2010年1月20日水曜日

「叱るとは愛すること」




1. 背負わせること

   「あいつ背負うもの持ってないもんな。」


自分が中学校教員時代、良く聞かされてきた小関先生の口癖だ。力はあるのにどこか煮えきらず、何となく生活している他学年の生徒を指して、よくこう言っていたのを覚えている。小関先生に言わせれば、そういう生徒は周りの大人に育ててもらっていないのだ。



 では、小関先生にとって 「育てる」 ということはどういうことか。それは 「責任」 を与えることと深く関係しているように思う。



 一番分かりやすいのが、体育祭応援団の指導だ。



 自分がいた中学校の体育祭、一つの目玉は紅白両応援団による応援合戦だった。だから、体育祭の時期になると、人前に出るのが嫌いじゃない生徒たちがこぞって応援団に志願した。組が決まり両組の団長選出が終わるとすぐに応援団が動き出す。CDを持ち寄ってテーマソングを決め、立ち位置や振り付け等を練習するのだ。放課後はもちろん、時期が迫ると朝練まで行う。



 そして、体育祭数週間前になると、全校生徒が紅白の2チームに分かれ、応援団主導による全体練習が行われるのだ。



 体育科の教員でもある小関先生は、毎年どちらかの組の顧問を任される。では、応援団顧問としてどんな仕事をするのかと言えば、何もしないのだ。何もしないことが仕事だと言っても過言ではない。



 教員にとって、生徒を前に何もしないということがどれだけ難しいかお分かりだろうか。教員は皆、教えたがる生き物だ。その意欲は必要だ。でも、手を取り足を取り教えることが生徒のためになるとは限らない。



 応援団の全体練習。基本的には生徒による生徒のための練習だ。団長がマイクを握り、200~300人の中学生たちを団員達の協力を得ながら指揮する。体育館では生徒たちのおしゃべりする声がうるさく、校庭では団長の声が全生徒に届かない。全生徒の注意を促すのに時間はどんどんなくなり、団長も団員もパニック状態に陥る。



 周りで見ている教員として、いったい何をすべきか。頑張ろうとしている団員たちを助けようと、「静かにしろーっ!!」 と大声を出すのが普通の教員だ。そういう柄じゃない教員は、生徒の間に入り、「静かにしなさい」 と言って回る。



 小関先生はというと、ただ体育館のステージに座って静観するだけだ。にやにやしながら。



年輩の教員になればなるほど文句を言う。



   小関先生は応援団顧問のくせに何もしない。



だが、小関先生に言わせれば、無責任なのはそこでほいほいと手伝ってしまう教員たちの方なのだ。大人の協力を得て他の生徒たちを静めたところで、それはその子たちの真の力にはならない。転んだ子どもには自ら立ち上がることを教えなくてはいけないのだ。また、大人の協力なしには不可能なのに「できた」と勘違いさせるのも良くない。むしろ、人前で話したり人を動かしたりすることの大変さをしっかりと学ばせた方がよっぽど良い。



 『不自由していないことの不自由さ』 でも書いたが、大事なのはまず失敗を経験させることだし、「困らせること」なのだ。Maxine Greene(マキシン・グリーン)が言うように、自分の前に立ちはだかる「壁」はそれを乗り越えたいと思うから障害と感じるわけであって、そう思わない人間にとってはただの背もたれでしかない(Dialectic of Freedomから)。

 乗り越えたい壁を見つけた時、人は変わり始めるのだ。





2. 教育ではなく、大量虐殺

 「先生、どうしたらいいですか?」



小関先生が待っているのはその言葉だ。本気で学ぼうと思っている子どもは、スポンジのように教えを吸収する。真の学びはそこから始まるのだ。



 それに、小関先生に言わせれば、すぐに力を貸してしまう教員は、子どもの力を侮(あなど)っているのだ。子どもたちは大人の想像をはるかに上回る可能性を持っていると彼は心から信じている。だからこそ、彼らの可能性を大人が決めつけてしまうのはあまりにもむごい。信じて見守ってあげさえすれば、子どもはできるのだ。



 『勝って己の愚かさを知る Part II ~可能性無限~』 でも書いたように、今回教え子が全国制覇をしたことによって、自らのモットーとしてきた「可能性無限」の真意を改めて学んだ小関先生である。だからこそ、教員たちに対する目は厳しい。特に厳しいのは、自分の教え子で教員になった若者に対してだ。



