2010年7月30日金曜日

いつか必ず返ってくる ~ 翼7 (完) ~

 僕が後悔の念を口にする時、小関先生が必ず言って下さる言葉がある。



    「下手クソでも一生懸命やっていればいつか必ず返ってくる。」



新米教師として、いつもこの言葉を励みにやってきた。教員の仕事は知識ではなく、経験やセンスに頼るところが大きい。そして経験やセンスの無さは、もがいてもどうにもならない部分がある。失敗から学ぶ他ないのだ。失敗を重ねる中、受け持たせてもらった生徒たちに対しては、



    「下手くそだったけどあれが当時の自分の精一杯だった。申し訳ない!」



という開き直ることしかできない。内容はどうあれ、とにかく一生懸命やったと言える自負のみが最後の拠り所となる。









 今回、21歳になった翼が、冒頭で紹介した小関先生の言葉が本当であることを改めて教えてくれた。



 中学校生活最後の日、前日まで金髪だったのをなんで黒くしてきたかという僕の問いに対して、21歳の翼はこう答えた。



 「あれだけいろいろやってもらったのに、最後の最後まで俺が変わらなかったら(大裕が)やってきた意味ねーじゃん。だから髪とか制服とか俺がカッコいいと思ってたことを崩しても最後はちゃんとやろうと思ったんじゃないの。」



 翼は15歳だった自分の心をそう分析した。



ああ、そうだったのか。僕は衝撃を受け、眉間を竹刀で突かれたような目まいを感じた。



 翼は隣に座る嫁さんに語るように続けて言った。



 「だってあきらめなかったもんね。自然教室で俺が教頭殴った時も、(担任)は体調わりぃとか言ってバックレたけど、担任でも何でもなかった大裕が代わりにやってくれたもんね。その後も大裕だけは俺の話聴いてくれた。」



 僕は全身に鳥肌が立つのを感じつつ、そこまで感じていたか、そこまでわかっていたか、と心から感動した。と同時に、自分は何て愚かだったのだろうと思った。







 
 立派な姿で式に出るということは、翼自身にとって大いに意味のあることだった。それは、それまでの人生で何も背負うものを持っていなかった翼が、僕の想いを背負った瞬間だった。



    「偉かったな。」



6年の歳月が経ち、結婚し、子どもにも恵まれ、己の器の小ささも全部受け入れた僕の心からの言葉だった。

~ 完 ~

2010年7月29日木曜日

卒業式当日 ~ 翼6 ~

 いよいよ卒業式当日。

教室に現れた翼は、髪を黒くしてきちんと制服を身にまとっていた。これは、前夜の説得に失敗したと感じていた僕にとっては予想していないことだった。もう一つ、予期せぬ幸せが起こった。翼と同時進行で働きかけていた不登校だった女の子が意を決して登校したのだ。中学校生活最後となるこの日に、それまでほとんど揃うことがなかった我が3年B組は全員集合した。整列前からクラスの雰囲気は最高潮に盛り上がっていた。



 卒業式の練習の時から、自分の中で決めていたことがあった。一つは学級の生徒の名前を一人ずつ読み上げる時にマイクを使わないこと。もう一つは、呼名表を使わず、何も見ずに生徒の名前を呼ぶこと。簡単そうに聞こえるかもしれないが、これがそうでもない。便宜上ステージの両端に男女分かれて並ぶ生徒たちの名前を、卒業式という厳粛な場で出席番号順に正確に読み上げなければならない。男子が2人続くこともあれば、女子が4人続くこともある。生徒にとって一生に一度の中学校の卒業式において失敗は許されない。そんな不必要なことをやることが僕のクラスの子たちにとっての愛情表現だった。



 着々と式が進む中、翼はどんな気持ちでいるのだろう、と気になって翼を探した。



皆と変わらない服装で、小さくなって自分を押し殺している翼の横顔を見ると、僕の気持は晴れなかった。



 以前にも話したが、後で小関先生に、翼をちゃんとした格好で卒業式に参加させたのは偉かったと褒められたが、正直ピンとこなかった。きっとそれは、翼がきちんとケジメをつけてきたことに対して僕が感じたのは充実感よりも後ろめたさだったからだ。当時の自分にとって、翼をまともな格好で卒業式に出すということは、翼のためというよりも自分のためだったように思う。卒業式という披露の場において、自分のメンツを保ちたかったのだ。



 卒業式の翼は本当に偉かった。前日まで学校唯一の金髪であった翼は、完全に他の生徒に溶け込んでいた。皆と同じように座り、同じように礼をし、卒業証書を受け取った。あの空間に黒染めした翼がいたことに気付かなかった教員も少なくなかったのではないだろうか。



 僕自身のメンツを守るために犠牲になった翼に対して、僕は 「偉かったな」 というより 「悪かったな」 と感じていた。



 でもそれは間違っていた。そう教えてくれたのは21歳になった翼自身だった。

(続く…)

