2009年10月31日土曜日

秋色

 自分が見た秋色をあなたに伝えたくて写真を撮りました。
厳選した写真…、それでも僕が見た景色はもっと美しかった。


















































2009年10月30日金曜日

報告

 

誰もいない図書館、朝の神聖なひと時。



 つい先程、12:00ジャストに無事論文を提出しました。

結局徹夜してしまったけれど、渾身の作品が書けたと思っています。

コレクションにまた一つ、自分のかけらが増えました。

みなさん、良いエネルギーをありがとう。

              Happy Halloween,

                 大裕

2009年10月29日木曜日

儚さに宿る永遠

 

 現在午前10時。日本は午後11時だ。このメッセージが寝る前のあなたに届きますように。


以前も紹介した、オーストラリアのアボリジニー、<真実の人>族を描いた『ミュータントメッセージ』にこんな一節がある。


<ゲームが終わると、ひとりの男が私に質問した。宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか?

 私の患者のなかに人とひき比べて自分は不幸だと感じて落ち込んでいる人がいることを認めないわけにはいかなかった。そう、自分には才能がないと思っているミュータント[アボリジニー以外の人間のこと]はおおぜいいる。死ぬ時まで人生の目的を考えない人が多い、と私は答えた。質問した男は首を横にふりながら目に大粒の涙を浮かべた。そんなことはとても信じられないという表情だった。

 「私の歌でひとりの人間が幸せになれば、それはとてもいい仕事だということがミュータントにはなぜわからないんだろう?ひとりの役に立てれば、それはいい仕事だよ。一度にひとりの役にしかたてないんだからね。」>

マルロ・モーガン 『ミュータント・メッセージ』 p.150




 昨日、統計学の中間試験を終えて、次の授業の前にリフレッシュしようとブログを開けた。そしたらコメントの欄に、MKさんとベルボワイユさんという、まだ会ったことのない仲間からの優しく力強い言葉があった。そんな彼女たちの言葉は、僕のメッセージがちゃんと伝わってるということを教えてくれた。

 心が温かくなり、言葉では伝えきれない勇気をもらった。教員をしていた時もいつもそうだった。『最初に…』でも書いたが、話を一生懸命聴いてくれる生徒の存在があったからこそ自分は頑張れた。今、たとえ一人でも自分の言葉を待ってくれている人がいるのなら、その人を失望させてはならない。あなたに向けて自分の精一杯を届けようと思う。


 学生をしながら、いつも心がけることがある。

試験を成績のための試験と思わない。今挑んでいる試験に、あたかも自分が背負っているもの全てが懸っているかのように臨むこと。

宿題を宿題と思わない。あたかも今書いている論文が、世界にとって最も大事な問題であるかのように取り組むこと。

そして、あたかも今日が自分の最期であるかのように生きること。


 以前、大阪市立松虫中学校の陸上競技部顧問として、個人・総合含め7年間で13回、日本一にチームを導いた原田隆史先生が、「ただの部活と思うな、人生と思え!」と繰り返し生徒におっしゃっていたという話を聞き、とても共感したのを覚えている。



 『人生の先生』でも書いたが、僕も、二人の先生から同じことを教わってきた。Mr. Walkerからは、文章は書く人の人生を表すということを学んだ。次の言葉に最善を尽くす。そしてその連続によって自分の人生を綴るのだ、と。

 言葉こそ違うが、小関先生から学んだのも同じことだ。「勝って反省、負けて感謝。」人の想いを背負って生きる侍の心と人生に学ぶ姿勢、一瞬に生きる者の儚さゆえの美しさ、そして儚さに宿る永遠…。

 そんな先生たちのおかげで、自分なりに今まで一生懸命歩んでくることができたと思っている。だからこそ、昔書いた詩やエッセイ、宿題の論文を読みなおしても、決して恥ずかしいとは思わない。まだ考えが浅かったな、少し傲慢だったなと思う。でも、それが当時の自分の精一杯であり、その先に今の自分がいるのだと知っているから。




 僕には毎日行う儀式がある。特定の宗教を信じているわけではないが、午前、午後、11:11になると祈りを捧げるのだ。


「今日も自分が強くいられますように。自分の力の全てを発揮できますように。」


 明日の正午に締め切りの論文が一つある。これから今の自分を精一杯綴ろうと思う。

 
大裕             

2009年10月28日水曜日

世界と出会う

 トルコ、ラトビア、グアテマラ、シンガポール、香港、ポーランド、フィンランド、アルゼンチン、チュニジア、エストニア、メキシコ、フランス、ロシア、ベルギー、ペルー、スペイン、イギリス、ブラジル、ドイツ、オーストラリア、アメリカ、日本…。このリスト、何だかお分かりだろうか。

 実はこれ、このブログを訪れてくれている人々の国のリストだ。世界23ヵ国だ。Google Analyticsというツールが無料で分析してくれるのだが、どんな人たちが集まって来ているのか、せっかくなのでシェアしたいと思う。日本からも茅野、岐阜、水戸、綾瀬、旭川、札幌、長野、宇都宮、浜松、佐賀、土浦、徳山、北九州、宮崎、鳥取、高知、福岡、大阪、神戸、京都、千葉、東京など、64の地域からのアクセスがあった。一番アクセスが多いのは東京。次に千葉、上越、埼玉、神奈川、京都と続く。

 皆さんお気付きだろうか。このブログの一番下にさりげなくあるカウンターに。およそ2ヵ月半前、8月9日に始めたこのブログ、おかげさまで2日前にアクセス数1000件の大台を突破した。テクノロジーは自分の専門分野ではないのでよくわからないが、何を売るわけでもない、何を宣伝するわけでもない、一学生が個人的に書くブログにこれだけ多くの、幅広い人々からのアクセスがあることを心からありがたく思う。

 

 このブログを始めた時、このブログが出会いの場、分かち合いの場となるように、また、みんなでつくっていけるようにという願いを込めて、『あなたと分かち合いたいこと』というタイトルをつけた。

