2011年11月24日木曜日

Occupy Wall Street メディアが描く偏った参加者像

UC-DavisのPepper Spray Copのパロディー。
専門サイトまでできた。面白すぎる。




今、NYにいながら連日のようにOccupy Wall Street(OWS)のことを書いているが、日本ではどのような情報が流れているのかも気になっている。


「ウォール街を占拠せよ」をキーワードとするGoogle Alertで僕の所に入ってくる日本のニュースは、面白いことに「ウォール・ストリート・ジャーナル」が非常に多い。これでこの運動に好意的であったら非常に面白味があるのだが、残念ながらネガティブなイメージ描写の記事ばかりだ。


反ウォール街運動、米民主党が抱えるジレンマ(10月25日)では、「長年マリファナ合法化運動に携わってきたべーリンさん」や「テントの前でシャツも着ずに座ってローリング・ストーンズを聴きながら」応えた23歳の若者を選んでインタビューし、他にも「無料の食事や安全な睡眠場所を求めるホームレスや精神疾患者」や「反ユダヤ主義的な言葉をぶちまけ始めた」女性の話をピックアップし、茶会党も反ウォール街運動も根底にあるものは同じ(11月15日)では、この運動は「若くてだらしのない、左派の失業者の集まりだとみられている」と報じている。


今日も、「占拠」に限界―新たな段階に入る反格差運動(11月23日)という記事がアラートされてきた。ひとまず上の記事を読んで頂き、その後で以下に続く僕の批判的見解を読んで頂きたい。





まず驚いたのは【アメリカ最新事情】という副題を付けているのに、1週間以上も前のことを言っていること。報道上の手続き等いろいろ厄介なことがあるかとは思う。でも、だとしたら【最新情報】と呼ぶのは間違っている。このような運動は生命体のように、刻一刻と変化している。1週間以上も前のことをあたかも今起こっている事実のように報じることは、運動の行方を扇動しかねない。はっきり言ってこれは自慢じゃないだが、僕はテント村の強制撤去が始まった2時間後には既にブログにアップしている。


申し訳ないが、的も外れているように思う。『最大の意義』でも書いたように、Zuccotti Parkの占拠は象徴的なアクションに過ぎない。だからどうだというわけではない。


事実も間違えている。記事は、「ズコッティ公園は、数百人の警官と鉄バリケードにびっしりと取り囲まれ」と書いているが、実際の警官の数は1000人以上であり、この過剰とも思える反応に注目したら、記事の内容は全く変わってくるだろう。


強制撤去の舞台となったZuccotti Parkはウォール街のビルとビルの間にあり、決して大きい公園とは言えないし、宿泊している人数も取るに足らない。それなのになぜ1000人以上もの警官を導入したのだろうか。前前回に投稿した『Occupy Wall Streetのポテンシャル』でも書いたように、それは逆に言えば、この運動が権力者たちをも脅かすレベルにまで拡大したことを物語っている。


このような点は、10月9日の時点で、プリンストン大学のノーベル賞受賞エコノミスト兼NY Timesの人気コラムニストであるPaul Krugmanが、Panic of the Plutocratsという記事で既に指摘している。(ちなみに、‘Plutocrats’とは、Citi Groupが外部には内密に超大口の顧客に敬意を払ってを命名したもので、世界中の富を自在に操る1%の人間のこと。)Plutocratsのオーバーリアクションを指して彼は次のように言っている。




“So who’s really being un-American here? Not the protesters, who are simply trying to get their voices heard. No, the real extremists here are America’s oligarchs, who want to suppress any criticism of the sources of their wealth.”


「アメリカ人らしくない行動をしているのはどっちだ?自分達の声に耳を傾けさせようとしているプロテスター達ではない。真の過激派は、自分達の富に対する如何なる批判も抑圧しようとするアメリカの少数独裁者達だ。」




また、問題のウォールストリート・ジャーナルの記事は、「衛生上、安全上」の問題を考慮してOWSの強制撤去したと述べるブルームバーグ・ニューヨーク市長のことはそれ以上言及していないが、ブルームバーグ自身がアメリカで12番目のPlutocrat(推定資産1兆5000億円)であることを語らずにこのニュースを正当に評価できようか。


更に、この記事もまた、偏ってネガティブなOWSの参加者のイメージを描写している。確かに、麻薬をやってそうな人物も、精神異常者も中にはいる。それは99%というinclusiveな枠組みを運動の在り方として選んだのだから仕方あるまい。


でも、もしそのような人物ばかりだったら、この運動はなぜここまで国内外の幅広い人々の支持を得ているのだろうか?


