小関先生の剣道部。保護者の方々も非常に熱心で、
先生と一緒になって子どもたちの心の教育に携わっている。
約2週間の日本滞在を終え、今朝ニューヨークに帰ってきた。
おかげさまで家族全員、体調を崩すこともなく、日本の正月を堪能することができた。2歳になったばかりの愛音は日本で日本語が開花した。NYでは日本語が通じないことが多いので、いきなり周りのみんなが自分の言語を話す環境に行って、言葉でコミュニケーションを取れることが嬉しくて仕方なかったようだ。3か月になったばかりの美風は、妻の栄養がよっぽど良かったのか、この旅行中に体が一回り大きくなった。
今回の一時帰国、日本一になった小関(こせき)先生の話を直に聴くことをとても楽しみにしていた。
会ったのは手羽矢という馴染みの店だった。鳥インフルエンザが流行り冷えびえとしていた頃も、小関先生と共に鳥刺しを食べに通い続けた店だ。行くと必ず店長自ら挨拶に出て来られ、きっぷのいい名物姉ちゃんがもてなしてくれる。加えて、数年前からバイトに入っているのは、僕が教員になって2年目の代でキャプテンと副キャプテンを務めた野球部の教え子だったりする。
だから、いつもタイムサービスの延長は当たり前、頼んでもいない物が出てきたり、小関先生が全国制覇した折には、店長がどこからか情報を聴きつけて一升瓶の日本酒が振舞われたりもした。何度あの場所で小関先生や彼の数少ない理解者の先生方と共に教育を語り合ったことだろう。半年振りの小関先生との再会は、鳥刺し、手羽先唐揚げ、手羽餃子、「すずきだいゆう」の名前でキープされている(というか更新され続けている)チープな焼酎のお湯割り、小関先生のお話、全てがパーフェクトだった。
小関先生の全国制覇に関しては、以前も『不登校から日本一』で書いた。あれは、大会が終わり、まだ興奮冷めやらぬうちに国際電話で聴いた話を自分なりにまとめたものだ。あれから半年、先生の口から、今何を思うかを直に聴いてみたかった。
その話に話題が移ると、開口一番小関先生が言った。
「俺は勝って己の愚かさを知った。」
鳥肌が立った。
先生の足元にも及ばない自分には、あまりにも重い言葉だった。
T.S.エリオットの言葉が僕の頭をよぎった。
“What we call the beginning is often the end
And to make an end is to make a beginning.
The end is where we start from…
We shall not cease from exploration
And the end of all of our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.”
Little Gidding by T. S. Eliot
「我々が始まりと呼ぶものは大抵終わりであって
終えるという行為は始めるということに他ならない。
終わりとは我々が出発する場所である…
探検を続ける我々は
全ての探検の終わりに
出発した所に辿り着き
その場所を初めて理解するのだ。」
リトル ギディング by T.S.エリオット
(訳責: 鈴木大裕)
「勝って己の愚かさを知る」というのは、今までも「勝って反省、負けて感謝」と言い続けてきた小関先生らしい言葉なのだが、監督として全国の頂点に立った時、彼が学んだのはそれまでの自分の愚かさだったというのだ。これには見事な面を食らった。ちっぽけな自分に気付かされるのと同時に、残ったのは感謝の念だった。自分なんてまだまだだ、と苦笑いに首を振るしかなかった。
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