2010年11月3日水曜日

型の内在化: 「枠」 から 「芯」 へ  ~「自由」 を捨てて自らを解き放つ 4~(編)

 前回、 「守・破・離」 における型とは自分の行動、思考、信念を制限する 「枠組」 みではなく 「精神の芯」 であると書いた。ただ、修行を始めたばかりの者に、「型とは枠組みではない!」 と言っても理解できないと思う。


 僕自身にとっても、小関先生から与えられた型を守ることは、最初は息苦しくて仕方なかった。小関先生の教えに学ぶことは自分で選んだ道だったが、理解できないことばかりで、言われる通りに従うだけだった。英語の授業をしていても、グランドで野球部の練習を指導していても、小関先生にどこからか見られているのではないかと、いつもビクビクしていた。


 当時の自分にとっては、型とはまさしく自分らしさや 「自由」 を制限する枠組みでしかなかった。しかし、何年目だったかは分からないが、枠組みがいつしか自分の 「芯」 へと変化していたのだ。きっと、毎日まいにち守り続け、先生の教えを刷り込まれるうちに、型が内在化された結果なのだと思う。






 自分の教えを振り返ると、僕が野球部の指導で達成できなかったのはこのステップだったのだと思う。枠を与えることはできた。しかし、それを生徒たちが内在化する所までは持って行けなかった。そのために、僕の意図する教えが彼らの心にまで浸透することはなかったように思う。


 だから、生徒たちはグラウンドでは礼儀正しく一生懸命やっていても、練習以外の時間では服装を乱したり、僕が練習に出られない時は雰囲気が緩んだり、少なくとも学校の敷地の中ではちゃんと教えを守れるようになっても、家に帰ると大会前でも怠惰な生活をしたりして本番で力が発揮できなかったりした。


 野球部顧問として、僕が最後まで苦悩し続けたのは技術指導よりも心の指導だった。どうしたら、人の想いを背負って今という瞬間を大切にできる一流の人間を育てることができるのか…。自分が最終的に目指したのはそこであった。


 今考えてみると、僕の教員生活の大半は、理由も分からずに生活指導をしていた。


   学校生活でも服装を正しなさい。

     挨拶をきちんとしなさい。

       自分の身の回りを整理整頓しなさい。

         時間を守りなさい。

           汚れたユニフォームは自分で洗いなさい…。


 見た目ではなく、自分の内面から滲み出る個性、自律の精神、感謝の心など、これら全てが理解できて初めて僕が目指していた人間の育成が可能になること、そして、それは選手たちにとって、周りの中学生だけじゃなく、時に周りの大人をも超える人間性を身につける必要があるということに気付くまでに何年もかかった。そして気付いたところで、その教えを枠から芯へと導く力は自分にはなかった。これは自分が彼らの「先生」になれなかったことを意味している。


    悔しい…。


でも、だからこそ、今でもそこを目指している自分がいる。

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