もしこの運動の象徴でもあったLiberty Plazaのテント村がこのようなネガティブなエネルギーに満ちた場所であったなら、なぜ多くの知識人やセレブリティー達が自分の名声を懸けてまでPlazaを訪れ、賛同を表明しているのだろうか。


答えは、この運動にはたくさんの優秀な若者も参加しているからに他ならない。主要メディアが彼らにスポットライトを当てていないだけだ。


以下のビデオがその典型的な例だ。OWSに否定的なニュースばかり流しているFOX Newsのレポーターが、インタビューした一人の青年に完全にこけにされているシーン。もちろん、FOXはこれを報じなかったのだが、FOXのカメラマンの後ろでOWSのメディア班が独自にカメラで撮影したこの動画がYou Tube上で話題となった。






(ちなみに、FOX Newsはあまりにも誤情報が多いため、カナダでは今年から放送禁止とされた)


以下のビデオでは、ウォールストリートの元デリバティブトレーダーで、Global Revolution TVの創始者の一人がフィーチャーされている。彼らの画期的なアイディアと手法は市民革命の在り方を大きく進化させた。なぜこのような人たちにフォーカスしないのだろう。






以上、日本のウォールストリートジャーナルの偏見を批判してきたが、嬉しいことに好意的な記事も見つけることができた。上で紹介してきた記事と比べて読むと、同じ運動について書いてるとは思い難いくらいだ。






次回は、自分達の名声を懸けてまでOWSに対する賛同を表明している数多くの知識人やセレブリティー達にスポットライトを当ててみたい。


(続く…)




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2011年11月23日水曜日

Occupy Wall Street 予想される今後の展開

「NY市警よ、ウォール街の傭兵になるな」
というメッセージを掲げる元警察署長(DailyMail)

Occupy Wall Street運動は今後どのような方向に向かっていくのか。次のステップを大胆に予想してみたい。

今、一番必要とされているのは、政府に都合の良いように使われている警察の ‘non-cooperation’ (非協力)だと思う。

1920年、ガンジーは、3億1500万人のインド人がほんの10万人以下の白人に支配されていることに注目して、‘non-cooperation’ の重要性とその可能性を語った。白人はインド人が提供する金と労働なしには何もできないのだ、と。

後に彼は次のように言っている。

“All exploitation is based on the cooperation, willing or forced, of the exploited…”


「自主的にせよ、強制にせよ、全ての搾取は搾取される側の協力の上に成り立っている。」

今、ここまで広がっていてもまだ政府がこの運動をある程度牽制できているのは、警察による協力があるからだ。しかし、1%の声を優先的に反映する政府による統治は、警察の ‘non-cooperation’ と共に崩壊するだろう。

既に、少しずつではあるがその可能性が見え始めている。


この運動に参加したフィラデルフィア州の元警察署長。以下の番組では、彼をフィーチャーしている。



また、700人以上が逮捕されたブルックリン橋封鎖の際の警察による暴力行為を見て、プロテスター達を守りに来た退役軍人たちもいる。 



“2nd Time I’ve fought for my country. 1st time I’ve known my enemy.”

以下は、一人の海兵隊員が警官30人を相手に説教するシーン。You Tubeに掲載されて以降話題騒然となった。



また、イラク帰還兵が重傷を負ったカリフォルニア州オークランドの警察組合は、市長に対する公開状を発表している。その中で組合側は、この運動に賛同する市職員によるストライキを指示しておきながら、同じ市職員であるはずの警察だけにはその取り締まりを要求した市長のリーダーシップを疑問視し、このように言っている。

“We, too, are the 99%...Is it the City’s intention to have City employees on both sides of a skirmish line?”

