2010年10月22日金曜日

(続)世界に一つ

 今日これを書いてることそのものに僕の性格が表れているのかもしれない。中間試験中だが、『世界に一つ』 を書き直してみようと思う。昨日書き終えた時点で、どこかしっくりこないところがあり、ずっと気になっていたのだ。



 昨日の記事で、勉強とは関係のないことに没頭しながら、そうすることが 「無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ」 と書いた。これは嘘だ。



 自分に正直に振り返ってみると、これら 「関係のないこと」 に没頭しながら、どこか焦りを感じている自分がいた気がする。そうだ。決して無駄ではない、きっと自分のためになっているのだと言い聞かせてきただけだ。これらのことに打ち込みながら、どこかで自分の学びとも繋がっているのではないかと思っていたが、それが本当なのか、だとしたらどう繋がっているのかは分からなかった。



 博士課程3年目に入り、博士論文のテーマがいよいよかたまりつつある。今度改めて書こうと思うが、テーマも、切り口も、手法も、人とは全く違うのだ。授業を受けていても、自分が発する問いや主張が他の人にとって極めて新鮮なものらしいということが最近よくわかる。



 この 「自分らしさ」 が何から生まれているのかと言えば、今まで自分が歩んできた人生としか言いようがない。今までめぐり会った素晴らしい書物の数々、一本一本真剣に向き合って書いてきた無数の論文、そのプロセスから得た技術や内在化してきた自分の価値観は、今の自分に大いに関係ある。ただ、自分の最大の強みはと訊かれれば、躊躇することなく、様々な経験や人との出会いだと答えるだろう。そして、それらの経験や出会いの多くは、「関係のないもの」 を通して得たものだ。



 もう迷いはない。無駄になったことは一つもなかった。全ては、世界中で自分だけにしかない感性の源だったのだ。







 意見を述べるにしても、主張を書くにしても、大事なのは自分を隠さないことだと思う。

 自分の感性に心を傾け、恐れずに自分にしかない主観性を表現するのだ。

 それが人生の恩恵に対する恩返しであり、そうしないことは自分の人生、そしてそこで出会った全ての優しさを否定することだ。





 『世界に一つ』 を読んで、同じTeachers Collegeで頑張っているさきちゃんがすてきなQuoteを紹介してくれた。



"The precious, intangible gems like happiness, satisfaction, self-respect,
and pride―they are the thanks to the people who come into your life.
Life is not what you alone make it. Life is the input of everyone
who touched your life and every experience that entered it.
We are all a part of one."

- Yuri Kochiyama -

2010年10月21日木曜日

世界に一つ




 先日、ある決意をした。

    僕は、人生を 「感性」 で生きていく。

 体を動かすのは好きだし、逆に動かしていないと気が済まない性格だが、自分の身体能力で生きていくことはまずないだろう。かといって、今は教育学の理解を深めるためにひたすら勉強しているが、知性のみで生きていくつもりもさらさらない。知性というのは、その人のある一つの側面に過ぎないと思う。







 当たり前のことなのだが、日々の勉強の中、人と同じ物を読んでも、同じ講義を聴いても、同じテーマについて書いても、話しても、自分がどう感じどう表現するかに 「自分」 というものが表れる。もし、純粋な 「知性」 というものが存在するのなら、自分がどう感じどう表現するかということに関しては、知性だけでは割り切れないものがある。自分の生い立ち、育った環境、自分の肌の色、性格、様々な経験や出会い、それら全てが影響してくる。






 
僕は昔から、「勉強」をしながら、一見勉強とは全く関係のないことに没頭することが日常茶飯事の生活を送ってきた。今でも Teachers College にいる日本人のネットワーク作りをしたり、イベントを企画したり、お父さんサークルを作ったり、このブログを書いたり、新たなブログを立ち上げたり…。でも、これらのことが無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ。



でも、この前気付いたのだ。自分の最大の強みは、今まで読んできた数々の本から得た知識でも、書いてきた無数の論文で練り上げた技術でもない。様々な経験や人との出会いこそが僕の最大の強みなのだと思う。たった37年の人生だが、本当に良い想いをたくさんさせてもらってきた。様々な物事や人からもらってきた優しさの数では誰にも負けない。(もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。だとしたら、そんないいことはないだろう。)そして、それらの優しさが一瞬一瞬自分にどう囁きかけているのかに耳を傾け、対話し、表現していくのだ。 「客観性」 の名の下に聞こえないフリをするのではなく。










 人の一挙一動を統合しているのが感性。






 そしてそれは間違いなく、世界に一つしかない。




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2010年10月15日金曜日

答えのない問い

 このブログにもう何度も登場しているマキシン・グリーン(Maxine Greene)という一人の女史がいる。現在93歳でありながら自宅で授業を教え続ける教育界の巨匠だ。93歳と聞いてピンとこない人も、昔彼女がジョン・デューイ(John Dewey)の隣人だったと聞けばセンスがつかめるかもしれない。



 コロンビア大学Teachers Collegeで彼女ほど重要な人物はいないのではないだろうか。1年に一度か二度、何かのスペシャルオケージョンの時のみ大学に姿を現すが、その時は必ずそのイベントの主催者から、「今日は我らがマキシン・グリーンも会場に来てくれている」 と紹介を受ける。



 その彼女の自宅で、先日ミニコンサートがあった。彼女の授業を受けたミュージシャンの学生が発起人となって、ある晴れた日曜日の午後に行われた。



 僕も娘二人を連れて参加させてもらった。マキシンは、自宅にやってきた子どもたちを見てことのほか嬉しそうだった。



 ミュージシャンたちをソファーやイスで大人たちが囲む中、うちの子たちは最前列の床に陣取り、踊ったり手を叩いたり。下の美風は途中から熱くなって上半身裸になる始末。そんな子どもたちにマキシンはずっと暖かい視線を送っていた。



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 2008年、僕が彼女の授業を受けていた際、彼女が繰り返し言っていた言葉がある。



“The most important questions are
those that are unanswerable.”


