2010年9月13日月曜日

63歳で留学の夢を果たしたある社長の話

 2008年に再渡米してから、毎日のように僕が通って来た場所がある。コロンビア大学Teachers College(TC)の図書館だ。授業の有無にかかわらず、最初の2年間はたいていそこで勉強してきた。



 TCはアメリカで最古にして最大の教育大学院。1889年創立、100以上のプログラムがある。マンハッタンの120丁目、Amsterdam AvenueとBroadwayの間に位置するが、その中央部にそびえ立つ古いレンガ造りの建物が図書館だ。



 1階は本の貸し出しカウンターがある他、コンピューターが並んでいる。2階はディスカッションできるオープンスペースになっている。グループワークをしたりする時に便利だ。3階は静粛な雰囲気で勉強できるスペースとなっている。6人掛けの大きなテーブルが大部屋に左右均等に並べられ、両端の窓際には、より隔離された雰囲気で勉強したい人用に、サイドに仕切りのある勉強机が並べられている。日本の建築では優に2階分のスペースを取るほど天井が高くて気持ちがいい。



 2階と3階の間の踊り場の床石には小さな窪みがある。最初からそうだったのか、誰かがよほど重い物を落としたのか、それとも長年人々に踏まれ続けその重みに耐えかねたのかは分からないが、いつもその窪みを踏んで3階に登るのが僕の習慣になっている。きれいに統一された筈のデザインの中に存在するそんな一つの不規則が愛嬌となり、人に愛着を持たせる。



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 2010年2月、TCの図書館で威光を放つ白髪のアジア人男性がいた。少なくとも50歳後半はいっていると思われた。髪は短く、推定年齢の割にはがっちりしていて、背も高く、アジア人離れした体型をしている。今年に入ってから図書館でほぼ毎日見かけるようになった。



 時折席をはずすことはあったが、たいていは朝早くから夕方まで、常に3階の僕の定位置の後ろ斜め右の席で書物やパソコンと向き合っていた。



 何をしている人なのだろうか。きっと教授に違いない。でも何故毎日ここで勉強しているのだろう。教授だったら自分のオフィスがあるだろうに。まさか学生じゃないだろう…。



 いつからか僕はこの男性のことがとても気になり始めていた。相手も僕がいつもそこにいることを認識していたようだ。



 ある時から互いに会釈を交わすようになっていた。いかにもアジア人らしい、何とも言えない微妙な距離感。周りのアメリカ人にはどう映っていたのだろう。



 ある日、トイレに行く途中すれ違った。僕は思わず話しかけていた。



    “Hi, we have seen each other so many times. My name is Daiyu.”



そう言って僕が握手を求めると、彼も嬉しそうに、 Nice to meet you, too. と握手してくれた。そして今度は Where are you from? と彼が訊いてきたので、Japan と僕は答えた。



 すると、その男性は笑顔で細めていた目を丸くさせて、Oh! と言い、今度は両手で握手を求めてきた。



 まさか、と僕は思ったが、そのまさかだった。



 日本人だったのだ。しかもコロンビアの国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程所属の留学生だというではないか。



 がっちりした外見といい、行動といい、僕のデータに無いタイプの日本人だったので僕は仰天した。



 そこでは簡単な挨拶にとどめ、詳しくは後日ランチでもしながら、ということになった。貰ったコロンビア大学の名刺には佐々山泰弘と書かれてあった。





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 数日後、いつものように背中合わせの形で勉強していた僕らは、12時になると荷物をまとめてTCのカフェテリアに向かった。



 この日は終始日本語での会話だったが、まず驚かされたのは、佐々山さんの声の大きさだ。その大きな体から、少ししゃがれた重低音が響いてくる。毎日同じ席に着き、静かに勉強し、静かに帰る、そして顔を合わせた時は目を細めて会釈する…。そんな佐々山さんの姿しか知らなかった僕は、勝手にシャイな男性を想像していた。だが実際の佐々山さんは全く違っていて、いかにも体育会系でパワー溢れる人間だった。