「我々も99%の人間だ…。散兵線の両側に市の職員を置くことが市の意図するところなのか?」

もしかしたら、警察が政府の命令を無視して、市民を守るという本来の仕事に戻る日は、そう遠くないかもしれない。

2011年11月22日火曜日

Occupy Wall Street のポテンシャル



過去2回に渡り、様々なメディアで報じられているOccupy Wall Street (OWS) 運動の共通点について書いてきた。最近特に目立つのは、政府との衝突が増えていることだ。


先月、10月1日、ニューヨークではOWSのデモ隊がブルックリン橋を行進。それに対して、NY市警は実に700人を逮捕するという過剰とも思える措置で対応。アメリカ史上最大級の一斉逮捕となった。


そして、mmさんが 『Occupy Wall Street最大の意義』 に対するコメントで書いてくれたように、最近はこの平和的(非暴力)運動に対する ‘police brutality’ (警察の暴力的弾圧)がニュースの一面を飾ることが多くなっている。

10月25日にはカリフォルニア州オークランドのデモで、イラク戦争退役軍人のScott Olsenが警察隊から撃ち込まれた物体を頭に受け、頭蓋骨骨折の重傷を負った。




11月15日の ‘Liberty Plaza’ テント村の強制撤去については既に書いた通りだ。

以下はUniversity of California-Davis校でのペッパースプレー事件の動画だ。



ただ座りこみをしているだけの大学生たちに対してペッパースプレーを吹きかけるというこの事件は、全米を震撼させた。結果的に、警官2人が停職処分になったという。

なぜ政府はこれほどまでに重厚な警戒態勢をしいているのだろうか?

アメリカ国内でも、未だに多くの人々がOccupy Wall Streetを取るに足らない運動と見ている。しかし、これらの政府や警察の過剰反応こそがこの運動のポテンシャルを何よりも示唆しているように思う。

以前 『日本への警告』 で紹介した『ショック・ドクトリン』の著者、ナオミ・クライン(Naomi Klein)は、ガンジーが示した非暴力民衆運動が成功する道筋を引き合いに出して、この運動の行方を占っている。

ガンジーは言った。


“First they ignore you, then they laugh at you,

then they fight you, then you win.”


「権力者たちは最初は無視し、次に嘲笑い、最後には闘いを挑んでくる。
そうなったらもう勝利はこちらのものだ。」

Occupy Wall Streetが正しい方向に進んでいることは言うまでもない。

Occupy Wall Street 人々のメッセージ


         Hear the voices of the 99%!!


2011年11月21日月曜日

Occupy Wall Street 最大の意義

March on Brooklyn Bridge (NY Times)

  様々なメディアで報じられている共通点として、次に、この運動を通して何をしたいのか、その目的がはっきりしないということがメディアで批判されている。


「99% vs. 1%という大きな枠組みはわかる。でもWall Street近くのZuccotti Park(‘Liberty Plaza’)を占拠していったい何になるのだ?」と彼らは問う。


僕自身も最初はわからなかった。しかし、デモに参加し、いろいろ調べていくにつれ、これも的外れな批判であることがわかってきた。

 第一に、Zuccotti Parkの占拠は象徴的なアクションに過ぎない。だからどうだというわけではないのだ。


 Wall Streetの占拠というのも、別にウォール街を金融街として見ているわけではなく、アメリカ社会における権力の象徴と見ているのだ。もちろんウォール街で何かをいじくったところで政治が動かなければ何も変わるわけはない。でも、その政治を動かしているのはウォール街の中枢にある大銀行や証券会社のトップや金融ロビーイスト達だ。そこまで見据えて首都ワシントンではなくあえてウォール街を選んだのだと僕は思っている。


Liberty Plazaテント村の強制退去後、高層ビルの上からその汚さに文句を言う1%

「わかった。だとしても、ウォール街でデモをしていったい何が変わるのだ?」と思うかもしれない。


 しかし、目的がはっきりしないのではなく、目的をはっきりさせていないのだと僕は思っている。目的をはっきりさせてしまえば、それは運動を狭めることになる。しかし、99% vs. 1%という枠組みだけを打ち出すことが、多様な人々をも巻き込むことに繋がっているのだ。そしてこのルースな枠組みこそが、広がるばかりの格差を同じように肌で感じている多くの国々の人々に響いたのだ。
 ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストChris Hedgesは、具体的な要求を出していないのはこの運動の強みであるし、要求リストを作るには時期尚早だと言う。どこまでこの運動が膨らみ、どんな大きな要求を提示できるのか、今は様子をうかがうべきだ、と。


