つは、研究の果てに見えてくる教育の複雑さを世に伝えることなのではないだろうか。



 これは、自分が実際に中学校の教員であったからこそ強く感じることなのかもしれない。教育が一筋縄ではいかないことを日々、身をもって体験しているのは間違いなく教員だ。しかし、残念ながら、教員にはこのようなことを伝えるための 「声」 がない。いくら教員が、子どもを教えることはとても難しいことなんだ!と言ったところで、それは泣きごとにしか聞こえないだろう。ならば教育を専門に勉強する我々が、教員とのダイアローグを通して大声をあげて発信していくしかないのだと思う。現場と学会、そして実践と理論の橋渡し - 自分がやりたいのはそんなことだ。



 勉強すればするほど問題の複雑さがわかるというのは、おそらくどの学問分野においても同じようなことが言えるのではないかと思うが、教育にいたっては特に切実な問題だ。



 アメリカの教育社会学者、 Dan C. Lortie は、1975年に出版され、今では 「クラシック」と呼ばれている Schoolteacher という本の中で、教員の仕事がいかに世界で最も人々にとって 「身近」 な仕事かということを書いている。子どもたちは、生徒でいる間は教育の現場に立つ教師と毎日直接かかわり、ずっとその仕事を目の前で見ている。そして、これらの経験は彼らの中に着実に良い教師像、悪い教師像を作り上げていく。そして、多くの人間は、大人になる時には既に教師だけではなく、教育についてある程度わかった気になってしまう。



 だからこそ、教育には、教育以外の様々な分野の人間から数多くの意見が寄せられる。ここ数十年、特に多いのはビジネス界からの意見だ。主に教育政策として反映されるこれらの意見には、残念ながら教育の複雑さを無視した短絡的なものが多い。





 

    「そんな単純な問題じゃない。」





 我々教育を勉強する者が声をあげないと、という危機感がある。ビジネスでは、ある事業が失敗しても最終的には会社が潰れたりその会社の株主が損失を被るなどの形で責任を取ったりするが、教育の場合に事業の失敗の痛手を被るのは子どもなのだし、無駄になった子どもの時間は二度と取り戻すことができない。失敗は許されないのだ。




参考文献
Lortie, D. C. (1975). Schoolteacher: A sociological study. Chicago: University of Chicago Press.

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