先日、ある決意をした。
僕は、人生を 「感性」 で生きていく。
体を動かすのは好きだし、逆に動かしていないと気が済まない性格だが、自分の身体能力で生きていくことはまずないだろう。かといって、今は教育学の理解を深めるためにひたすら勉強しているが、知性のみで生きていくつもりもさらさらない。知性というのは、その人のある一つの側面に過ぎないと思う。
当たり前のことなのだが、日々の勉強の中、人と同じ物を読んでも、同じ講義を聴いても、同じテーマについて書いても、話しても、自分がどう感じどう表現するかに 「自分」 というものが表れる。もし、純粋な 「知性」 というものが存在するのなら、自分がどう感じどう表現するかということに関しては、知性だけでは割り切れないものがある。自分の生い立ち、育った環境、自分の肌の色、性格、様々な経験や出会い、それら全てが影響してくる。
僕は昔から、「勉強」をしながら、一見勉強とは全く関係のないことに没頭することが日常茶飯事の生活を送ってきた。今でも Teachers College にいる日本人のネットワーク作りをしたり、イベントを企画したり、お父さんサークルを作ったり、このブログを書いたり、新たなブログを立ち上げたり…。でも、これらのことが無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ。
でも、この前気付いたのだ。自分の最大の強みは、今まで読んできた数々の本から得た知識でも、書いてきた無数の論文で練り上げた技術でもない。様々な経験や人との出会いこそが僕の最大の強みなのだと思う。たった37年の人生だが、本当に良い想いをたくさんさせてもらってきた。様々な物事や人からもらってきた優しさの数では誰にも負けない。(もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。だとしたら、そんないいことはないだろう。)そして、それらの優しさが一瞬一瞬自分にどう囁きかけているのかに耳を傾け、対話し、表現していくのだ。 「客観性」 の名の下に聞こえないフリをするのではなく。
人の一挙一動を統合しているのが感性。
そしてそれは間違いなく、世界に一つしかない。
でも、この前気付いたのだ。自分の最大の強みは、今まで読んできた数々の本から得た知識でも、書いてきた無数の論文で練り上げた技術でもない。様々な経験や人との出会いこそが僕の最大の強みなのだと思う。たった37年の人生だが、本当に良い想いをたくさんさせてもらってきた。様々な物事や人からもらってきた優しさの数では誰にも負けない。(もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。だとしたら、そんないいことはないだろう。)そして、それらの優しさが一瞬一瞬自分にどう囁きかけているのかに耳を傾け、対話し、表現していくのだ。 「客観性」 の名の下に聞こえないフリをするのではなく。
人の一挙一動を統合しているのが感性。
そしてそれは間違いなく、世界に一つしかない。
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