Occupy Wall Streetの最大の意義…。


僕が思うにそれは、Corporate State — 企業による企業のための国家 — が生み出した、政治さえもお金で買われてしまう民主的空白に、民意を反映できる新しいスペースを創ったことにある。


彼らが創ったそのスペースは今、Zuccotti Parkという公園の枠を遥かに超え、多くの都市、国々、インターネット、数え切れないほどの人々の意識の中まで広がりつつある。


そしてそれは社会的なダイアローグと変化のためのパブリックスペースに他ならない。

(続く…)

2011年11月20日日曜日

Occupy Wall Street 百聞は一見にしかず



11月17日、OWS運動開始2か月記念日のNYのデモの様子


日本では、Occupy Wall Street運動 (OWS) はどのように報道されているのだろうか。日本のGoogle Newsを自分のコンピューターのホームページに設定しているが、それを見る限りではたいして取り上げられていないように感じる。それが自分の勘違いなら喜んで自分の非を認めたいところだが、とりあえずは、「日本よ、世界の波に乗り遅れるな」という気持ちでこれを書いている。

アメリカ国内では、OWSに関する情報が明らかに氾濫している。加えて、矛盾する情報が多すぎることが、たくさんの人々を「傍観者」の立場に追いやっているきらいがある。

ただ、それらの情報にも幾つかの共通点がある。それらを足がかりにOWSを考えていきたいと思う。

各メディアに見られる共通点、そこから生まれる疑問

まずは、9月17日に始まったばかりのこの運動が、2カ月も経たないうちに多くの都市、そして国々に飛び火したということ。参加者も多様化してきていて、開始当初は若い白人男性が多かったというのが僕の理解だが、今では実に様々な人種、ジェンダー、年齢層、政見の人々がテレビや新聞に映っている。そして、この運動を通して何をしたいのか、その目的がはっきりとしないこと。また、最近特に目立つのは、政府との衝突が増えていることだ。

今大事なのは、これらの現象に対する「なぜ?」という問いであるように思う。そしてその答えを自分がこの運動に参加し、この目で見たことから探してみたい。


NY市長ブルームバーグの指示によって強制退去させられる前のLiberty Plaza

 OWSがこれといったリーダーもいなく、非常につかみどころのない集団だということは、事前に僕の耳にも入っていた。しかし、ちょうど1ヶ月くらい前の10月中旬、僕が初めてOccupy Wall Street運動の中心地である‘Liberty Plaza’ (正式名はZuccotti Park) を訪れた時にまず驚いたのは、そのつかみどころのなさが可能にする参加者の多様性だった。

その多様性の高さは、格差解消や1%の富裕層に対する増税を訴えている人たちが「普通」に見える程で、例えばアメリカ先住民たちの「ウォールストリートの非植民地化」(“Decolonize Wall Street”) を訴えるグループ、イラクとアフガニスタンからの軍隊の撤退を求める退役軍人のグループ、





子どもにフォーカスを当てた「公教育支援」(“Support Public Education”) や 「イノセンスのための占領」 (“Occupy for Innocence”) を訴えるグループ、





遺伝子組み換え食品に反対する 「反GMO (Genetically Modified Organisms) シェフ同盟」(“Chefs against GMO’s”)、





それにホームレスや60年代からタイムスリップしてきたヒッピー達…。歩きながら思わず笑ってしまう程めちゃくちゃな集団だった。

だからといって、これをOWSのマイナス要素と思ったら大間違いだ。なぜこんなに短期間に多くの都市、国々、そして人々に飛び火したのか、という疑問の一つの答えがここにある。この運動を一番最初からカバーしてきた数少ないインディペンデントニュース番組、Democracy NowのキャスターであるAmy Goodmanは、このつかみどころのなさ、ルーズな組織の在り方こそがOWSの強みであり、世界中の様々な運動を繋げているのだと主張する。その通りだと思う。

