2010年9月6日月曜日

軽井沢インターナショナルスクール・サマースクールに参加をして

ゲスト投稿: 野宮あす美さん

 人は、味わったことのない衝撃を受けた時に、life changing な瞬間を迎えるのかも知れない。夏、長野の大自然の中、子どもたちの言葉、表情、涙と笑顔に、心打たれる衝撃を受け、何度もハッとさせられた。信じ続けること、そして、出会いに感謝をしながら、皆で手をつないで歩いていくこと。出会い、共感し、共に考えることで、少しずつでも世界を変えていけるのかもしれない。

 7月、軽井沢インターナショナルスクールのはじめてのサマースクールに参加をした。ミッションは、社会が抱える課題と向き合っていくために、社会的・経済的バックグラウンド多様な生徒同士が互いに学び合い、社会を一緒に変えていく力を養っていく。小林りんさんと創設メンバーが立上準備をしている全寮制のインターナショナルスクールに先立って開催された2週間のプログラム。

 森の中の教室に溢れる彩り。日本、ネパール、ミャンマー、フィリピンなど8カ国から34人の生徒が集まり、いろんな国の、最初は少し緊張した笑顔が広がった。ボランティアとして、東南アジアからの子どもたちの奨学金のファンドレイジング、キャンプ期間中のボランティアとして参加をした。アメリカからの先生、子どもたちのことを熱心に想うStudent Volunteerが集い、少人数・生徒参加型の授業とアクティビティーが行われた。

 生物の生態系について学ぶため、ロールプレイをしながら自然の中、走り回った理科の授業。 「子どもの人権」 をテーマにお互いの国の子どもたちが抱える問題を、調べシェアし合った歴史の授業。Design Thinkingを通じて、子どもの人権の問題を解決するために、何ができるかを皆で考えた。暗号を解きながらのTreasure Huntの数学。夜は、お互いの国の文化に触れるワークショップ。止まることのない質問の数々、体全体で吸収する生徒たち。 

 「同じ11歳なのに、生まれた場所が違うだけで、どうしてもこんなに生活が違うのだろう」 フィリピンの生徒からストリーチチルドレンについて知り、涙した日本の生徒。ポル・ポトの大虐殺を生き抜き、希望を捨てずに歩き続けたエアン・ショー氏の話を聞いて、 「夢を絶対に信じる!」 と誓った生徒。家族から離れて過ごすはじめての2週間、 「寂しさで眠れなかった、だけど、今は笑顔で帰れるよ」 自信のある表情をみせた生徒。

 「ミャンマーは世界で一番多くの子どもが兵士として戦っているけど、今まで知らなかったことが恐い。何ができるか考えていきたい」 と恐れを乗り越え心に決めた生徒。 「言論の自由がないということどれ程苦しいものであるのか、考えたことなかった」 とシンガポールからの生徒。 「ミャンマーについて知ってもらえて嬉しい。友達がたくさんできたから、自分の国を変えられる、絶対変える」 と皆に誓ったミャンマーからの学生。

 あふれる生徒たちの感情、日々の変化、知り合ったばかりの友達への思いやり、友達が住む世界を良くしていきたいという強い思いに衝撃を受けた。そして、はじめは小さな、人と人とのつながりが、やがて大きな力になっていく、そう感じた。遠い国に、思い浮かべられる友達の笑顔があるということで、その国の子どもたちとその社会の平和を願う気持ちにつながっていくと思う。この輪が広がっていくように、できることから一歩ずつ続けていきたい。



軽井沢インターナショナルスクールホームページ: http://isak.jp/isak/

1 件のコメント:

  1. あす美さん、
     素晴らしい体験をシェアしてくれてありがとうございました。

    それにしても小林りんさんを始め軽井沢インター発起運動を推進してきた方々、よくここまでこぎつけましたね。投資家を募り、土地と地元の人々の理解を確保し、定評のある様々な学校や教育者に学び、有能で志ある先生やスタッフを集め、態勢を整え、生徒を募り…。気が遠くなるような仕事だったと思います。今回のあす美さんの話を聴いているだけで、これまで関わってきた人たちのエネルギーがひしひしと感じられました。

     あと、あす美さんの語りからは、子ども同様、周りの大人にとっても今回のサマースクールは大きな出会いだったように感じられ、以前紹介したPaulo Freire(パウロ・フレイレ)の言葉を思い出しました。

    “Through dialogue, the teacher-of-the-students and the students-of-the-teacher cease to exist and a new term emerges: teacher-student with students-teachers. The teacher is no longer merely the-one-who-teaches, but one who is himself taught in dialogue with the students, who in turn while being taught also teach. They become jointly responsible for a process in which all grow.”
    Freire, P. (1970). Pedagogy of the oppressed. New York: Continuum. p. 61

     僕の恩師である小関先生は、「子どもは先生の器の中でしか育たない」と言いながらも、「いつの日か、教えている自分の器を越える子どもを育てるのが夢だ」と語っていました。限りある「大人」の世界で夢を持たせてあげようとするのではなく、教える過程において大人が自分の慣れ親しんだ世界や価値観を捨てる覚悟も辞さないという謙虚な姿勢の大切さを改めて痛感しました。

     今後、この子どもたちにした投資が無駄にならないように、目が覚めた子どもたちがしっかりと現実に対して目を見開いた ― Maxine Greeneの言うwide-awakeness ― の状態で夢を追い続けることができるようにフォローアップしていくことが必要となってくることと思います。本当の勝負はここからですね。

    志をもって尊い仕事に従事されているスタッフの皆さんに心から敬意を表します。

                        大裕

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