2009年8月30日日曜日

君たちに伝えたいこと ~「夢」について~ 1999年作

自分が教員になる前、まだ通信教育で教職課程を取りながら留学予備校で夜教えていた時、当時の生徒たち、未来の自分の生徒たちに宛てて書いた、「君たちに伝えたいこと」というエッセイシリーズがある。この場を使ってシェアしていきたいと思う。26歳の時のものだ。

僕は長い間、学生をやってきた。高校2年生の時アメリカへ留学し、1年半余分に高校生をやった。向こうの高校を卒業後、そのままアメリカで大学へ進学した。4年後に卒業、日本に帰ってきたが、翌年には大学院進学のため、再びアメリカへ飛び立っていた。そして今は語学学校で英語を教えながら、日本の中学、高校の英語教師の免許を取得するために、通信教育で教職課程を履修(りしゅう)している。

時々考えることがある。俺は今まで何を学んできたんだろう?学んだことはたくさんある。本から学んだこと、見て学んだこと、聞いて学んだこと、触れて学んだこと、自分を表現して学んだこと、そして感じて学んだこと。ただ、そのいずれも形を残していかなかった。しかし、それらすべての中で生まれてきたもの、それは僕の理想主義だと思う。この理想主義こそ、自分の財産だと胸を張って言えるものだと思っている。

何を言ってるんだ、と思う人もいるかと思う。当然のことだ。何故なら理想主義はよく、「現実」から目をそらした中身の無いものと思われているから。だけど僕は、理想主義を「無」ではなく、常に前に進もうとする「意志」、「力」だと思っている。理想だけで何が出来るか、と口にする人がいる。逆に問い返してみたい。理想なしで何が出来るというのか?ミヒャエル・エンデの『サーカス物語』の中に僕が大好きな言葉がある。王子様のジョジョは悪の女王アングラマインに対してこう言う。
「おまえどうやら自分の知らないものには価値をみとめたくないらしいな。幻想なんてほんとは存在しないって思ってるんだろ?きたるべき世界は幻想からしか生まれない。みずからつくりだすもののなかでこそ僕らは自由なのだ。」p.192

僕は理想主義の真のエッセンスは、現状に目をつむるなどと逃避的なものではなく、積極的に信じることにあると思う。信じることとはどういうことか。一つには、理想の実現を信じること。そしてそれは同時に、未だそれが実現され得ない現状に、前進の可能性を見出し、それを信じることでもある。そのために現状真っ直ぐに見つめることは不可欠で、その点で理想主義はリアリズムの要素を含んでいるとも言える。そして人間が、ある理想を信じて止まない時、その実現を欲して止まない情熱が生まれる。更にこの情熱は、理想の実現をただの願望として終わらせないために、努力、実践として形を成していくのだ。僕はこのような実践主義こそが真の理想主義のかたちだと思う。

確かに口ばっかりの甘ったれた理想主義者は多い。彼らは大きな夢を持っていながら、そのために何の努力もしない。まるで、自分の思い描く未来がある日突然やって来るかのように思っているのだ。未来はプレゼントされるものでもないし、そんなに遠くにあるものでもない。それは行動によって自分の手で造り出すものだし、今日の延長にあるもの。今日を生きずしてどうして未来の計画を立てることができようか。

ちょっと考えて欲しい。今の自分も、10年前の自分から見れば「未来」であった筈。現在を過去との位置付けにおいて見つめる時、人は現実化された未来を見つめているのだ。未来なんて、そうやっていつの日か振り返る「今」の積み重ねに過ぎない。だから、夢が大きければ大きいだけ、今やらなくてはならないことがたくさんあることを知っておいて欲しい。夢を持つということは、今という瞬間を精一杯生きることなのだ。ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する道路掃除のベッポ爺さんの言葉がこれを良く表している気がする。

「なあ、モモ、とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひといきのことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。
「これがだいじなんだ。」             pp.48-49

僕は大学生の頃からずっと、将来、日本の教育を改革しようと思ってきた。これは単なる願望ではなく、来春から教師として学校に入ることが決まった今は、特に本気で考えている。こんなことを疑いもせずに考えられる自分は、「根っからのバカだな」と、あきれて苦笑いがこみ上げてくることもよくあるが、同時に嬉しくもある。今、何か出来るんだ、やりたいんだ、と思える自分を幸せに思う。中学時代、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に、はまったことがある。自分の命を賭けてまで自分の信念を貫(つらぬ)こうとする竜馬の姿に、なぜそこまで熱くなれるのかと憧れた。そして、今、僕の情熱を君たちと分かち合えたらと思う。

僕の信じる力は、自分に対する自信に支えられている。でもそれは、今がどうだから、何をしたから、どこの学校に行ったから、というような結果から来ているものではない。自分が今までしてきた努力が僕の自信につながっているのだと思う。16歳で単身アメリカへ渡ってからというもの、高校、大学、大学院と、本当に良くやったと、胸を張って言うことができる。僕が行った高校では、普通の成績と努力の成績の2種類で生徒の評価が下された。僕にとっては後者が最も重要で、努力点で最高のExcellent(エクセレント)をもらえなくて先生に文句を言いに行ったこともあった。また、大学、大学院では、卒業の節目に大きな論文を一つずつ書いた。書き上げるために、いく晩徹夜したことか。クラスの後、食事をはさみながら夜11時くらい迄は自分の部屋で本を読みあさり、それからキャンパスのコンピューターセンターに向かう。そして朝まで執筆する。6時、町のベーカリーの開店に合わせてコンピューターセンターを出て、そこで朝食を取って仮眠を取りに部屋に帰る。そんな毎日だった。そうして書き上げた論文は、今でも開く度に顔が自然と優しくなるのが自分で分かる。僕は大学で、その論文を書くことによって成績優秀者で卒業することができたのだが、そんなことは今の僕にとって大して重要ではない。本当に後に残るものは、そのような結果ではなく、一生懸命さの記憶なのだ。「寮から大学のコンピューターセンターまでのあの並木道へいつか連れてってあげるから。」僕の愛する人とそんな約束までしてある。