もう一つ注目すべきは、このように異なるだけでなく時には対立する主張を唱えるグループが共存しているにもかかわらず、コミュニティーとしての様々な決定が日々行われる全体集会における合意形成を通してなされていることだ。そんなことが可能なのかと疑ってしまいたくなるが、彼らは最初からそうしてきたし、その困難な意志決定プロセスに耐える気持ちのある者たちが新たに加わってくるのだ。それぞれのグループが思い思いの主張をするだけではなく、そこには「コミュニティー」としての確かな前提がある。

ある意味、このやり方は必然だったのかもしれない。OWSに参加する者のほとんどは、自分たちの声が政治に反映されない今日のアメリカの「民主主義」の在り方に不満を抱いている人々だ。OWSに批判的な人たち、特に政治家たちは、何故彼らは政治の場で、個人の投票権を活かして自分の立場を主張しないのか、と的外れなことを言う。彼らがストリートを活動の場に選んだのは、政治の場ではもはやそれが不可能になっているからだ。


2010年、米国連邦最高裁は、Citizens United v. Federal Election Commissionという裁判で、企業は個人であり、お金はスピーチと同じと見なされるという判決を出し、以降アメリカでは企業は際限なく政治家に献金できることになってしまった。(より詳しくはこちらの記事を参照。)同時に、現在「自由の国」アメリカでは、貧しい人にとっては投票することさえ難しくなっている。2008年の大統領選でオバマが以前は選挙日に投票さえしていなかった貧困層、マイノリティー、そして学生たちから指示を得たことが最大の勝因と分析されたことを受け、共和党が複数の州で「不正投票防止」の目的で、投票手続きをより複雑でお金のかかるものにしているのだ。中には、申請にお金や時間がかかる州独自の新たな身分証明書の提示を投票所で求めたり、仕事のため時間的に制限があり投票が困難な人々のために設けられていた簡易投票所を廃止したりと、あの手この手で投票するためのハードルが上げられている。(詳しくはこちらのビデオで。)


こんな状況の中、Occupy Wall Street 運動は、多くの人にとって自分の主張や不満を表現できる唯一の場所であり、彼らにとっての民主主義の形そのものなのだ。



(続く…)

2011年11月18日金曜日

Occupy Wall Street、2カ月目にしてNYで3万人規模のデモ



なんというタイミングでニューヨークにいるのかと、つくづく思う。


2008年、留学のため再渡米したのは、オバマが大統領選に勝利した年だった。アメリカ史上初の黒人大統領の誕生という快挙に、アメリカ黒人文化の中心の一つであるハーレムのストリートで涙した。(その後のオバマの政治には僕も大いに落胆しているし、Occupy Wall St.運動は様々な意味でオバマ政権に対する鬱憤の表れだと思うが、2008年の感動を僕が忘れることはないだろう。)


 そして、今、ここNYを中心に、また新たな歴史のページがめくられようとしている瞬間に僕は立ち合っている。NYには多くの日本人がいるが、こんな時に家にいるのは勿体ないなどという一言では片づけられない。




誰かがNYのVerizon高層ビルにOWS側のメッセージを大きなプロジェクターで映しだしている。Verizonは今年組合潰しで民衆の反感を買った企業。その企業がOWSを宣伝してるかのように見せるとてもユニークなアイディア。 


Occupy Wall Streetは、今日を境に新たなフェーズに入ったように感じる。


今日、2011年11月17日はOccupy Wall Street運動が始まってからちょうど2カ月。かねてから、この記念日をNational Day of Action(国民運動の日)と称してアクションを取ろうと活動家らが呼びかけていた。


それに呼応した民衆らは、アメリカ全土(少なくとも30都市)でデモを展開し、ここニューヨークだけでもブルックリン橋を32,500人(NY市警推定)がデモ行進したというのだから、全体では5万人を超えたのではないだろうか。


 
「勉強」をほっぽって僕が駆け付けたのは、Foley Square。NY市役所の目と鼻の先にある広場だ。5時集合の予定だったが、1時間も前についてしまった。


まず驚いたのはおびただしいほどの警官とパトカー、そして上空に旋回する5機のヘリコプター。何よりもこの重厚な警戒態勢こそが政府側の危機感を物語っている。「何かやってるな」くらいにしか思っていない人々は、あの模様を見たらきっと間違いに気付くのではないだろうか。


