2010年8月23日月曜日

ルーツ ~繋いでいくこと 4~

 この夏の僕のテーマは、自分の恩師である小関先生のルーツを学ぶことだった。自分の信仰が深まれば深まるほど、その教えの出処を知りたいと思うのは当然のことであり、僕にとっては巡礼のようなものだった。



 思えば2002年、教員として4月からの正規採用が決まった時も、自分にとっての聖地とも言える、アメリカのニューハンプシャー州にある Holderness School を訪れた。その高校は、僕にとって初めての留学先であり、第二の人生が始まった場所であり、教育を生涯の仕事にしようと志した場所であり、僕を発見してくれた Mr. Walker と出会った場所であった。教員としてのスタートを切るにあたって、今一度そこを訪れることが必然のように思われた。


僕が過ごした寮

Dininghallへの道


秋は紅葉が美しい


お土産にプレゼントしたじんべいを着るMr.Walker



 今回の巡礼も似たような位置づけだったのかもしれない。博士課程2年目を終え、必修単位もほぼ履修した今、いよいよ博士論文へと突入していく。大勝負を前にして自分の原点を探ろうと思ったのもまた必然だったのだろう。







 話を帰国2日目に戻そう。あの日、岩井君の次に僕が出会ったのは、前回再投稿した 『自由を捨てて自らを解き放つ Part V ~信仰と自由の関係~』 でも紹介した小関先生の師匠である奥村先生だった。自分の孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらしたのだ。



   「おう。帰って来たのか。」



 Tシャツに短パン姿の奥村先生がその大きな目を少し細めて微笑みかけて下さった。今年退官されたとは思えないほど若く見える。良い指導者になればなるほど、体と言葉にミスマッチが生じるような気がしてならない。見た目は若いが、放たれる言葉はまるで仙人のようだ。ちなみに、もはやこのブログの主人公のようになっている小関先生も若い。どうやら多くの読者が相当ご年配の老人を想像しているようだが、実はまだ47歳、見た目は40いくかいかないかといったところだろう。



 奥村先生を象徴する面白い逸話がある。



 小関先生は、自分の空き時間中によく校舎をぶらぶらする。授業中のクラスを廊下から覗いては生徒の様子を見て楽しむのだ。ある年、もし剣道をやっていなければ極悪人になっていただろうと思われる男子生徒が剣道部の主将を務めていたことがある。その彼は、どんな授業でも、自分が下を向いてノートをとっている時でさえ、廊下側の後ろの窓から覗く小関先生の気配を感じ、バッと振り向くのだった。



 生徒の意識をそこまでもっていくのは相当なことだ。僕などは逆に、自分の野球部の部員に気付いて欲しくとも気付いてもらえないことがほとんどだった。だから、そのことは小関先生も少し嬉しそうだった。



 後日、小関先生がその話を奥村先生に話したところ、奥村先生独特のゆっくりとした口調でこうこたえられたそうだ。



   「気配を消せないようじゃぁ 小関もまだまだだな。」



 あれには参ったと小関先生も大笑いをしていた。



 もう一つ、小関先生が全国制覇をした時の話も面白い。



 優勝直後、小関先生は会場にいらしていた奥村先生に挨拶をした。どんな言葉をかけてもらえるのだろう、そう期待した矢先の一言。



   「やっと勝ったか。」



 剣道6段の小関先生が蛇に睨まれた蛙のように奥村先生に打たれるのもそんなところなのだろうか。素人目から見ればいくらでもよけられそうな奥村先生のスローモーションの面に、小関先生は為す術もない。不思議な世界だ。


(続く…)

2 件のコメント:

  1. 前回の再投稿されている記事に引き続き、今回の記事も、読んでいて何度も「うんうん」と、うなづく自分がいます。
    というのも、(誤解を恐れずに言えば、)「巡礼のような感覚」「胸を張ってこの場にいられるか」という問いも、まさに私が大裕さんや人生の先輩方へを目の前にした時の気持ちと同じだと感じたから。

    それになぜか涙が出るんです・・・このブログを読んでると。(相変わらず涙もろいなぁ、わたしってば。笑)
    なんか、すごく不思議な気分です。

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  2. 美帆ちゃん、
     いつも心で受け止めてくれてありがとう。
    書く甲斐があるなぁ。この前書いたことと似ているけど、美帆ちゃんのような読者がいるからこのブログも頑張れるんだよな。心にもないことや中途半端なものを書くことはできない。頼り、頼られ、また頼り…うまくまわっている世の中だ。人間っていいなとつくづく思う。

                         大裕
     

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