今まで、次々と目標を決めてはいつも全力で挑んできた。だからこれからも新しいことに挑む時は、自分の持ってるものを全部出し切れば、その結果、達成することができるだろうと信じている。逆に、人が何か目標を持って、それに向けて全力を出せなかった中途半端な経験は、どんどんその人の自信を蝕(むしば)んで行くのだ。また、僕だって不安になることはしょっちゅうある。でもそんな時は、とにかく行動することにしている。何もしないで不安でいることほどバカバカしいことはない。安心なんて勝手にやって来るものじゃない。行動によって自分でつくりだすものだと、そう思っている。

今まで、夢を諦めて、いつのまにかつまらない人間になっていく友達や生徒をたくさん見てきた。僕の周りにたまたま元気の良い女性が多かっただけかもしれないが、特に男にとっては、就職をする時が夢の終わりとなるケースが多いようだ。本当に人生を賭けてやりたいことがあるにもかかわらず、あるいはそれも分からないまま、多くの若者が自分にとって何の興味もない会社に就職する。そのうちに自分の夢なんて忘れてしまい、「現実」とか「運命」とかいう言葉を言い訳として使い始める。それだけでなく、自分自身を納得させるために、かつての自分のような若者を見つけては、「現実を見ろ」だの、「甘い」だのと忠告をつけたがる。

「現実」。あまりにも多くの人々の破れた夢を一身に背負う、どこか悲しい響きを持つ言葉。

僕の大好きな本、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』にこんなシーンがある。
“What’s the world’s greatest lie?” the boy asked, completely surprised.
“It’s this: that at a certain point in our lives, we lose control of what’s happening to us, and our lives become controlled by fate. That’s the world’s greatest lie.”
「世界最大の嘘って何?」とても驚いて少年は訊いた。
「それはな、我々はある日を境に人生のコントロールを失い、運命によってコントロールされるようになるということだよ。それが、世界最大の嘘だ。」(p.20)

僕は、誰もが総理大臣になろうとか、日本を変えようとか、他人にできない夢を持てばいいなんて思っていない。会社員として、会社の成長に貢献することが夢という人もいるだろうし、結婚して子ども達を立派な人に育て上げることも、ものすごく大変な夢だと思う。重要なのは、他の誰に決められるのでもなく、自分自身が1つの夢を選び、それを積極的に追求することだと思う。それは自由に生きること、そして自分の人生に責任を持つことを意味している。その道を選んだのは自分なのだから、「本当はやりたくなかった」などという言い訳は効かなくなるし、反対に、あっちを選べばよかったと悔やんでも、自らの失敗に納得し、「ちくしょーっ!」と苦笑いで次の一歩を踏み出すことができると思う。サラリーマンを辞めてシンガーの道を歩んだコブクロの小渕健太郎が、『轍』という曲の中でこう歌っている。「こんなに強い自分がいることに気付いたのは、この道が誰でもない自分で選んだ道だから。」

自分を信じて。君たちならきっとできるよ。


文・訳責 鈴木大裕

2 件のコメント:

  1. 先生メール有り難うございます。読みました。
    まだ今は進路が決まってなくて不安だけど、慎重に進学するところを決めて、そこで妥協しないでとことんやろうって思いました。
    学んだことを形にするって私にはまだ未知の世界って感じするけど、先生見てたら自分もやれる!やってやる!って思えてくる。


    明後日から学校で授業も始まるけどなんか楽しみ。今まではこんなことなかったのにな。勉強もそれ以外ももっと色んな事知りたいし吸収したい!

    毎年夏の終わりってなんだか切なくて「私の夏が終わるー」って嫌になってたけど、今年はそうでもないみたいで「終わるってことはなにかが始まるんだ」ってわくわくしてます。



    今から走ってきます(^^)

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  2. 大裕、ブログを教えてくれてありがとう!
    ババっと一気に読んじゃったよ。

    2人目の出産を2ヶ月後にひかえて、私もますます「子ども」と教育に傾倒しています。私の場合、日本の子ども社会への危機感はとくに「放課後」にあるんだ。家族で逗子に引っ越しをする来年から、ピースボート仕事のかたわら、葉山のビーチクラブハウス(http://www.beach-hayama.com/)で子どもの平日放課後活動を手伝おうかと思っているよ。

    ほとんど日々のつぶやきと親バカ記録だけだけど、私もブログをやってるよ。ときどき仕事の話、親子で地球一周してきた体験記も掲載したりしています。「ピースボート子どもの家」はまだ立ち上がったばかりだけど、差別心も固定観念もない6歳までの子どもたちが、大好きなおとなと一緒にたくさんの異文化に出会うことは、何にも勝る平和作りだと確信して帰ってきました。ブログの体験記、時間のあるときに見てみてね。

    ▼船乗り日記
    http://ameblo.jp/sunday0106

    「モモ」のママ・愛より

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