2009年9月7日月曜日

「無知の知」

1.後輩たちへのアドバイス
 実は先日、今年C&T5000(『プライド』で紹介)を受ける博士課程一年生のためのキックオフミーティングがあった。去年5000経験した先輩として声を聞かせて欲しいという教授たちからの呼びかけに応え、同期の仲間7人と共に参加させてもらった。こんなに前年度の生徒が集まった年もなかったようで、学部の教授たちは大いに喜んでくれた。僕としても、ひと声で集まってくれる同期のかたい絆と、5000をappreciateする共通の想いが嬉しかった。

 教授陣が話し終わり、今年5000のTA(ティーチングアシスタント)をする自分に順番がまわってきた。教授たちによる授業紹介を聞き、不安を隠せない一年生を前にこんな話をすることにした。

 去年一年5000を経験して感じること、それは今、「自分は何も知らない」と自信を持って言えること。最初は皆、自信の無さから自分が何を知っているか、何を経験してきたかをアピールし、牽制し合いがちだ。でも、自分たちは知らないから、学びたいからここに来たはず。それに、これは一人の教授も言っていたことだが、知れば知るほどもっとわからない自分がいる。だから、「自分は何も知らない」と認めることには不思議な心地よさがあるし、そう言えることこそが自信の表れでもある。だから心配することは一つもない。ただ楽しむだけだ。


2.「無知の知」
 以前にも『不登校から日本一』で書いたが、小関先生の言うことは、すぐにはわからないことが多い。教員時代も、得意げに「世紀の大発見」を報告する僕に対して、「だから最初から言ってんじゃん!」と言うのが小関先生の口癖だった。(だいたいその後に、「あ~、情けない!」とか「お前と付き合ってると自分の指導力の無さを反省させられるっ!!」などのドラマが続くのだが…。)

 今、小関先生から離れてコロンビアの図書館で理論と格闘していると、不思議なくらい先生の言葉が蘇ってくる。なるほど、小関先生が言っていたのはそういうことだったのか、と今になって頷くことが度々ある。

 今回も、後輩たちに向けた言葉を話しているうちに、また小関先生の言葉を思い出した。



「無知の知」って知ってるか。

知りません。

自分が何も知らないってことを知ることが大事なんだ。



 僕の教員としての成長は、小関先生からの「バカ」を受け入れることから始まった。大人になると、人から「バカ」と言われるのは屈辱だし、それを受け入れるのは誰でも難しい。特に自分の場合は、それなりの大学、大学院を出たという自負があり、学歴という空虚なプライドが邪魔になった。部活指導くらいのことはちょっとやればできる、と信じ込んでいたのだ。

 今考えると、教員になりたての頃の生徒たちには申し訳ないことをしたと心から思う。形だけにこだわり、締ったチームを作っていた気になっていた。しかし、練習試合で強いチームに勝てても、大事な試合で勝てないのだ。その頃も、小関先生に誘われ、理由もわからないまま剣道部の練習を見学に行くことがあったが、所詮違うスポーツと思い、そこから学べることがあるとは思っていなかった。気づくことといったら、良く声が出ていること、長い時間練習していること、礼儀正しいこと、その程度だろうか。

 ある時から、同じくらい練習量を積んでいるはずなのに、小関先生の剣道部はなぜ大切な試合で必ず結果を出すのだろう、自分の生徒たちは大舞台になると萎縮してしまうのに、彼らはなぜ何千人の注目を浴びながらも自分の力を発揮できるのだろうと真剣に考えるようになった。剣道部の練習や大会を進んで見学しに行くようになったのはそれからだ。きっと小関先生としては、「やっとか」という気持ちだったのだろう。

