2009年9月28日月曜日

「優等生」を考える

1.すご腕茶師に学ぶ教育の心 
 テレビを持たない僕は、勉強の合間によくYouTubeを見て気分転換をする。よく見るのが歌手のライブ映像、そして実在の人物をテーマにしたドキュメンタリー番組だ。今日は『プロフェッショナル』の前田文男編を紹介したい。

 前田文男さんは日本屈指の茶師だ。前田さんが他の茶師と全く異なる理由、それは彼のお茶の選び方にあるという。

 全国からお茶が集まる静岡の茶市場。たくさんの茶師で賑わう高級茶のセクションとは離れた人気のない所でお茶と向き合う前田さんがいた。

 そんな前田さんには、お茶を選ぶことにおいて一つの流儀がある。



     「良いお茶ではなく、伸びるお茶」



 年間50種類以上ものお茶を世に送り出す前田さんが一番こだわりを持っているのは、100グラム1000円の一番安いお茶だという。なぜか?彼は言う。

 お金を出せば良いものは提供できる。でも、作って良くなるお茶こそが茶師としての腕の見せ所だ。

 僕は知らなかったが、お茶は通常一種類の茶葉だけでできるわけではないそうだ。味はいまいちだが香りの良いお茶、見た目は悪いがコクのあるお茶、香りは良くないが色の良いお茶、特徴はそれぞれだが、何種類ものお茶を混ぜることによって極上の一杯ができるのだという。

 ではどうやって「伸びる」お茶を選ぶのか。前田さんはお茶の声に耳を澄ますのだそうだ。「お茶が何かを訴えている、そんな感覚」だという。誰にも相手にされなかったお茶を、心を込めて磨き、宝石に化けさせる前田さん。預かったお茶は絶対に最後まで面倒を見て、自信を持って世の中に送り出すという信念を持っている。


2.教員という仕事
 本題に入る前に一つ言っておきたいことがある。僕は教員という仕事は、人にできる最も尊い職業の一つであると思うし、自分が教員であったことを誇りに思っている。今、必死に勉強しているのも、将来、有能な人材が教員になりたいと願い、親は教員を心から信頼して子どもを委ね、委ねられた教員が真に教えに浸れる環境作りに貢献したいと思っているからだ。でも、そんな想いがあるからこそ、現場に立つ教員に求める要求も高くなってしまう。教員批判と取られる所もあるかと思うが、自分では逆に教員を弁護しているつもりだ。

 これは自分の教員組合に対する疑問も反映している。本当に先見性を持って教員の立場を守ろうとするのなら、弱い教員を守ることに奔走するより、頑張っている教員を守るべきだと思う。そうすることが教員の社会的地位を高め、質の高い教育を約束することにつながるのだと信じている。小作農のように、その場しのぎの問題解決を続けたところで明るい未来は拓けない。

 給料も良くない教員にわざわざなろうという人に悪い人はいない。少なくとも僕はそう信じている。ただ、良い人が良い教員になるのかといったら、それは全く別問題なのだ。


3.「優等生」を考える

 前田さんのお茶に対する姿勢は、小関先生の子どもに対する姿勢と通ずるものがある。小関先生も優等生には興味を示さない。

 優等生は、教員であれば誰の言うことでも、「はい」「はい」ときちんと聞く。理由もわからずに大人たちに言われたことをうのみにしてしまうのだ。以前、『不登校から日本一』でも書いたが、教員は皆正しいことを言う。ただ、それがその子、その場面において最適な助言であるとは限らないし、それぞれの助言が食い違うことも少なくないのだ。「あの先生はこう言っていたのに…」と思ったこと、誰でも一度は経験あるのではないだろうか。最終的には、自分の心と相談し、頭で考えて判断することを学ばなければ、その子は自由に生きていけない。でも、不幸なことに、多くの教員はそんな、自分にとって都合の良い子どもを育てようとしてしまう。

 だいたい、「優等生」というのは、大人が勝手に押し付けるラベルに過ぎない。何かの拍子にそのラベルがはずれてしまった時、又は大人の号令なしには動けない自分に気付いた時、ふと自分の心にぽっかり空いた空洞に気がついた時、その子はどうするのだろうか。大人たちに裏切られた、と感じるのではないだろうか。自分の内なる声を押し殺し、ただ盲目に「正しい」大人たちの価値観の中で育つ優等生。そんな「自分」のない子どもを育てるのは罪だ。



 2008年に教員の仕事に区切りをつけた時に残してきた野球部の一年生が、今ではチームを引っ張っている。当時副顧問として僕をサポートしてくれた若手の教員が、僕の意志を引き継ぎ選んだキャプテンがいる。バカもたくさんして来たし、多くの教員にとっては扱いずらい子かもしれない。でも、子どもらしいエネルギーがあり、手をかければ間違いなく「伸びる」子だと、そう信じている。


You Tube リンク ~プロフェッショナル 前田文男~
http://www.youtube.com/watch?v=tkpKnrq6FFA

4 件のコメント:

  1. どんな人が「良い先生」なのかよく分からないし、きっと人によって違うのだろうけれど、私は今まで素晴らしくステキな先生とたくさん出会って、彼らから最高の教育を受けてきたと思うのです。小学校に中学、高校、大学でも、私は「教師が自分の天職だ!」と言う先生に多く教わりました。その中には経歴や、生徒に対しての接し方や、授業の進め方を教育委員会や保護者から非難されて問題になった人もいるけれど、でもそれでも自分流を貫こうとする先生を見て、私は小さいながらに、彼らの教育に対する愛情や哲学みたいなものを感じました。私は間違いなく「幸せな生徒」です。だから、彼らみたいな先生がもっと自由に楽しく教えられる学校であってほしいと思うし、「私はなんてハッピー!!」と思える生徒がもっともっと増えたらいいなと思います(^-^)

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  2. このエッセイを読んで、今年103歳にして現役のお茶屋さんである祖父のことを思い出してしまいました。過去に教員をしていたこともある祖父ですが、お茶が大好きで、20代後半で修行を初め、30代でお茶屋さんになりました。そういえば白衣を着て、いろんなお茶の葉っぱを混ぜては飲んでいる祖父の姿を覚えています。今から思えば、新しい味の研究をしていたんですね。とても謙虚な彼は自分の話はほとんどしたことがないのですが、このエッセイを読んで、祖父が一番好きで毎日飲んでいる彼のオリジナルブレンドのお茶には、いろんな意味があるんだろうなーと初めておもってしまいました。決して押し付けることはなく、それでも100歳を過ぎても朝起きたら自分が大好きなお茶を何も言わずに静かにいれてくれる祖父。
    教育とお茶のつながりは、このエッセイを読むまでは全く考えたことはなかったけど、淡々とベストな味を探し、淡々とそれを誰にもおしつけることなく静かにふるまう。そういうことが教育の原点なのかもしれないと思いました。 かおる

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  3. てるみ、
     自分がしたことの意味分かってるか?「幸せな生徒」宣言したということは、「恩返し」宣言をしたということだぞ!しかも公共の場で。それだけ素晴らしい先生たちに恵まれたのだったら、責任の重さもすごいんだろうなぁ。いや~、あえて自分の首を絞めることまでして偉いなぁ。
    -^o^-

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  4. えぇ!!!
    「恩返し宣言」なんて全然考えてなかったですよ!?
    それにもらったものが多すぎて、きっと200年生きたって、絶対返しきれないもん。・・・でも半分くらいなら、頑張ります(._.)

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