2010年7月26日月曜日

15歳の翼 ~ 翼5 ~

 翼。僕にとって最も印象深い生徒の一人だ。比較的裕福なうちの学区において、翼のような複雑な家庭環境で育った子は珍しい。祖父が近くに住んでいたものの、基本的には10代の兄貴2人が親代わりをしていた。



 4人兄弟の3番目で、兄貴たちはうちの学校が千葉市で一番荒れていた時代の中心的人物として地元では有名だった。今でこそ何人もの部下を使う立派な塗装職人をしているが、当時は高校に行かず、地域の不良たちを束ねるような存在だった。



 翼はと言えば、背は小さいがキレると何をするかわからない、学年の目玉的存在だった。上の兄貴たちが中学時代も卒業後もデタラメ放題にやっていたので、翼自身、学校に来ることに意味すら感じていなかった。部活もやらず、勉強や進学にも興味を示さない翼の意識を学校に繋いでおくのは至難の業だった。



 今考えればよくわかる。一番の問題は、翼が何も背負っていなかったことだった。以前から、 「背負うこと」 というテーマで何度か書いてきたが、翼も、 「これだけは何がなんでも失いたくない」 という 「何か」 を持っていなかったのだ。部活でも、勉強でも、人間関係でも何でもよかった。一つでも、翼を引っ張れるものが必要だった。そして、本来なら翼に背負うものを持たせてやることが担任としての自分の急務だったのだ。当時の自分にはそれがわからなかった。



 人に譲れない何かを持っている人間は頑張れるものだ。例えば、もし翼が本気で何かのスポーツに取り組んでいたなら、その練習や試合を常に観に行き、監督と連携を密にし、生活の全てのことをそれに繋げるようにサポートしていけばいい。それを中心に会話をし、褒め、叱り、鼓舞することができたはずだ。翼は、自分がそのスポーツに懸ければ懸けるほど、他のこともがんばれただろう。



 でも、不幸なことに、翼にはそういうものが何一つなかった。 (後に、 「美容の専門学校に行きたい」 と言い出したが、それは3年生も終わりに近づいた時のことだ。) だから授業を聴かなくても、成績が悪くても、学校に来なくても、彼にとっては痛くもかゆくもなかった。



 背負うものを持ってないということは、失うものが無いということでもある。だから、翼は他の生徒がやらないようなことも平気でやるような子だった。



 まずは、学校で唯一、髪を染めていた。時間通りに登校することはまずなく、登校しても携帯電話を持参し、学校の中で一人だけ白のキャップをずっとかぶっていた。泊りがけの自然教室では、禁止されていた携帯電話を堂々と首から下げて来て、しまいには宿泊先で教頭を殴ってしまった。



 そんな中、担任だった僕はと言えば、21歳の翼も認めたように、彼にとっては眼の上のたんこぶのような存在だった。いつも監視し、勝手なことをやろうとする彼のことを追いかけ回した。



 最初は朝電話をかけたりだとか呼んで話をしたりだとか、ありきたりのことしかしてなかった自分だったが、翼のことに対して本気になればなるほど、僕の行動はより過激に、よりパーソナルになっていったように思う。毎朝のように家まで迎えに行ったり、兄貴と会って話をしたり、おじいちゃんを学校に呼んで話をしたり、授業時間中に駅前の松屋に一緒に行って朝飯を食わせたり、東京の美容専門学校に見学に連れて行ったり…。



 1年間はすぐだった。翼は翌年度から通信制の美容専門学校に通うことになった。3月に入ると連日、卒業式の練習が行われるようになった。翼は相変わらずだった。髪は金髪、帽子もかぶったままで、学校に来ない日も増えていた。


(続く…)

2010年7月25日日曜日

卒業式前夜 ~ 翼4 ~

 酒をビールから日本酒へと移した頃、翼に6年間ずっと訊きたかった質問をぶつけてみた。



    「卒業式の時のこと覚えてるか?」



翼はふと考えてから言った。



    いや、あまり。



そうだろうな、と思った。続けて訊いた。



   「あの朝、なんで髪を黒くしてきたんだ?」



質問をしながら、頭の中では当時のことがフラッシュバックとして脳裏に蘇ってきた。







 卒業式前夜。僕は、駅構内の喫茶店に翼を呼び出した。ちゃんと翼が現れたことに僕は安堵を覚えた。そこでもし現われなかったらもはや打つ手がないという、ぎりぎりのラインだった。目的は一つ。ちゃんとした格好で卒業式に出るように説得すること。



 それまでの歩みを振り返りつつ、僕は懸命に話をした。いつものように、翼がへそを曲げそうになったら適当に話題を変えつつ、細心の注意を払いながら会話をリードした。既に夜10時をまわっていたので、他の保護者に見られたらやっかいだなという気持ちが時折頭をよぎった。