政府側の危機感は同時に、この運動のポテンシャルを意味している。




 Foley Squareに集まった群衆は次第にその数を増し、時の経過と共に四方八方からデモ隊が合流してきた。学生も多い。5時半頃になって、授業をボイコットしたCity University of New York (CUNY)の学生2000人が加わった。高騰する授業料と膨らむ一方の学生ローンは学生にとっても深刻な問題だ。





この運動に賛同を表明してきた神父などの宗教指導者達。仏教僧もいた。
 
6時の時点では1万人に膨れ上がっていた。

歴史は受け入れるものではなく、自らが創るもの。

「世界」は自らが名付けるもの (“To name to the world”)
というパウロ・フレイレの言葉が 今ほど心に響く時はない。


2011年11月16日水曜日

NY市警による強制撤去から一夜明け…

NY市警による強制撤去から一夜明け、1000人を遥かに上回るプロテスター達が “Liberty Plaza” (Zuccotti Park) に集まった。

予想通り、NY市長ブルームバーグによる強制撤去は、Occupy Wall Street (OWS) 運動を鎮静化させるどころか勢いづかせてしまったようだ。

以下の写真はOWSのオフィシャルFacebook pageから。




写真には次の言葉が添えられてあった。

“You cannot evict an idea whose time has come.”


「時代に求められた思想を撤去することはできない。」


"Liberty Plaza" 強制撤去、そして…

11月15日(火)午前1時、携帯に一通のテキストメッセージが届いた。





Occupy Wall Streetの本拠地、 “Liberty Plaza”の強制撤去が始まったのだ。


メッセージは、いつかは起こるであろうこの事態に備え、予め登録しておいた人に届くアラートメッセージだった。(*Text "@occupyalert" to 23559 to receive alerts in the event of imminent emergency.)


午前1時、「安全と衛生面での問題」 を理由に、NY市長ブルームバーグから指示を受けた数百人の警官が強制撤去を開始。立ち退きを拒否した70人以上のプロテスターが逮捕された。





しかし、その間、プロテスター達から連絡を受けた弁護士グループが夜を徹して書類を作成、午前5時過ぎにはNY市裁判所の裁判官に会い、NY市警の強制撤去を違法とする一時的な禁止令を勝ち取るという素早い対応を見せた。メディア、法律、その他様々な手段とリソースを巧みに駆使するOWSの凄味がここにある。そして、午後にはプロテスターたちは再びLiberty Plazaに戻ることを許され(ただ、テント等の持ち込みは認められていない)、午後7時には大規模な全体集会(General Assembly)が興奮に包まれた中、行われた。

LA Times


明日、木曜日は9月17日に始まったOccupy Wall Street運動の2カ月記念日であり、National Day of Actionとしてアメリカ全土での大規模なデモが企画されている。(詳しくはこちら)


先月末、カリフォルニア州オークランドで、非暴力的なデモを行っていた一人のイラク帰還兵が警官隊の弾圧で頭部に重傷を負ったことが逆にデモ隊を勢いづけたことを考えると、今回のブルームバーグ市長の対応は賢い判断とは言い難いだろう。

2011年11月15日火曜日

Occupy Wall St 強制撤去のライブ映像!!

NY時間11月15日(火) 3:05分現在のライブ映像

Watch live streaming video from occupynyc at livestream.com

オバマ大統領の前でプロテストした、あるミュージシャンの話



Hawaiian musician and guitarist Makana performed a song inspired by the Occupy Wall Street movement, "We are the Many" at the APEC world’s leaders’ dinner, where he was invited to play the background instrumental music. Afterwards, Makana said,



“I found it odd that I was afraid to do it at first.
I found that disturbing, and that’s kind of why I did it.
I didn’t like the idea of being afraid to sing the song I created…
If that’s what we’ve come to in the world, where we are afraid
to say certain things in the company of certain people,
I think that’s a dangerous place to be,
and so, for me to move out of that space,
I had to sing the song. And that’s what I did.”


