2010年1月17日日曜日

勝って己の愚かさを知る Part III ~人々の想いを背負って~

小関先生の剣道部


「私はこの中で一番弱い」

 全国大会を振り返って、小関先生がおかしなことを言った。

「あいつは、もし団体で全中(全国中学校剣道大会)に出ていたら自分の力は発揮できなかっただろう。」



 驚くことに、女子個人の部で全国制覇を成し遂げたその子に直接話を聞いたら、本人も同じことを言うのだ。みんなと出ていたらきっと甘えが出ていた、と本人は言う。



 彼女を大きく変えたのは、県大会の団体の部で優勝できなかったことだという。ずっと一緒にやってきたチームメイトと全国大会に出られなかった。しかも、チームが負けたのは自分のせいだったと彼女は今でも感じている。



 『不登校から日本一』でも書いたが、小学校では不登校になり、中学一年生の頃も学校を休みがちだった。彼女にとっては、放課後の剣道部が唯一の救いだった。



 剣道の素質には、部の中でも特に光るものがあった。だが、小関先生はあえて彼女を大将にはしなかった。前に行く4人(先鋒、次鋒、中堅、副将)で勝負がつかない場合は、全ての重圧が最後の大将にかかる。チーム全員の気持ちを背負えるほどメンタルの強い子ではない。小関先生はそう読んだ。



 代わりに、先生は中堅のポジションを彼女に与えた。ただ、強い彼女が中堅を務めることには特別な意味があった。あえて「勝って当たり前」という位置に彼女を置いたのだ。それは、逆に言えば、自分が負けてチームも負けたら全部自分のせい、ということになる。小関先生が彼女に身に付けさせたかったのは、人の想いを背負う強さ、器の大きさだった。







 県大会でその目標を達成できなかった彼女には、別の試練が待っていた。県大会の女子個人の部で優勝し、全国大会への切符をチームでただ一人手にしたのだ。



 熊本県で行われた全国大会には、チームメイトを含め、多くの人が地元である千葉県から応援に駆けつけた。今まで全部チームメイトのみんなとやってきたのに自分だけ…という申し訳ない気持ちと、自分一人のために多くの人たちが熊本まで来てくれたことに対する感謝の気持ちが混ざり、複雑な心境だった。もう、逃げることも、甘えることもできなかった。



 大会初日、自分の試合がいよいよ始まる前、彼女は周りの選手たちを見てこう小関先生に言った。

 

 「私はこの中で一番弱い。でも私を応援してくれる全ての人たちの想いを背負って精一杯がんばってこようと思う。」



 彼女が全てを一人で背負った瞬間だった。







「先生、わたし大丈夫」

 試合が始まると、かつてないほど緊張しつつも、自分の剣道である「攻め崩して打つ!」を課題に1、2回戦と順調に勝ち進んだ。

 3回戦ともなると、さすがに敵も強い。1、2回戦同様に1本目は取ったが、すぐに同じ技で返された。だが、小関先生の読み通り、最後は彼女らしいストレートの面を取ってきた。本人はどうやって打ったのか覚えていないそうだ。

 4回戦はベスト8を懸けた試合で、最終日に駒を進められる大事な試合だった。相手は福岡チャンピオンだ。この時、ハプニングが起こった。運営サイドの伝達ミスで、彼女の入場が大幅に遅れたのだ。応援に来たチームメイトが慌てて呼びに来るまで、小関先生も試合のことを知らず、急いで入場ゲートに向かった。小関先生はどんな言葉をかけるべきか迷ったそうだ。絶対に焦るなと言えば逆に集中できないのではないか、お前のせいではないから心配するなと言ったところでただの気休めにしかならないのではないか…。

 その時、彼女が控室の方から歩いて来た。慌てている様子はない。むしろ落ち着いているように見えた。そして彼女はまるで先生の心の内を悟ったかのように、こう言った。





 「先生、わたし大丈夫。」





 あの場面で普通の中学生にそんなことが言えるのだろうか。
先生は少女の成長に驚いた。このことを、後に小関先生は、
「一生忘れられない瞬間」 と振り返った。

 彼女は冷静だった。以前同じようなことがあった時、心を乱した
先輩たちが先生に叱られていたのを覚えていたのだ。







「だって先生笑ってたから…」

 試合場に行った時には、会場は非常事態にざわつき、審判も相手も相当苛ついていた。これはよほどしっかり打たないと旗が揚がらないという小関先生の読み通り、良い所で技が出ても審判の旗はピクリともしない。それでも、緊張が解けた後は、彼女らしい攻めの剣道を全うしている。攻め続け、死力を尽くしている。相手も強い。そして、延長戦でも決着はつかず、10分を超える試合に審判主任の判断で今大会初の「水入り」が入った。





 その時、小関先生は、勝っても負けても全てを気持ちよく受け入れようという、自分が今まで味わったことのない境地を感じたそうだ。後に、彼の姿を見た他校の先生に、その時の監督席に座る彼の姿が何とも美しかったと言われたそうだ。



 彼女はと言うと、休憩の間も一瞬小関先生の方を向いただけで、あとは相手から目を離さなかったそうだ。だが、彼女に言わせると、その一瞬が彼女を勝利に導いたという。



 休憩終了後、「はじめ!」の合図の直後だった。彼女のストレートの面で死闘は終わったのだ。



 戻ってきた彼女に小関先生が、お前よく打ったなと言うと、彼女は答えた。



    「だって先生笑ってたから…。自分の感覚信じろって言ったじゃない。
   先生が笑ってたから自信持って打てた。」



 ここのところは、小関先生の師匠である奥村先生をもって「究極のコミュニケーション」と言わしめたそうだ。








応援してくれる全ての人たちの想いを背負って


 最終日も彼女は勝ち進んだ。
決勝戦の前、入場ゲートで彼女が小関先生にこう言ったそうだ。



   「この試合、勝手も負けても終わったら、応援席に一礼をしようと思うんですけど…。」



 この場に及んでそこまで考えているのか…。小関先生は心打たれたそうだ。



 名前が呼ばれ、何千の観衆が見守る会場に入る二人の心は澄んでいた。



 決勝戦の相手は地元熊本代表の選手。会場は完全アウェーの状態だ。先に一本取ったのは相手だった。湧き起こる大歓声。でも彼女は動じなかった。すぐに彼女らしい見事な面で取り返した。





そして最後は引き面で勝利を掴んだのだった。



 彼女は、ある剣道雑誌の取材でこう話している。



   「最終日は面を着ける前からずっと泣きそうだったんです。
  なんでかは自分でもよくわからないんですけど。もちろん、勝ちたい、
  けど、負けたとしても応援してくれたみんなが納得できる試合をしよう
  と思って。そうしたら、試合が終わったときに自然と涙が出てしまって…。」



 小関先生の所に戻ってきた彼女は涙でボロボロだったそうだ。
ただ、驚いたことに、試合開始前に自分が言ったことも忘れてはいなかった。そうして二人は、応援席に向かって二度、深々と礼をしたのだった。








終わりに

 全国大会後も彼女は毎日練習に励んでいる。
小関先生にはずっと「日本一になったことに負けるな!」と言われ続けている。



 高校では部の寮に入って剣道に打ち込むという。茨城県のインターハイ常連校だ。



 剣道を通して、感謝の心と人々の想いをしっかりと背負える大きな器を手にした彼女は、いつの日かきっと日本を代表する大将へと成長することだろう。 

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