2009年11月19日木曜日

もし、僕に世界中の時間が与えられたら



長野で見かけた麦畑

 統計学の授業をさぼっている間、もう一つ、考えたことがある。それは、「贅沢な」時間だ。



数学まみれの統計学は別に好きではないが、大事だと思っている。何も知らずに、これが事実だからと誰かに突き付けられた数字にだまされないためにも必要な知識だ。ただ、決められた時間に参加しなくてはいけない授業で学ぶのと、図書館で自分に必要な時間をかけて勉強するのではわけが違う。昔は、勉強することが贅沢だなんて思いもしなかった。できればしたくなかったから。でも今では、まとまって勉強できる時間は「贅沢」に感じる。



大人になってからは、仕事に対してさえそう思うようになった。教員時代、教材研究の時間がなく、いつも時間との勝負だった。正直言って、一つの授業に毎日1時間を費やすのが精いっぱいだった。朝、部活の朝練に出る前の時間が僕にとっての教材研究の時間だった。



新しいレッスンが一つある時は、1時間、2つある時は2時間。4時起きも少なくなかった。でも、年に数回、職員会議が早く終わった時やテスト週間の時は、放課後の部活もないので、学校近くのスターバックスに行って教材研究に没頭した。教科書に登場する新しい文法事項や単語を使ってどう生徒の世界を広げようかと想いを馳せたものだった。



こんなことを書いていると、今年ドイツで見た光景を思い出した。ウルムという田舎町のはずれにある森の中を走った時だった。砂利道を抜け、少し坂を上がると、急に麦畑に出た。目の前に180°広がる麦畑に僕は声を失った。



夕日をいっぱいに浴びる黄金の麦が、行ったり来たりのどかな風になびいていた。宮崎駿監督の映画が好きな人は、ナウシカが歩いた黄金の草原を思い出してくれればいい。



少し歩くと、なだらかな丘に広がる麦畑を見下ろせる所に、ぽつんとベンチが置いてあった。周りには公園も何もない。あるのはそのベンチと目の前に広がる麦畑だけだ。なんてすてきな感性を持つ人々なんだろうと、僕はドイツの人々が大好きになり、感謝の気持ちがこみ上げて来たのを覚えている。



もし、世界中の時間が与えられたら、僕は気のすむまでそこに座って麦畑を眺めているだろう。そこに日記とペン、それにおいしいコーヒーがあったらいうことはない。




p.s. あなたの脳裏に焼き付いている自然の恵み、そして贅沢なひと時、この場で分かち合ってみませんか?
   daiyu.suzuki@gmail.com

2 件のコメント:

  1.  働き盛りで子育て中にある大人にこそ、贅沢だと思える時間が必要だよね。お父さん、お母さんの毎日を考えると、この不況の中生きていくこに必死で、なかなか高速に流れる時間をゆるめられない。中学生までの子どもがいるお父さん、お母さんのために、せめて1ヶ月有給休暇がとれるような社会になったらいいのにね。

     子ども時代は1年がすごく長かったのに、大人になる1年なんてあっという間。時間が速く感じるようになればなるほど、気のせいか呼吸が浅くなっていくような…。
    でもやっぱり土の香りや風のながれを感じる場所では、自然と五感が全開になって、ふ~と深い呼吸をしている。

    今日もまた、人工的な時間に翻弄されていた1日が終わります。

    AKI

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  2. AKIさん、
     以前、『君たちに伝えたいこと ~時間について~』でも書いたけど、時を生命のサイクルとして捉えることって、やっぱり都会では難しいよね。ふと自然に戻るとき、いつも気付かされることです。

              大裕

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