APECの世界首脳晩餐会に招待されたハワイの人気ミュージシャンのMakanaは、予定されていたBGMの代わりに、Occupy Wall St運動に触発されて創った “We are the Many”という曲を歌ったというニュース。その後のインタビューで彼はこう言っている。



「最初あの曲を歌うのが怖かったのが妙に思えて。
というか、そのこと自体に不安を感じたからやったようなもんだ。
自分で創った曲を歌うのが怖いなんておかしいだろ?
ある人々の前では言いたいことも言えないような場所に
この世界がなってしまっているんだったら、それは恐ろしい所だよ。
だから、そんな場所から自分が抜け出すために、
僕はあの曲を歌わなくてはならなかったんだ。
そしてその通りにしただけさ。」

2011年11月12日土曜日

A reflection on Occupy Wall Street

(This is a reflection piece on OWS that I am sharing with other members of the Maxine Greene Salon. I hope to write a Japanese version soon.)

Liberty Plaza ‘commune’
              Yesterday, I went to Zuccotti Park, which came to be known as 'Liberty Plaza,' with other members of Maxine Greene Salon. Let me share with you my reflection on it. First of all, I was amazed to see and feel how the “occupation” has developed in terms of its size and energy despite the recent snow in NYC. There were a lot of people, over 500 I would say—a much larger crowd than the last time I was there 3 weeks ago.





There were definitely more tents, vendors, tour buses, and cops.

Zuccotti Park is now a hot spot for tour buses


And, to our surprise, at the center of it all was Crosby (Stills) and Nash singing and showing solidarity with Occupy Wall Street (OWS). Watch this video clip.




              The entire system was much more developed as well. It has indeed grown into a “commune” to quote one member of the Salon. There was an information desk, “people’s kitchen,” “people’s library,” community affairs, compost electricity generation spot, and even a “think tank.”   

People's Kitchen and the weekly kitchen schedule



It was clearly becoming more and more organized and sophisticated. There was a daily schedule board that listed detailed activities by the hour as well as a weekly schedule board which showed how different people were contributing different talents. In addition to the daily General Assembly, there was a media strategizing group, internet group, arts and culture group, outreach committee, public safety, kitchen crew, “know your rights” legal training workshop, and even daily meditations.


Community in the making
              In contrast to OWS’s lack of focus due to its loose organization often criticized by mass media, what stood out for me was rather an incredibly inclusive community made possible by the very looseness. The diversity of participants, or residents, was enormous. 



Besides the ‘normal’ participants calling for economic equity for the ‘99%,’ there were various special interest groups: “Decolonize Wall Street” group by Native Americans, veterans against war calling for a withdrawal of troops from Iraq and Afghanistan, more child-focused “Support Public Education” and “Occupy for Innocence,”



“Chefs against GMO’s” criticizing the danger and greed of the food industry producing genetically modified organisms,



as well as plain hippies and homeless people who have found a place for themselves. Amy Goodman, the main host of an independent news broadcast Democracy Now, thinks that this loose organization is the strength of OWS as “it’s uniting many different movements” because “there is a place for everyone.” (Video) I agree. Despite the coexistence of groups that are not only different but even in conflict with each other, communal decisions have been made on a daily basis through a consensus-building at the General Assembly. These are the people who are willing to live this extremely difficult and time-consuming process.



Countering the ‘faceless enemy’
Mass media’s another common criticism toward OWS is its lack of leaders, but Amy Goodman thinks the opposite here as well. Rather than its weakness, she thinks it is the very uniqueness and strength of this movement: “[the people] are empowered to feel that they are their own leaders.” Apparently, there have been undercover cops in Zuccotti Park, but the problem is that they cannot find one leader who is responsible for the deed. This reminded me of Mary McCarthy’s critique of bureaucracy: "Bureaucracy, the rule of no one, has become the modern form of despotism." Only this time, ‘the people’ are countering the ‘faceless enemy’ with the very strategy that has long tortured them.




People in dialogues
Another thing that stood out for me was how people were engaged in dialogues almost everywhere in the park.