「最も大事な問いは答えのない問いだ。」



 教育政策、教育法と、様々な紆余曲折を経て哲学に戻ってきた今だから分かる気がする。マキシンは問いのない、一見安静な状態を恐れている。



 大切なのは答えを出すことではない。動き続けることだ。



 停滞の中から新しいものは生まれない。そして、進みゆく時代の中、止まることは死を意味している。


 人間は、時代から投げかけられる問いのみでなく、20世紀以上にも渡ってずっと格闘してきた問いと向かい合い、問い続けることによってのみ、人間であることを主張できる。


友人のSeungho、そしてMaxineと娘たち。



2010年10月12日火曜日

アメリカ教育最前線!!

皆さま、

 早速アメリカの教育最新情報を専門に発信するブログを創設しました。

その名も…


(上の文字をクリック。または以下のアドレスからどうぞ。)



 とにかく、「教育改革を志す人集まりましょう。そしてどんどん知識を共有していきましょう!」 ということをテーマにやっていこうと思うので、できるならば多くの同志と一緒に作っていければ良いなぁと思っています。

『分かち合いたいこと』 共々応援よろしくお願いします!!

2010年10月11日月曜日

時代のテーマ

 最後の更新から2週間以上が経ってしまった。

思えばこれほどすっぱりとブログから気持ちを切っていた期間も珍しい。今まではどこかで気になり、「何か発信せねば!」 という無駄な焦りがあった気がする。

でもこれは自分がやりたいからやっていること。無理にやるもんじゃない。焦りを感じつつやってしまうと、自然と書くもののクオリティーは低くなったり、小さいことが思いの他ドラマティックな表現になったりしてしまう。

だから決めたのだ。これからは、心から分かち合いたいと思うことだけ、せっかく読んでもらうのだから読むに値するものだけ書こう。

Google Analyticsを久しぶりにチェックしたら、ずっと更新されてなかった間も毎日チェックしてくれていた読者の方たちがいたことを知って心が痛んだ。
ごめんなさい。そしてありがとう。

新学期が始まってからというもの、自分は本業である教育の勉強に没頭している。今学期から授業数は半分に減り、少しずつだが確実に博士論文に向かいつつある。だから気持ちがそっちにフォーカスしてきているのも無理はない。今学期取っている授業はNarrative Inquiryの権威であるJanet Miller教授との個人授業、そして哲学科のSchool & Societyというイスラエルからのvisiting scholarによる教育哲学の授業だ。どちらも面白い。

教育の勉強に没頭すればするほど感じることがある。それはアメリカで教育を勉強させてもらっている自分の責任だ。



パウロ・フレイレ(Paulo Freire)はEducation for Critical Consciousnessという本の中でこう言っている。

“If men are unable to perceive critically the themes of their time, and thus to intervene actively in reality, they are carried along in the wake of change” (Freire, 1973, p. 6).


(もし人々が、自らの時代のテーマを批判的に捉え、現実に能動的に介入できないならば、彼らは変化の跡を追って流されるだけだ。)


自分が今ここにいる意味は何なのだろう?

フレイレが言う、「時代のテーマ」とは何なのだろう?

どんなことが時代のテーマとして設定され、「現実」として我々に提示されているのだろうか?自分はどのようにこの現実に介入していけば良いのだろうか?そんなことをずっと考えている。



先日、Twitterなるものを始め、そこにて自分の責任を追及し始めた。このブログの右端にもリンクされているが、自分が読んでいて感銘を受けたものや、日本が知るべきアメリカの教育最前線のニュースを発信し始めたのだ。

アメリカでは教育破壊が行われている。もはや教育を通してパブリックを語ることも難しい状況になっている。アメリカ主導の消費資本主義が加速する中、日本の社会、そして教育が受ける影響も必至だと僕は考える。日本の教育がアメリカの二の舞を踏まないためにも、今じっくりと、クリティカルにアメリカの教育動向を見つめることが必要だと思う。

とは言っても、Twitterでは字数の制限もあるし、かなり専門的な内容になってしまうので、これからはアメリカ最先端の教育情報を専門に発信する別のブログを作ろうと企んでいる。

ただし、『分かち合いたいこと』はこのままの形で続けていきたいと思う。人生の美しさを共有できるすてきな人たちが集まってくれている。もちろん僕自身も発信していくつもりだし、今まで通り、ゲスト投稿として誰でも発信できる分かち合いの場として使って頂けたら幸いだ。

これからもどうかよろしくお願い致します。

p.s. アメリカの教育最前線ブログの方はでき次第連絡いたします。


                  大裕

訳責:鈴木大裕
(10月12日に新設完了しました! http://us-education-today.blogspot.com/)

2010年9月24日金曜日

縛られている




夏のある朝、ふとスケジュールが気になった僕が言った。


「今日は木曜日だねぇ。」


窓にとことこと歩いて行く愛音。


外をきょろきょろ見ながらこう言った。


「え~?なんでぇ?どこがぁ?」





大人の世界が、急に窮屈に感じ始めた瞬間だった。




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2010年9月21日火曜日

"Responsibility" and its etymology

     Here is an attempt to translate an essay I wrote a while back, in 1999. No translation is ever perfect, and this “translation” turned out to be a completely different essay which, at least, tried to preserve the original essence. For those who can read Japanese, the original version can be found here.




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     When I was teaching ESL in Japan, I came across the word origin of “responsibility.”

I learned that it consisted of three parts:

  “re” (return), “spondere” (promise), and “ability” (ability).

A strange sensation of comfort took over me. I couldn’t make sense of it then, but my heart somehow knew and accepted it.


      Later, I came to interpret the etymology in this way.

The components imply a relationship between the giver and the given, where there is a sense of obligation in the latter to give back for what has been given. In this sense, this relationship assumes continuity and growth of capacity over time.

It is also a relationship that is sustained by trust and a promise. On one hand, the giver waits, believing in the potentiality of the given. On the other hand, the given builds on what was entrusted to him and commits himself to a promise that one day he would return the gratitude in his own way.

Responsibility, then, is proactive in essence rather than reactive, internal instead of external.

