2010年11月20日土曜日

「二重」の責任 ~Revisiting “Responsibility” 2~

 先日、 “Arendt, Greene, and ‘shu-ha-ri’: the Dialectic of Freedom” というタイトルの論文を書いた。時間を十分かけ、格闘の中にも楽しみと情熱を忘れずに書き上げることができた。ここでは、Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)の responsibility の概念に焦点を絞って語ってみたい。


 Arendt は大人には二つの responsibility があるという。一つは自分たちの世界に対する責任、もう一つは子どもに対する責任だ。


世界に対する責任
 まず、自分たちの世界に対する責任とは、「世界を子どもから守ること」であり 「古きを新しきから守ること」 だ。子どもに自分たちが守ってきた伝統や価値観を好き放題に壊させてはいけない、自分たちが歩んできた道のりにプライドを持て、もしくは持てるような生き方をしろと言うArendt の叱咤激励が聞こえてくるようだ。


 と同時に、Arendt がイメージする 「世界」 とは、そんなきれいごとだけでは済まない。善いもの美しいものだけではなく、悪しきもの醜いものもそっくりそのまま子どもに教えなければいけない。子どもたちはそうすることによって初めて、自分たちが受け継ごうとしている世界が発展途上で不完全だということを知るのだ。


 Arendt は更に主張する。全ての人間がいつかは死すべき運命にあるように、この世界も進化を止めれば死にゆく運命にある。そして、その進化を為し得るのはいつの時代も子どもだけなのだ。皮肉にも、大人たちは自分たちが守ってきた世界を慈しむが故に、子どもたちにそれを創り変えさせるのだ。


 こうして、世界に対する責任は徐々に子どもに対する責任へと融合していく。


子どもに対する責任
 Arendt は、子どもは “natality” (産み出す力)というものを持って生まれ、一人ひとりが新しさと革新の要素を持っていると断言する。そして、大人の責任とは、「子どもを世界から守ること」、「新しきを古きから守ること」 であり、彼らが世界を創り変えるための準備をすることだ。


 これらの分析から導かれる一つの結論、それは、世界に対する責任を全うすること(古きを新しきから守ること)は逆に子どもに対する責任を全うすること(新しきを古きから守ること)をも要求するということだ。


 これは、大人に課される 「二重」 の責任は、実は古きと新しきの間に存在する一つの緊張の関係であり、我々大人はその両端を包含する教育によってのみ、世界の存続を可能にすること意味している。

(続く…。)

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