2010年6月5日土曜日

言葉に意味を与えること




    無駄な言葉が多い。

そう感じたのは先日、数家族で集まって子どもを遊ばせていた時のことだ。僕が何気ないことで愛音に声をかけた。何のことだったかすら思い出せないが、それに対して愛音が反応しなかったのだ。明らかに聞こえてはいた。でも僕の声かけを無視したのだ。



 もしかしたら初めてのことではなかったのかもしれない。ただ周りに人がいたから気になっただけのことかもしれない。これは大変だと、急に気持ちが焦り出した。







 思えば、中学校教員時代にも同じような経験をしたことがある。
教員駆け出しの頃は、自分はとにかく良く喋っていた。意味のない言葉があまりにも多かったため、喋れば喋るほど、まだ足りない、もっと喋らなくてはと感じていた。沈黙による気まずい雰囲気を恐れていたのかもしれない。そんな状態になってしまうと、言葉は軽くなり、生徒に届かなくなってしまう。



叱る時も同じだ。何回も叱っても意味がない。小さなことでずっと叱られている子は、叱られることに慣れ、感覚が麻痺してしまう。



小関先生の教えを思い出す。叱るのは一度。そして大事なのはその次。もし次に同じことをやった時にそれを見逃してしまえば、もう教えは入らないと言っても過言ではない。これは今度書こうと思っているが、 「徹底の度合いが進歩の度合」 というのが小関先生の口癖の一つだ。







 教員になってどれくらい経ってからだろうか、自分にも徐々にそれらのことが分かり始めた。優れた教員は、自分の行為の全てに意味を持たせるのだ。



   どのタイミングで教室に入っていくのか。

   どんな表情をして入っていくのか。

   最初に誰に、そしてどんな声をかけるのか、又はかけないのか。

   どこに立つのか。

   どんなことから授業を始めるのか。

   誰を指名するのか…。



もっと言えば、計算しないことさえ計算されていなくてはならない。「計算」と言うと聞こえは悪いかもしれないが、要は教育的意図があるということだ。



 もちろん、自分が発する全ての言葉にも意味を与えなくてはならない。意味のない時間を過ごすことが無ではなくマイナスであるように、意味のない言葉は次の言葉の意味まで奪ってしまう。



 学校にて自分の言葉に意味を持たせるのは比較的簡単なことなのかもしれない。時間的な制約があるからだ。一クラス34人として、仮に授業中に全員と話そうとしても、一人一分少々の時間しかない。ましてや、自分が担任する学級の授業が無い日などは、そのクラスの子どもたちと話せるのは給食、休み時間、そして学活の時間のみだ。だからこそ、清掃中、廊下ですれ違った時など、ちょっとした機会にどんな言葉を生徒にかけるのかを常に考えていなくてはならない。







 これは幸せなことだが、NYでの生活では、教員時代とは比べものにならないほど多くの時間を二人の娘たちと過ごせている。でも、だからこそ、意味のない言葉も多くなってしまっている気がする。



 自分を通して生まれた大事な子どもたち。せっかくなら彼女たちの最初の先生になりたいと思う。だからこそ、一言ひとことに意味を持たせる、それが今の自分の課題だ。

4 件のコメント:

  1. 大裕さんへ
    「無駄な言葉」。
    前にも同じような話をしていましたね。
    私には良く分からないけれど、どれが無駄な言葉かなんて、言った本人には分からない事だってきっと沢山あると思うのです。先生の話にしても、他の友達が無駄だと思う言葉から私は多くを学んだし、誰かにとっては大切な言葉を、同じくらい沢山聞き逃したと思います。愛音ちゃんや美風ちゃんだって、大裕さんが持たせた意味とは全然違うものを受けとるかもしれない。だから、もっと気楽に色々投げてみても良いと思いますよ:)

    てるみ

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  2. アホてるみ、
     これ、反省している人間に甘い言葉を投げかけるな。

    >先生の話にしても、他の友達が無駄だと思う言葉から私は多くを学んだし、誰かにとっては大切な言葉を、同じくらい沢山聞き逃したと思います。

    その通り。相手が何を感じ取るかまではコントロールできない。だからこそ大事なのは自分が発する一言ひとことにベストを尽くすこと。結局は「今こそが未来」と考え、自分に言い聞かせるのと何も変わりはない。

     自分のふとした一言が相手にとって生涯残る大事なメッセージを送ることもある。でも、きっとそれは全くの無意識ではなく、意識の中の無意識。

     自分では覚えてなくても、「あの時の先生の一言が…」と感謝されることもある。でも、「ああ、そういうこと言ったとしてもおかしくないな」と感じることはよくある。

                       大裕

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  3. アホじゃないよ!
    大裕さんはいつか言っていたでしょ。「無駄なことなんて1つもないんだぞ」って。「無駄だ」と思うのはその時の自分次第で、本質的に無駄なことなんて、本当は存在しないって。そんな人が、「無駄な言葉」について話すのは何だか可笑しなことだなと思ったのです。だって本質的に無駄な言葉なんて、存在しないのだから。大切なのは自分がどんな思いでそれを発し、その言葉をどうやって受け止めるか……って、あぁ!そういうことか。大裕さんが何を言いたいのか、今理解しました!
    うん、それなら大いに反省しても良いかもですね:P

    照美

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