 実際、とてもすてきな人たちが集まりつつある。中には僕にとって大切な友人も数多くいる。そんな彼らを、これを読んでくれているあなたに紹介できたらな、と心から思う。同時に、僕は、まだ会ったことのないあなたに会えたらと思う。あなたは、どんな理由で何をきっかけにしてこのブログに辿り着いたのだろう。あなたは今、どこでこれを読んでくれているのだろう。いつかあなたの声を聞けたら、いつかあなたが世界の裏側にいる誰かとこのブログを通して心通わせることができたらと願っている。

 嬉しいことがもう一つある。この2ヵ月半の間にこのブログを訪れてくれた人の46.03%がリピーターだということ。ランダムに辿り着いたわけではなく、あえてここを選んで来てくれる人が半分近くもいることに感謝する。もはやコミュニティーだと思っている。

 最後に、僕が望んでいるのは一方通行のコミュニケーションではない。僕が書いたもの、または紹介したものをきっかけとして読者の間でダイアローグが展開されるのなら、そんな嬉しいことはない。僕に遠慮せず、気になるコメントがあったら、それに直接コメントして欲しいと思う。このブログを相談室にする気は毛頭ないのだから。

 これからどんな出会いがあり、どんな分かち合いができるのか、とても楽しみだ。

2009年10月27日火曜日

And We Go On (English version)

Computer screen.

Block letters everywhere.

In the beginning there were a few,

Perfectly under my control.

But with tremendous vitality and speed

They reproduce.

Then the advancing and shooting begin.

In the fierce shooting of letters and numbers,

I am trapped.

Everything has disappeared in the sudden darkness.

The window, the keyboard, even the coffee cup before me.

Bushwhacking, I finally find an escape between two letters.

Seeing a line of open wires, I choose one and slip inside.

Falling and falling, I arrive at a mechanical factory

Sustained by gigantic screws.

gieeggashun, gieeggashun, gieeggashun!

gieeggashun, gieeggashun, gieeggashun!

gieeggashun, gieeggashun, gieeggashun!





With hands in my pocket, a muffler around my neck,

I go outside.

Wind welcomes me back

And tells me I’m alive as well as others.

Sky.

Huge sky,

Whose blue so true,

Squeezes a bitter smile out ’f me.

I shake my head

And laugh.

“That’s all right”

With few words, the sky pats my head.

“Go on”

And I go on.

12/10/01 – 12/13/01



And We Go On



コンピュータースクリーン。

次々と目に飛び込んでくる活字は僕の逃げ場を奪い、僕を閉じ込めようとする。

いつのまにか辺りは暗くなり、物が次々と消えてゆく。

窓も、キーボードも、目の前にあったコーヒーカップも。

僕は活字と活字の間を分けはいり、張りめぐらされたワイアーを滑り落ち、

巨大ネジに支えられる機械工場にたどり着く。


ギーッガシャン ギーッガシャン ギーッガシャン

ギーッガシャン ギーッガシャン ギーッガシャン

ギーッガシャン ギーッガシャン ギーッガシャン。





マフラーを巻いて外に出た。

でっかい空。

雲ひとつない。

僕は思わず苦笑いだ。  

答えなんてない。

「それでよいのだよ」

言葉少なげに、空が僕の頭を撫でてくれた。



12/10/01 – 12/11/01

2009年10月25日日曜日

形にできない想いを乗せて⑥ ~空の青~



空よごめんよ


おまえを青としか呼べなくて


          
         2004年2月作

2009年10月24日土曜日

プレゼント




 我が家ではいわゆる「おもちゃ」は買い与えないことにしている。愛音に買ったものと言えば、美風が産まれる前に、お姉ちゃんになる訓練にと用意した赤ちゃんの人形が一つ、そして子ども用のピアノ鍵盤と電子木琴の2つだけ。


 おもちゃは面白いからつまらない。これは僕と妻、二人の意見だ。誰かの想像力が形になったものがおもちゃであり、だからこそ子ども自身が想像力を使える余地は残されていないものが多い。


 使い道が限られているおもちゃは段々と使われなくなり、子どもは新しいものを欲しがるだろう。「もっと」 という子どもの気持ちにはきりがない。いつか捨てることを前提として、ものを買い与えたくはない。


 数えるほどしかおもちゃがない分、うちの愛音はキッチン用品で遊んだりしている。ザルやボール、おたまなどで何やら一生懸命だ。あとは音楽を聴いて踊ったり、絵本を読んだり、ママの洋服を持ってきて着てみたり、テーブルにお絵描きしたり…。特に困っている様子は見られない。






 今回、妻の出産に合わせて僕の母親がニューヨークに手伝いに来てくれた。帰国前、少し早いけどと言いながら、母から僕の誕生日プレゼントを渡された。新しい自由日記だった。


 16歳で留学を決意した僕に母がくれた自由日記については、Love the Questionsでも紹介させてもらった。専用の箱はもうボロボロだが、Quote Bookとして、高校、大学時代に僕が出会った美しい言葉がびっしりと書き記されている。ずっと、僕の宝物だ。


 このての自由日記、実はなかなか売っていない。大抵の日記は、日付が既に記されてあったり、その他にも天気や暦注、スケジュールを書く欄まで細かく決まっていたりする。


 僕も人にプレゼントしようと思い、東京中を探し回ったことがある。結局見つからず、自分がもらった最初の自由日記の会社に電話で問い合わせたところ、既に絶版されていた。


 そんな中、母から贈られるこのプレゼントからは、温かいメッセージが伝わってくる。

 


   書きたい時に、好きなことを書きなさい。

   そして、書いたものは大事にとっておきなさい。





 コンピューターで何でも書けて、幅を取らずに保存できる時代だ。自分の字で、消せない想いをペンで綴っていこうと思う。


 今回もらった自由日記は、革職人によって作られたカバーが付いている。野球のグローブのような、革のいい匂いがする。

2009年10月23日金曜日

母の日に

 

美風を抱く母 NYにて

 僕には3つ上の姉がいる。「りさ」の「さ」が言えなかった僕は、幼い頃からずっと「リーリー」と呼んできた。よく遊んでもらい、僕が知らないことや、新しい世界を見せてくれた。小学校の頃から「幼稚園の先生になりたい」と言っていた彼女は、真っ直ぐにその夢を追い続け、立派な幼稚園の先生になった。



