中央本線藤野駅から見えるラブレター
現在、朝7:57。中央本線高尾行きにて山梨県の大月駅を出発したところだ。たまたまリュックに入っていたノートパソコンを取りだしてこれを書いている。
日本に帰ってきてるの?と驚く人も多いかもしれない。そう、昨夜NYから帰ってきた。 それにしても、帰国の翌朝に山梨にいるのにはわけがある。
昨日、成田に着いたのは午後1時過ぎ。空港で携帯をレンタルし、それから成田エキスプレスに飛び乗った。車内では家族全員で爆睡してしまった。
新宿に着き、中央特快に乗った。目指すは武蔵境、妻の実家だ。いかにも海外から帰って来ました、というように周りには見えたのではないだろうか。4人家族の物が一式詰まった大きなスーツケース一つ、僕の背中にはコンピューターなどの貴重品が入ったパンパンのリュック、胸にはスリングに入って爆睡している美風、琴栄が押すベビーカーには2歳になったばかりの愛音が靴もはかずにガン寝していた。
運良く、乗った車両に優先席があり、座ることができた。重そうなリュックを気遣い、琴栄が、「リュック上に乗せたら?」と言ってくれた。やっと肩の荷も下りて、僕らは一息つくことができたのだ。あとは三鷹駅で各駅停車に乗り換えるだけ。もう少しだ。
乗り継ぎも順調で、三鷹駅に着いた時には既に向かいのホームで各駅が僕たちを待っていてくれた。さあ降りよう、と僕はスーツケースを持ち、琴栄はベビーカーを押して中央特快を後にした。
ただ一つ、網棚のリュックを残して…。
気付いたのは妻の実家について、風呂にも入り食事をしていた時だった。目が乾いた妻が、僕のリュックに入った眼鏡を探したのだ。
「えー、無いわけないだろ。」
「 … 」
「あっ、電車!!」
僕ら二人の顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。
「お金!」
「銀行の通帳!!」
「パソコン!!!」
「パスポート!!!!」
「…、いや、パスポートは俺が持ってる。」
「どうしよう。」
「まずは電話だ。」
「…どこに電話すればいい?」
「JRの落し物センターだ。あ、東日本!JR東日本の落し物センター!!」
パニックだった。
落し物センターの係員と話すこと約5分。気持ちが動揺してリュックの色を説明するのさえままならない。
と、その時、空港でレンタルしたばかりの携帯が鳴った。
この番号はまだ実家の母しか知らない。
スクリーンに映し出される見慣れぬ番号…。
もしかしたら!
すぐに琴栄に渡し、そっちの電話に出てもらった。
「はい。え?はい、鈴木です。あ、そうですか。ありがとうございますっ!!」
リュックが大月駅にあるという電話だったのだ。
もし、あのリュックの中に借りた携帯の契約書が入っていななったら…、そう思うとぞっとする。
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電話を下さった駅員さんが、朝の9時まで大月駅にいらっしゃるという話だったので、直接お礼を言うために6:01武蔵境発の電車で大月に向かった。行きの電車、僕の心は晴れ渡っていた。
高尾を過ぎると、中央本線の景色は一変する。
ちょうど日が昇り始め、山間の町には朝霧がたちこめていた。幻想的だった。
相模湖を過ぎ、藤野という駅に着くと、ホームから見える山肌に大きなラブレターが描かれていた。いったい誰への手紙なのだろう。
八王子から自分と一緒に中央本線に乗り換えた一人の青年がいた。
ドアを挟み、僕の反対側に座ったその青年は、ギターケースを持っていた。そして、窓の外の山々を見ながら缶ビールを飲んでいた。穏やかな表情で朝7時にビールをすするその青年は、どこか好感が持てた。これからどこへ行くのだろう。大晦日の今日だから、実家にでも帰るのだろうか。ビールを飲み終わった彼は、しばらくすると寒さを避けてボックス席に移っていった。しかし、すぐに思いだしたかのように、イスの下に置いた空き缶を取りに戻って来た。公共心の低いニューヨークでは考えられないことだ。みな、そこら中にゴミを捨て、通りも電車の中もゴミだらけだ。他の人のことを気遣うその青年のおかげで、僕の心はまた少し暖かくなった。
電車に乗ること約1時間半、大月駅に着いたのは7:19だった。
大きな駅かと思ったら、何の変哲もない、いたって小さな駅だった。
心の底で別に改札を出なければお金を払うこともない、というせこい気持ちもあったが、恩がある人たちにそんなことをしてはいけないと思い、精算機に向かった。
精算をしていると、精算券が出た後に急に機械が止まった。お釣り切れらしい。20円だったし、そのために駅の方の手を煩わしたくなかったので、僕は走ってきた駅員さんに、お釣りは結構ですと告げて改札を出た。
どこかお土産を買える店はないかと探したが、そんな朝早くからやっている店があるわけがない。仕方なく、駅近くのコンビニに入り、リポビタンD1ケース、肉まん10個、あったかい缶コーヒー5本と缶コーンスープを5本買って駅に戻った。
窓口に行くと、先ほどの駅員さんが僕に気付き、小さなジップロックに入った20円を渡してくれた。戻るか戻らないかもわからない客のためにわざわざお釣りを取っておいてくれるなんて…。心がまた暖かくなったのを感じた。貴重品がたくさん入った僕のリュックをちゃんと取っておいてくれたのもわかる気がした。
リュックのことを告げると、電話で話した方が出て来て下さった。お礼を言い、買ってきたものをお渡しすると、恐縮して受け取って下さった。
帰りの電車、僕の心はポカポカしていた。NYでの苦い経験があったから尚更だった。2008年、大学院留学のために家族で渡米した時、航空会社の手違いでスーツケース2つが届かず、4日後に届いた時には、中の貴重品が全て抜き取られていたのだ。
もし、あのリュックを忘れたのがNYの地下鉄の中だったら、発見された10分後にはストリートで全てさばかれていただろう。
僕は、日本がますます好きになった。そして新年を前に、将来日本に恩返しをすることを強く誓ったのだった。