2010年3月27日土曜日

「去る時に惜しまれる人であれ」

 今年も離任式の季節がやって来てしまった。
自分が教員としてお世話になった中学校からも、それなりの人数の教員が去って行かれる。中でも、自分が特にお世話になった先生方が3人、思い出の詰まった校舎を後にする。



 小関先生、事務の田仲先生、そして養護の山本先生だ。
 このブログを読んでくれている人の中で、小関先生のことを知らない人はいないだろう。(考えてみればそれもすごい話だ。)でも、後の二人の先生は初登場だ。初登場とは言っても、小関先生を影で支え続け、僕の教育観にも影響を及ぼして下さった先生方なので、既に何度もブログに登場して頂いた錯覚まで覚えてしまう。



 事務の田仲先生は、教員となった僕が出会った人たちの中で、教育を熱く語れる数少ない人物だった。学校の事務員という立場から、常に学校運営を冷静に見つめ、我々教員が子どもの教育という仕事に専念できるよう、影の仕事を全て引き受けて下さっていた。



 それだけではない。以前はテニス部の顧問を務め、県大会まで経験した熱血事務員だ。だから、教員の評価の基準となりがちな、教育とは関係のない事務仕事よりも、自分が受け持つクラスや部活の子どもたちを見て、僕を評価して下さった。



 穏やかな反面、頑固で筋を通さずにいられない性格でもあり、職員会議で立ち上がって職員たちを叱りつけることもあった。(そんな時、小関先生は必ずにやにやと田仲先生を見ているのだった。心の中では 「お~、もっとやれやれ~ -^o^-」 と思っていたに違いない。)僕が野球部を指導するところを、いつも2階の窓に肘をついて見ていた田仲さんの姿が自分の目には焼き付いている。



 養護の山本先生はと言えば、僕は彼女のような養護教諭とは出会ったことがない。優しさの中に厳しさを併せ持つ、素晴らしい日本の女性だ。



 「女性らしい」 なんて言うと一部のフェミニストに怒られてしまうが、山本先生には間違いなく男性にはない何かがある。曖昧だが、彼女の優しさも、厳しさも、謙虚さも、心遣いも、立ち振る舞いも、子どもとの接し方も、何もかもが女性的に見えるのだ。男には真似のできない女性の強さがそこにはある。

 

 田仲先生同様、穏やかな半面、筋の通らないことは許せない性格だ。だから若い教員はもちろん、ベテラン教師も甘やかさない。あんなにとびきりの笑顔で男性教員にダメ出しをできるのは、僕が知る限りでは彼女だけだ。そうそう、近年男の子にありがちな母親依存症(逆もまた然り)に気付けば、母親を保健室に呼んで生徒指導ならぬ母親指導することもあった。



 もちろん、生徒に対しても同じだ。山本先生は優しく、厳しい。心や体のケアを必要としている生徒に寄り添い、少しでも甘えの見える生徒はすぐさま教室に突き返す。 「ショック~!」 と言いながら帰る子たちも、皆山本先生が大好きだ。子どもたちとの信頼関係を通して、彼女は子どもたちのあらゆる情報をつかんでいた。



 処置をしつつも、常にその子が独り立ちできるように支援する…、生徒と接する彼女の姿にはそんな母親の愛があった。おかげさまで山本先生がいらして以来、我が中学校の保健室利用者は激減した。保健室に入り浸る子どもたちが全国的な増加にある中、これこそ学校の健康の度合いをを示すバロメーターだと思う。



 話し始めたら止まらなくなってしまった。ただ、これだけは言っておきたい。自分は教員時代、この二人の先生方にどれだけ救われたことか。もしこれで現在は教務の関先生まで抜けてしまっていたら、我が中学校の縁の下の力持ちは壊滅してしまうところだった。皆、本当に子どもを愛し、小関先生を影で支えてきた素晴らしい教育者だ。



 小関先生が毎年3年生に言い続ける言葉がある。



「去る時に惜しまれる人であれ」



 皆、この言葉を自分たちの生き方で実践してきた先生方だ。
小関先生、田仲先生、山本先生 - あなたたちがなさった尊い仕事に敬服し、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。



平成22年3月27日 

鈴木大裕

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