 もう10年も前になるのだろうか。その姉が初めての子を授かった。初孫を前に、母はたいそう嬉しそうだった。姉もうちの両親と同じマンションの別室に住んでいるので、毎日のように実家に息子を連れて来た。特に母は、せっせと初孫の世話をし、それはそれは可愛がった。



 そんな幸せそうな母を前に、僕は言った。



「子どもを産んだことがリーリーの最大の親孝行だね。」



 一瞬にして真顔になった母が言った。



「違うわよ。あの子が自分のやりたいことを見つけて、それを一生懸命やっていることが親孝行なのよ。」






 今年の母の日、母に国際電話をかけた。短い電話だったが、自分が今、幸せを噛みしめながら夢を追い続けていること、36になった今でも、年を重ねる毎に人生が良くなっていることを伝えた。

 
 電話越しの母は、それはそれは嬉しそうだった。

2009年10月21日水曜日

私の中の歌い手



 大学のHonors Thesisで日本のマイノリティーの研究をしていた時に、日本の先住民族であるアイヌの生活を描く文献にいくつか触れ、その世界観に深く感銘を受けた。

 それからというもの、アメリカ先住民、オーストラリアのアボリジニー、ニュージーランドのマオリ族など、いわゆる「原住民」と呼ばれる人々の歴史と生き方に興味を持つようになったが、彼らには考えさせられることが多い。これらの人々を「原住民」として一つのグループに閉じ込めるのは危険なことかもしれない。でも、彼らの世界観にはどこか通ずるものがあるような気がしてならない。自然と神の存在、運命の捉え方、伝説と歴史、コミュニケーションの在り方、そして日常生活における音楽の中心的な役割もその一つだ。

 ニュージーランドで勉強していた時、特に人種と教育について興味を持っていたせいか、幸いにもマオリの人々と触れ合う機会が多くあった。授業によってはマオリの人々が3分の1ほどを占めるものもあった。彼らの中には若い人もいたが、おじいさんやおばあさんも少なくなかった。

 一つのクラスでは、ゲストスピーカーを招いて授業が行われることがよくあった。そんな時は、教授によるゲストスピーカーの紹介から授業が始まる。すると、さも当たり前のように、マオリの生徒たちが誘い合ってぞろぞろと教室の前に出てくる。当初、わけがわからなかった僕は、一体何が始まるのかと困惑し、自分も前に出て行こうかと思ったくらいだ。後で、出て行かなくてほんとに良かったと胸を撫で下ろしたのを覚えている。


 その中で、一番年輩と思われる長老的な男性が、話し始めた。

「我々マオリの文化では、客がある時にはスピーチで迎える。そしてスピーチの後には必ず歌が伴う。」

 彼がマオリの代表としてゲストに感謝の言葉を述べ、その後マオリの人々によって歓迎の歌が歌われた。

 毎回のように行われるそんなリチュアルが、授業という不自然な空間をよりリアルでコミューナルな学びの空間に変えてくれたのを良く覚えている。


 今回はアボリジニーの<真実の人>と呼ばれる部族について書かれた本から、あるquoteを紹介したい。彼らには、いつの日か会いに行きたいと思っている。まだ先のことになりそうだが、とりあえずはオーストラリアで頑張っているハルと果林ちゃんにその想いを託そう。



<真実の人>族は、しゃべるために声があるとは考えていない。

会話は頭と心の中枢センターで行うのだ。

声が話すためにあるとしたら、くだらないおしゃべりに流れがちで

精神的な会話がしにくくなる。

声は歌うため、祝うため、癒しのためにある。

人はそれぞれ多くの才能を持っていて、

だれもが歌えると彼らは教えてくれた。

自分は歌えないと考えてその才能を無視したとしても、

私のなかの歌い手が消えることはない、と。



マルロ・モーガン 『ミュータント・メッセージ』 pp. 81-82


 オーストラリアの大自然の中で神の存在を身近に感じながら、昔ながらの人間の生活を続ける<真実の人>族。彼らが我々に向けるこのメッセージを、我々はどこまで真摯に受け止めることができるだろうか。私たち一人ひとりが、「私のなかの歌い手」に耳を澄まし、共になって歓喜の歌を歌う…その先にはどんな世界が待っているのだろうか。



2009年10月20日火曜日

形にできない想いを乗せて⑤ ~ ベートーヴェンの心を読む ~

 コールゲート大学4年生の秋、ニュージーランドのオークランド大学へ1学期間のみの短期留学をした。その時にできた佐藤新吾という友達がいる。先日、その新吾がブログを見て、『致知』という月刊誌をアメリカまで届けてくれた。「人間学」を提唱するその雑誌には、先達の知恵や教えが随所に盛り込まれている。このブログではここ数回、自分の心を表現し、相手に伝える手段としての音楽を考えてきた。それにちなみ、今回は『致知』の中から、東洋人として初めてチェコ・フィルの指揮を務めた小林研一郎の言葉を紹介したいと思う。




 僕たちがベートーヴェンを現代に甦らせようと試みる時の難題は、行間の読みです。「あまりにも偉大なこの人の心を後世の我々が読める術はあるのだろうか」、さらに言えば「ベートーヴェンの書いた音楽を、実際に我々はまだ聴いていないのではないか」という思いがよぎることもあります。

 彼は楽譜の中に、言い表せない無限の宇宙を書き表したのではないかと思います。その再現に携わる僕としては、行間の宇宙が何を物語っているかを探求しなければならないし、そこから歪められないベートーヴェンの真実を読み取ることのできる日が一刻も早く来るよう、精進を怠ってはならないと感じています。

 ・・・

 僕はコンサートの時、目の前にその日に演奏する曲の作者がいるとイメージします。そして「曲の行間に、どうやって光を当てたらよいでしょうか」という伺いをオーケストラに投げかける。 

 ・・・

 自分の意見を通すのではありません。作曲者の意見を通すのです。その行間に表れているもの、行間の宇宙を僕なりの考えで「こうしたいと思うのですが、ご賛成いただけますか」と問い掛ける。

『致知』 2009 October pp. 29-30

2009年10月19日月曜日

形にできない想いを乗せて④ ~音楽と時間 ~



続けてヤナが言った。

“But what about music and time? Isn't time the ultimate enemy of music? Already in the moment of its very existence, music is slowly dying out. Time extinguishes music's beauty and power. The tone sounds only once and is silenced forever.”