彼らに対して小関先生は平気で言う。



  「お前がやっているのは教育ではなく、大量虐殺だ。」







3. 「どれだけ子どもに持たせてやるかが勝負」

 
 自分の組の生徒たちを静めるだけでパニック状態の応援団を、「さあどうする?」と言わんばかりに小関先生はにやにや見守る。



 彼らがお手上げ状態で助けを求めに来ても、小関先生は役に立つアドバイスを与えるだけで自分が前に出ていくことは決してない。教員はあくまでも黒子であって、主役は応援団の生徒たちなのだ。大事なのは、本当に自分たちだけでやるのだ、と彼らが自覚を持つこと。成功するも失敗するも全て自分たちの肩にかかっている…、そう自覚することから彼らの動きは変わってくる。



 生徒たちが自らの責任を自覚し始めると、小関先生は多少の無理を聞いてあげるのだ。



 生徒が「…が必要なんですけど」 と言えば、「何とかしよう」とリクエストに応じ、「~したいんですけど、やってもいいですか?」と訊けば、「怪我するなよ」と答える。



 こうして生徒たちは感謝の気持ちを持ち始め、自分たちを信じて見守ってくれる先生の期待に応えようとするのだ。彼は言う、




   「どれだけ子どもに持たせてやるかが勝負だ。」






4. 「臨機応変」


 もう一つ分かりやすい例がある。修学旅行だ。小関先生は学年主任も務めてきたが、小関学年の修学旅行、メインテーマは「背負わせること」と言っても過言ではない。だが、そのやり方も一味違う。細案(さいあん)を作らないのだ。



 細案とは、いつ、どこで、誰が何をしなければいけないのかが一目瞭然でわかる分刻みのスケジュールのことだ。僕が過去に見てきた細案は、誰がどこに立たなければいけないのか、ペンが何本必要なのか、係一人ひとりのセリフまで綿密に書かれていた。ちなみに、これは修学旅行に限ったことではない。3年生を送る会や、文化祭などの行事でも同様の細案が用意される。



 いったい何のためなのか、誰のためなのか。はっきり言って、生徒のためと言うより教員のためだ。生徒が失敗して自分たちが責められないように。



 そのようにして作り上げられた修学旅行や自然教室に僕自身同行したことがあるが、係の生徒たちは、まるでとりつかれた様に細案ばかり見ている。そして、多くの教員たちは、決められた通りに動けるようになった子どもを褒めるのだ。大人になった、と。



 はたして、スケジュールを見ないと動けない人間は「大人」なのか。



 小関学年が目指すのは、「臨機応変」だ。



事前から実行委員会、班長会、係会を何度も行い、生徒たちは当日の流れを頭の中でイメージする。さあ、バスが学校を出発する。その前に自分たちは何をしなくてはいけないのか。誰か乗っていない者がいないか。忘れ物はないか。気分が悪いものはいないか。各自が任された係の仕事を責任もって考えれば、為すべきことは自ずと分かるはずだ。大事なのは、一人ひとりが瞬間しゅんかんで自分がすべきことを考えることだ。本当の大人は、流れていく時間を不自然に分刻みにしたりはしない。



 では、小関学年では教員たちは何をするのか。応援団指導の時の小関先生と全く同じである。何もしないのだ。ただ信じて、生徒たちを見守るだけだ。
「さあ、次はどうする?」



5.「叱るとは愛すること」


 人が背負う物の中で一番嬉しくもあり、大変でもあるものは人の想いであることを小関先生は知っている。だからこそ、小関先生は時間をかけて、人の想いを背負うことの喜びと、背負えるだけの強さを育てようとする。それは、自分の想いの他に、友達の想いであったり、学年の先生だったり、共に汗を流してくれる部活の顧問だったり、親の想いだったりする。

  

 特に、朝も放課後も週末も、年がら年中自分と係る剣道部の子たちにおいては、小関先生は「この人に捨てられたら自分は終わりだ」というだけの人間関係をつくりあげる。だからこそ、叱り方も独特だ。



 教員時代、僕は生徒を叱る時には必ず怒鳴ったり、威圧的な態度を取ったりする教員を多く見てきた。自分自身そうすることも多かった。



 小関先生を良く知らない教員は、おそらく彼もそうしているのだろう。だから、剣道部の子たちも彼に対してあそこまで従順なのだろう、と勘違いする。だが実際はそうじゃない。僕は、彼と共に働かせてもらった6年半の間、一度も彼が剣道部員を怒鳴りつける所を見たことがない。



