2009年9月9日水曜日

教育と法の交差点で




 今日から本格的に授業が始まった。幸先よく、今学期最も楽しみにしていたクラスから始まった。Michael Rebell教授のLaw and Educational Institutions: The Issues of Authority(法と教育機関:権力にまつわるイシュー)と名付けられたクラスだ。Rebell教授は我がTeachers Collegeの教授でありながら弁護士という異色の肩書を持つ。実は、今学期取る授業のうち、2つはコロンビアのLaw School(法学部)で行われる法律の授業だ。

 僕の教育と法の接点に関する興味は今日に始まったことではない。スタンフォード時代に書いた修士論文も、『アメリカの自由民主主義社会と道徳教育』というテーマで、益々多様化するアメリカにおける道徳教育の難しさを、過去の判例をとりあげながら論じたものだった。今年の夏、日本にいる良き同志の晶子さんと教育について語るうちに、博士論文の方向性が見え始めた。

 自分が今最も興味あること、それは教育と法、教育と政治の交差点で起こりうる改革のためのアクティビズムだ。

 ここでは教育と法のことだけに絞って話そうと思う。なぜ、教育と法が関係あるのか。僕は、修士号取得の勉強をしていた頃からずっと、一つの裁判で教育は変わる、と信じてきた。例えばこんなのはどうだろう。近年、学級崩壊という現象は珍しくも何ともなく、社会現象とまで言われるようになった。もし、学級崩壊を起こしているクラスに子どもを持つ親たちが、授業妨害をしている生徒の親を訴えたらどうなるだろうか。

 「あなたの子どものせいで、私の子どもの教育を受ける基本的権利が侵害されている!すぐ妨害を止めさせて欲しい!!」

 親としっかりした人間関係をつくっている教員がいる学校であったら、これくらいのことを扇動するのはさほど難しいことではないだろう。このような主張に、はたして法廷は妥当性がないと言い切れるだろうか。もしこの主張が勝訴し判例となれば、学級崩壊などなくなるのではないだろうか。

 教員の部活手当はどうだろうか。今年から部活動が学習指導要領にて学校における正規の教育活動として明記されるようになったと聞いた。だとしたらそれは教員の正規職務と見なされるわけであり、土日やそれ以外の勤務時間外の部活指導には、正規の報酬があって当然だ。少なくとも千葉市では、日曜日に部活指導を6時間以上行ったとしても、部活手当として教員に与えられる給料は合計1400円にも満たない。これを時給にしたらどうなるのか、計算して欲しい。これはもはや時間外労働などの次元を超えているし、労働基準法にも反しているのではないだろうか。もし教員組合が有能な弁護士をつけて県や国を訴えたら、問題は部活でとどまることなく、教員の時間外労働の多さにも光が当てられるだろうし、究極的には学校が担わされている社会負担にまで議論が及ぶのではないだろうか。

 『教員のモラル低下について』でも書いたが、自分が追求したいのは、法を使った教員のエンパワメントだ。それが、教員が教え浸り生徒が学び浸る環境づくりにつながると信じている。

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