It emerges out of one’s appreciation, resolution, and the ability to live it.

2010年9月18日土曜日

Waiting for a Superman





今日、Teachers Collegeにて Waiting for Superman という新作ドキュメンタリー映画の特別試写会がありました。『不都合な真実』 でオスカーを受賞したことでも知られる デイビス・グッゲンハイム (Davis Guggenheim) がアメリカの悲惨な公立教育の現状をテーマに挑んだ映画です。『不都合な真実』 と同様に世論を大いに動かす力を持っている作品だ、とメディアによる前評判も高かったので観に行きました。とりあえず英語でメモをとったのでシェアしたいと思います。アメリカの公教育に興味を持っている人に読んで頂けると嬉しいです。時間があれば今度日本語でまとめたいと思っています。



          Today, Teachers College hosted as the Constitution Day Program an event titled “Special Pre-Release Film Screening and Faculty Panel: Waiting for Superman.” This is a new documentary film on education by an Oscar-winning filmmaker Davis Guggenheim, the director of AN INCONVENIENT TRUTH. As a former public school teacher and an education student very much interested in school reform that mobilizes non-traditional vehicles of communication for reaching out to a wide range of audience, I couldn’t miss this opportunity. There was also a post panel discussion by 4 professors of education, which was very very interesting.

          It was a meaningful learning opportunities in many ways, and I wanted to share my memo with you. If I have time, I want to organize my thoughts into an essay in Japanese in a near future.





About the film

It contrasts the horrible conditions of today’s public schools in the U.S. and a couple of successful charter schools and their leaders’ heroic stories. Although the film does portray hopeful educational interventions, it confronts the audience with harsh realities - “Choice” does exist but is not for everybody and many of our children’s futures are decided by lottery to get into those rare choice schools.





My reaction to the movie

A good film which stirs the audience’s emotions regarding the education of this country’s children…however, the narrative it provides is very one-sided and it fails to understand the complexity of school reform by providing very simplistic solutions…a good example of non-education expert who thinks he has a magical idea for school reform. But then, this film still gives me a slight hope that it might raise people’s consciousness about the failing public school system and stir up a major dialogue on education.



Points made by the film

The primary reasons our public schools are failing are bad teachers and the tenure system as well as teachers’ unions that protects them. There are a few successful charter schools that point to these problems, but the changes are not so easy because of the teachers’ unions that stand in the way.



A major assumption made by the film

“Good teachers” are simply those who can raise students’ test scores.



What the movie didn’t show...

- That only 1 out of 5 charter schools are given “successful” evaluation.

- That those succeeding charters really enjoy the privileged schooling environment such as parents who are extremely committed to their children’s education and enormous funding from the private sector. This begs an important question: Is it still possible to scale up these “hot” school reform initiatives to the national level reform?

- The unfair school funding scheme and the resulting funding disparity between rich and poor districts. Yes, there are hopelessly bad teachers who shouldn’t be teaching our children. BUT, given that there are a number of education finance lawsuits such as Campaign for Fiscal Equity, is it really fair to blame on the failing schools and their teachers without addressing this issue? It was extremely interesting to hear Prof. Michael Rebell’s point about the right to decent education not being a constitutionally guaranteed fundamental right and what’s really needed is a movement to address this issue.





Interesting commentaries

- Charter school movement’s original intent was to understand what standard regulations stood in the way of improving public schools (Michael Rebell).

- The kind of ideology that’s driving today’s mainstream school reform discourse is twofold:

 Get rid of bad teachers

 Recruit teachers from topnotch universities (Jeffrey Henig).

- The title, “Waiting for a Superman”, is completely contradictory because the film starts out giving a message that Superman never comes so we need to start doing something by ourselves but ends up providing a simplistic solution that, most likely, would never come true (Jeffrey Henig).

- The missing voice: Teachers (Aaron Pallas). So, here we are discussing how to improve schools and teachers, but why are we not hearing from the very teachers? Unfortunately, the discourse of school reform is done always in this way even in Japan…

2010年9月13日月曜日

63歳で留学の夢を果たしたある社長の話

 2008年に再渡米してから、毎日のように僕が通って来た場所がある。コロンビア大学Teachers College(TC)の図書館だ。授業の有無にかかわらず、最初の2年間はたいていそこで勉強してきた。



 TCはアメリカで最古にして最大の教育大学院。1889年創立、100以上のプログラムがある。マンハッタンの120丁目、Amsterdam AvenueとBroadwayの間に位置するが、その中央部にそびえ立つ古いレンガ造りの建物が図書館だ。



 1階は本の貸し出しカウンターがある他、コンピューターが並んでいる。2階はディスカッションできるオープンスペースになっている。グループワークをしたりする時に便利だ。3階は静粛な雰囲気で勉強できるスペースとなっている。6人掛けの大きなテーブルが大部屋に左右均等に並べられ、両端の窓際には、より隔離された雰囲気で勉強したい人用に、サイドに仕切りのある勉強机が並べられている。日本の建築では優に2階分のスペースを取るほど天井が高くて気持ちがいい。



 2階と3階の間の踊り場の床石には小さな窪みがある。最初からそうだったのか、誰かがよほど重い物を落としたのか、それとも長年人々に踏まれ続けその重みに耐えかねたのかは分からないが、いつもその窪みを踏んで3階に登るのが僕の習慣になっている。きれいに統一された筈のデザインの中に存在するそんな一つの不規則が愛嬌となり、人に愛着を持たせる。



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 2010年2月、TCの図書館で威光を放つ白髪のアジア人男性がいた。少なくとも50歳後半はいっていると思われた。髪は短く、推定年齢の割にはがっちりしていて、背も高く、アジア人離れした体型をしている。今年に入ってから図書館でほぼ毎日見かけるようになった。



 時折席をはずすことはあったが、たいていは朝早くから夕方まで、常に3階の僕の定位置の後ろ斜め右の席で書物やパソコンと向き合っていた。



 何をしている人なのだろうか。きっと教授に違いない。でも何故毎日ここで勉強しているのだろう。教授だったら自分のオフィスがあるだろうに。まさか学生じゃないだろう…。



 いつからか僕はこの男性のことがとても気になり始めていた。相手も僕がいつもそこにいることを認識していたようだ。



 ある時から互いに会釈を交わすようになっていた。いかにもアジア人らしい、何とも言えない微妙な距離感。周りのアメリカ人にはどう映っていたのだろう。



 ある日、トイレに行く途中すれ違った。僕は思わず話しかけていた。



    “Hi, we have seen each other so many times. My name is Daiyu.”



