2009年10月29日木曜日

儚さに宿る永遠

 

 現在午前10時。日本は午後11時だ。このメッセージが寝る前のあなたに届きますように。


以前も紹介した、オーストラリアのアボリジニー、<真実の人>族を描いた『ミュータントメッセージ』にこんな一節がある。


<ゲームが終わると、ひとりの男が私に質問した。宇宙から与えられた才能を知らないまま一生を送る人がいるというのは本当なのか?

 私の患者のなかに人とひき比べて自分は不幸だと感じて落ち込んでいる人がいることを認めないわけにはいかなかった。そう、自分には才能がないと思っているミュータント[アボリジニー以外の人間のこと]はおおぜいいる。死ぬ時まで人生の目的を考えない人が多い、と私は答えた。質問した男は首を横にふりながら目に大粒の涙を浮かべた。そんなことはとても信じられないという表情だった。

 「私の歌でひとりの人間が幸せになれば、それはとてもいい仕事だということがミュータントにはなぜわからないんだろう?ひとりの役に立てれば、それはいい仕事だよ。一度にひとりの役にしかたてないんだからね。」>

マルロ・モーガン 『ミュータント・メッセージ』 p.150




 昨日、統計学の中間試験を終えて、次の授業の前にリフレッシュしようとブログを開けた。そしたらコメントの欄に、MKさんとベルボワイユさんという、まだ会ったことのない仲間からの優しく力強い言葉があった。そんな彼女たちの言葉は、僕のメッセージがちゃんと伝わってるということを教えてくれた。

 心が温かくなり、言葉では伝えきれない勇気をもらった。教員をしていた時もいつもそうだった。『最初に…』でも書いたが、話を一生懸命聴いてくれる生徒の存在があったからこそ自分は頑張れた。今、たとえ一人でも自分の言葉を待ってくれている人がいるのなら、その人を失望させてはならない。あなたに向けて自分の精一杯を届けようと思う。


 学生をしながら、いつも心がけることがある。

試験を成績のための試験と思わない。今挑んでいる試験に、あたかも自分が背負っているもの全てが懸っているかのように臨むこと。

宿題を宿題と思わない。あたかも今書いている論文が、世界にとって最も大事な問題であるかのように取り組むこと。

そして、あたかも今日が自分の最期であるかのように生きること。


 以前、大阪市立松虫中学校の陸上競技部顧問として、個人・総合含め7年間で13回、日本一にチームを導いた原田隆史先生が、「ただの部活と思うな、人生と思え!」と繰り返し生徒におっしゃっていたという話を聞き、とても共感したのを覚えている。



 『人生の先生』でも書いたが、僕も、二人の先生から同じことを教わってきた。Mr. Walkerからは、文章は書く人の人生を表すということを学んだ。次の言葉に最善を尽くす。そしてその連続によって自分の人生を綴るのだ、と。

 言葉こそ違うが、小関先生から学んだのも同じことだ。「勝って反省、負けて感謝。」人の想いを背負って生きる侍の心と人生に学ぶ姿勢、一瞬に生きる者の儚さゆえの美しさ、そして儚さに宿る永遠…。

 そんな先生たちのおかげで、自分なりに今まで一生懸命歩んでくることができたと思っている。だからこそ、昔書いた詩やエッセイ、宿題の論文を読みなおしても、決して恥ずかしいとは思わない。まだ考えが浅かったな、少し傲慢だったなと思う。でも、それが当時の自分の精一杯であり、その先に今の自分がいるのだと知っているから。




 僕には毎日行う儀式がある。特定の宗教を信じているわけではないが、午前、午後、11:11になると祈りを捧げるのだ。


「今日も自分が強くいられますように。自分の力の全てを発揮できますように。」


 明日の正午に締め切りの論文が一つある。これから今の自分を精一杯綴ろうと思う。

 
大裕             

1 件のコメント:

  1. 遊ぶことも、勉強することも、
    日々の生活の全てで真剣に向き合っていること、
    心から発せられる言葉だからこそ強く響くんだね。

    平均的な人生の時間の折り返しを幾分かすぎて、
    日々の生活で余力を持ちながら過ごすようになってきた。
    20代の頃は常に全力で走って、
    休養もまとめてどど~んとアクティブに。
    それから一転、
    毎日余力をもって小さな歩みとなってから、
    見える風景がより広がった。
    当然多くのことは獲得できないし、
    端から見ると向上心がなくなったってことかもしれないけれど、歩きながら休憩するペースが、
    今の自分に合ってる感じ。
    これも一人だからできることなのかも。

    作家のエンデ氏が、
    20年程前来日した時に言っていたことで、
    「私は、年をとればとるほど、
     失敗とは成功とは何かと考えるようになった。
     自分で決めてやったことが、
     5年後正しかったことが明らかになったり、
     また数年後にはそれが間違っているとわかったり、
     またその5年後に正しいとわかったりする。
      ~略~
     だからしょっちゅう間違っているとか、
     正しいなんて判断しても仕方がない。
     間違っているように見えても、
     別に時限で正しいこともある。…略~
     人生には数々の矛盾があって、
     それほどたやすくかたづけられない。~略」

    自分が正しいと思っているころも、
    他の人にはそう見えないこともあるよね。
    あるいはその時、間違った答えを選んでしまっても、
    実は経過の中で正しかったと言えること・時もでてくる。
    だから答えを出すことに満足してしまうのではなく、
    自分が考えることが大事なんだろうね。 

    「勝って反省、負けて感謝。」って言葉、
    アスリート達の裏方をしていたとき、
    いろんな種目の監督さんも、
    同じ言葉を言ってたな~と、
    懐かしく思い出しました。
    それでも西洋生まれのスポーツでは、
    勝つと大きくガッツポーズでうれしさ表現するけれど、
    ”道”の競技では、勝っても相手への敬意のためしない。
    でも最近は、”道”もスポーツとして扱うようになって、
    少しづつ変わってきてるようにも感じてます。

    また長くなってしまいました…。

    AKI

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