 2時間ほど話したのだろうか。確かな手応えも得られぬまま、翼の集中力が限界に達した。結局、テーブルの下に隠しておいた黒のヘアスプレーを渡して別れたものの、それさえも帰り道に捨てられる可能性があった。失敗した、と感じていた。


(続く…)

6年の歳月を経て ~ 翼3 ~

   「俺の奥さんも連れてっていいかな。」



電話越しの翼がそう訊いた。 「奥さん」 と言う口調に初々しさが見られた。あの大バカだった翼が嫁さん同伴で来るのかと思うと、妙に感慨深いものがあった。 



もちろんだと答え、翼にとって翌日仕事がない土曜日の夜に会うことになった。







 夜8時。JR稲毛駅の改札で会った。



一目でわかった。背が伸び、少し大人になった翼と力強い握手をした。とてもいい笑顔をしていた。



後ろには高校生くらいに見える元気の良さそうな女の子。一緒にいる二人からは仲の良さが伝わってきた。歩きながら、お腹に赤ちゃんがいると教えてくれた。翼は嬉しそうだった。



 行ったのは、JR稲毛駅近くにある 『くうひな』 という、僕が惚れ込み通い続けた店の大将が初めて自分で開いた飲み屋だった。あったのは3年ぶりくらいだが、しっかりと顔も名前も覚えてくれていた。予約した席に着くと自分の名前が筆で書かれた来店歓迎のカード。やはり心の通ずる店がいい。



    「プロだな。やっぱり最後は人だよな。」



 そんなところから会話は始まった。







 6年の歳月は翼を変えていた。
今は塗装会社に勤め、最近になって現場の頭を任されたそうだ。



積み荷の確認も、部下に渡すお金の手配も、他の業者との段取りも全て自分でやらなければいけないこと。わからないことだらけで、最初は鬱病になりそうだったこと。初めて自分の甘さに気付かされたこと。今は19歳の新妻と安アパートで暮らしていること。2月は仕事がなくて生活が大変だったこと。そして、仕事で文書を書く機会が多くなったが、漢字が書けなくて恥ずかしいから本気で習いたいということ。そう笑顔で話す翼は、社会人の顔をしていた。



(続く…)

2010年7月23日金曜日

ずっとわからなかったこと ~ 翼2 ~

 以前も書いたように、小関先生にまともに褒められたことはほとんどない。



その数少ない中に、最初に担任させてもらったクラスの卒業式のことがある。



 問題の多い学年で、3年生に進級するにあたってクラス替えを要した学年だった。特にやんちゃな生徒が何人かいたが、その多くを教員2年目の自分がまとめて受けもつことになった。



 卒業式当日、クラス36人全員が揃うのかという、極めて初歩的な心配があった。しかし、ふたを開けてみれば、我が3年B組としては立派すぎる程の卒業式だった。



髪を金髪にしてさんざん学校をさぼっていた生徒も、その日だけは黒髪で式に出席し、数週間にわたる卒業式の練習ではさんざん周りに迷惑をかけていた生徒も立派な態度を貫き、それまでずっと不登校だった子も当日になって登校し、全員が晴れて卒業することができた。



 小関先生に褒めて頂いたのはその時だった。



   「あれは偉かった。」



 前回の投稿で、失敗ばかりの教員生活だったと書いたが、特に最初に持たせてもらった生徒には申し訳ないという気持ちしかない。教員にとって、最初に送り出した生徒というのは特別な想いがあるものだ。だからこそ僕にとっては、気持ちに伴わない自分の未熟な指導に対する自己嫌悪感もひとしおだった。

 

 そんな僕には、小関先生の言葉の意味がわからなかった。その後も、教員としての経験を重ねるに連れ、 「今だったらわかるだろ」 と小関先生に言われるようになった。でも、ずっとわからないで来た。



 もちろん、全員が揃って立派に卒業できたのは嬉しかったし、何人もが先生のクラスで良かったと言ってくれたのも嬉しかった。ただ、そこに至るまでの過程に対して自分の至らなさを痛感していた自分としては、複雑な気持ちだった。正直、最後だけ良くても、という気持ちも強かった。



 その子たちが、今年21歳になった。



 翼に会いたい、と僕は思った。会ってあの時のことを訊いてみよう。そんな想いで僕は受話器を手にした…。



(続く…)

2010年7月22日木曜日

「先生」 になるために ~ 翼1 ~

 教員という仕事の目的は 「先生」 になることだと思う。人の先生になるということは容易なことではない。知識だけではどうにもならない。求められるのは、全くの他人を人として育てるだけの人間としての器だ。植物と一緒で、いくら成長する要素があったとしても小さな鉢植えの限られた養分の中では植物は大きく育たない。教員自身が成長しなければ生徒も成長しない。