It reminded me of something my mentor once told me. When I was a junior high school teacher in Japan, one of my routines was to observe the practice of my mentor’s kendo team (kendo is a Japanese martial art that uses bamboo swords). “Notice how many conversations are beginning to take place,” he pointed out to me one day. As I watched more carefully how the students were engaging in one-on-one duals, I began to see a number of pairs converging for questions and advice after each move. Watching them with a smile, he said, “These students are finally starting to think, and change.” What I saw in Zuccotti Park was exactly that—people engaging in serious dialogues to think what they can do to improve, to change.


Messiness of the “world”
Of course, when people with conflicting perspectives coexist, there are many disagreements and moments of discomfort and it’s not all that pretty. But it doesn’t have to be, for such messiness is an undeniable part of the unfinished world we live in. Hannah Arendt was well aware of this when she conceptualized the world to be inherited by children as something messy, containing not only the good and the beautiful but also the bad and the ugly, hardly perfected in harmony but still moving in all kinds of directions. Still, visiting Zuccotti Park, I could not deny the sensation that disparate forces were beginning to converge to shift the society in a major way.



Creation of a space
It would be a mistake, though, to assume that everyone in the Liberty Square was a ‘wide-awake participant.’ There were many ‘visitors’ wandering around, just like me, to see if there was a space for them as well. With eyes so curious and agitated, many seemed to be looking for a ‘participant’ with whom they could hold a conversation. Perhaps, any slight gesture from the other would spark a conversation. These were people on the verge of taking risks. Mass media have criticized OWS’s lack of concrete political agendas, but I think they are missing the point. I think that a true meaning of Occupy Wall Street movements lies in the creation of space for air and reflection in the vacuum created by the Corporate Sate. Asked where he thinks this is going, David Crosby said “This movement is so much larger than the Park. The Park is just a spark.” I agree that the space the participants have created go well beyond the limits of the Park. They now exist in various large cities, other countries, vast virtual space on the internet, and numerous individuals’ consciousnesses. And these are public spaces for dialogue and change.


              Feeling pleasantly agitated, I returned to the Liberty Square next day, but this time as a teacher, to show my two-year-old daughter what our ‘world’ looks like.

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2011年10月28日金曜日

その日暮らしでは新しい日本はうまれない




先日、こんな記事を見つけた。



“Tens of thousands protest Spain education cuts”


財政危機による教育予算削減は、今、世界に広まっている。


今年7月下旬にワシントンDCで行われたデモの様子。僕も中学一年生の甥っ子を連れて参加した。




もちろん日本も例外ではない。



 このようなニュースを読むたびに、脳裏をよぎる話がある。以前にも紹介した、長岡藩に伝わる『米百俵』の話だ。(以下、『人が育つ社会の在り方 ③』から抜粋。)


 長岡市のホームページには、『米百俵の精神』が次のように書かれている。


「明治初め、戊辰戦争に敗れ困窮を極める長岡藩に、支藩の三根山藩(新潟市巻)から見舞いの百俵の米が送られました。大参事・小林虎三郎は、「食えないからこそ教育を」とその米を売り、学校建設の資金に充てたてたことに由来。」

 この話は山本有三の戯曲『米百俵』で広く世に知られるようになったそうだ。その中でこんなシーンがある。米百俵が送られ、飢えていた藩士たちはたいそう喜んだ。しかし、そのお米を皆で分けるのではなく、国漢学校の資金にしようと言われ、藩士たちは虎三郎に刀を抜いて詰め寄った。それに対し、佐久間象山の門下生であり、当時は藩の大参事を務めていた虎三郎は、こう言う。




この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。
国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、
衰えるのも、ことごとく人にある。

…

この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、
今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵に
なるか、はかりしれないものがある。
いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。

 

 こうして建設された国漢学校には、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもさえも入学を許可されたそうだ。そして後年、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥など、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。


 詰め寄った藩士たちに虎三郎は最後にこう言ったという。


その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。
あたらしい日本はうまれないぞ。

こうした苦しい時にこそ子どもたちに伝えられるメッセージがある。


学ぶことがどれだけ大切か。

彼らの将来にどれだけ期待しているか。

どれだけ彼らのことを愛しているか。


            2011年、我々は小林虎三郎の言葉をどう生きるか。