2010年3月25日木曜日

目的と手段の一致 Part II ~仕事と人生~

我が家の毎晩の風景。2歳3カ月になる愛音が寝る横で勉強する。
とりあえず8:30頃には子どもと寝てしまうことにしている。
そして、小一時間ほど寝ると、集中力も復活するので、
誰に邪魔されることもなく、自分の気が済むまで勉強ができる。




この頃、僕に二人の娘がいることを初めて知ったクラスメイトに、 「大変だねぇ」 と言われることがよくある。僕は決まって



「全然大変じゃないよ。」



と返すことにしている。そして、そう口にする度に、小関先生が同じ言葉を言っていたのを思い出す。









小関先生はいつも忙しい人だ。
たくさんの大事な仕事を請け負うために、それらが重なることも日常茶飯事だ。例えば、3学年の学年主任をすると同時に担任として受験生を受け持ち、全国クラスの剣道部顧問(男女)として朝練・午後練の他毎週末のように県外へ遠征、その上小中学校体育連盟の事務局を務めていたこともある。



大変だねえ、と他の教員や保護者から寄せられる同情に小関先生はケロッと答える。



全然大変じゃないっすよ。



一つには、相手に気を遣わせないという彼の器の大きさがある。

受験を控えた3年生の生徒たちにもいつも言っていた。



受験生だからと言って親や周りに気を遣わせてるようじゃ勝負には勝てない。



もう一つは、きっと小関先生にとっては、大変だけど大変じゃなかったのだ。小関先生を見ていて常に思っていたのは、彼にとっては教えるという仕事と人生の境が存在しないのだ。だから、体は大変だけど心は全然大変じゃない。



現に、小関先生はいつも言っていた。



子どもといる時が一番心が休まる。



そんな小関先生を見ていると、 「仕事」 というものについて考えさせられる。



仕事を生きていく上でのoccupationと考えるのか、missionと考えるのか…。

仕事は生きるための 「手段」 と受け入れるのか、

仕事こそ自らの生きる 「目的」 と信じるのか…。



教えることは、小関先生にとって生きることそのものなのだ。









僕が、 「大変だねぇ」 、と人に言われ、 「全然大変じゃないよ」 と返すのも、決して嘘ではない。同じ学生をやってても、成績のために勉強している人はいつも 「大変!」 と言っているように思う。でも、以前、 『こなすのではなく』 でも書いたように、学びたいから学生をやっている人間にとっては、全然大変なんかじゃない。子どもが寝ている夜中に勉強したり、勉強以外の自由な時間がないという点では、家族をもっていない学生よりは確かに大変かもしれない。でも、それが苦になったりはしない。自分に与えられた環境に感謝しつつ、自分にできる精いっぱいのことをやるだけだ。それに、子どもの存在こそが妻との絆を強め、僕の情熱と勉強の懸け橋となってくれているのだ。



このブログに関しても同じように思っている。大変だけど大変ではない。だからこうして続けられているのだと思う。いつも宿題や睡眠の時間に食い込んでくるが、こうして書くことそのものが自分の学びになっていると信じている。その意味ではこのブログと、目の前の勉強と、自分の人生の境目は感じない。小銭を稼ぐためや、何かその他の目的のためにやっている人はどれだけ大変かと同情してしまう。



どんな人生を送るためにどんな仕事をするのか。大事なのは目的と手段を一致させることなのではないだろうか。



もちろん、全ての人が自分のライフミッションを見つけられるわけではないし、見つけたとしてもそれに従事できない理由がある人もいるだろう。でも、もしそうすることが可能な環境に恵まれたなら、その人にできることは、自分の恵まれた環境に感謝しつつ、自分の目指すべき生き方を謳歌することなのではないだろうか。それが、自分の人生に責任をもつことであり、自分に与えられた命に対しての恩返しなのだと僕は思う。

4 件のコメント:

  1. 大裕さん

    こんにちは。
    今日、てるみちゃんと初デートしました!!!笑
    もう本当、「どうしよう!!!」って思うくらいに素敵な子でした。
    メールで連絡をとっている間から、すごく楽しい子だな、という印象はあったのですが、想像をはるかに超えてて…!!!笑
    大裕さんとも何度もお会いしているということで、なんだか照美ちゃんを通して大裕さんのエネルギーまで伝わってくるような気がしました。