 自分は、高校生だった頃からの夢を追求するため、教員生活の途中で区切りをつけた。離任式では、小関先生の助言もあり、多くを語らなかった。話自体はものの15秒で終わったのではないだろうか。僕を知る生徒や教員はさぞ驚いたことだろう。それまでずっと、 「語ってなんぼ」 というスタイルでやってきた。鈴木大裕は最後に何を語るのか、そう思っていた人間も少なくないと思う。



 その場で言ったことは今でもよく覚えている。



   「短い間でしたが、がむしゃらにやり、失敗ばかりの7年間でした。」



 これが僕の素直な気持ちだった。手を抜いたわけではない。自分としてできる限りのことはしたつもりだが、自分のキャパがあまりにも限られていたのだ。







 このブログでは、自分や自分の教え子のことよりも小関先生や彼の教え子のことについて多く書いてきた。小関先生には、 「いつになったら翼や大山、米倉のことについて書くんだ?」 と言われてきた。書かなかったのではない。書けなかったのだ。




 今までは、小関先生の教えを振り返りつつ、少しずつ自分の体験を整理してきた。そして数日前、21歳になった翼と酒を飲んだ。



 最初の卒業生と酒を飲むということだけでも、教員にとっては一つの節目だが、僕にとってはそれ以上のものがあった。やっと一つ、書けそうな気がする。


(続く…)

2010年7月13日火曜日

「選ばれる」 ということと 「責任」 ~かおるさんから~



 新自由主義の社会は個人の 「選ぶ自由」 と 「責任」 を原動力に動いている。その社会の中で、実はみんな自由に選んでいるように見えて、私たちの選択は見えない力に支配されている。しっかり人生設計を立てて、中学・高校時代には受験勉強、偏差値順にきれいにランクづけられている大学のリストのできる限り上位の大学に入り、大手の会社に入り、女性ならしっかり稼いでくれる人と結婚、出産、家のローンを払いながら子どもを育て、そしてできれば仕事もしっかりこなしていく。それが正しい生き方だと私たちの多くは教えられてきた。10代で妊娠なんてとんでもない、そして私のようにこの年になっても 「結婚も仕事もせずに」 自分の好きな勉強ばかりしている女性もとんでもない。

 よく考えるとおかしな話だとは思う。世の中では個人の選ぶ権利がさんざん強調されているのにもかかわらず、 実際には絶対的に 「正しい選択」 と 「間違った選択」 があるのだから。そして、これもおかしな話だが、自分の選択したことに対しての責任を個々人が負うように私たちは教育されている。そしてそれが自由主義社会の常識だと思ったりもしている。

 ふと最近、気になるのは、自由とはなにか、そして責任とはなにかということだ。このところあまりに個々人が選択し、その選択に個人的責任を持つ、ということが強調され過ぎて、 常に誰かに選ばれているということ、そして選んでくれた人にきちんとお返しをする責任が一人一人にはあるということを忘れがちだと思う。私自身、個人主義に影響されて、成功も失敗も全て自分次第みたいな気になってしまう時もあるけれど、実際自分の過去10年いや20年を振り返ってみると、私がしてきたことは実は私個人の選択の結果ではなく、私を選んでくれた人たちの言うことに素直にしたがってきた結果だと思う。



 「選ばれる」 というとなんかちょっと偉そうに聞こえる。学級委員に選ばれるとか、市長に選ばれるとか、選ばれるというと特別な能力が認められて人の上に立つことになると考えがちだからだろうか。 でも私のいう 「選ばれる」 というのは、そういうのとはちょっと違っている。確かに 「選ばれる」 というのは名誉なことではあるけれど、私が選ばれたが故に与えられた 人や、場所や、役割は必ずしも人が羨ましがるようなことではなかったし、自分が一番欲しかったものでもなかった。どちらかというと、それはもう他に選択肢がなくてしょうがないからそうせざるを得ないことだったり、お世話になっている人に頼まれて、どうしてもノーと言えなかったからしたことだったり、時には強制的にさせられたことだったりもした。またある時は、ちょっと怪しいけれど ふと頭に浮かんだり、偶然出会った人の口を通して伝えられた 「——するべきだ」 というはっきりしたメッセージだったりした。

 最近の話で言えば、私の博士論文のリサーチに参加してくれた女の子達は私を選んでくれていたのだと思う。本当はリサーチでは研究者がきちんとした科学的根拠をもとに参加者を選ぶことになっているので、私の研究のように、他に誰も参加者が見つからなくて、困っているときにたまたま廊下で出会って、しょうがないから参加してもらうようにお願いしたなどというやり方は、根本的に間違っていると言われてもしょうがない。それでも私は科学とは違う別の大きな力が働いていて、この特別なリサーチができたと思っている。 私は伝えるべき大事なメッセージを持っている彼女達とは結局3年間もつき合うことになった。 (今でも時々連絡を取り合っているが) 数々のインタヴィューの中で、彼女達が私に教えてくれたことは、どこにも書いてないような ことばかりだった。結果的には最初には予想もしていなかったような論文になった。論文を書き終え博士号をもらえたのも彼女達のおかげだと思う。そして ちゃんと彼女達にお返しをする責任が私にはあると思う。変な言い方だがそれは、彼女達が困っている時は何がなんでも助けること。そして彼女達が教えてくれたことを他の研究者達に伝えることが私の責任だと今は思っている。