(音楽と時間はどうかしら。時間って音楽の宿敵じゃない?音楽は生きているその瞬間にゆっくりと死に始めている。時間は音楽の美しさとパワーを消し去ってしまうわ。音は一度鳴り響いただけで永遠に沈黙してしまう。)


 ヤナのこのコメントに考えさせられた。確かにそうだ。音楽と時間…、ヤナがこの二つの存在が相反しているようにも感じるのも、僕にはとてもよくわかった。だが、実際そうなのだろうか。ある所で納得しながら、どこかで納得しきれない自分がいた。

 この両者の関係は、「時間」をどのように考えるのかによって変わってくる気がする。もし、時間を時計によって常に取り締まられているものと捉えるのであれば、答えはYESだ。時間は音楽の宿敵に違いない。

 でも、もし時間を生命のサイクルと考えるのであれば、答えはNOだ。太陽と月がそうであるように、音楽と時間は、お互いを補い合う存在になるだろう。

 音楽は、人間の命と同じで、我々がどんなに望んでも、いつかは終わらなくてはならない宿命にある。そしてその儚さこそが、音楽の美しさでもある。

 いつかは訪れる死の存在が生命に意味を与えるように、沈黙こそが音楽にその存在意義とインスピレーションを与えるのだ。



 我々が生きるこの命も、実は、宇宙の営みの一部だ。そんな果てしない宇宙の営みを考えれば、人間の命など一瞬にも過ぎない。でも、死の存在があるからこそ、我々は己が生きる一瞬に輝くことができる。そして、それは沈黙と音楽の関係に通ずるような気がする。



(興味がある人のために、このエッセイの元となったメールを載せておきます。)

Dear Jana,
     Your message made me smile. This is another dialogue that will stay in my memory forever.
  
  Funny you mention music. My most recent blog entry dealt with music, exploring the connection between language and music. I can’t agree with you more, Jana, music is indeed another form of language. And I think it is precisely its “less exact” and less defining nature that makes music so much more accurate (or loyal to the original emotion)and therefore powerful. The title of the blog entry that introduced our walk on the Rockies was “A futile effort to shape the unshapeable.” You can perhaps see why I decided to write about music next!
     About time…I don’t necessarily think time is the ultimate enemy of music, Jana. I think it depends on how you perceive time. If you define time as something that is constantly policed by clock, then Yes. It would be the ultimate enemy of music. But if you define it as the natural and historical process of life, then No. It would be a friend of music, like the sun and the moon. Nothing gives music more beauty, I think, than its ephemeral nature.
     You and I know that the music is going to end soon against our will, and that becomes our longing for more. Just as we all die at one point, music, too, is destined to cease. Just as death gives meaning to life, it is silence that becomes the very inspiration for music. And silence is actually the best friend of music. Death, silence - they are what allows us to shine in the moment. You know exactly what I mean, Jana.

     Funny, Jana. You always seem to understand so much more than the words I choose.

                                                              Daiyu

2009年10月17日土曜日

形にできない想いを乗せて③ ~音楽と言語~

 僕が書くエッセイは、手紙やメールのやり取りから偶然できるものが多い。『形にできない想いを乗せて』もその一つだ。あれは、エッセイの中でも紹介したチェコ人のヤナ(Jana)に書いたメールから生まれたもの。ヤナに書くメールはなんでいつもこんなに時間がかかるのだろう、という素朴な疑問がきっかけだった。

 今日、そのヤナからメールの返事があった。そのメールの中で、彼女も時間や言語という題材から音楽に話をつなげていたことに驚いた。僕とヤナは英語を通り越した共通の言語を持っていると言った所以だ。


 ヤナがこう言った。音楽もある種の言語よね。しかも言葉ほど形にとらわれず、その分パワフルでもある。


 全くその通りだと思う。僕の可能性信じ、ずっと心の支えとなってくれている四万十川ユースホステルのさっちゃんは、宇宙共通の言語を探索中だが、音楽もそれと深く関わるものがある。今のところ、僕は音楽以上にパワフルなコミュニケーションの媒体を知らない。音楽は、いわゆる「言語」の思考の壁を越え、異なる肌の色や文化を持つ人々の心に直接訴えかける。

 もう一つ大事なのは、ヤナが言ったように、音楽が形にとらわれない点だと思う。これを書きながら自問してしまうが、以前も言ったように言葉は少ない方がいい。説明はない方がいい。もともと形のない自分の想いを、わざわざ狭いパッケージに閉じ込める必要はないのだ。相手に既製品を押し付けるだけではコミュニケーションは成立しない。

 その分、音楽は寛大だ。作者や奏者は自らを音の中に自由に表現し、その解釈は聴き手に委ねるのだから。

  作者はどんな想いを託したのか
  
  奏者はどんな光景を想い描いているのか

       聴き手は奏でられる音色に、ただ想いを馳せる。

2009年10月16日金曜日

形にできない想いを乗せて②

「音楽は、魂の最も深いできごとを、最もシンプルに伝えることができる。
音楽はそうやって人々を限りなくつないでいく。」

生野里花 『音楽療法士のしごと』 p. 231



 音楽は、その自由な流れで、この世に存在するありとあらゆる隙間を埋めてくれる。形、言葉、理由、時間、空間、文化、人、心…。そして、時にはどんな理論や熱弁よりも説得力があったりする。



 僕の妻は音楽療法士(Music Therapist)だ。もとは国際関係法の学生であった彼女が、「平和」というものを国際社会の枠組みとしてではなく、人の心に求めた決断に深く共感したのを覚えている。



 平和って何? 



