2010年7月22日木曜日

「先生」 になるために ~ 翼1 ~

 教員という仕事の目的は 「先生」 になることだと思う。人の先生になるということは容易なことではない。知識だけではどうにもならない。求められるのは、全くの他人を人として育てるだけの人間としての器だ。植物と一緒で、いくら成長する要素があったとしても小さな鉢植えの限られた養分の中では植物は大きく育たない。教員自身が成長しなければ生徒も成長しない。



 自分は、高校生だった頃からの夢を追求するため、教員生活の途中で区切りをつけた。離任式では、小関先生の助言もあり、多くを語らなかった。話自体はものの15秒で終わったのではないだろうか。僕を知る生徒や教員はさぞ驚いたことだろう。それまでずっと、 「語ってなんぼ」 というスタイルでやってきた。鈴木大裕は最後に何を語るのか、そう思っていた人間も少なくないと思う。



 その場で言ったことは今でもよく覚えている。



   「短い間でしたが、がむしゃらにやり、失敗ばかりの7年間でした。」



 これが僕の素直な気持ちだった。手を抜いたわけではない。自分としてできる限りのことはしたつもりだが、自分のキャパがあまりにも限られていたのだ。







 このブログでは、自分や自分の教え子のことよりも小関先生や彼の教え子のことについて多く書いてきた。小関先生には、 「いつになったら翼や大山、米倉のことについて書くんだ?」 と言われてきた。書かなかったのではない。書けなかったのだ。




 今までは、小関先生の教えを振り返りつつ、少しずつ自分の体験を整理してきた。そして数日前、21歳になった翼と酒を飲んだ。



 最初の卒業生と酒を飲むということだけでも、教員にとっては一つの節目だが、僕にとってはそれ以上のものがあった。やっと一つ、書けそうな気がする。


(続く…)

2 件のコメント:

  1. なんだか。
    パソコンを前にして、これを書いた大裕の心が届いちゃったのかしら。なぜか本文の続きを読む前に泣きそうになってしまった。

    いちばん身近で、大切で、想いを持って取り組んだことほど文字にするのが難しいこと、すごくよくわかる。同時に、それでもその想いを言葉にしてみたときに、またひとつ前に進める感じも。

    蓼科ではどうもありがとう!またゆっくり話したいな。

    返信削除
  2. そうだね。きっと避けては通れない壁だったのだと思うよ。そんな壁が幾つもあるなぁ。ありがとう。

                大裕

    返信削除