 ちょっと話はそれるが、このブログの持ち主大裕君との出会いも不思議だ。前回のブログで大裕君が書いていたように私たちも偶然13年前に出会って、不思議なご縁で、ティーチャーズカレッジで一緒に勉強することになった。思い出してみると、彼と最初に会った時、彼はスタンフォードに行く寸前だというのに、なぜかジョンデューイーについて熱く語り、デューイーの伝統を引き継いでいるティーチャーズカレッジを褒めまくり、帰り際にはティーチャーズカレッジのカタログまでくれた。家でカタログをみながらカリキュラムの学部があることも知り、なんとなくそこにいくのかなーなどと思うようになった。それでもそのときはまさか自分が本当にティーチャーズカレッジで勉強するとか、しかも大裕君と同じ時期に同じ学部で勉強することになるとは思ってもみなかった。無意識だけど、お互いがお互いを選び合っていてそうなったのだと思う。そしてそこには個人を超えたもっと大きい力が働いていると思う。

 いくつか例を出したが、人生の大きな転機はみんなこんな風に予期せぬ形でおきてきた。この世の中に生まれた人はみな 一人一人なすべき大事な使命を持って生まれていると思う。そして常に誰かに選ばれて特定の場所にいて、特定の人と特定の時間を特定のことをしながら過ごしているのだと思う。 自分が今やっていることは必ずしも自分が選びたかったこととは違っているかもしれない。自分がいる場所も自分では決して選ばないような場所かもしれない。しかもそれは世間一般の常識からは外れていて、家族や友人からとことん批判をされるかもしれない。でも、本当に自分が選ばれている時は、不思議となんかすーっと与えられたことを受けいれられる気がする。この感覚はうまく説明できないけれど、なにか納得のいかないことをいやいややっているときとか、 「なんか違うなー」 と思いながらやっている時とは全然違う感覚だ。そして選ばれたら誰に何を言われようが、その 場所で与えられたことを淡々ときっちりこなすことが責任なのではないかと思う。

 5月に無事博士課程を卒業し、次の行き先は、南北戦争のリンカーン大統領の演説で有名なペンシルバニア州ゲティスバーグとなった。まさかそんなところに行くことになるとは思っていなかったが、これもまた選んでくれた人たちのおかげだ。選んでもらえたことに感謝をしつつ、果たすべき責任を想像している。

2010年7月12日月曜日

オフ会に参加して9 ~照美さん~

オフ会で出会った皆さんへ




あいさつが遅れてすみません。

オフ会でお世話になった照美です。

オフ会では、皆さんから沢山の刺激や新しい発見をもらったので、

ありがとうを言いたくてコメントを送ります。



本当に、沢山の事を教えてもらいました。

NGOとして活動する喜びや、美術の先生の心に秘めた熱い想い。

1つのサービスに込める限りない優しさに、コカコーラに隠された汗と涙のお話。

大学1年生が抱える焦りや不安は、まるで少し前の自分を見ているようでした。

そうだ!これからパチンコ屋さんを通る度に、「この中に、将来の日本経済をリードする人が隠れているかも」って、きっとすごくワクワクした気持ちになります:)



一緒に話せなかった人もいるけれど、その一人一人からも多くを学びました。

その人の表情、話をするときの目。何気ない心気遣いや、出会って数時間とは思えない、親しげで優しい笑顔。どんな小さなしぐさにも、その人らしさが溢れてる。

だから同じ場にいるというだげで、何か、その人の歩んできた道をすこしだけ見れたような、特別なメッセージをもらったような気がするのですよ。

皆さんからもらったメッセージを、大切に大切にします。



心からのありがとうを込めて



                 照美

オフ会に参加して8 ~住谷君~

 今回、オフ会に参加させていただいて、本当に有意義な時間を過ごすことができました。



本当に、ありがとうございます.