時にそれは、優しいメロディーだったりする。

2009年10月14日水曜日

太陽と月

空を見上げていて、この青い空も少し先は闇なんだなぁと思った。

宇宙の深さはあの太陽の光でさえ吸い込んでしまう。

その光を受け止めてくれる月がいなかったら

太陽はどこまで行き場を探し続けていただろうか。

月も 太陽が見つけてくれなかったら 今頃どこをさまよっていただろう。

太陽と月のいにしえの恋。

君がいてよかった。

11/14/2001 – 12/11/2001

鈴木 大裕

形にできない想いを乗せて

Fulbright Enrichment Seminarにて (一番左がJana)


 去年、渡米直後に参加したフルブライトのセミナーで、チェコ人のヤナ(Jana)という親友ができた。心震える出会いだった。

 セミナー二日目。お楽しみアクティビティーとして、僕らはデンバーの郊外にある山に登り、そこからデンバーの街並みを見渡した。周り一面に広がる美しい平野。その真中には、人工的で醜いビル街が、空を主張するように競い合って立っていた。

 何台もの観光バスが乗りつけた展望台は、世界中から集まったフルブライターでごった返していた。肩を組み合って写真を撮ったり、双眼鏡を覗いたりして、見慣れない光景を前に皆はしゃいでいた。

 周りの皆と同じメンタリティーになれなかった僕は、同じようにつまらなそうにしているヤナを見つけ、声をかけた。


   「ねえ、ヤナ。ちょっと散歩しない?」


 舗装された駐車場の裏は、なだらかな丘になっていた。僕たちは無言で歩き始めた。
 少し歩くと急に人気がなくなり、つい先程までの喧騒が嘘だったかのように、静けさが僕たちを包んだ。


 横を見ると、ヤナもその心地よい静けさに聞き入っているようだった。


 沈黙を埋める無意味な言葉は必要なかった。

 
 そして、時計の針が止まった。


 時計の束縛から解放されて自由になった時間が、二人の心を膨らませた。僕はヤナと、以前 『時間について』 でも紹介したウィリアム・フォークナーの言葉をシェアした。

“Father said clocks slay time. He said time is dead as long as it is being clicked off by little wheels; only when the clock stops does time come to life” (「お父さんが時計は時間を殺すと言っていた。小さい歯車にカチッ、カチッとはじかれている限り、時間は死んでいる。時計が止まって初めて時間は命を得るのだよ、って。」『The Sound and the Fury』より.) 


 ヤナは僕が言わんとすることを、僕が選んで発する言葉以上に分かっていた。


 宇宙、無限、悠久、時間、命のサイクル、その一部である自分…。
 その後も、時を忘れていろいろな話をした。


 来た道を戻り、展望台の人ごみの騒音が聞こえてくると、思い出したかのように時計の針がまた動き始めた。


 ものの15分だったのだろうか。二人が分かち合ったその一瞬は、永遠のように感じられた。


 人生とは不思議なものだと思った。出会って間もないチェコ人のヤナと、アメリカのコロラド州デンバーの山で、魂が触れ合う経験をしたのだ。

 二人とも英語は母国語ではない。でも、お互い、共通の言語を持っているかのように感じている。彼女と対話している時は英語で話していることさえ忘れてしまうのだ。言葉はただのきっかけに過ぎない。

 だからこそ、なのだろうか。言葉の限界を感じる。今は既にチェコに戻っているヤナとの交流はメールのみなのだが、彼女にメールを打つ時、普段使わないエネルギーが必要となる。彼女に対する特別な想いを活字に綴ることに戸惑いを感じるのだ。自分が選ぶ言葉は、自分の感謝と喜びに値するのだろうか?自分の表情や形にできない想いを正確に運んでくれるのだろうか?

 心震える想いというものは言葉にし難い。形のない、何とも言えない想いだからこそ心が震えるわけであって、それを自分の祖先たちがつくり上げた言葉という形にはめるのは所詮無理な話なのかもしれない。

 自分自身にとっての「書く」ことの意味については 『人生の先生』 でも語った。少なくとも僕にとっては、書くという行為は妥協の連続である。自分の限られた言葉の選択肢の中で、ああでもない、こうでもないと繰り返し言葉を当てはめてみて、自分の真実に最も近いと思われる言葉を選ぶのだ。やっとの思いで選んだ言葉が、最初に感じた想いやイメージと完璧にシンクロすることはないように思う。その誤差は、形のないものに形を与えようとする者の宿命として受け止める他はない気がする。

 形にならない作者の複雑な想いをより正確に伝えるには、ドキュメンタリーより小説、小説より詩の方が適していると思う。言葉は少なければ少ない方がいい。数少ない言葉を手がかりにして、その言葉に含まれるニュアンスや、その言葉が背負う歴史や文化のイメージを彷彿させ、自らの想いを映し出すのだ。

 その意味で、僕は日本の俳句を心から誇りに思う。作者たちは、5、7、5の限られた枠からは想像もできないほどの大宇宙を描き出す。


   夏草や 兵どもが 夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)


言わずと知れた松尾芭蕉の詩である。もちろん、間違っているかもしれない。でも、僕には芭蕉が目にした真夏の光景が鮮やかに見えるような気がする。

 高校時代の恩師に文学の面白さを教わった自分も、比較文学の博士号を追及しているヤナも、言葉の限界を感じつつも、そんなインパーフェクトな言葉を愛している。作者たちが、様々な言葉を紡ぎ、一生懸命自分の真実を伝えようとする。そんな人間臭さこそが美しくもあり、愛おしくもある。

2009年10月12日月曜日

愛音と美風③


最近の写真

 出産報告とその後の投稿ににコメントをくれた方々、どうもありがとう!家族で嬉しく読ませてもらいました。また、「その後」の報告です。

 最近は愛音も完全に美風の存在を認識しています。今は妻が美風と、僕が愛音と別々の部屋に寝ているのですが、朝起きるとすぐに、「みーちゃん!」と言って様子を確認しに行きます。起こすなって言ってるのに…。

 愛音がいるとエネルギーいっぱい家を走り回っているので、今日は妻と美風に休憩を与えるために、Music Togetherという音楽を親子で分かち合うグループに愛音と参加してきました。他の子ともじゃれあったりしたけども、途中からは 

