2010年3月16日火曜日

「消費資本主義と教育の商品化」 Part I

 前回のトピックからの展開として、Teachers Collegeで共に学ぶhoshinoさん、そしてフルブライト同期のmasaさんが最適な材料を提供してくれた。また、Teachers Collegeに来る前は塾に勤めていたsakiちゃんもわざわざ電話をくれた。こうして、自分の書いたものを誰かがキャッチしてくれて、そこからダイアローグが始まれば、そんなに嬉しいことはない。前回の投稿では言葉足らずな部分が多々あったので、少し膨らませて行きたいと思う。



hoshinoさんがコメントに次のように書いてくれた。



やはり教育の問題として決定的に重要なのは「学力、所得の差が、人間のwell-beingの差を決める物ではない」ということを、教育の中で大人が真剣に教える覚悟がない、ということではないでしょうか。いきなりアナログな話になりましたが、結局は個人個人の人生に対する考え方が最後に物を言う、そして、それは教育の重要な機能の一つであると言うことをなくして、政策を考えるのは非常に大きな間違いだと思います。世間の塾に対する意見を聞いていると、この点が抜けていることが多く、失望することが多いです。



また、masaさんは、学校の先生はどれだけ幸せか、という問いを投げかけてくれた。



 全く同感だ。二人の考えは、今僕が考えていることと深く繋がっているように思う。



前回、紆余曲折を繰り返しながら博士論文のテーマを考え続けていると書いたが、これが今、自分の頭の中に今居座っているアイディアだ。



「消費資本主義と教育の商品化」



英語では



Consumer Capitalism and Commodification of Education



となる。

となる。このレンズを使ってアメリカと日本の教育を分析し、前回にも書いた教員の社会的地位の向上に繋げていきたい。

3 件のコメント:

  1. 昨日はどうもです。飲み過ぎたようで、迷惑をおかけしなかったかどうか不安です・・・。

    consumer Capitalismとのことですが、この言葉、私は初めて聞きました。まず、Capitalismという言葉自体は政治学者や社会学者が使う言葉で、経済学者は使いません。経済学者が使う言葉でもっとも近いと思われるのは、free-market economyでしょうか。要するに、政府が(経済活動も含めて)国民や市場に介入することを拒否する立場、もしくは、相対的に政府の権限が小さい国・地域のことを指す言葉です。

    ですので、私からすると「資本主義」という言葉から連想する意味は非常に漠然としているのではないかと言うことが思いつきます。

    さらに、現在資本主義自体(というか政府が全面的に経済活動を行なわないこと)はほとんどの国で行なわれていることですが先進国の中だけ見てもだいぶ違いますし、日本とアメリカは先進国中もっとも公的部門の小さい経済ですが、その二つの間でも政府の役割は大きく違います。(というかアメリカが特殊すぎ?)

    これ以上いろいろ書くと教育から離れるのでやめておきますが、capitalismという言葉は人によって受け取り方が非常に異なるので、かなり込み入った定義のような物が必要であるように感じました。

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  2. 追加のコメント・・・

    大裕さんはおそらく教育が一般の消費財のように購入され、供給されている現状、もしくはそのような行為を受け入れている人々の認識を問題視されているのだと思います。では、もう一つ深く考えてみると、そもそも教育と他の財(こういうふうに書くと、何やら高級品のような感じがしますが、経済学では空気や水、さらに安全と言ったものも財と言います。)を分けている物は何なのか、という点についての分析が必要になるように思います。そうすると、そもそも国家ないし、政治行政がどこまで教育の内容を規定、というか押しつけて良いのかという問題も出てくるような気がします。

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  3. hoshinoさん、
     経済学者は資本主義という言葉を使わないとのこと、初めて知りました。でもわかるような気がします。政治学者や社会学者がアバウトに使う言葉でも、現に経済を学問として追及している人たちはもっとミクロな視点で見ているのですね。そこらへんのマクロとミクロな視点をもっともっと融合していけば、より緻密な分析ができるのだろうなとワクワクしてしまいました。

     今僕が興味を持っているのは、free-market economyの基本的な理念と教育に対する影響です。日本とアメリカの教育の流れの分析をすれば、その両国の経済の在り方や政府の介入の度合いの違いも出てくると考えられますか?どうでしょう。

     もう一つ、本当はneoliberalismという言葉を使いたかったのですが、あまりにも学術的でaudienceを狭めてしまうかなと思い、consumer capitalismという言葉を使いました。実際はそうでもないようですね。次回の投稿ではアメリカでのneoliberalismの影響について書いてみたいと思っています。

     最後に、教育と他の財との違いの分析が必要だという点、まさにその通りで、道筋を立てた後のメインポイントとして考えています。時間的な制限がある中でどこまで掘り下げて考えられるか少々心配ですが。どんどん個人主義化している現代において、最後に人と人とを繋げるのは子どもなのではないかなと思っています。子どもたちを思いやる気持ちと教育を共になって考える必要性が様々な人々を引きつけ、public spaceを構築、maintainしていくのだと思います。
     hoshinoさんのように、自分が書いたものを真剣に読んで下さっている人の存在を知るだけでこちらも身が引き締まります。今後もいろいろとご意見いただければな、と感じます。いろんな分野の人が集うdiscourseの場ができたら最高ですね。

               大裕

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