 大学に入ることにあんなにエネルギーを使ったのに、入ったあとのこの日々の虚しさ、まさに大裕先生の言う "持続しない快楽" を求めて生きている大学生に埋もれてしまい、胸の痛む毎日でしたが、同じように大学生の方をはじめ、大学院の方、社会人の方、あそこに集まった方はみな非常にエネルギッシュに努力と実践を積み重ね、人生にチャレンジなさっている方ばかりで、自分の環境を勝手に理由付けの種にして何も踏み出さなかった自分に、大きな勇気を与えてくださいました。



 美恵子さんに "住谷くんからはすごく焦りと迷いを感じる" と言われやはり気づいたのは、焦りも迷いも、いま自分が踏み出せる一歩を踏み出していないからだなと、まったく反省の瞬間でした。





 帰ってからしばらく考え、調べた結果、大学生として夢に向かってできることはいまそこら中にあったということ、逆に夢から遠ざける誘惑も回りには信じられないほど多かった、ということを理解しました。



    「いま頑張らなくちゃ夢には届かない。わかってる。でもできない。」



というのは、本当に "わかって" はいなかった。



 本当にわかっている人間は既にもう行動している。



そしていま目の前にいるみなさんは、そうやって行動されてきた人たちなんだと思ったら、悩んでいただけの自分が非常に恥ずかしくなりました。





 夢に向かって、常に "今" を自分の人生の一番の一瞬にできるように、理想の実践に向けてがんばっていきたいです。





    今こそが未来。





 最後に、ぼくが悩んでいることを本質的に理解し、適切な機会を与えてくださった先生に、心から感謝します。



 不出来な教え子ですが、本当に先生に教われてよかった。



 日本の教育を変える、その目標に向かって努力する姿勢を自らの人生をもってぼくたちに示してくれるあなたは、本当に偉大な教育者だと、一人の教え子として思います。



 きっと今、他の1年C組のみんなも大裕先生に会いたいはず。会って、きっと色んな話をきいてもらいたいんだろうなと思ったら、懐かしさに胸が押し潰されそうになりました。





 なんだかまとまりのない形になってしまいましたが、これで終わりにしたいと思います。



   本当に、ありがとうございました。

オフ会に参加して7 ~小林美恵子さん~

 昨日、今日と2日間ありがとうございました。

出会おうと思わなければ出会えなかった方々にお会いして、

お話をできたことがとても楽しかったです。



 今の思いも含めて、大裕さんがお勧めしてくださった

「息を引き取る」ことについて近々書いてみますね。

海に対する思いとかも、書けたらいいなぁって思います。

やっぱり、自分の中に伝えたいことはぎっしりなんだと

改めて気付かせていただきました。



 
そういえば、住谷くんにメールしてみました。

自分の知らない世界をいっぱい見て、いっぱい失敗したらいいよって。

後悔しないように生きるんじゃなくて、

私の場合は 「もっとああすれば良かった」 「こうすれば良かった」

っていう思いがあるから、信念を持ち続けられる気がするよって。

私の人生は、後悔と悩みだらけですって。



住谷くんにメールしながら、自分にも言い聞かせた言葉でした。



それでは、またメールしますね。おやすみなさい。

                

          美恵子

2010年7月7日水曜日

オフ会に参加して6 ~さっちゃん~

 私は今回のオフ会には参加できないはずだったのが、不思議にも急に可能な状況に変って参加できてしまいました。意識的にも無意識的にも不可能を可能にするのはよくあることですが、今回は無意識に参加すると決めていたようです。


 15年位前に読んで私の人生に大きな影響を与えた 『聖なる予言』 という本がありますが、いつも参考にしている数多くのメッセージのひとつに

 『進化の流れに乗るには、今直面している人生の問題をしっかり心に留めて意識する事。すると、直感という形で何処へ行けば良いか、何をすれば良いか導きを受け取る事ができる。』という一説がありました。

 私の今の問題はこれから仕事の中で英会話が必要になると判っていながら勉強を先送りしていた事と、仕事ややりたい事で無理をし過ぎたり、罪の意識を感じた時自暴自棄になったりする癖が時々出て自分を病気にしてしまう事。それから中学2年の甥っ子が反抗期で妹の手をやいている状況を近くで見ていて自分にどんな手助けができるか考えていた所でした。

 オフ会に参加して見事に私の問題に応えてくれるメッセージを沢山受け取ることが出来ました。

 てるみちゃんは唯一先回のオフ会で一緒だったので、再会出来て本当に嬉しかった。先回から半年しか経ってないのに見違えるくらい垢抜けてきれいになっていたのでびっくりしました。大裕の紹介では 「てるみちゃんは中学生の時に英語の先生の所に通いつめて英語がペラペラになった」 と聞いたので、実際どうやって英会話を学んだのか彼女から直接体験談を聴いているうちに、私にも出来そうだというワクワク感とヤル気が湧いてきました。今まで外国人の宿泊客が来ると気構えて敬遠しがちだったけれど、てるみちゃんの話を聴いているうちに彼女の 「英語を話せるようになりたい」 という意欲が私の中にも強く宿って 「やらなくちゃいけない」 という意識から 「すごくやりたい」 という意識に変わり、早速買ったままになっていたNHKのシンプル英会話術のテキストを毎日一言ずつ覚えています。てるみちゃん、ありがとう!