  「みーちゃん。」

早く帰ろうねと、帰りはベビーカーをすっ飛ばして来ました。




 AKIさんが言っていたように、抱っこもしたがります。こっちもあまり慎重にならずに、どんどんさせています。体も触りたくて仕方ありません。

 先月くらいから言えるようになった体のパーツを一つずつ言いながら、指でさしていきます。

 「あし」  「て」  「おなか」  「くぅび」  「あな」(はな)   

段々とエスカレートしてきて、指を突っ込みながら 「くち」

両手でひっぱりながら 「みみ」


そして最後は目つぶしっ!! おぃおぃ…。
美風も大変です。でも、愛音は確実に美風とのコネクションを築いています。

 愛さん、二人いるっていいよ~。何よりも最初は上の子の成長にとってかけがえのないレッスンを与えてくれる気がする。下の子が産まれることによって、上の子は家族の一員である自分の存在に初めて気付く感じ。だからこっちも、勝手に育っている美風よりも、いろいろ感じて考え始めた愛音との接し方に注意を払っているよ。もうすぐだね。赤ちゃんがおなかの中にいるこの時期を楽しんで。

 また報告します。


p.s.
 


おっぱいを飲んで恍惚の美風



2009年10月11日日曜日

君たちに伝えたいこと⑤ ~「友情」について~ 2005年作


 今回紹介するのは、初めてもたせてもらった一年生の子たちが2年生になった時に書いたエッセイだ。中学2年生というのは非常に難しい時期だ。一年生の新鮮な気持ちや初々しさが徐々に薄れ、先輩になると同時に後輩扱いもされる。部活でも勉強でも目の前の目標がなく、ことあれば不安になりがちな時期だ。そんな不安は友人関係に顕著に表れる。 「もっと大事なものがあるよ」 そんな気持ちで書いたのを覚えている。



 よく友達関係のいざこざを耳にする。やれどこのグループが誰を無視してるだとか、どこのグループが分裂しただとか誰がグループを移っただとか。話はいつも「グループ」単位。いつでもどこでも一緒にいる生徒たちや、トイレにまで誰かと一緒に行きたがる生徒たちを見ていると、「仲がいいんだな」と思うよりも、「いつも一緒にいないと不安なんだろうな」と思ってしまう。

 本当は逆なのに、と思う。もし、本当に大切に想い、相手にもそう想われる友達がいれば、いつも一緒にいなくても平気。それどころか安心して一人でいられるはず。だって相手がどこにいようが、どんな時であろうが、お互いに「つながってる」と感じるから。本当の友情とはそういうものだと思う。

 僕には一人の親友がいる。アメリカの高校で出会った一つ年下のテレンという女の子だ。今はアメリカと日本で離れてしまっていて、年に2回ほど、自分の誕生日と彼女の誕生日に電話で話すくらいだ。もう6年近く会っていないが、いつも話す時には高校時代から何一つ変わっていない親密さと安心感を覚える。最後に話をしたのは3ヶ月前。でも仮に今日テレンに電話をしたとしても、まるで昨日も電話で話したかのような錯覚を覚えるだろう。二人の友情は一日メールをしなかったり遊ばなかったりして揺らぐようなものではないのだ。

 テレンが昔教えてくれたことがある。

「お父さんが私に言ったことがあるわ。『人生で5人の真の友達を見つけることができたら、お前は幸せ者だよ』って。」

 その時は5人なんてすぐ見つかるだろうと思っていた。あれから10年以上経った今も、親友は彼女一人だけだ。でも、満足している。たった一人だが、1000人の「ただの友達」を持つよりも心強く感じる。

 テレンという親友の他に、僕にはずっと一緒に生きていこうと誓い合った女性がいる。その彼女もある意味、僕の親友なのかもしれない。夢を語り合い、他の誰よりもお互いの可能性を信じている、そんな仲だ。

 今は彼女が海外で自分の夢を追求しているため、よく電話はするが、実際に会うのは一年にたった2回だ。「会いたい」と思う。でも淋しくはない。いつもお互いに何しているかなと考えているし、何か嬉しいことがあった時、真っ先に伝えたいと思うのも、自分のことのように喜んでくれるのも彼女だ。特別な理由もなしに 「どこにいる?」 といつも気にかけてくれ、何の用もないのに 「ここにいるよ」 と伝えたくなる。

 愛も友情も、根底にあるのはそんなシンプルなつながりなのだと思う。どこにでもありそうだが、実際はどうだろう。 「ここにいるよ。誰か私を見つけて…。」 そう叫んでいる心も多いのではないだろうか。


 こんな話を聞いたことがある。小さな子を公園に連れて行く時、遊んでいらっしゃいと言っても、親が見ていないと子どもはなかなか離れようとしない。振り返る子どもは親がちゃんと自分の背中を見てくれていると分かって初めて他の子の輪に入っていける。

 滑り台やジェットコースターなどでも良く耳にする言葉がある。 「やってくるから見ててね。」 別に親が見ているからと言って急に滑り台が緩やかになるわけでもジェットコースターが遅くなるわけでもない。ただ、親が自分を見てくれているというそれだけで、その子は 「お母さんが見てくれているから大丈夫だ」 と安心するのだ。

 親友や愛する人を持つということも、そういうことなのだと思う。 「一人じゃない」 という安心感は勇気をくれる。自分が今、朝から晩まで、土日も休みなく教員の仕事に打ち込むことができるのも、テレンと彼女がいるからだと思っている。デートをする時間も、友達と遊ぶ時間もない。でも孤独だとは思わない。テレンも彼女も、自分とは遠く離れた所にいるが、二人との心の絆はいつも僕に教えてくれる。

   「一人じゃない。」

 「先生。どうやったら親友ってできるんですか?」 よくそんな質問をされる。簡単に答えられるものではないが、まずは真実の言葉で話すことだと思う。今の世の中、無意味な言葉で溢れ返っていると思う。テレビ、携帯電話、メール、あらゆるコミュニケーションツールを通して、聞いたらすぐ消えてしまう、どうでもいい言葉が発信されている。学校の休み時間も、たわいのない会話ばかりが聞こえてくるように思う。そのような会話から真の友情が芽生えるはずがない。悩みについて、恋愛について、夢について、将来について ― 自分の心に近いことについて話さないと。

