March on Brooklyn Bridge (NY Times)
「99% vs. 1%という大きな枠組みはわかる。でもWall Street近くのZuccotti Park(‘Liberty Plaza’)を占拠していったい何になるのだ?」と彼らは問う。
僕自身も最初はわからなかった。しかし、デモに参加し、いろいろ調べていくにつれ、これも的外れな批判であることがわかってきた。
第一に、Zuccotti Parkの占拠は象徴的なアクションに過ぎない。だからどうだというわけではないのだ。
Wall Streetの占拠というのも、別にウォール街を金融街として見ているわけではなく、アメリカ社会における権力の象徴と見ているのだ。もちろんウォール街で何かをいじくったところで政治が動かなければ何も変わるわけはない。でも、その政治を動かしているのはウォール街の中枢にある大銀行や証券会社のトップや金融ロビーイスト達だ。そこまで見据えて首都ワシントンではなくあえてウォール街を選んだのだと僕は思っている。
Wall Streetの占拠というのも、別にウォール街を金融街として見ているわけではなく、アメリカ社会における権力の象徴と見ているのだ。もちろんウォール街で何かをいじくったところで政治が動かなければ何も変わるわけはない。でも、その政治を動かしているのはウォール街の中枢にある大銀行や証券会社のトップや金融ロビーイスト達だ。そこまで見据えて首都ワシントンではなくあえてウォール街を選んだのだと僕は思っている。
Liberty Plazaテント村の強制退去後、高層ビルの上からその汚さに文句を言う1%
「わかった。だとしても、ウォール街でデモをしていったい何が変わるのだ?」と思うかもしれない。
しかし、目的がはっきりしないのではなく、目的をはっきりさせていないのだと僕は思っている。目的をはっきりさせてしまえば、それは運動を狭めることになる。しかし、99% vs. 1%という枠組みだけを打ち出すことが、多様な人々をも巻き込むことに繋がっているのだ。そしてこのルースな枠組みこそが、広がるばかりの格差を同じように肌で感じている多くの国々の人々に響いたのだ。
しかし、目的がはっきりしないのではなく、目的をはっきりさせていないのだと僕は思っている。目的をはっきりさせてしまえば、それは運動を狭めることになる。しかし、99% vs. 1%という枠組みだけを打ち出すことが、多様な人々をも巻き込むことに繋がっているのだ。そしてこのルースな枠組みこそが、広がるばかりの格差を同じように肌で感じている多くの国々の人々に響いたのだ。
ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストChris Hedgesは、具体的な要求を出していないのはこの運動の強みであるし、要求リストを作るには時期尚早だと言う。どこまでこの運動が膨らみ、どんな大きな要求を提示できるのか、今は様子をうかがうべきだ、と。
Occupy Wall Streetの最大の意義…。
僕が思うにそれは、Corporate State — 企業による企業のための国家 — が生み出した、政治さえもお金で買われてしまう民主的空白に、民意を反映できる新しいスペースを創ったことにある。
彼らが創ったそのスペースは今、Zuccotti Parkという公園の枠を遥かに超え、多くの都市、国々、インターネット、数え切れないほどの人々の意識の中まで広がりつつある。
そしてそれは社会的なダイアローグと変化のためのパブリックスペースに他ならない。
僕が思うにそれは、Corporate State — 企業による企業のための国家 — が生み出した、政治さえもお金で買われてしまう民主的空白に、民意を反映できる新しいスペースを創ったことにある。
彼らが創ったそのスペースは今、Zuccotti Parkという公園の枠を遥かに超え、多くの都市、国々、インターネット、数え切れないほどの人々の意識の中まで広がりつつある。
そしてそれは社会的なダイアローグと変化のためのパブリックスペースに他ならない。
(続く…)
お久しぶりです。Occupy movementの記事ありがとうございます。おかげで理解が深まりました。UCデイビスやバークレーでのペッパースプレーが話題になってますね。横暴なやり方云々はおいといて、管理する側がそこまで危機感を感じているのだとすれば、確かにこれから歴史的な何かが生まれてくるのかも知れないですね。裁判までもお金でかえるアメリカ。でもその資本の恩恵を受けている私達。最適なバランスを見つけて、社会が良い方向に進んで欲しいと願うばかりです。
返信削除mmさん、 コメントありがとうございます。ご覧の通り、mmさんのコメントが次の投稿に繋がりました。これからもよろしくお願いします!
返信削除大裕