そう言って僕が握手を求めると、彼も嬉しそうに、 Nice to meet you, too. と握手してくれた。そして今度は Where are you from? と彼が訊いてきたので、Japan と僕は答えた。



 すると、その男性は笑顔で細めていた目を丸くさせて、Oh! と言い、今度は両手で握手を求めてきた。



 まさか、と僕は思ったが、そのまさかだった。



 日本人だったのだ。しかもコロンビアの国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程所属の留学生だというではないか。



 がっちりした外見といい、行動といい、僕のデータに無いタイプの日本人だったので僕は仰天した。



 そこでは簡単な挨拶にとどめ、詳しくは後日ランチでもしながら、ということになった。貰ったコロンビア大学の名刺には佐々山泰弘と書かれてあった。





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 数日後、いつものように背中合わせの形で勉強していた僕らは、12時になると荷物をまとめてTCのカフェテリアに向かった。



 この日は終始日本語での会話だったが、まず驚かされたのは、佐々山さんの声の大きさだ。その大きな体から、少ししゃがれた重低音が響いてくる。毎日同じ席に着き、静かに勉強し、静かに帰る、そして顔を合わせた時は目を細めて会釈する…。そんな佐々山さんの姿しか知らなかった僕は、勝手にシャイな男性を想像していた。だが実際の佐々山さんは全く違っていて、いかにも体育会系でパワー溢れる人間だった。



 日本人にしては随分大柄でいらっしゃるけど何かスポーツをやっていらしたのですか、と僕が尋ねると、学生時代にウェイトリフティング部で鍛えたと教えてくれた。これは後で分かったことだが、佐々山さん、実は国体3位という実力の持ち主だ。



 留学する前は何をしていたのかという質問に対しても面白い答えが返ってきた。「Mac Fan」や「PCfan」などの出版でも知られる毎日コミュニケーションズの社長を長年務めた後、最高顧問などのポストに就きながら、最後はその子会社である毎日オークションの社長を務めていたそうだ。



 そんな輝かしい経歴を持つ佐々山さんだが、彼には大学生時代から持ち続けた一つの夢があった。



 それがアメリカ留学だったのだ。



 社会人になった佐々山さんはその夢を持ち続けた。英語の雑誌を購読したり、留学のことを調べたりしながら、しまいには自分の会社で留学ガイド作成の事業部を立ち上げてしまい、それにかこつけてアメリカ中の大学を取材して回った。そうしてできたのが『毎日留学年鑑』という、日本初の包括的留学ガイドだった。



 そして2008年、毎日オークションの社長を務めながら63歳でコロンビア大学School of International and Public Affairs (SIPA)に合格、その結果をもって定年退職を志願した。親会社である毎日コミュニケーションズで当時社長を務めていた元部下には、「コロンビアに受かったから辞めさせてくれ」と言ったそうだ。



 40年越しの夢を叶えた佐々山さんの専攻は、「ずっと知りたかった」 という近代アジア史。でもやはり英語がネックだと言う。



 授業の英語はリーディングをやっていれば何とかなるけど、日常会話がなかなかうまくならない。「若い人は羨ましいですよ。」 そう笑いながら年齢の不公平を訴える佐々山さんは、とても無邪気に見えた。





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 図書館での出会いから3ヶ月後、佐々山さんは晴れて修士号を取得した。卒業式には日本に残してきた奥様だけじゃなく、大学時代の友人3人も日本からツアーを組んで駆け付けた。



 コロンビア特有の卒業式用の水色ガウンに身を包み、卒業証書を受け取る彼の姿を見届けたご友人たちはさぞ誇らしかったことだろう。



 また、自分の夢を追いかけるために63歳で勇退し、実現した社長の後ろ姿を元部下たちはどんな想いで見つめているのだろう。佐々山さんの生き様からはこんなメッセージが見えてくる。



問題なのは、夢を叶えるか叶えないかではなく、いつ叶えるか。



先生なんだな、と僕は思った。



 くじけそうな時、満足してしまっている時、教え子は前を走る先生の背中を見て苦笑いするのだ。



    「まだまだ!!」





あとがき

 先日、佐々山さんから届いた一通のメールを見て僕は思わず吹き出してしまった。



 「メールありがとうございます。
小生の方は日本に帰ってはや2ヶ月がたちました。
怠惰な老年生活を送るつもりでありましたが、
早くも体の底から何かがうごめき始め、
昨日から上智大学の朝鮮語講座に通い始め、
日本のPHD過程で東アジアの勉強を続けてみようかと、
幾つかの大学のApplication書類を取り寄せ準備を
始めたところです。」

2010年9月6日月曜日

軽井沢インターナショナルスクール・サマースクールに参加をして

ゲスト投稿: 野宮あす美さん

 人は、味わったことのない衝撃を受けた時に、life changing な瞬間を迎えるのかも知れない。夏、長野の大自然の中、子どもたちの言葉、表情、涙と笑顔に、心打たれる衝撃を受け、何度もハッとさせられた。信じ続けること、そして、出会いに感謝をしながら、皆で手をつないで歩いていくこと。出会い、共感し、共に考えることで、少しずつでも世界を変えていけるのかもしれない。

 7月、軽井沢インターナショナルスクールのはじめてのサマースクールに参加をした。ミッションは、社会が抱える課題と向き合っていくために、社会的・経済的バックグラウンド多様な生徒同士が互いに学び合い、社会を一緒に変えていく力を養っていく。小林りんさんと創設メンバーが立上準備をしている全寮制のインターナショナルスクールに先立って開催された2週間のプログラム。

