2009年10月20日火曜日

形にできない想いを乗せて⑤ ~ ベートーヴェンの心を読む ~

 コールゲート大学4年生の秋、ニュージーランドのオークランド大学へ1学期間のみの短期留学をした。その時にできた佐藤新吾という友達がいる。先日、その新吾がブログを見て、『致知』という月刊誌をアメリカまで届けてくれた。「人間学」を提唱するその雑誌には、先達の知恵や教えが随所に盛り込まれている。このブログではここ数回、自分の心を表現し、相手に伝える手段としての音楽を考えてきた。それにちなみ、今回は『致知』の中から、東洋人として初めてチェコ・フィルの指揮を務めた小林研一郎の言葉を紹介したいと思う。




 僕たちがベートーヴェンを現代に甦らせようと試みる時の難題は、行間の読みです。「あまりにも偉大なこの人の心を後世の我々が読める術はあるのだろうか」、さらに言えば「ベートーヴェンの書いた音楽を、実際に我々はまだ聴いていないのではないか」という思いがよぎることもあります。

 彼は楽譜の中に、言い表せない無限の宇宙を書き表したのではないかと思います。その再現に携わる僕としては、行間の宇宙が何を物語っているかを探求しなければならないし、そこから歪められないベートーヴェンの真実を読み取ることのできる日が一刻も早く来るよう、精進を怠ってはならないと感じています。

 ・・・

 僕はコンサートの時、目の前にその日に演奏する曲の作者がいるとイメージします。そして「曲の行間に、どうやって光を当てたらよいでしょうか」という伺いをオーケストラに投げかける。 

 ・・・

 自分の意見を通すのではありません。作曲者の意見を通すのです。その行間に表れているもの、行間の宇宙を僕なりの考えで「こうしたいと思うのですが、ご賛成いただけますか」と問い掛ける。

『致知』 2009 October pp. 29-30

1 件のコメント:

  1. 小林研一郎氏の演奏は、
    子ども心に硬い響きを感じてた記憶が。
    でもブログの言葉から、
    すごく謙虚な姿勢で臨んでるんだと。
    ある程度経験を積んでくると、
    精進という気持ちを忘れて、
    つい自分の経験だけに頼ろうとしてしまう…。
    自分を押しつけるのではなく、
    問いかける姿勢、忘れないようにしないと…。
    AKI

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