 日本人にしては随分大柄でいらっしゃるけど何かスポーツをやっていらしたのですか、と僕が尋ねると、学生時代にウェイトリフティング部で鍛えたと教えてくれた。これは後で分かったことだが、佐々山さん、実は国体3位という実力の持ち主だ。



 留学する前は何をしていたのかという質問に対しても面白い答えが返ってきた。「Mac Fan」や「PCfan」などの出版でも知られる毎日コミュニケーションズの社長を長年務めた後、最高顧問などのポストに就きながら、最後はその子会社である毎日オークションの社長を務めていたそうだ。



 そんな輝かしい経歴を持つ佐々山さんだが、彼には大学生時代から持ち続けた一つの夢があった。



 それがアメリカ留学だったのだ。



 社会人になった佐々山さんはその夢を持ち続けた。英語の雑誌を購読したり、留学のことを調べたりしながら、しまいには自分の会社で留学ガイド作成の事業部を立ち上げてしまい、それにかこつけてアメリカ中の大学を取材して回った。そうしてできたのが『毎日留学年鑑』という、日本初の包括的留学ガイドだった。



 そして2008年、毎日オークションの社長を務めながら63歳でコロンビア大学School of International and Public Affairs (SIPA)に合格、その結果をもって定年退職を志願した。親会社である毎日コミュニケーションズで当時社長を務めていた元部下には、「コロンビアに受かったから辞めさせてくれ」と言ったそうだ。



 40年越しの夢を叶えた佐々山さんの専攻は、「ずっと知りたかった」 という近代アジア史。でもやはり英語がネックだと言う。



 授業の英語はリーディングをやっていれば何とかなるけど、日常会話がなかなかうまくならない。「若い人は羨ましいですよ。」 そう笑いながら年齢の不公平を訴える佐々山さんは、とても無邪気に見えた。





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 図書館での出会いから3ヶ月後、佐々山さんは晴れて修士号を取得した。卒業式には日本に残してきた奥様だけじゃなく、大学時代の友人3人も日本からツアーを組んで駆け付けた。



 コロンビア特有の卒業式用の水色ガウンに身を包み、卒業証書を受け取る彼の姿を見届けたご友人たちはさぞ誇らしかったことだろう。



 また、自分の夢を追いかけるために63歳で勇退し、実現した社長の後ろ姿を元部下たちはどんな想いで見つめているのだろう。佐々山さんの生き様からはこんなメッセージが見えてくる。



問題なのは、夢を叶えるか叶えないかではなく、いつ叶えるか。



先生なんだな、と僕は思った。



 くじけそうな時、満足してしまっている時、教え子は前を走る先生の背中を見て苦笑いするのだ。



    「まだまだ!!」





あとがき

 先日、佐々山さんから届いた一通のメールを見て僕は思わず吹き出してしまった。



 「メールありがとうございます。
小生の方は日本に帰ってはや2ヶ月がたちました。
怠惰な老年生活を送るつもりでありましたが、
早くも体の底から何かがうごめき始め、
昨日から上智大学の朝鮮語講座に通い始め、
日本のPHD過程で東アジアの勉強を続けてみようかと、
幾つかの大学のApplication書類を取り寄せ準備を
始めたところです。」

4 件のコメント:

  1. これは勇気づけられるお話ですね。

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  2. millotiiさん、
     初めまして。millotii さんのTwitter拝見しました。海外での生活にご興味がおありとのこと、「その気持ちさえあればきっとできますよ!」と佐々山さんだったらおっしゃるでしょうね!
                      大裕

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  3. パワーを頂けるいいお話ですね。今は夢さえも持っていない人がいます。やりたいこと夢がある人は生き生きしていますね。

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  4. Aylineさん、初めまして。
    本当。生身の人間からもらえるエネルギーには他の何にも代えがたいものがあると思います。
                        大裕

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