 森の中の教室に溢れる彩り。日本、ネパール、ミャンマー、フィリピンなど8カ国から34人の生徒が集まり、いろんな国の、最初は少し緊張した笑顔が広がった。ボランティアとして、東南アジアからの子どもたちの奨学金のファンドレイジング、キャンプ期間中のボランティアとして参加をした。アメリカからの先生、子どもたちのことを熱心に想うStudent Volunteerが集い、少人数・生徒参加型の授業とアクティビティーが行われた。

 生物の生態系について学ぶため、ロールプレイをしながら自然の中、走り回った理科の授業。 「子どもの人権」 をテーマにお互いの国の子どもたちが抱える問題を、調べシェアし合った歴史の授業。Design Thinkingを通じて、子どもの人権の問題を解決するために、何ができるかを皆で考えた。暗号を解きながらのTreasure Huntの数学。夜は、お互いの国の文化に触れるワークショップ。止まることのない質問の数々、体全体で吸収する生徒たち。 

 「同じ11歳なのに、生まれた場所が違うだけで、どうしてもこんなに生活が違うのだろう」 フィリピンの生徒からストリーチチルドレンについて知り、涙した日本の生徒。ポル・ポトの大虐殺を生き抜き、希望を捨てずに歩き続けたエアン・ショー氏の話を聞いて、 「夢を絶対に信じる!」 と誓った生徒。家族から離れて過ごすはじめての2週間、 「寂しさで眠れなかった、だけど、今は笑顔で帰れるよ」 自信のある表情をみせた生徒。

 「ミャンマーは世界で一番多くの子どもが兵士として戦っているけど、今まで知らなかったことが恐い。何ができるか考えていきたい」 と恐れを乗り越え心に決めた生徒。 「言論の自由がないということどれ程苦しいものであるのか、考えたことなかった」 とシンガポールからの生徒。 「ミャンマーについて知ってもらえて嬉しい。友達がたくさんできたから、自分の国を変えられる、絶対変える」 と皆に誓ったミャンマーからの学生。

 あふれる生徒たちの感情、日々の変化、知り合ったばかりの友達への思いやり、友達が住む世界を良くしていきたいという強い思いに衝撃を受けた。そして、はじめは小さな、人と人とのつながりが、やがて大きな力になっていく、そう感じた。遠い国に、思い浮かべられる友達の笑顔があるということで、その国の子どもたちとその社会の平和を願う気持ちにつながっていくと思う。この輪が広がっていくように、できることから一歩ずつ続けていきたい。



軽井沢インターナショナルスクールホームページ: http://isak.jp/isak/

2010年8月30日月曜日

いつの日か ~ 繋いでいくこと(完) ~




 「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」



あなたはこの二つの言葉の共通点をご存じだろうか。



 漢字にするとわかり易いかもしない。



   「感謝」 そして 「謝罪」



そう、答えは 「謝」 の字にある。



 1999年、アメリカで修士号を取得した僕は、日本に帰って来て、かおるさんと一緒に Learning Community for Change (LCFC) という名の教育に関する勉強会を立ち上げた。ある日の勉強会で、話に出てきた謝罪という言葉が妙に気になった。



 「ごめんなさい」 を表す言葉なのに、どうして感謝の 「謝」 の字を使うのか。



 当時中国語を勉強していた友人に電話をしたり、自分で 「漢字源」 を使って調べたりした。その結果、非常に興味深いことがわかった。



 「謝」 は、分解すれば大きく二つの部分に分けられる。



   「言」 と 「射」 だ。



 なるほど、共通点は 「言葉」 を 「射る」 ことか、と思うかもしれないが、早とちりをしてはいけない。ただ単に言葉を射るのであったら、別に 「おはよう」 や 「さよなら」 など何でも良いということになってしまう。でもそれらの言葉には 「謝」 の字は使わない。




「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」 

共通点や如何に。



 実は 「射」 という字の語源に大きなヒントが隠されている。



 「射る」 とは何を意味するのかと言えば、むろん弓で矢を射ることである。その証拠に 「射」 の字は左側が 「身」、右側が 「寸」 だが、これは元々、人間が矢を放とうと弓を構えた姿が字になった象形文字だそうだ。



 では、 「ありがとう」 「ごめんなさい」 と弓矢の間にどんな関係があるのか。

 

 あなたには、ずっと言いたくても言えていない 「ありがとう」 や 「ごめんなさい」 がないだろうか。



 もしあるのであれば、そのあなたの心こそが弓なのだ。



 ただその一言を放ちたくて、あなたの心の弓は時間が経てば経つほど張りつめていく。その緊張から解放される道はただ一つ。相手を想う気持ちをその相手に向かって解き放つしかない。








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 人生には何とも奇妙なタイミングというものがある。 『ルーツ ~繋いでいくこと 4~』 で僕の高校時代の恩師であるMr.Walkerに触れ、彼の写真をブログ上に掲載したまさにあの日、彼の脳に癌が再発し、今回は手術もできないほど末期であることを彼の愛妻から知らされた。



 ショックだった。Mr.Walkerは自分の人生における初めての恩師だった。彼に出会っていなくても僕は日本の教育に疑問を抱いていたかもしれない。でも彼に出会っていなければ、自分が日本の教育を良くしよう、できるんだ、などと大それたことは思ってもいなかっただろう。前にも書いたが、僕にとっては彼との出会いが第二の人生の始まりだった。



 幸せなことに、僕はそうして、自分の中に潜在する可能性を心底信じてくれる先生に出会えた。Mr.Walkerは、僕が大学の卒業式、大学院合格、教員としての船出、結婚、子どもの誕生など、人生の節目節目に報告をすると、それを自分のことのように喜んでくれた。



 自分なりに先生を大事にしてきたつもりだ。でも、一つやり残したことがあった。



彼のもとに家族を連れていくことだ。それが自分にとっての責任であり、けじめであり、何よりの 「ありがとう」 だということを、心のどこかでわかっていた。



 すぐに妻の了解を取り、同じくMr.Walkerにお世話になった僕にとっての妹分である幸恵を連れ、次の日の夜には彼のいるニューハンプシャー州に向かって車を走らせていた。