    今回の記事と、今日照美ちゃんと過ごした時間の中で少し似た話をしました。
    それは、「忙しさ」のこと。
    忙しい、時間がない、大変、これってきっと、自分自身が勝手に作ったものさしで決めていることなんですよね。
    しかも、そんなことを口にしているときほど、時間を無駄に過ごしていたり、暇を持て余したりしがち。
    少し前の私もそうだった…。

    でも、最近出会った人で、素敵な言葉をくれた人がいるんです。
    それが、「神様は、どんな状況や環境にいても、あらゆる試練と成功を平等に与えてくださっているもの、だから自分のペースで、できることをしていれば大丈夫よ」と。

    この言葉を聞いた時、実は家でとてもsensitiveなことが起こっていて、現実をつきつけられて辛かったのですが、なんだかこの言葉に救われた気がして、涙が止まらなかったんです。

    目的と手段についても、ここ数日のつながりの中で、少し高みに近づけるかも!と思う出来事があったんです!
    だからまた頑張れそう!!照美ちゃんもいることだし!笑

    今いる自分の環境が、幸せすぎて、言葉では感謝しきれそうにありません。だからあとは、行動で示すのみ!やるしかない!!というのが最近の私の近況です。
    ある意味、境地に立たされて、今さらのことのようにも思えるけど、でも、楽しみでしかたないのです。

    長々と書いてしまってごめんなさい。
    照美ちゃんと会えたことを報告したかっただけなのですが・・・。笑


    美帆

    返信削除
  2. 大裕さんへ

    まずはみほちゃんありがとう!
    大裕さんのブログを通して知り合えた、本当に素敵な友達です。だから、大裕さんにもありがとうです:)

    部屋の写真。
    何だかあったかい雰囲気が伝わってきます(笑)

    ″どんな人生を送るためにどんな仕事をするのか。大事なのは目的と手段を一致させることなのではないだろうか″

    どうだろう。私にはまだ、この言葉を自信を持って言える自信がありません。人生の夢や目標を果たす方法は、やっぱり「仕事」なのですか?それとも大裕さんの言う仕事とは、私が描いているjobとは少し違うのかな。

    先日俳優の哀川翔さんにインタビューする機会がありました。彼の話を聞いていると、自分の望んでいる手段(仕事)とは違った選択をしても、人生を輝いて生きている人はいるのだと感じます。彼は仕事に対して、「求められている道を行け」と言います。自分のやりたいことと、人から求められていることは必ずしも一致しない。そんな時は自分を欲してくれる場に行くのが一番だと。例え一番に望んだ環境でなくても、精一杯自分の力を注ぐ努力をすれば、そこで最高の達成感と喜びが得られる。そんな話をしてくれました。人生の喜びと、仕事から得られる喜びが重ならない人もいる。手段が目的と一致しなくても、仕事だからと割り切る人がいる。「仕事の目的は夢や自己実現では無い」と言い切る人にも出会いました。それは悲しいことなのですか?もしも私がそんな風になったら、大裕さんはがっかりするかな?

    哀川さんの話を聞いた時、それは何かを諦めたり妥協することになるんじゃないかって、納得できないようにも感じました。「現実」や「仕事」という言葉を発する表情も、どこかポジティブではない雰囲気だった。でも大裕さんの言葉を聞いても少し不安になる。目的と手段が一致出来なかった時、大裕さんに同情されるなんて絶対にごめんです。

    自分にとって何が幸せなのか、まだよくわからないけれど、でも自分がやりたいと思っていることを、周りも私に求めてくれる人になりたい。大裕さんのメッセージや、出会った人たちの話を聞いて余計にそう思うようになりました。

    てるみ

    返信削除
  3. てるちゃん、
    大裕さん、

    夢を叶えたり、自己実現や目標を達成したりすることと、そのための手段として選択する仕事の一致って、可能なことだと、今は思っています。

    だって実際にそうやって生きている人もたくさんいるし、もちろんそうでない人もいるけれど、もしも手段を理由に何か目的や目標を諦めたとするなら、きっとそれは、その人の甘えや努力不足ではないのかな。