 大裕の教え子のスミや元同僚の辻先生との会話からは、大裕の熱血教師ぶりの話を聴きながら 「中学生の時期は急激な精神的肉体的変化の狭間で本人が一番戸惑っているのだから、とにかくちゃんとその子を見てあげることだ。反抗されるとつい言っても無駄だと思って放任しがちになってしまうけれど、それは逆効果なのだ。どんどん踏み込んで良いのだ」 というメッセージを受け取りました。帰ってすぐに、甥っ子と真剣に向き合ってモヤモヤの原因は何なのか?一緒に探ったりお奨めの本について話したりしているうちに 「さっちゃんと話すと気持ちがスッキリする」 と言って以前の様に何でも話してくれる様になりました。やはり踏み込んで話してヨカッタです!スミ、辻先生、ありがとう!



 看護大学生で看護師を目指している美恵子さんとは一番長く話したような気がします。自分が抱えている最も困難な問題とリンクしていたからかも知れません。

 彼女の話から彼女の癌で亡くなったお父さんに対する深い想いや愛、またお父さんの彼女に対する大きな愛が伝わってきて、その想いが彼女の夢の実現への大きなバネになっているということが理解できて、とても感動しました。私にも1歳半で手放して以来まだ1度も会えないでいる娘がいます。食道癌から奇跡的に復活できたのは、きっと娘に対する役割を果たす使命が残っているからなのでしょう。美恵子さんとの会話の中で、そのことを強く感じて 「自暴自棄になっている場合ではないだろう!」 と叱咤激励された気持ちになりました。美恵子さん、ありがとう!



    『宇宙はエネルギー。エネルギーは私達の期待に反応する』 

    『私が質問を持っている時は必ず誰か答えを持った人が現れる』

                  (『聖なる予言・第3の知恵』より)



 私は1次会だけしか参加出来なかったので、まだまだ他の人とも色々分かち合いたかったけれど、ほんの2時間の間にこんなにも沢山大切な情報や力を得ることが出来て大感謝です。

 大裕のオフ会には自分の役割や仕事や夢を明確に意識できている人が集まってくる様ですね。だからすごいエネルギーを感じます。ありがとう!これからも期待してます!



                四万十川のさっちゃんより

オフ会に参加して5 ~辻さん~

参加して、すごいエネルギーを持った方々だと感じました。

世界を舞台に自分の出来ることは何かと問い続け、
変化し続けていることを感じました。

周りの人からみたら今のままで十分と感じる環境をあえて変え、
自分を磨き、自分の持てる力を最大に生かそうとしていることを
感じました。

いかに楽して生きようかと考えがちな世の中において
宝のような人が集まっていると感じました。

年齢も仕事も異なるけれど真っすぐな志、向上心が話していて
伝わってきました。

またお会いできるときまでに自分もしっかりと生きなくては、と思いました。

可能性無限

という文字が浮かびます。

楽しい時間をありがとうございました。

              辻 里枝

2010年7月6日火曜日

オフ会に参加して4 ~由和さん~

今日はありがとうございました。

大変貴重な時間を過ごす事が出来ました。

何かしら、価値を創造出来る力を身に付けようと思います。

オフ会に参加して3 ~星野さん~

 久しぶりに会う方、初めての方も本当にいろいろなことがお話しできて楽しかったです。お互いの今までの経歴や、これからについて・・・、一人一人の生き様って、本当にいろいろで楽しいですね。障害を抱える児童の話は特に興味深かったです。普段の生活は、本当に限られた人間とばかり話していて、頭がどんどん硬くなっていけないですね。あと、この機会を提供してくださった大裕さんには本当に感謝しています。


                    星野

2010年7月5日月曜日

オフ会に参加して2 ~森 いづみさん~

 こんばんは、土曜日の会に参加させていただきました、Penn Stateの森です。星野さんを通じてこのすてきな会に参加し、交流ができ、ほんとうにありがたく感じました。



 普段それぞれの分野で、能力や人間性を発揮して活躍されている皆さんと、おいしいお酒も交えてお話することができ、充実した時間でした。バックグラウンドの様々なみなさんにお会いする機会はそうそうないので、いろいろと刺激を受け、大学外の人に会う機会をもつのは大事だなぁと実感しました。アカデミックな世界で発表したり交流したりすることは、私の前からの目標ですが、今日お話した皆さんのいろいろな経験や問題意識をふまえて、あらためて自分に何ができるか考えたいと思っています。



 このたびは本当にありがとうございました。
また留学生活中に、お会いできる機会があれば幸いです。


P.S. さっそく会の様子をアップしてくださったようで、楽しく拝見しました。



                 森 いづみ

オフ会に参加して1 ~野宮あすみさん~

   感動したらそれを人と分かち合う
   感動冷めやらぬうちに振り返り 想いを形にする



今回の『分かち合いたいこと』のオフ会、多くの参加者が帰宅後もしくは帰り道にお礼と感想を送ってくれた。それが僕には心から嬉しかった。せっかくなので、今後数回にわたって参加してくれた人たちの感想を紹介していきたい。