 ニューヨークから車で5時間。大したことはない。遥かかなたのように感じていた距離は、せわしない日常が僕に抱かせていた幻想だった。



 久しぶりに会ったMr.Walkerは相変わらず大きく、驚くほど元気だった。あの日は本当に調子が良かったのか、それとも教え子を前に張り切っていたのかはよくわからない。ただ、そんな夫を心配そうに見ていたPhyllisがどうにも痛々しかった。高校生の時からずっとMr.Walkerを陰で支えてきた女性だ。



 話したいこと、分かち合いたいものはたくさんあったが、どうやったって時間が足りないのも事実だった。



 40分程して、僕たちは先生に別れを告げた。








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教えるという行為はリレーのようなものなのだと僕は思う。



一人の努力で完結できるものではない。教える側が渡したバトンを教えられる側はしっかりと受け止めるのだ。



師に感謝の気持ちを伝えたいのなら、自分の生き様を見せるしかない。先生の想いが詰まったバトンを持って走り続けるのだ。



そして自分もまた、いつの日か、そのバトンを後から来る者に繋げるのだ。








心から「先生」と呼べる人間に出会った人は幸せだ。背負うもの、繋ぐべきものを持っているのだから。

そんな教えを育むことこそが 「教育」 なのであり、我々に与えられた責任なのではないだろうか。



(終わり)
 
左から愛音、Mr.Walker、美風。
 
 
 
右から2番目が幸恵とその愛娘ハナちゃん。その隣がPhyllis。

2010年8月29日日曜日

再投稿: 君たちに伝えたいこと3 ~Responsibility~

 

 昨日、KAPLAN[1]で生徒にTOEFLを教えていた時、responsibilityという単語に出くわした。

 生徒に、 「この単語の意味知ってる?」 と聞くと、知らないと言う。 「責任」 という意味なのだが、何か良い教え方はないものかと思い、いつものようにこの単語を分解してみることにした。

 Responsibility は単純に大きく分けると、 response と ability に分解することが出来る。 Response は「応答」 、 「反応」 等の意味を持つ。いずれにせよ、漢字の 「応」 という字がその意味に最もふさわしいイメージを持つように思う。そして ability は 「能力」 という意味。

 おや? Responsibility… 応える、能力?それが 「責任」? 予想外の発見に僕は驚くと同時に不思議な説得力を感じていた。その場は responsibility の持つ、 「責任」 という意味、そしてそれを構成する要素を教え、それらの関連性については僕と生徒の次回までの宿題とした。

 家に帰った僕は早速、自分の持つ一番大きな英英辞典を開いた。それによると、 responsibility の元となる respond (応える) という単語はラテン語の respondere という単語に語源を持つ。

Re は 「返す。」
Spondere は 「約束する」 という意味をそれぞれ持つ。

つまり、 respond は元々、 "to promise in return" (約束をもってお返しをする) という意味なのだ。よって、 responsible は 「約束をもってお返しをすることが出来る」 という意味を持ち、その能力を持つ者を描き出す。

そして、論理的には responsibility の持つ 「責任」 とは、 「約束をもってお返しをする、その能力」 ということになるのだが、これがそうではないのだ。面白いことに、それは 「能力」 自体を指すのではなく、その能力を持つ者に 「課せられるもの」 を指すのである。

僕の持つ辞典には responsibility の説明の一つとして次のようなものがある

“a particular burden of obligation upon one who is responsible”
(Random House Webster’s College Dictionary,
1997, NY: Random House, Inc.. p.1107). 

Responsibleの意味を踏まえて訳すと、このようになる。

「約束をもってお返しをする能力を持つ者に課せられる、ある種の義務の負担。」

 能力を持つからこそ義務を背負う。こうして語源を考えると、それは世間一般に考えられている、 「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものであることが分かる。それは本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。





 教育を受ける機会を得た者として、親や友人に恵まれた者として、人や大地の温もりに触れた者として、学生として、教育者として、大人として、母親として、父親として、女として、男として、人間として、そして一つの生命として、僕達が持つ 「責任」 とは何なのだろうか。僕達はどんな素晴らしいことを約束し、お返しすることが出来るのだろうか?そこには、しばしば 「責任」 とは遠いところに位置付けられる 「自由」 が顔を覗かせているように思う。

1999年作

[1] KAPLANとは自分が教員になる前に努めていた留学予備校。留学を希望する社会人や学生に英語(TOEFLやTOEICなど)を教えていました。

2010年8月28日土曜日

脈々と流れる教え ~繋いでいくこと 6~



学校が核となって人と人とを繋げていく。



奥村先生がおっしゃったまさにこの一言を僕は帰国2日目のあの日、目の当たりにした。剣道場を訪れ、そこで小関先生の教え子である岩井君と師匠である奥村先生にお会いしたことは既に書いた。その後、毎週水曜日の夜に行われている稽古会に参加するために続々と人が集まってきたのだ。県内に散らばった奥村先生のお弟子さんたちだ。その中には小関先生の姿もあった。以前、このブログに真摯な コメント を送ってくれた新任校の教え子たちを伴って。



 前日、成田に到着してすぐ小関先生には挨拶の電話を入れてあったが、まさかそんなにすぐにお会いできると思っていなかったので嬉しかった。



 それにしても、弟子、孫弟子たちが、それぞれの教え子たちを従えて師匠の下、一堂に会したその光景には強く心を打たれた。そこで見たのは、3代の教育者が何世代、何百年にも渡って脈々と流れてきた教えをしっかりと繋いでいこうとする姿だった。



 その光景に心震わせていた時、後ろで、 「大裕先生!」 と呼ぶ声がした。振り向いたら、立っていたのは僕が初めて担任として送り出した代の女の子だった。この前紹介した 翼 の世代だ。今、教育実習生として母校でお世話になっているのだと教えてくれた。そして、もう一人後から挨拶に来た。二人とも親の匂いがする活発な子たちだったので良く覚えていた。