 テレンとも彼女とも、どれだけ語ってきただろうか。「あの時にこんな話をしたよね」と何年経っても記憶から消えない会話の数が、僕たちの友情の深さだと思う。

 良い所も悪い所もお互いのことを本当に良く分かっていて、信じていて、大切に想い合える友達のことを親友と呼ぶのだと思う。親友をつくりたいのだったら、勇気をもって少しずつでも自分をさらけ出し、自分という人間を分かってもらわないと。

 半分の自分しか見せていないのに好きになってくれる相手は、半分の友達にしかならないよ。いくら「分かって」と言っても、それは無理な話。同時に、相手の嫌だなと感じる所を見つけても、もっと深く相手を知ろうとしないと。相手の良い所ばかり見ていても、結局好きなのはその友達の半分だけだよ。

 時にはぶつかることも必要だと思う。だって、ぶつかるということは相手を大事にすることだから。今後もずっと付き合っていきたい、そう思うからこそ、今、譲れないこともある。

 別に言葉で会話しなくてもいい。飾りも偽りもない心と心が触れ合えば、それでいいのだと思う。

 みんなと親友になれとは言わない。一人でもいい。一生涯付き合ってゆきたい、そう思える友達をつくって欲しい。

 「ここにいるよ」

2009年10月9日金曜日

自分を持つということ③ ~周りに流されない信念~

教員2年目、全校集会でのことだった。剣道部の地方大会優勝の表彰が全校の前で行われた。

「剣道部!」と司会の先生に呼ばれると、剣道部の子どもたちは「はい!!」と力いっぱい息の合った返事をし、すくっと立ち上がった。男子は全員丸坊主に「上げパン」、女子は「剣道部カット」にスカートひざ下10cmで揃えた子どもたちが、軍隊が行進するように壇上に上がっていった。全校が静かに見守る中、後ろの方でウケを狙った三年生の生徒がおどけて言った。

「出たっ、小関教!!」

ふざけたつもりのそのコメントは、ある意味的をえていた。流行に乗り、服装や髪形などで何とか自分の「個性」をアピールしようとする思春期の子どもたちにとって、剣道部のようにしっかりと「型」にはまった子どもたちは理解できないのだ。きっと洗脳されているようにしか見えないのだろう。

全校集会で生徒たちを観察してみる。どの生徒も自分のピーアールで必死だ。髪のゴムの色を人と変えてみたり、髪を立ててみたり、Yシャツのボタンを開けてみたり、上履きに色を塗ってみたり、名札に飾りをつけてみたり…。

でも不思議なことに、そんな中でひときわ目立つのは、型にはまっているはずの剣道部の子たちなのだ。服装がちゃんとしているだけでなく、顔つきも、話を聞く姿勢も、雰囲気も全然違う。校歌斉唱などでは、お経を唱えるように歌う周りの生徒たちに構わず大声で歌っている。思春期真っ盛りの子どもたちにとって、周りの目を気にしないということがどれだけ大変なことか想像つくだろうか。

剣道部の一年生の中には、仕方なくやっている子もいるかもしれない。だが、上級生になればなるほど、周りの生徒たちと同じことをしていては一流になれないと信じ切っている。流行や世間に流されない信念を持っているのだ。

個性とはいったい何なのだろう。少なくとも、剣道部の子どもたちの中には、確実に個性が芽生える土壌ができているように感じる。




あとがき

いつも剣道部の子どもたちを引き合いに出して話をするが、僕は自分が指導させてもらった野球部の子どもたちも誇りに思っている。まだまだ教師として未熟だった自分に良くついて来てくれたと思う。野球を通して出会った素晴らしい子どもたちが、教師としての自分を成長させてくれたことは間違いない。

ただ、自分の指導に満足していないのも事実だ。決して手を抜いたわけではない。胸を張って自分のベストを尽くしたと言いきることができるし、実際に数多くのチームの顧問の先生方に選手たちの元気の良さ、礼儀正しさや、丹念に整備されているグランドを褒めて頂いた。

でも、自分が理想とする指導ができたかと言うと、そうではない。自分が成長すればするほど、今まで見えなかった新しい問題が見えてきてしまうのだ。小関先生の指導を常に目の当たりにしていた自分にとって、これは当然なことだったのだと思う。

僕にとって、小関先生はつまずきの石だった。そしてそれは幸運なことだった。

2009年10月7日水曜日

自分を持つということ② ~「守」「破」「離」~

自分を持つということは、自分を捨てるということでもある。


ある時、剣道場の控室で、小関先生が剣道における「守(しゅ)」「破(は)」「離(り)」という概念について教えてくれた。

  「守」は守る

  「破」は破る

  「離」は離れる

つまり剣の道を究めるための精進の過程を表しているのだそうだ。(これは最近知ったことだが、この概念は剣道以外の他の武道や、茶、能など日本古来の伝統芸能の世界でも使われるそうだ。)揆奮館という武道塾のサイト(http://www9.ocn.ne.jp/~kihunkan/syu_ha_ri.htm)には次のように書いてある。


「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身につけることをいう。

「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行し、自らの境地を見つけることをいう。

「離」とは、それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地をいう。

修行をする上で、心・技・気の進むべき各段階を示した教えといえる。

[参照]全日本剣道連盟居合道学科試験出題模範解答例、月刊剣道日本編集部

そして、

武道における修行が人生に深く関わっている以上その修行には限りがない。すなわち限りなき修行に没入することを最終的には求めている言葉である。  
[参照]武道論十五講、不味堂出版


はたして、何もない所から自分の「型」を見つけることは可能なのだろうか。スポーツにしても芸能にしても、他に習い、他を徹底的に真似ることから自分の型ができていく。それは、人生においても言えることなのではないだろうか。人生における「型」とは先生に他ならない。誰かを信じ、自分を完全に委ねることから唯一無二の「自分」が生まれるのではないかと思う。


小関先生は剣道部の子どもたちに「守」の大切さを説く。剣道には「基本は極意である」という言葉もある。基本を「最初に習う簡単な技術」と捉えてはいけない。基本は己の剣道の根幹となるもっとも大事な技術だ。それは、人としての基本も同じことだ。 

