2009年9月3日木曜日

君たちに伝えたいこと② ~「時間」について~ 2001年作

これは教員になる直前に書いたもので、当時都内の留学予備校で担当していた留学希望の中学生や、未来の生徒たちに宛てて書いたものだ。


 僕にとって、親から与えられた「大裕」という名前を生きることほど難しいことはない。現在28歳。今まで、なんてゆとりのない生活をしてきたかとつくづく思う。もっとも、アメリカに留学するまでは、「ゆとり」なんて概念は僕の中に存在しなかったように思う。その頃は、朝起きて、朝食を取り、普通に学校に行き、友達と笑い、部活に行き、帰って寝るという、決められた生活に自分をハメ込んでいただけだった。普通の生活は簡単だった。

 だけど、日本人が1人もいないだけでなく、留学生を特別扱いしない学校をあえて選んだ僕は、留学を始めてからは毎日狂ったように勉強しなければならなかった。日本の高校とは比べものにならない程の宿題が出され、その上、英語も使いこなせなかった僕は、アメリカ人の友達が30分で片付ける課題を3時間かけても終わらないという始末だった。しかし、僕の可能性を本気で信じてくれる先生方に恵まれ、学ぶことの楽しさをかみしめながら、常に自分にデッドラインを課してがんばった。今日中にこれやって、金曜までにあれを終わらせなくちゃ、という感じ。思いがけず時間ができた時も、自分で新しい課題をつくることによって、無駄な時間を無くそうと心がけた。大学はもっと大変だった。もうこれ以上勉強できないというくらいやった。話に聞いたことはあるかもしれないが、アメリカの大学ではかなりの勉強量をこなしていかないと卒業できない。事実、僕の周囲だけでも落第を食らった学生が5、6人はいた。大学院は大学以上の難しさだった。連続50時間眠れなかったこともあった。

 そんな僕のスケジュールはいつも分刻みで動いていて、僕が時間を使っているのではなく、まるで時間が僕を動かし、時間が僕の命を消費して生きているようだった。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出す。時間を1秒でも無駄にしないようにとせかせか働く人間たち。でもそうすればする程、時間は貯まるどころかどんどん無くなっていく。理解できない時間の不思議。でも、のんびりきままに生きる浮浪者の少女、モモだけはそれをちゃんと分かっていて、イライラ生きている町の人たちを悲しそうに見つめている。

 「時間」という概念を最初につくり出したのは人間だったはず。海に住む魚が、「昨日は8時まで起きていたんだ」と仲間に言うだろうか。アフリカの森に住むチンパンジーが、「6時までに家に戻っていなきゃ」と気にするだろうか。魚たちは自然に訪れる眠りに身を委ね、チンパンジーたちは闇に伴う危険やその他の自然の摂理せつりに基づいて巣に戻るのだと思う。動物は時間によって動かされるのではなく、自然の移り変わりに合わせて生きているのだ。多くの動物は、明るくなれば目を覚まし、お腹が減れば餌を探し、暗くなれば体を休め、寒くなれば暖かい環境を探して南へ下り、暑くなればまた北へと戻って行く。そんな彼らにとって、時間とは生命の流れであり、生きることそのものである。

 だけど人間は、単位を決め、様々な時計を作り、その生命の流れを計ろうとした。それは、科学がそうであるように、自然を説明し、コントロールしようとする人間の願望の表れだったのではないだろうか。文明の発展過程で時間の単位はしだいに統一の道を歩み、今ではグリニッチ時計台が全世界の時を命令している。時計という機械の狂いはあるが、1年に365日、1日に24時間、1時間に60分、1分に60秒という時間の存在自体は、愛する人と別れようとも、僕が死のうとも、核戦争が勃発しようとも、一秒の狂いもなく刻まれて行く。人類が発明した物で、時間ほど完璧な物が他にあるだろうか…。ただ、あまりにも完璧なために、誕生とともに一人歩きを始めた時間を止めることは、産みの親である人間ですらかなわない。コントロールは失われ、逆に今では我々人間が時間の奴隷どれいとなっている。時計の遅れに恐怖を感じ、時間通りに物事が進むと、良かったと安心を覚え、予定より早く行動すると、時間の先回りをしたことに妙な優越感を見つけている。時間という基準無しには生きられない、何ともむなしい動物。
 