 すると、それまで見えなかったものが段々と見えてきた。一番の違いは、剣道部の子どもたちは顧問がいなくても真剣に練習に取り組めることだった。見学に行くと、小関先生が道場にいないこともよくあった。チームの強さは顧問不在時の練習の質に表れると思う。驚いたことに、いつも練習は自然に始まり、自然に終わった。ただ単純に、制服を着替え防具を身に付けた者から練習を始めるのだ。練習が始まると、彼らは新しいことをやってみたり、お互いを観察し合ったり、アドバイスを求めたりしていた。たいていは、子どもたちは各自の課題に取り組んでいるようだった。休憩さえも本人任せであった。彼らは、休みが必要な時に休み、疲れがとれたら練習に戻るということを当然のことのようにやっていた。一人ひとりが、強くなるためになすべきことを考え、実践していた。小関先生がいる時は、彼に質問しに行く生徒も少なくなかった。そんな練習の流れには、いかなる無駄もないように感じられた。

 剣道部の練習に比べ、僕が率いる野球部はこんな感じだった。
第一に、練習はいつも僕かキャプテンの号令で始まり、休憩も、終わりも、子どもたちは号令に従って動いていた。練習内容も、僕に言われたことだけをやるだけで、勝手に実験することなど許されていなかったし、観察したりアドバイスし合うこともなく、僕に質問に来る子などほとんどいなかった。彼らは完璧に僕に依存していた。生徒を抑えつける僕のやり方がそうさせてしまったのだ。だから僕がいない時に手を抜くのも無理はなかった。

 野球部には他の先生の手をやかすような元気の良い子も多く、そんな彼らを勢いで抑えつけている僕のことを指導力があると勘違いしていた教員も多かった。だからこそ、この気づきはショックだった。

 自分は何もわかってない。

僕が小関先生の「バカ」を受け入れ、成長し始めた瞬間だった。

3 件のコメント:

  1. 「自分は何も知らない」と認めることの大切さを私も5000で体験したような気がします。無知の知はある意味「自由になること」と一緒かもしれませんね。この世界が常に変化し続け、それによって自分や自分と世界との関係の現れである知識も変化し続けると考えると、結局自分は知るという作業をひたすら続けるしかない。。。それはすばらしいことでもあるのでしょうが、変化し続けることは、同時に何かを常に失うこと。5000のつらさはそこにあったような気もします。不安になったり、恐怖を感じたり、時にはそれが怒りになって現れたり。みんなこれまで絶対的に正しいと信じてきた「知」に最初は必死にすがろうとしていた気もします。こういうしがみつく姿は生徒をコントロール先生とも似てるかもしれませんね。なんか小関先生のティーチングにはアートがありますね。

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  2. すこし遅くなったけれどコメントを書きます。
    最近、内田樹さんの「下流志向」という本を読んでとても印象的な言葉に出会いました。

    “30センチのものさし”

    今の子供たちは愛用の小さなものさしで、世の中のすべてのものの価値を測ろうとしてるんだって。たった30センチのものさしじゃ測りきれないものは沢山あるのに、測りようのないものだってあるはずなのに、彼らはその小さなものさしで見出せた価値だけを信じて、その先にもっと大きな世界があることに気づいていないって。
    彼の言わんとしていることも、大裕さんの言う「無知の知」も何となく分かる気がします。自分のものさしをはるかに超える何かに出会った時、感動したりショックだったりへこんだり、その時抱く感情は様々だけど、でも小さな自分に気がついたとき、前よりもっと大きな世界に踏み込んだように感じるのです。常にそういう発見を求めていたいし、それを与えてくれる人や、場や、ものとの繋がりを大切にしていきたいと思います。

    照美

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  3. 最近会社との間で問題がありました。とてもショックな問題ではありましたが、その問題のおかげで自分の知識の無さ、弱さ、小ささを知る事が出来ました。なので「無知の知」、この言葉は心にすっと入ります。そして照美さんが書かれていた「ものさし」の事も。
    自分は恐らくものさしを持っていました、そして今回ぶち当たった問題はものさしをはるかに超える事で、自分が持っていたものさしは何の役にも立たなかったです・・
    そのものさしは役に立たなかったけど、役に立たない経験があったからこそ、ものさしを捨てる勇気も出たし、無知な自分を受け入れる事も出来ました。

    先ずは自分の無知を知る。そして人から、経験から、本からなど、色々な機会から学ぶ。この1歩1歩の積み重ね,
    それが成長の糧になるんだと感じています。

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