小関先生は言う。3流4流の剣道人である私は一生「守」の段階だ。


あとがき

人生の先生が学校の教員である必要はない。それに、教員は自分がクラスや部活の生徒全員の「先生」にならなくても良いのだ。もちろん、教員がそこまで教えに没頭できる環境があれば、そんな理想的なことはないし、それこそ我々が目指すべき道だと思う。だがそれは並大抵なことではないし、『不登校から日本一』でも書いたように、学校に来る前から既に自分の先生を持っている子も中にはいる。親が先生である子もいるし、習い事を通して師匠を見つける生徒もいる。自分ではなく、その子に合った「先生」を探してあげることも教員の大事な仕事だと思う。

2009年10月6日火曜日

自分を持つということ① ~信じること~

以前『優等生を考える』で、「自分」を持たない八方美人の優等生ではなく、最終的には自分の心で感じ、頭で考えて判断できる自主性のある子どもを育てなくてはいけないと書いた。その続きを考えてみたい。


1.自信

子どもはどうすれば自信がつくんだと思う? 答えを考えている僕に、小関先生がこう言った。

「信じることだ。」

それは自分を信じるということではない。自分がない子にいくら「自分の可能性を信じろ」と言ったところで、その子が急に自信を持てるようになるわけではない。自信をつけたいのだったら、まずは人を信じることだ。

何かを達成したという成果なんて脆いものだ。それはまぐれかもしれないし、誰かに軽々と抜かれるかもしれない。でも、もし自分が心から尊敬している先生に褒められたらどうだろう。「よくやった」という師の一言が、生徒に魔法をかける。

小関先生の剣道部の子たちを見ていれば良くわかる。あの子たちは、自分を信じているというよりも、小関先生を信じている。小関先生の教えに自分を委ね、言われるように精進すれば、先輩たちのように強くなれると心底思っている。大きな大会でも、小関先生自身が「負けるわけがない」と言えば、子どもたちはどんな強豪相手でも臆さずに闘うことができる。小関先生に対する信頼こそが、あの子たちの自信そのものなのだ。


2.自分の中の「絶対」

そんな剣道部の子どもたちと比べ、優等生は自分の中の「絶対」を持たない。権力があると見なせば、いろんな人の意見を「はい、はい」と聞くので、自分自身の基準がないのだ。前にも言ったように、いくら正しいことでも、その子その場面において真実を貫いているとは限らない。対立する「正解」の狭間で、優等生は自由を失う。

ふと思い出すことがある。『プライド』でも書いた5000のことだ。博士課程一年目、大変な授業を受けながら、クラスメートは皆、成績に振り回されていた。自分の意見は教授にどう評価されるのか、提出した論文にはどんな成績がつけられて返されるのか、不安でしょうがないのだ。そんな彼らを見て、僕は自分自身の強さを知った。

以前、『無知の知』でも書いたように、自分の学びだけを気にしていた僕にとって、成績はさほど関係なかった。成績なんていうものは、所詮他人に押し付けられる基準でしかない。学びのスタイルも、進度も、表現方法も一人ひとり全く異なる学びの成果を、一様にしかも正確に評価できる基準など、もともと可能なのだろうか?

自分自身の基準を持っていれば、むやみに不安に駆られることもない。僕の中の「絶対」は常に小関先生だ。だから、僕が気にするのは、今自分が胸を張って小関先生に顔向けできるかということだけだ。恩師という存在は、頼りない自分に一本の「筋」を通してくれる。先生を持っている人間は強いのだ。

2009年10月5日月曜日

愛音と美風②






 美風誕生の報告を受けて、たくさんの人からおめでとうの便りを頂いた。ありがとう。ペンネーム「2年前の背番号7、8」君たちもコメントありがとう。内輪の人間にしかわからない暗号のようでいいな。まだちょっと早いけど、いつか君たち自身の子ども誕生の一報を聞きたいもんだ。



 さて、美風が産まれ、我が家は早速てんやわんやな状態に陥った。今までは両親のアテンションがフルにもらえていた愛音が妹に嫉妬をするのだ。これは複数の友人からも忠告してもらっていたことだったし、僕たち夫婦も予想していたことだった。でも、最初に妻の母乳の出が悪く、彼女が美風に付きっきりになってしまったこともあり、想像以上に愛音が情緒不安定になってしまったのだ。

 愛音は最初、友人から借りている美風用のチャイルドシートに座ったり、美風のおくるみを体にまとってみたり、美風の哺乳瓶をくわえてみたり、とにかく美風の特権を認めようとしなかった。僕の姿を見つければ、「だっこ!」の連続。ママのおっぱいを飲んでいる美風をのぞいては、顔をゴシゴシ、そしてバチン。
おいおぃ、あいね~…。

 愛音にアテンションをあげつつ、甘やかすことにならないようにする、そのバランスが本当に難しいなと感じた。赤ちゃん返りさせないように愛情を注がないと。



 今日になって、妻の母乳の出が良くなった。日本から助けに来てくれているうちの母親の料理のせいもあるのだと思う。おかげで美風が急に長時間まとまって寝てくれるようになった。

 朝、そろそろ勉強を再開しないと、という危機感はあったが思い切って休むことにして、母と共に愛音を連れ出した。コロンビア大学のキャンパスでやっていた子どものためのイベントに行き、日曜市場に行って新鮮な野菜やジャムを買い、帰りにセネガルの家庭料理を出すレストランに寄って昼食をとった。

 家に戻ると、美風がぐっすり寝ていたおかげで、妻が愛音を昼寝させることができた。そして昼寝の後は、うちの母親と公園で思いっきり遊び、夕食前には妻と一緒にお風呂に入った。今日の愛音は常に上機嫌。泣いている美風を心配したり、優しくなでなでしてあげることができた。

 我が家にとって、とっても幸せな日曜日だった。

2009年10月2日金曜日

美風



 
 みなさん。嬉しい報告です。
昨日、10月1日の深夜2:50、美風(みかさ)が産まれました。
体重4220g、身長54.6cmの大きな大きな女の子です。
我が家の喜びを一緒に分かち合ってやって下さい。

            大裕