 小関先生が叱る時は、たった一言だ。



   「もういい。お前勝手にしろ。」



その一言で生徒は泣き崩れる。



 小関先生は言う、



拠り所となる人間関係があってこそ、子どもを叱れるんだ。


    「叱るとは愛することだ。」








6.終わりに ~僕が背負わせてもらったもの~

 「背負わせること」というテーマについては、いつか書かなければと思ってきた。頭の中で構想を練りながら、蘇ってきたのは自分の高校留学時代のことだ。今考えれば、高校二年生の夏に単身渡米した自分もまた、親からたくさんの想いを背負わせてもらっていた。



 日本では、親がお金のことを子どもに心配させないことが美徳とされるところがある。でも、うちの場合は違っていた。留学について親からGoサインをもらい、浮かれていた僕に親が教えてくれた。



 あなたが留学するために一年で170万円かかる。家計は苦しくなるけど私たちは我慢するから、あなたは勉強をがんばりなさい。



 170万といえば、16歳の自分にとっては未知数の金額だ。その時初めて気付いたのだ。自分は大変なことを言いだしてしまった…。





 高校留学時代、僕はいつもひもじい想いをしていた。
ニューイングランドの全寮制プレップスクールには、全米だけでなく、世界各国から裕福な家庭の子どもが集まって来る。周りは皆、高そうな服を着て、長期休みには必ず親とどこかのリゾートに行くようなボンボンばかりだった。



 一番きつかったのは食べ物だ。外にはもっと広い世界があり、中には 「一度でいいからお腹いっぱい食べることが夢だ」 と語る子どもたちがたくさんいることを知った今、なんて甘ったれた話なのかと恥ずかしくさえ思う。しかし、その頃の自分にとっては深刻な話だった。



 育ち盛りの年齢の子どもたちにとって、学校の給食でお腹が満たされるはずもない。6時半に夕食を食べても、9時までにお腹はぺこぺこだ。そこで、周りの友人たちは夜、スタディーホール(決められた勉強の時間)が終わると寮にピザを頼んでいた。皆、悪気なく僕にも声をかけてくれた。Daiyuも一緒に頼むか?



そんな時、決まって僕はこう答えた。



「いや、今は腹減ってないからいいや。」



 明らかな階級の違いに劣等感を感じていた自分は、 「お金がないから」 とは口が裂けても言いたくなかった。その頃の自分は一カ月1ドルの小遣いでやっていた。毎月決まって、1ドルでたくさん入ってる飴の袋を買うのだ。長い間口の中に残る飴は、口寂しさを紛らわせてくれたし、それを友達に振舞うことで自分の劣等感を埋めようとしていたのかもしれない。



 そんなことを知らない友人たちは、決まって訊くのだ。



この部屋で食べてもいいか?

ああ、いいよ。どうせ外に行こうと思ってたところだ。



 1時間ほどしてから帰ると、僕の部屋はいつもピザのいい香りに満ちていた。すると、我慢できない僕は、先生に内緒で隠し持っていた電気クッカーを取りだし、親に送ってもらったカワハギの干物をそれで炙(あぶ)るのだ。壁に向かい、しゃがみながらカワハギを炙るその絵が、なんともみすぼらしく思え、僕のひもじさを倍増させた。そして、部屋に立ちこめるカワハギの匂いは、ピザの匂いと比べてなんと品がないのかと、罰当たりなことを考えるのだった。



 でも、そのひもじくて悔しい想いが、自分を強くしてくれたのだと思う。こんな奴らに負けるもんか。自分を留学させてくれている親のためにも、何時間かかっても絶対負けない。そういう想いで勉強することができた。そして人生の師となる先生にも出会い、世界中の全ての知識を吸収しようと思った。



振り返って初めて分かることだが、その時に経験したハングリー精神が今の自分を支えている。もしあそこで、親が教えてくれなかったら、残された家族にかけている迷惑も苦労も知らなかったら、自分は同じように頑張れただろうか。



自分たちの想いを託し、それをしっかり背負うことを、親は教えてくれていたのだ。



 二人の子どもの親となった今、心に誓うことがある。
いつになるか分からないが、彼女たちが本気で何かをしたいと望んだ時、妻と共にできる限りの無理をして、我々の想いを託してやろう。

