2010年6月1日火曜日

メリットペイを考える2 ~教育におけるビジネスコンセプトの導入~

 アメリカでは1983年の連邦政府によるA Nation at Risk (「危機に立つ国家」) の発行以降、教育界に様々なビジネスコンセプトが導入されるようになった (Falk, 2000)。生徒の学力は直接国のグローバルマーケットにおける経済的競争力と結び付けられ、教育にも市場原理を導入して国全体の競争力を高めようというイデオロギーが教育改革論争の主導権を得たのだ。教育における新自由主義の到来だ。このイデオロギーの下、何でも中央政府が管理する “big government” はもう古いとされ、それまで公的事業とされていたものの多くが民営化 (privatization) そして規制緩和 (deregulation) されていった (Cohen, 2003)。そして教育もそのような新自由主義の波に飲み込まれていったのだ。



 そんな経緯があり、今日、アメリカでは教育政策の隅々にビジネスコンセプトが蔓延っている。これは日本でもたいして変わりないのではないだろうか。“standards(基準),” “accountability(アカウンタビリティー),” “school choice(学校選択),” “efficiency(効率性),” “performativity(パフォーマティビティー),” “incentives(インセンティブ),” “competition(競争),” “innovation(イノベーション)” と、数え出したらきりがない。“merit-pay(メリットペイ)” とはそんなビジネスコンセプトの最たるものだ。



 まず、メリットペイとは何のことを指すのか。簡潔に言えば自分が行った仕事の量、質、売上などによって給料が決められる出来高給料制のことだ。これは決して新しい概念ではなく、実は1980年代前半にアメリカの多くの州で展開され、失敗に終わった経緯がある。過去に失敗したものが今なら成功すると思われる根拠は未だに見えてこない。



 メリットペイは本来悪い仕組みではない。むしろ、従業者の労働に正当な報酬を与えようとする、公正な制度だと考える。しかし、ビジネスで通用するものがそのまま教育でも通用するという考えはあまりにも浅はかだ。まず今回はこの点について考えてみたい。



 これはまた次回にでも触れようと思うが、例えば市場原理を支える 「競争」 の概念は、教育界においても良い効果をもたらすのかというと一概にそうとは言えない。競争させれば教員一人ひとりの教える技術は本当に向上するのか?学校間の競争を図れば、各学校はそれぞれの個性を伸ばそうとし、結果として教育の多様化につながるのか?これら一つひとつの問題は、しっかりと検証していく必要がある。



 また、ビジネスにおけるefficiency(効率の良さ)と比べ、教育におけるそれは非常に不透明で測りにくいものだと思う。例えば、時間と量における効率性を求め、プラン通りに短時間で膨大な量の知識を詰め込むことで生徒の理解力が増えるというわけではない。時にはプランから大きく逸れて生徒たちの反応に耳を傾けることが生徒たちの理解度の向上に貢献したり、クラス全員に平等に相手をするのではなく、一人の生徒に多大な時間を割いたりすることによってクラスの生徒たちの信頼を得ることもある。

 

 前回、ビジネス界から寄せられるアイディアには、教育の複雑さを無視した短絡的なものが多いと書いた。僕が問題に感じるのは、ビジネスコンセプトの多くが結果至上主義の上に成り立ち、問題の原因追及から目を背けること、多くが 「成功例」 の影で確実に起こる 「失敗例」 と 「犠牲」 を見込んでいること、そしてあまりにも簡単に失敗例を切り捨てることだ。



 例えば学校選択 (“school choice”) 。親や生徒に学校を選ぶ自由を与えれば、進学率の高い学校に生徒が集まり、そうでない学校は淘汰されていくだろうという前提がある。この時点で、失敗例から学び、どうにかしようという意図は排除されているのだ。生徒の確保に失敗し、廃校となった学校の生徒や教員はどうなるのだろう。生徒はまるで実験道具のように扱われ、別の学校に送られるわけだし、廃校になったからといってその学校の教員をクビにすることもできず、結局はまた別の学校に配置されるのだ。(カリフォルニアでは現在、多くの教員が解雇され、再度同じ学校に非正規教員として雇われるという現象も起こっている。)彼らが新しい学校に行って、よりよい教員として生まれ変わる保証はどこにもない。どうして一部の学校では生徒が伸び(*もちろん何をもって生徒が成長したのかという根本的な問題さえも解決されていないが…。)、他では生徒が伸びないのかという根本の問題を追求せずには、同じ過ちを繰り返すことは目に見えている。そして、犠牲となるのはいつも子どもだ。



 2002年からアメリカ全土で実施されている、悪名高い No Child Left Behind が推進するstandards and accountability (基準とアカウンタビリティー) を軸にした教育改革も同じだ。簡単に言えば、各州にそれぞれレベルの高い学力到達基準を設けさせ、それに到達できた地区には更なる援助を、できなかった地区には制裁をという法律だ。継続して基準に到達できない学校は廃校となり、生徒には学校選択の自由が与えられる仕組みになっている。根本的な問いが頭に浮かぶ。基準を上げて報酬や制裁を加えさえすれば生徒の学力は伸びるのか?だとしたら、問題だったのは低基準とインセンティブの欠如のみで、教員たちがもっと頑張りさえすれば生徒の学力は伸びるということになる。頑張りの問題なのか?教員たちは生徒の学力を伸ばすための知識と技術を持っているのだろうか?研究を見ると、そうではないことがすぐにわかる。生徒の学力が伸び悩んでいる学校の教員たちは、どうしたら良いのかわからず困っているのだ。



 同じように、メリットペイに関しても教育界における有効性を慎重に考えなければならないのだ。次回はより具体的に教員のメリットペイを分析していきたい。



参考文献


Cohen, L. (2003). A consumer's republic. New York: Vintage Books.

Falk, B. (2000). The heart of the matter: Using standards and assessment to learn. Portsmouth, NH: Heinemann.

National Commission on Excellence in Education (1983). A nation at risk: The imperative for educational reform. Washington, DC: U.S. Government Printing Office.

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