2009年12月26日土曜日

四万十川から学んだこと Part I ~さっちゃんから~

はじめまして。
私は四万十川ユースホステル(四万十川YH)のさっちゃんです。
本名・佐藤幸代(さとうさちよ)。1961年10月24日生れ(48歳)。


 四国の高知県「日本最後の清流」と呼ばれている
『四万十川』の畔で定員11名の小さな宿を営んでいます。 
年間述べ1200~1500人位の旅人が四万十川YHを訪れ、
そのほとんどは2泊して四万十川でカヌーを楽しんでくれます。








 大裕は十数年前の1996年に四万十川YHを訪れた旅人の1人でした。
前向きで頭が良く、明るくて親しみやすい好青年でした。
そして普通の旅人とはちょっと違ったオーラを発していました。

 彼は2泊したけれど、カヌーには乗らずに最寄りの江川崎駅近くの
小さな雑貨屋で銛(モリ)を買い込み、川エビ捕りを楽しんでいました。
川エビは専用の仕掛けやエビたまという小さな網で捕るものですが、
自分で材料を買い、新しい手法を開拓しながら100%楽しんでしまう
様な所を見て「こいつはタダモノではないぞ!」と直感的に感じたのを
覚えています。




 大裕とはそれ以来十数年の付き合いです。
付き合いと言っても、時々手紙や電話のやりとりや私が上京した時に
連絡して会ったりする程度のものですが、ただ私達は何故か同じ本を
ほぼ同じ時期に読んでいたり、それをお互い紹介しようとしたり、
色々な物事に共感したりする等、会って話をする中で度々起るシンクロ
に、小さな驚きと興奮を覚えたものでした。大裕と私はまったく違う世界
を生きているけれど、志や目指す所は共通していて、人生の岐路や
長い間隔でお互い大きな影響を与える関係なのかも知れません。 
私は大裕の大きな志が必ず叶うと確信しています。





 大裕が再び四万十川YHに帰ってきてくれたのは、運命の人
(琴栄さん)を連れてでした。その時は二人でカヌーに乗ったり河原を
散歩したりしてゆっくりと四万十川を満喫してくれました。
琴栄さんは客室に置いてあった電子ピアノで彼女が作曲した
ピアノの曲を演奏してくれました。そのメロディはとても優しくて静かに
拡がっていく温かさが感じられました。二人がこの先実現していく
世界が思いやりと優しさに満ち溢れたものだと確信しました。



 今年の9月後半に大裕からメールで『あなたと分かち合いたいこと』
というテーマで投稿しないかという誘いがありました。

 「きっとさっちゃんの世界観が多くの人を勇気づけると信じているし、
ブログが分かち合いの輪を広げ、良き出会いの場になればいいなぁ、
と思っている。俺の財産は『人』だから・・・」

・・・そんなメールをもらった時はすごく嬉しくてときめきました。
いつか大裕と何か協力し合う時が来ると感じていたから。
そして私の財産も『人』だから。 

 私は仕事を通じて沢山の人々と出会い、色々な物事を分かち合い、
共感し、与えたり、与えられて生きているので、人との絆がどんなに
大切かを痛感しています。そして『四万十川YH (しまんとがわユース)
のさっちゃん』の仕事は、私だからこそ出来る天職です。
私の仕事は四万十川に集まってくる沢山の人々と出会い、
人と人とをつなげ、人と自然をつなげるパイプ役です。
私の役割はつなげる『場』であり『パイプ』そのものなのです。
私は子供の頃から無意識にパイプ役を演じてきましたし、
役割を発揮出来ている時は輝いていました。





 もちろん自分の役割を思い出す迄の道のりは長く、
迷いと辛い体験ばかりでした。自分に確信を持つまでは、
いつも何か違うという「違和感」が心の中心にあって、
自分の居場所や使命や生涯やりとげたい仕事が知りたくて
「確信」を求めて色々な事にチャレンジしてきました。





 漸く確信をつかんでも、自分の役割を100%発揮することが
出来なくなる様な事態や状況に陥ったり試しが次々とやってきました。
例えば逃げ出したくなるような事態に追い込まれて護りの姿勢になり、
向き合うことを恐れてしまったり、意地を張ったり、強がって自分を
追い込んでしまったり・・・。そうして試しに負けて自分の軌道から
はずれてしまうと、必ずもっと大きな試しが起きて真実の自分に戻る
ように力が働きます。だから今も常に自分の課題を意識して毎瞬毎瞬
チャレンジしています。





 私のこれまでの人生はとても奇抜で急転回の急展開の
ジェットコースターみたいな人生でした。蛇の様に何度も何度も脱皮して
カメレオンの様に色々な顔に変化してきました。
普通では体験しない様な体験を沢山しています。
そんな私の世界観はやっぱり奇抜かも知れません。
親の離婚と再婚、小児病の紫斑病、腎臓病、摂食障害、学校中退し
職を転々と変え結婚、出産、夫の暴力、離婚、娘を手放し傷心旅行の
後看護学校入学、看護免許取得、再婚、ユースホステルの仕事に就く、
四万十川YH設立、別居、整体士免許取得、ドイツ短期留学、
四万十川YHに戻る、食道癌、手術、リハビリ・・・
自分の過去を振り返ってみると統一性の無い滅茶苦茶な経歴です。
気が着くといつも迷っていました。





 いつもどうして良いか判らず、自分に自信が持てず苦しかった
記憶があります。そんな中で自分の視点を大きく変えたり、価値観を
変えたり、私の世界に大きな影響を与えてくれた映画や本があります。 
そして何よりも私の人生を軌道に戻してくれたのは「旅」です。 
私は旅によって視野が広がり、自分の世界が拡がり、色々な人々に
出会い、気がつかなかった自分自身の意外な一面に出会い、
考え方が180度変わりました。


 挫折を味わった時、行き詰まった時、迷った時、自分の力に限界を
感じた時、自分を変えたい時・・・・旅をして人と出会い、景色と出会い、
違う世界を沢山見ていくうちに、心が開いて、凝り固まったものが
溶けていって、いつの間にか迷いが吹っ飛んで、気がついたら心の
モヤモヤがすっかり消えて夢と希望で一杯になっていたりすることが
よくあります。






 だから私は旅人が立ち寄る1つの「場」となって、
人が自分の世界を変える一瞬に関わりたいと願っているのです。
快適に過ごせる空間と雰囲気と健康的で美味しい食事を作って・・・・。

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