 僕たちの生活の中にどれだけ時計が入り込んでいるか考えたことがあるだろうか。壁掛け時計や腕時計は勿論のこと、寝室のベッドサイドには当然アラーム時計があり、ステレオにデジタル時計、充電器に刺さっている携帯もデジタル表示でしっかりと時を刻んでいる。書斎に行ってコンピューターをつければスクリーンが、キッチンに入れば炊飯ジャーや電子レンジが、居間に行けば電話やテレビが逐一、時間を報告してくれる。チッチッチッチ…。聞こえていようがいまいが、時計の音は僕らの心を確実に縛しばり上げている。

 だけど、そんな人間でも、時間の束縛から解放されることがある。いつも駆け足で生きて来た僕にもそれを感じたことが何度かある。ニューハンプシャー州の高校時代も、宿題が終わらずに徹夜をすることがよくあった。そこは1年の3分の1くらいは地面が雪で覆われているような所だったが、ある晩、眠気覚ましに窓を開けて、降りしきる雪の音に耳を傾けたことがあった。雪が降る静かで神秘的なエコーを、僕は寒さも時間も忘れて聴いていた。
 
 また、何度か夏休みに日本を一人旅したことがある。アメリカ人に「日本ってどんな所?」と訊かれた時に答えられるようにするためだ。ある夏、四国に行った。日本最後の清流と呼ばれる四万十川ほとりの、車の音も聞こえない閑静なユースホステルの庭で、足を投げ出し、夕陽を体いっぱいに浴びた山の上を飛ぶ1羽の鳶を見ていた。上昇気流に身をまかせた鳶が優雅にゆったりと旋回しているのを、心が自由で膨ふくらむような気持ちで見つめていたことを今でも鮮明に覚えている。秒針ではなく、鳶の飛行や空の色の移り変わりのみが、止まることのない生命のサイクルの進行を告げていた。そして僕は、自分もまた、そのサイクルの一部であることを悟った。

 人間は秒針を忘れる時初めて、区切ることのできない宇宙の流れに無限を感じ、その無限の一部である自分の命を感じることができる。ウィリアム・フォークナーは次のように表現した。 “Father said clocks slay time. He said time is dead as long as it is being clicked off by little wheels; only when the clock stops does time come to life”(「お父さんが時計は時間を殺すと言っていた。小さい歯車にカチッ、カチッとはじかれている限り、時間は死んでいる。時計が止まって初めて時間は命を得るのだよ、って。」『The Sound and the Fury』より). 

 この頃僕は時間の命令に逆らうことが多い。夕方、仕事が終わってもすぐに家に帰らずに、スターバックスに寄って本を読んだり、夜御飯を食べた後、家を出て駅前のカフェに手紙を書きに行ったり、夜通し詩を書くのに没頭したり、夜中に近くの海まで散歩に行ったりすることもある。海辺で冬の透き通った星空を見上げていると時間の経過なんて忘れてしまう。時間というものは心のゆとりと比例していて、ぜいたくに使おうとすればする程ゆっくり流れるものなのだ。

 時間に縛られずに自由に生きよう。でもどうやって?確かに、若いうちは特に学校、部活、塾、就寝と、1日のスケジュールが決定されていることが多いだろう。でも、週末や夏休みなどには、心の赴くままにやりたいことを思いっきりやろう。時には昼御飯を食べるのを忘れて何かに没頭したり、夜通し友達と語り合っても良いだろう。自分の心に忠実にいれば、自分にとって何が大切かはおのずと分かる筈。それを時間の命令に従って無駄にするのはあまりにもバカバカしいこと。この年になって、僕にもようやくそれが分かった。                                  文・訳責 鈴木大裕

3 件のコメント:

  1. 時間は、使い方によって、未来も全く変わってしまうので不思議だな、と思いました。
      発表するまでの待ち時間ずっと、お世話になった先生方や、友達のことを思い出して絶対、後悔しないようにしよう、と思いました。支えてくださった方たちに、本当に感謝しています。自分ひとりだったら、無理なことだと思いました。

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  2. 「後悔しないようにしよう」 その通りだね。どんな時もそう心に決めて生きていけたら、どんなに自由で素晴らしい人生が送れるだろうね。大勢の人を前にスピーチをしている君の姿、見てみたかった。強くなったね。

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  3.  英語が好きになったのは、大裕先生に出会えたおかげです。来年、次のステップに向かって、もっと良い成績を残せるように、頑張ります。すばらしいアドバイスとっても感謝してます。ありがとうございます。

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