2009年11月25日水曜日

先日、ドキッとしたこと

11月に中旬にしては驚くほどポカポカした日だった。

みな薄着をし、紅葉と暖かい日差しを楽しんでいた。ランチに友達のケビンと会った。

神学校の中庭のベンチに座り、なんて気持ちの良い日なんだろう、と僕は彼に言った。すると、彼は笑みを浮かべてこう言った。



   「でも考えると怖いものがある。」



ケビンは、あれ見えるかといって中庭の真ん中に立つ木を指差した。

ほら、枝の先に新芽がつき始めているのが見えるかい?急に暖かくなったから、木が、春が来たと勘違いして芽を出しているんだ。



まさか新芽だとは思ってもいなかった僕は驚いた。

 

そんな僕にケビンは丁寧に教えてくれた。



寒さが来たらどうなると思う?芽は取れ落ちて、そうなった木は春が来ても芽吹くことはないんだ。



僕は恥ずかしかった。

2 件のコメント:

  1. 大人になっても、大裕さんの経験のように、
    自然から、人間から伝えられことにドキとしたり、
    恥ずかしいと思える心は失いたくないね。

    アメリカの大学では、
    取り上げられることはない人物かと思いますが、
    「社会契約論」「エミール」の執筆者のルソーは、
    教育には3種類の先生がいると。
    人間の先生/自然の先生/事物の先生。

    人間先生が言葉にしなくても、
    多くの自然や本物に目を輝かせ、
    多くを感じ取ることしていくよね。

    でも東京は、
    とても大自然に囲まれた日常とは言えないなぁ。
    この1週間、子どもの通学路には、
    土に帰ることができない落ち葉が舞い上がって、
    区の清掃員の人にゴミとして処理してる。
    自然の中のものは、ゴミなんてないはずなのに。
    夜空に浮かぶのも、月と一番星だけ…。

    今日は、
    サウジアラビアの大砂漠で、
    大洪水が起きているニュースが。
    自然からの警告が、激しく伝わってきる映像でした。

    AKI

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  2. AKIさん、

    >土に帰ることができない落ち葉

    っていいね。その心持、とてもよくわかる。
    落ち葉をゴミ処理するなんて、皮肉だよね。
    切なくなるなあ。

    映画『アメリカンビューティー』を思い出しました。

             大裕

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