前回書いた「勝って己の愚かさを知る」をもう少し深めてみたいと思う。
もしかしたら、読者の中に、「勝ったのはその生徒であって小関先生ではないだろ」と疑問をもった人もいるかもしれない。確かにその通りで、小関先生自身も、 「その通りだ」 と即答するだろう。
でも、小中高レベルのスポーツにおいて、勝負の命運は指導者一人の力によって大きく左右されることも確かだ。それは、試合における決定的瞬間の采配ということだけではなく、選手たちがどのような練習をするか、どのような生活を送るか、どのように力を伸ばすかなど、全てにおいてだ。だから、それなりの指導者が指揮を取るチームは常勝チームとなるが、良い選手が揃っているチームが必ず勝つとは限らない。弱小と呼ばれていたチームが、新しい指導者によって急に強くなることがあるのと同時に、常勝とされたチームが指導者の交代によって音を立てて崩れることも少なくない。
おそらく、子どもの成長という視点で語るならば、これはスポーツに限らず全ての分野に通じることだろう。子どもがどれだけ伸びるかは、指導者の器によって大きく左右される。
もし小関先生に、「今回勝ったのは誰か?」と質問したら、「その生徒だ」と答えるだけではなく、こう付け加えるだろう。
「ただ、今まで負けてきたのは自分のせいだ。」
今回日本で話を聴いた時、小関先生は勝たせてあげられなかったかつての教え子たちを振り返り、「あの子が日本一になれるのだったら…」、と本気で嘆いていた。何故今までこれが分からなかったのだろう、日本一はここにあったのか、と反省する彼の姿が印象的だった。
今回の日本帰国で、僕は自分の目で日本一に輝いたその生徒の成長を見てみたいと思っていた。まだ一年生だった時に自分が英語を教えさせてもらった子だ。すると、その意向を聞いて小関先生が翌日彼女と会える機会を作ってくれた。その場で彼女に電話をして、翌朝には彼女の父親が、後輩の試合の応援をしに行く彼女を乗せて、僕を拾いに来て下さった。
会場に行く車の中でも彼女にたくさん質問をして、様々なことを話したが、会場に着いた時、ある質問をぶつけてみた。
小関先生は、「あいつに勝てるんだったら…」と言っていたけど、どう思う?
かなりきわどい質問だと思ったのだが、驚いたことに彼女は、「小関先生によく言われますよ」と、自然な笑みを見せるのだった。
続けて質問をした。
「それはすごい褒め言葉なの分かる?」
すると、彼女は答えた。
「なんとなくだけど、分かる気がする…。」
ああ、大人だな。僕はうなりたくなった。
飲みながら小関先生が繰り返し言っていた言葉を思い出した。
教育ってすごいよ
子どもの可能性は限界を知らず、それを伸ばすのが教育の力であり、教育者に任された使命なのだ。
「可能性無限」というモットーでチームを引っ張ってきた小関先生だが、今回の大会で身に染みて感じたのは、きっとこの言葉の意味なのだろう。
「あいつに勝てるんだったら…」とおどける小関先生は、子どもの成長を心から喜ぶ父親の目をしている。
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