教員時代の写真
今年の夏の学びは、日本帰国2日目のできごとに集約されていた気がする。何の前ぶれもなしに訪れた以前の勤務校。そこで見つけたのは世代を超えた人の繋がりだった。
日本に帰国すると、たいていは家族4人で調布にある妻の実家でお世話になる。ただ、そうすると久しぶりに日本に帰っていながら僕自身の実家に挨拶することもできないので、長旅で疲れている子どもたちを連れまわさないように、自分だけ帰国した次の日には必ず千葉の実家に顔を出すことにしている。
千葉に向かう電車の中、2年前まで勤めていた中学校にむしょうに行きたくなった。 「少しだけ顔を出そう。」 そう決めて進路を変更した。
学校近くになって、教務主任の関先生に電話した。まだ僕や小関先生がその学校にいた頃、僕たちの仕事をさんざんバックアップして下さった先生だ。名を名乗ると、 「おおー!お帰りなさーい!!」 と大きな声で歓迎して下さった。 「今どこにいるの?」 という問いに、実は校門まであと20メートルくらいだと伝えると、 「しょうがないな~」 と大笑いして、わざわざ玄関口まで出迎えに来て下さった。
校舎の中に入ると、懐かしい緊張感に包まれた。
教員というのは、人に見られる職業だ。学区を歩くだけでもそうだが、学校の中では特に自分の一挙一動が見られていると思った方がよい。つま先から髪の毛、そしてTシャツの裾まで神経を行き届かせ、一つひとつの行動に意味を与えることが求められている。自然と背筋が伸び、気持ちが引き締められる。気持ちの良い緊張感だ。
もう自分が知っている生徒は3年生だけになってしまったなと少し寂しく感じていた矢先、2階の廊下でその日偶然母校を訪れていた卒業生2人に出くわした。両方とも僕が良く知っている生徒たちだった。そのうちの一人は、一年生の時に僕が彼女にdyslexic (失読症という学習障害) の可能性があることを親に指摘した子だった。デリケートな問題なので、指摘するにあたっていろいろ悩んだが、彼女が小学生の時からバカ扱いを受けていたこと、彼女自身も自分のことを頭が悪いと思い込んでいたこと、以前彼女の姉を僕が担任させてもらっていて親御さんとも親しかったことなどを理由に思い切って母親に相談してみたのだった。
ちょうど帰国するちょっと前に、 Like Stars on Earth という彼女と同じ障害を持つ子どもを主人公にした素晴らしい映画を観ていたので、彼女に会いたいと思っていたところだった。そのことを話すと、高校一年生になった彼女も興奮気味にいろいろなことを話してくれた。あの時僕に指摘されて良かったということ、僕が学校を去ってからいろいろ自分の障害のことについて調べて全部ノートにまとめたこと、そのノートをいつか僕に見せたいと思っていたこと、将来自分のような学習障害を持った子どもと係る仕事をしたいということ…。心から嬉しかった。
次に、どこから聞きつけたか、僕が去った時に野球部を任せてきた後輩が挨拶に来てくれた。今野球部がどんな状態なのかなどを話しながら、筋トレをしている部員たちの所に案内してくれた。あの時一年生だった彼らは三年生となり、皆ひとまわり大きくなっていた。
その三年生たちが僕を取り巻くように整列したので、一言二言話をした。僕の話を聴く部員たちを前にして、ああ確かにこんな感覚だったと懐かしく感じた。彼らの前で嘘は言えない。真っ直ぐでないものを子どもたちは信じないし、まやかしを言っても自分が惨めな想いをするだけだ。子どもを前にしてどれだけ真っ直ぐでいられるか - 問われるのは自分の生き様であり、子どもが鏡となって今の自分を映してくれる。
(続く…)
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