彼女たちは言った。



    教員になりたい。



僕は心から嬉しかった。



    「おまえもしっかり繋いでいくのだ」



きっと、僕にそう伝えようとした神様のいたずらだったのだろう。
(続く…)

「そうか」 ~繋いでいくこと 5~

     「はい。昨日帰って参りました。」



あの日、孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらした奥村先生にそう答えると、先生は、 「そうか」 とだけ言ってすたすたと控室に入って行かれた。



 僕がついて行くと、竹刀を壁に立て掛け、まあ座れとおっしゃった。失礼しますと正座する僕に、いいから足をくずせ、と奥村先生。そうは言われてもこの先生の前ではなかなかそうする気になれない。



 どんなお話が聴けるのだろう、と期待していた矢先、いきなり面が飛んできた。



    「(日本で)教員をやっててなにかアメリカで役に立ったことはあるか。」



 予期せぬ質問に、 8年前の光景 がフラッシュバックとして蘇った。



 2002年3月下旬のある日曜日、同じ部屋、同じように暑い日の昼下がりだった。出会ったばかりの小関先生に開口一番訊かれたのだった。

   

   「なんで教員になったの?」



 あの時と同じ面だと思った。







 奥村先生にアメリカで何が役に立ったと訊かれた僕は無意識に答えていた。



    「先生をもったことです。」



 とっさに出た言葉だったが、嘘ではなかった。博士課程1年目を終えた時に感じたことだが、 『自分を持つということ① ~信じること~』 でも書いたように、小関先生の存在が再留学をした自分に芯を与えてくれ、新たな学びに自信を持って身を委ねることを可能にしてくれたのだ。



 奥村先生はおっしゃった。



    「そうか」


奥村先生は納得されたのだろうか。それとも失望させてしまったのだろうか。余韻だけが狭い剣道場の控室を支配した。



 答えを得られないまま、僕は、自分の恩師のルーツを辿るという今年の夏のテーマを説明し、しいては小関先生の師匠である奥村先生のお話を是非お伺いしたいとお願いした。既に小関先生から話があったらしく、わかった、と了解して頂けた。







 後日、同じ部屋で話をお聞きすることができた。



 まずは、どうして教育の道を志したのかということ。



 奥村先生が教員になってから出会った安藤先生という師匠の話は既にお話しして頂いていたが、今回はもっと以前のお話を聞けた。体が弱く病院ばかり通っていた小、中学生時代。やりたかった剣道をやっとまともにやれるようになった高校生。高校最後の年に経験した一人の強烈な先生との出会い。そこから開けた剣の道。行けと言われるがままに先生の母校である国士舘大学に進み、気がつけば国体選手として千葉県に引き抜かれ、教員の道を歩んでいた。熊本の師匠との関係は今でも続いているという。



 その他にも、教育について実に様々な質問に率直にお答え下さった。資本主義が教育にもたらす影響。歯止めのかからないこの個人主義の時代にいかにしてパブリック ― 「公」 ― の部分を考えていけばいいのか。教員の社会的地位を高めるにはどうしたらいいのか…。



 特に心に残ったことが幾つかある。自分なりに解釈すると、まずは、これからは学校が地域の核となってばらばらになった人と人とを繋げる役割を果たしていくのだということ。そして、家庭の教育力が低下し続ける今、子どもをつかむことが教員の生きる道だということ。奥村先生らしい、非常に複雑な社会問題の真理を貫いた答えだった。







 1時間半ほどお話し頂いたのだろうか。僕とのかかり稽古を終えた奥村先生は一言こうおっしゃった。



    「先生をもったこと…。小関もえらくなったな。」

(続く…)

2010年8月23日月曜日

ルーツ ~繋いでいくこと 4~

 この夏の僕のテーマは、自分の恩師である小関先生のルーツを学ぶことだった。自分の信仰が深まれば深まるほど、その教えの出処を知りたいと思うのは当然のことであり、僕にとっては巡礼のようなものだった。



 思えば2002年、教員として4月からの正規採用が決まった時も、自分にとっての聖地とも言える、アメリカのニューハンプシャー州にある Holderness School を訪れた。その高校は、僕にとって初めての留学先であり、第二の人生が始まった場所であり、教育を生涯の仕事にしようと志した場所であり、僕を発見してくれた Mr. Walker と出会った場所であった。教員としてのスタートを切るにあたって、今一度そこを訪れることが必然のように思われた。


僕が過ごした寮

Dininghallへの道


秋は紅葉が美しい


お土産にプレゼントしたじんべいを着るMr.Walker



 今回の巡礼も似たような位置づけだったのかもしれない。博士課程2年目を終え、必修単位もほぼ履修した今、いよいよ博士論文へと突入していく。大勝負を前にして自分の原点を探ろうと思ったのもまた必然だったのだろう。







 話を帰国2日目に戻そう。あの日、岩井君の次に僕が出会ったのは、前回再投稿した 『自由を捨てて自らを解き放つ Part V ~信仰と自由の関係~』 でも紹介した小関先生の師匠である奥村先生だった。自分の孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらしたのだ。



   「おう。帰って来たのか。」



 Tシャツに短パン姿の奥村先生がその大きな目を少し細めて微笑みかけて下さった。今年退官されたとは思えないほど若く見える。良い指導者になればなるほど、体と言葉にミスマッチが生じるような気がしてならない。見た目は若いが、放たれる言葉はまるで仙人のようだ。ちなみに、もはやこのブログの主人公のようになっている小関先生も若い。どうやら多くの読者が相当ご年配の老人を想像しているようだが、実はまだ47歳、見た目は40いくかいかないかといったところだろう。



 奥村先生を象徴する面白い逸話がある。



 小関先生は、自分の空き時間中によく校舎をぶらぶらする。授業中のクラスを廊下から覗いては生徒の様子を見て楽しむのだ。ある年、もし剣道をやっていなければ極悪人になっていただろうと思われる男子生徒が剣道部の主将を務めていたことがある。その彼は、どんな授業でも、自分が下を向いてノートをとっている時でさえ、廊下側の後ろの窓から覗く小関先生の気配を感じ、バッと振り向くのだった。



