2010年10月11日月曜日

時代のテーマ

 最後の更新から2週間以上が経ってしまった。

思えばこれほどすっぱりとブログから気持ちを切っていた期間も珍しい。今まではどこかで気になり、「何か発信せねば!」 という無駄な焦りがあった気がする。

でもこれは自分がやりたいからやっていること。無理にやるもんじゃない。焦りを感じつつやってしまうと、自然と書くもののクオリティーは低くなったり、小さいことが思いの他ドラマティックな表現になったりしてしまう。

だから決めたのだ。これからは、心から分かち合いたいと思うことだけ、せっかく読んでもらうのだから読むに値するものだけ書こう。

Google Analyticsを久しぶりにチェックしたら、ずっと更新されてなかった間も毎日チェックしてくれていた読者の方たちがいたことを知って心が痛んだ。
ごめんなさい。そしてありがとう。

新学期が始まってからというもの、自分は本業である教育の勉強に没頭している。今学期から授業数は半分に減り、少しずつだが確実に博士論文に向かいつつある。だから気持ちがそっちにフォーカスしてきているのも無理はない。今学期取っている授業はNarrative Inquiryの権威であるJanet Miller教授との個人授業、そして哲学科のSchool & Societyというイスラエルからのvisiting scholarによる教育哲学の授業だ。どちらも面白い。

教育の勉強に没頭すればするほど感じることがある。それはアメリカで教育を勉強させてもらっている自分の責任だ。



パウロ・フレイレ(Paulo Freire)はEducation for Critical Consciousnessという本の中でこう言っている。

“If men are unable to perceive critically the themes of their time, and thus to intervene actively in reality, they are carried along in the wake of change” (Freire, 1973, p. 6).


(もし人々が、自らの時代のテーマを批判的に捉え、現実に能動的に介入できないならば、彼らは変化の跡を追って流されるだけだ。)


自分が今ここにいる意味は何なのだろう?

フレイレが言う、「時代のテーマ」とは何なのだろう?

どんなことが時代のテーマとして設定され、「現実」として我々に提示されているのだろうか?自分はどのようにこの現実に介入していけば良いのだろうか?そんなことをずっと考えている。



先日、Twitterなるものを始め、そこにて自分の責任を追及し始めた。このブログの右端にもリンクされているが、自分が読んでいて感銘を受けたものや、日本が知るべきアメリカの教育最前線のニュースを発信し始めたのだ。

アメリカでは教育破壊が行われている。もはや教育を通してパブリックを語ることも難しい状況になっている。アメリカ主導の消費資本主義が加速する中、日本の社会、そして教育が受ける影響も必至だと僕は考える。日本の教育がアメリカの二の舞を踏まないためにも、今じっくりと、クリティカルにアメリカの教育動向を見つめることが必要だと思う。

とは言っても、Twitterでは字数の制限もあるし、かなり専門的な内容になってしまうので、これからはアメリカ最先端の教育情報を専門に発信する別のブログを作ろうと企んでいる。

ただし、『分かち合いたいこと』はこのままの形で続けていきたいと思う。人生の美しさを共有できるすてきな人たちが集まってくれている。もちろん僕自身も発信していくつもりだし、今まで通り、ゲスト投稿として誰でも発信できる分かち合いの場として使って頂けたら幸いだ。

これからもどうかよろしくお願い致します。

p.s. アメリカの教育最前線ブログの方はでき次第連絡いたします。


                  大裕

訳責:鈴木大裕
(10月12日に新設完了しました! http://us-education-today.blogspot.com/)

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