昨日の記事で、勉強とは関係のないことに没頭しながら、そうすることが 「無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ」 と書いた。これは嘘だ。
自分に正直に振り返ってみると、これら 「関係のないこと」 に没頭しながら、どこか焦りを感じている自分がいた気がする。そうだ。決して無駄ではない、きっと自分のためになっているのだと言い聞かせてきただけだ。これらのことに打ち込みながら、どこかで自分の学びとも繋がっているのではないかと思っていたが、それが本当なのか、だとしたらどう繋がっているのかは分からなかった。
博士課程3年目に入り、博士論文のテーマがいよいよかたまりつつある。今度改めて書こうと思うが、テーマも、切り口も、手法も、人とは全く違うのだ。授業を受けていても、自分が発する問いや主張が他の人にとって極めて新鮮なものらしいということが最近よくわかる。
この 「自分らしさ」 が何から生まれているのかと言えば、今まで自分が歩んできた人生としか言いようがない。今までめぐり会った素晴らしい書物の数々、一本一本真剣に向き合って書いてきた無数の論文、そのプロセスから得た技術や内在化してきた自分の価値観は、今の自分に大いに関係ある。ただ、自分の最大の強みはと訊かれれば、躊躇することなく、様々な経験や人との出会いだと答えるだろう。そして、それらの経験や出会いの多くは、「関係のないもの」 を通して得たものだ。
もう迷いはない。無駄になったことは一つもなかった。全ては、世界中で自分だけにしかない感性の源だったのだ。
意見を述べるにしても、主張を書くにしても、大事なのは自分を隠さないことだと思う。
自分の感性に心を傾け、恐れずに自分にしかない主観性を表現するのだ。
それが人生の恩恵に対する恩返しであり、そうしないことは自分の人生、そしてそこで出会った全ての優しさを否定することだ。
『世界に一つ』 を読んで、同じTeachers Collegeで頑張っているさきちゃんがすてきなQuoteを紹介してくれた。
"The precious, intangible gems like happiness, satisfaction, self-respect,
and pride―they are the thanks to the people who come into your life.
Life is not what you alone make it. Life is the input of everyone
who touched your life and every experience that entered it.
We are all a part of one."
and pride―they are the thanks to the people who come into your life.
Life is not what you alone make it. Life is the input of everyone
who touched your life and every experience that entered it.
We are all a part of one."
- Yuri Kochiyama -
私もちょうど同じようなことを考えていました。「大事なのは自分を隠さない」とか。「主観性」を表現するとか。ってことでまたフレーリーを読んだりもしていたのです。先週大学でトランスジェンダーのドラム奏者のトークとパフォーマンスがあったのですが、彼女の Don't be superficialっていう怒りのこもったメッセージになんか目が覚めたって感じ。
返信削除自分の思っていることを勇気を出して言うことは、人とつながることなんだと思う。愛というか。これもまた、大裕君のこのブログのメッセージも含め先週いろんなひとに教えられたこと。不思議。
そもそもなんでカリキュラムの授業をしたり教育研究をしたりしているのか。パブリケーションの数や授業評価のことばかり気になって、なんか根本的なことを忘れちゃってたなー。確かに仕事や経済的な安定は心配の種だけど、その不安をうまく使って、個人主義、競争主義、経済至上主義が教育界にも蔓延してるんだよね。気をつけなきゃ。本当に今こそ、自分が思っていることを恐れずにちゃんと言わなきゃいけないと思う。
大裕君の論文も楽しみだね。