4 件のコメント:

  1. 大裕、いい話を共有してくれて、ありがとう。
    大人が教えることなく、子どもが体験を通して自ら学んでいけるように工夫することこそが一番の教育であるという考え方、考え方としてはずっと昔から理解しているつもりでいたと思う。でも、たまに出会う子どもたちではなくて、実際に毎日子どもと向き合っていたら(2歳児を相手にしていたって、笑)それはとても大変なこと。
    中学生ならなおさらで、見た目も話しぶりも大人っぽくなってきている子たちを目の前にすれば、大人はどうしたって口で諭してしまいがちだよね。「教師とは教えたがる生き物」ってまさにそのとおりで、教育に関心があったり、トーク慣れしている人であるほど、ただ「待つ」ということが難しい。私もまさにその一人です。
    そして、子どもを信頼して「背負わせる」ということもすごくすごく共感します。私は残念ながら、自分の学校生活の中で教師からそれを伝えてもらったことがないな。だけど、今の職場のピースボートでその大切さを日々実感しているかもしれない。
    海外で震災があったとき、集めた募金を持って現地に飛ぶのは、ベテランでバイリンガルのスタッフではなくて18歳くらいの若い子たち。中卒で英語もおぼつかない子たちが、みんなの集めた募金でブルーシートを買い込んでリュックひとつででかけていく姿はまぶしくてしかたがない。「あなたの家族には何人の人がいますか?」と即席英会話レッスンで覚えていった一文をメモにして、200世帯に家を建ててきた。そのあいだ、寒空の下、自分も寝袋で寝泊まりしながら過ごしてきた彼らは、必ずひとまわりもふたまわりも成長して帰ってくる。元ドカタだった彼らが、みんなの想いを背負って行ったからこそできることで、海外慣れしているはずの私が行ったとしても家が一つできたかどうかさえ怪しいよね。
    自分は、子どもたちに、どれだけの信頼と責任を愛とともに「背負わせて」あげることができるか。一生の課題だなあ。考える機会を、どうもありがとう!

    返信削除
    返信
    1. ごめん、愛さん。今気付いた!何でだろう…。
      いつもコメントありがとう。子どもに「背負わせること」、小関先生のやり方を知っていても、難しいのは変わりない。自分もまだまだ先は遠いなぁ~。
      大裕

      削除
  2. 大裕さんが、初めて小関先生に会わせてくれた時のこと、今でも覚えています。その時私はこんな質問をされました。
    「どうして英語を教えてるの?」「それはみんなができるようにならなきゃいけないの?」
    当時の私は、どうやったらみんなが英語に興味を持ってくれるのか、どうやったら英語が好きになってくれるんだろうってそればかり考えていました。
    私は小関先生のことは、大裕さんを通じてしか知らないけれど、大裕さんのブログで読んで、そしてその時の周りの環境や、自分の環境を交差させながら、ようやく小関先生の思いや考えが(今更ですが)ストンと私の芯に落ちた気がします。大裕さんがあの時私に言った「恭子さんには師となる先生がいないんだね。。。」という言葉。そして、「枠」から学ぶ大切さ、今の留学生活も、主人のおかげで成り立っているんだという感謝の気持ちを大切に
    また、ひもじい生活(最近、自分がみじめに思えてくることもあった。。。)も今だからできる試練(試練なんていえないけど。。)なんだと思って、頑張ります。
    そして、何も言わずに、「行って来い」と送り出してくれた主人のご両親の想いも背負って、今ある生活をしっかり勉強してきたいと改めて考えさせられました。
    お互いがんばりましょう!まだまだ芯ができてない、私です。。。。小関先生に鍛えなおしてもらいたい。。。。あっダメだダメだ。まだまだ自律の精神ができてませんね。。。(笑)
    子供だちに信頼と責任、愛をあげる前に、まずは自分が体験したいと思います。イギリス出張の際はぜひ、教えてください^^

    返信削除
  3. 恭子さん、
     よく覚えてたね。学びには賞味期限はないから大丈夫。それに、鍛錬なしの自立はあり得ないよ。気が向いたら思いっきり鍛えてもらえばいい。学ぶ姿勢を持っている人間を小関先生は拒まないよ。ふぁいと~!!  大裕

    返信削除