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昨日は本当にありがとうございました。
皆さまの思いや言葉を思い出しながら、今も温かい気持ちでいっぱいです。
このような出会いのきっかけを頂き、心から感謝しています。



四万十川の自然が持つエネルギー、大学生としての社会への思いや期待すること、養護施設の現状と子どもたちとの向き合い方、芸術を通じた教育、どのお話も私にとって刺激的で、瞬きする時間もないくらい夢中になっていた時間でした。



初めてお会いする方々から、自分でも不思議なくらい、たくさんの新しい世界を感じさせて頂き、勇気を分けていただきました。現場での活動が普段は多いため、教育経済学や社会学の観点から、色々議論できたこともとても貴重でした。将来の方向性を考えるため、向き合うべき課題が少しずつ見えてきました。



大人が夢を持ち、挑戦し、悩みをシェアしていくことで、子どもたちも一緒にチャレンジをしていけること、とても心に響きました。私も日々悩みながらですが、子どもたちにもらっている笑顔とパワーを糧に、一歩ずつ夢に向かっていきたいと思います。



ミャンマーで活動している僧院学校に通う10歳の女の子に、"What is important in your life?" と聞かれたことがあります。自分自身が10歳の時、人生の意味について考えたことがなく、衝撃を受けました。まだ模索中ですが、昨日感じた、人と人のつながりから生まれる、皆の笑顔を願う気持ちが深く考えるきっかけになっています。



Pedagogy of the Oppressed のご紹介ありがとうございます。
早速、読んでみたいと思います。


本当にどうもありがとうございました。
ご家族の皆様にもどうか宜しくお伝えください。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。



                         野宮 あす美

2010年7月3日土曜日

託すのではなく ~バーチャルからリアルへ2~




 人はちょっとしたきっかけで仲良くなれるもんだ。
そんな自分の考えを実証してくれる今日の 『分かち合いたいこと』 のオフ会だった。



 東は新潟、西は四万十川から、実に様々な分野の人たちが駆け付けてくれた。共にジャーナリズムに興味を持つ大学生2人、公務員からキャリアチェンジをして看護大学に通う女性、経営コンサルタントをしつつ留学及びキャリアチェンジを目指す男性、田舎にて癒しの宿を営む女性、財団に身を置きバングラデシュやミャンマーで現地NGOとの遠隔教育や教育トレーニングに携わっている女性、僕の元同僚であり中学校で美術を教える先生、アメリカで教育経済学と教育社会学を学ぶ大学院生2人、自分を含めて計10人が集まった。



 時折席替えをしては、まだ話してない人との会話を求める姿が見られた。てんでんバラバラな人たちが互いの話に関心を持ち、聴き入っている姿は、きっと周りから見たら不思議な光景だったに違いない。1次会で語り尽くせるはずもなく、神保町にて仕切り直しをすることになった。






 今日集まった人たちに共通すること。それは 「動」 ということではないだろうか。皆、現状に満足せず、前を目指して自分探しを続けている人たちだ。それが嬉しかった。





 日本の社会は、いとも簡単に夢を若い世代に託そうとするところがある。それは無責任だ。大人こそが夢を主張すべきだ。大人が挑戦しないのに子どもがチャレンジできるだろうか?大人が人生を楽しまずして子どもが大人になりたいと思うだろうか?大人が失敗する姿を見せずして子どもが自分の失敗を受け入れ立ち上がることができるだろうか?



 大人だって夢を追いかける。だからこそ悩むし、失敗だってする。いいじゃないか。そんな生身のドロ臭い姿を子どもに見せるべきだ。それもできない大人たちが語る 「生きる力」 はあまりにも空虚だ。



 「夢を持て」 そう訴える自分の言葉が、子どもにとって世界中の意味をもつような、そんな生き方をしたいと思う。







あとがき

 最初は半信半疑で始めたこのブログだが、このような素晴らしい出会いを与えてくれたことに感謝している。おかげさまで決意を新たにすることができた。リアルな繋がりのきっかけとしてのバーチャル。そんな位置づけがふさわしいのではないかと思う。

2010年7月1日木曜日

いよいよ明日

 明日、この『分かち合いたいこと』のオフ会がある。
参加予定者の中には、わざわざ遠くから駆けつけてくれる
人も実際にお会いしたことのない人もいる。会ってどのような
分かち合いができるのか、本当に楽しみだ。

活字ではなく、生きた人間からしか得られないエネルギー
というものがある。参加した皆がパワーアップして家路につく、
そんな会になればいいと思う。

 今夜もいい夢が見れそうだ。


        大裕


p.s. 7月3日(土) 18:00からお茶の水駅前の居酒屋で行います。
今からでも参加したいという人は以下の番号/アドレスに。
日本滞在中(7月いっぱい)の携帯です。

また、明日の会に直接関係のないことでも気軽に連絡して下さい。 

090-6598-7216
t00610027@softbank.ne.jp