2010年6月2日水曜日

メリットペイを考える3 ~教育現場におけるインセンティブ~

 書き始めたら止まらなくなってしまった。今回はインセンティブという点にのみ焦点を絞って書いてみたい。



 そもそも、メリットペイの概念は、 「給料アップを約束すれば教師が鼓舞され、結果として生徒の学力が伸びる」 という仮説の上に成り立っている(Conley & Odden, 1995; Timar, 1989)。だがこれは間違っている。何故ならば、教員を鼓舞する最大の要因はお金などの外的報酬ではなく、生徒の成長であったり仕事に対するやりがいであったりする内的報酬だということが多くの研究者によって実証されているのだ(Conley & Levinson, 1993; Conley & Odden, 1995; Lortie, 1975; Smylie & Smart, 1990)。



 インセンティブと教師のモチベーションの関係に関して言えば、現在の日本の現場を見てもすぐわかることだ。 『教員を評価することの難しさ2』 でも書いたように、別に給料が増えるわけではなく、逆にやればやるほど教員にとって赤字が出るにもかかわらず、一部の教員が部活指導に一生懸命取り組むのは、そこに教科指導とはまた違った教育的な意義と喜びを見出しているからだ。彼らの頑張りを支えているのは生徒とより深い関係が築けることだったり、生徒の成長を実感できることだったり、金銭的な報酬とは無関係のものなのだ。だから、逆に言えば少し給料が上がるからといって、それらの教員が意義も幸せも感じられない仕事に一生懸命取り組むとは思えない。もっと言えば、金銭的な報酬に最も敏感なタイプの人間はもともと教員の道を選ばないだろう。







 インセンティブという点に関してもう一つの疑問がある。以前にも述べたように、もともとメリットペイの概念の出所はビジネスだが、はたしてビジネスにおいては高給料が最大のインセンティブであることは実証されているのだろうか。



 これもそうではないようだ。韓国のLGエレクトロニクスという大手電気メーカーの人材開発部 (Learning Center) にて様々なコースを教えた経験をもち、現在は僕が通うコロンビア大学のTeachers CollegeにてOrganizational Psychologyを学ぶ友人が教えてくれた。彼が働いていたLGのLearning Centerは、いわばLG内にある大学のようなもので、キャンパスもあれば教えることを専門とする先生たちも常勤している。そして、そこでは新入社員だけでなく、新しいポジションに昇進したばかりのベテランやら中堅やら、スキルアップを図る若手など、常に多くの人間が学んでいるそうだ。



 LGが何故自社の社員育成に莫大なお金を費やすか。それは人が就職や転職時に会社を選ぶ最大の要因が、給料の良し悪しなどの外的報酬よりも、自分がその会社に入ることによってどのように成長できるかという内的報酬であるからだそうだ。つまり、Learning Centerの存在と、それが保障する社員の成長こそがLGの人気を支えているのだ。



 労働をする者にとって給料は仕事に対するモチベーションと無関係ではない。だが、それが全てでもないのだ。







 そもそも、教育におけるメリットペイに関しては、その問題定義に関する根本的な疑問がある。教員の給料を能力給にすれば生徒の学力が伸びるとする仮説は、学力低下の打開策を教員のインセンティブに見出している。しかし、問題はインセンティブの欠如なのだろうか?努力不足を問題の原因と位置付けるなら、知識やスキルは問題ではなく、良い指導を行うノウハウを教員は既に持っているということになる。足りないのは教員の努力であって、努力さえすればもっと良い指導ができる…。そんなに単純なことなのだろうか?







 最後に、教育におけるメリットペイの導入には別のアジェンダがあるような気がしてならない。これは次回書こうと思っていることだが、メリットペイは教員の勤務評定とその結果による教員の序列化を意味している。誰がどのような基準で教員を評価するのかということを考え始めると、問題は一気に政治的な意味合いを含んでくる。教員の勤務評定に教員たち自身がかかわることは考えにくい。だとしたら、その先に見えるのは教員組合の無力化なのではないだろうか。メリットペイによる教員の序列化は、結果的に教員の解雇を正当化することにもつながるだろう。





Conley, S., & Levinson, R. (1993). Teacher work redesign and job satisfaction. Educational Administration Quarterly, 29(4), 453-478.



Conley, S., & Odden, A. (1995). Linking teacher compensation to teacher career development. Educational Evaluation and Policy Analysis, 17(2), 219-237.



Lortie, D. C. (1975). Schoolteacher: A sociological study. Chicago: University of Chicago Press.



Smylie, M. A., & Smart, J. C. (1990). Teacher support for career enhancement initiatives: Program characteristics and effects on work. Educational Evaluation and Policy Analysis, 12(2), 139-155.



Timar, T. B. (1989). A theoretical framework for local responses to state policy: Implementing Utah's career ladder program. Educational Evaluation and Policy Analysis, 11(4), 329-341.

2 件のコメント:

  1. Incentive payの一番有名な経済での実証分析というと、Lazearという元大統領経済諮問委員会の議長だった人の研究が一番有名です。が、セールスや、ブルーワーカーみたいに、outputが簡単に測れる職種だけで、管理職となると、何が成果なのかはっきりしないというのが実情です。

    メリットペイがネガティブな結果に終わった分析としてはLevitt&Jacob(2003), Figlio&Rouse(2006)とかがメジャーな論文かな-、と。

    結局は、この間も言いましたが、Conventional Wisdomっていうのとどう対峙するか、という普遍的な問いにまで還元してしまうのかなと。Galbraithが言うとおり、Conventional Wisdomが敗北するのは世の中の移り変わりしか無いのかと思います。が、その変化に対して、準備をしておくかおかないかが決定的に重要なのではと思います。

    続きはまた9月以降ですかね笑

    返信削除
  2. hoshinoさん、
     いつもありがとうございます。

    「Galbraithが言うとおり、Conventional Wisdomが敗北するのは世の中の移り変わりしか無いのかと思います。」

     結局は世論を支配するdominant discourseの転換ということですかね?

     今、ちょうどTakayama KeitaというWisconsin-MadisonにてMichael Appleの下で学ばれた方の博士論文を読んでいるところです。名前の通り日本の方で、現在はオーストラリアのUniv. of New Englandで教えられているそうです。彼が論文の中で、日本の教育の新自由主義化における"cultural and ideological politics"の役割のことを書いていて、興味を持っているところです。

     9月と言わず来週NYに戻られてからやりましょう。

                   大裕

    返信削除