    恥ずかしいけれど、少し前の私もそうでした。
    もう、どうしようもないくらいに、時間とお金をつまらないことに浪費して、周りからの見た目やイメージを気にしすぎて、後悔や失敗、親を傷つけたかもしれないこともあります。私は頑張った、と自分で言っていたんです。

    でも気づいたら、自分の中になーんにも残ってない。空っぽなんです、悲しいくらいに。それにいつもどこか辛かった、本当の自分では無くなっていく気がして。そしてすごく恥ずかしくて自分がみじめでした。

    どんなに自分が好きなことをしていても、きっとどうしようもなくつらいこともあるかもしれません。でも、本当にその人が前に進もうとしているなら、追い込まれたときほど、周りの友人や大人たちが手を差し伸べてくれている気がします。

    「仕事の目的は夢や自己実現では無い」と言った人、本当はどこかで納得していない気持ち、その人なりの葛藤もかなりあるんじゃないかなって考えてしまいます。たしかに、自分のことばかり考えて、気付かぬうちに誰か何か、大切なものを失うかもしれないという不安も分かる気がします。

    でもそれが悲しいことかどうかは、その人自身の決めることだから、てるちゃんがもし、それを悲しいと考えたら、きっとてるちゃんにとっては、その人と同じ時間の過ごし方をすべきではないのかも。むしろその悲しみや寂しさを打ち消す方法で進めばいいのだと思います。

    また、悲しむのは自分ではなくむしろ周りの人たちで、だけどその人が本気で何かに向かっているなら、きっと温かく見守ってくれると思うよ、と前にアドバイスを受けたことがあります。

    だって世の中のつながりを考えたら、仕事の目的ってひとりよがりではいられないし、相手がいるからできることばかりだと思うのです。

    以前、大裕さんのブログに、私の夢と題して投稿させていただいたことがあります。実はあの時、自分の夢を言葉にしたのは初めてで、相当恥ずかしかったんです、笑。

    でも不思議なことに、それから私はその夢にぐんぐんと近づいています。手段が見つかり、スキルアップとステップアップの兼ね備えた目標も一つずつ明確にになってきています。だから、そんなチャンスをくれた大裕さんに本当ありがとうって言いたいです。
    そしててるちゃん、あなたにも。昨日は短い時間ではあったけれど、てるちゃんに会えて、私はまた眼が覚めました。だから本当にありがとう。

    あとは私は自分の体力を維持して、目の前にある山をマイペースに登って行くだけ。人生が短距離ならスタートダッシュでの遅れは大きな痛手になるかもしれないけれど、フルマラソンにしてみたら、最初から一番前にいるひとが最後まで一番で走り続けるなんて誰も想像しないですよね?:‐)

    返信削除
  4. 小林美恵子2010年3月27日 10:38

    みほさん、
    てるみさん、
    大裕さん、

    「仕事」は人生においてどのようなものかって、人それぞれなのだと感じます。みほさんや、てるみさんのコメントを読んで、本当に色々な捉え方があるものだなぁと、思いました。

    「仕事の目的は夢や自己実現じゃない」って、私にはよく理解できます。以前の職場で、定年を間近に控えた上司がたった4年のキャリア経験で退職を選んだ私に話してくれたことを印象的に覚えているのです。
    「若いっていいね、小林さんは望めばきっと何者にでもなれるよ」と。そして「私なんて同じ仕事続けて40年、仕事が生きがいってわけでもないけど守りたい家族がいるからね。平凡だよね」って。私はそんな上司をカッコいいなと思いました。上司にとっては仕事は夢や自己実現じゃなかったけど、働くことの目的ははっきりしていて、例えば家族が幸せであることとか、そういうことかなって。

    仕事において「求められている道をいくこと」それも幸せなことだと私は思いました。自分ひとりでは「個性」というものが存在しえない世の中で、他者が私に求めてくれる役割というのは、「期待」や「信頼」と同様の意味を持つものではないかと思います。

    誰かを必要とすること、誰かに必要とされること。
    私自身はたくさんの人の支えを必要としていて、実際に支えられています。だからこそ私を必要としてくれている人の役に立てるように、今前進しているところです。

    返信削除