 生徒の意識をそこまでもっていくのは相当なことだ。僕などは逆に、自分の野球部の部員に気付いて欲しくとも気付いてもらえないことがほとんどだった。だから、そのことは小関先生も少し嬉しそうだった。



 後日、小関先生がその話を奥村先生に話したところ、奥村先生独特のゆっくりとした口調でこうこたえられたそうだ。



   「気配を消せないようじゃぁ 小関もまだまだだな。」



 あれには参ったと小関先生も大笑いをしていた。



 もう一つ、小関先生が全国制覇をした時の話も面白い。



 優勝直後、小関先生は会場にいらしていた奥村先生に挨拶をした。どんな言葉をかけてもらえるのだろう、そう期待した矢先の一言。



   「やっと勝ったか。」



 剣道6段の小関先生が蛇に睨まれた蛙のように奥村先生に打たれるのもそんなところなのだろうか。素人目から見ればいくらでもよけられそうな奥村先生のスローモーションの面に、小関先生は為す術もない。不思議な世界だ。


(続く…)

2010年8月21日土曜日

再投稿:「自由」 を捨てて自らを解き放つ Part V ~信仰と自由の関係~

   神を信じる人間はきっと自由なのだと思う。


 僕は、神の存在を信じているが、信仰する宗教はもっていない。そんな自分が宗教を語るのはおかしいかもしれないが、 「自由を捨てて自らを解き放つ」 というタイトルは、人が神を信仰するプロセスに通ずるのではないかと思う。神を信仰するということは、様々な欲望を抑え、厳しい神の教えに従うということだと思う。でも、それは自由を失うということではないように思う。


 宗教にはいろいろあるし、一概には言えないのは分かっているが、僕がイメージする宗教を語ってみたい。僕が思うに、宗教を信仰するということは神の教えを内在化させることであり、それによってもたらされるのは精神の自立だ。神の教えが自分の中の 「絶対」 となれば、それは周りに流されない信念を与えてくれるだろう。その信念は自分を神の教えに閉じ込めるのではなく、逆に新たな考えや世界へと踏み出す自信となるだろう。迷いは消え、自分の弱さとの葛藤のみが残るのではないだろうか。


 僕が言う 「先生を持つ」 という感覚は、きっと宗教家が 「神を信じる」 という感覚と似ているのだと思う。先生の教えを内在化させるということは、いつであろうがどこであろうが先生を意識して行動することに他ならない。アメリカにいる今でも自分に問いかける。 「今、小関先生がこの場に入って来られても、自分は胸を張っていられるだろうか。」 そう問い続けることが、自分を鼓舞し、正しい方向へと導いてくれるように思う。


 これを読んでくれている人たちの中でも、僕と小関先生の人間関係を理解できない人も少なくないのではないかと思う。そんな不安もあり、このブログで小関先生のことを書く時にはあえて敬語を使って来なかった。このブログの投稿記事数は今回で109になるが、少なくとも5回に1回は 『先生の教え』(計25本) について書いていることになる。


 『自分を持つということ③ ~周りに流されない信念~』 で、剣道部の生徒たちがいかに小関先生に洗脳されているように周りに映るのかを書いたが、間違いなく自分も周りの教員からはそう見られていた。生徒の前であろうが呼ばれればダッシュで駆け付けたし、夜中だろうが何をやっていようが携帯で呼び出されればすっ飛んで行った。夏休み中、長野の山奥の山小屋に妻を一人残して、 「いざ鎌倉!!」 と言わんばかりに埼玉まで関東大会の応援に駆け付けたこともあった。


 もしその人が間違った方向に導いていたら、そこまで一人の人間を盲目に信じることは危険なのでは…、と思う人もいるかと思う。だが、僕にとってそんな不安はさらさらない。これはいつか書こうと思い続けてきたことだが、実は小関先生にも二人の先生がいるのだ。一人は大学時代の剣道部の先生である塩入先生。もう一人はまだ船橋市の教員だった頃から師弟関係のある奥村先生だ。二人とも超一流の教育者だ。


 小関先生は言う。


    「俺が言っている言葉は全て先生たちの言葉だ。」


 僕が小関先生に絶対の自信を持てるのは、小関先生自身が自分の先生に学び続け、自分を問い続けているからだ。自分はこれで良いのか。先生だったら何とおっしゃるだろう?


 また、奥村先生も同じことをおっしゃっていた。小関先生の道場の控室に飾ってある奥村先生の師匠の写真を見ながら、 「俺が語っているのは全部爺さんの言葉だ。」 そうおっしゃる先生の目は何とも優しかった。


 だから、こうして僕が崇拝している教えは、歴代の先生方によって、何十年、何百年と受け継がれ、磨き継がれてきた 約束のバトン だと思っている。それは決して完成されたものではない。でも、未完全で、満足されることなく追い求めてこられた教えだからこそ、自分は身を委ねることができるのだと思っている。


 小関先生は生徒にも平気で自分が打たれる姿を見せる。


 奥村先生は、よくうちの中学校の道場に顔を出される。大会前などになると、防具をまとい剣道部の生徒に稽古までつけて下さる。そんな時、小関先生は決まって自身も防具をつけ、真剣勝負を挑む。そして無惨に打たれる生身の姿を生徒に見せるのだ。


    「お前たちだけじゃない。自分だって修行中の身だ。」 


そんなメッセージを生徒に送り続ける小関先生の教えには、何にも勝る説得力がある。

2010年8月20日金曜日

先生の教え ~繋いでいくこと 3~

 野球部の部員たちと再会した後、僕は剣道場に向かった。誰かが道場の入り口に立っている僕を見つけて挨拶をすると、全員が元気な声で 「こんにちは!!」 と言ってくれた。小関先生が育てた剣道部らしい、形だけではなく心のこもった挨拶だ。



 大会前の練習の邪魔をしないように控室に行くと、今年から小関先生の後を任されている岩井君が防具をつけようとしていた。実は彼、小関先生の教え子だ。



 小関先生の指導の下、9年間で全国区として定着しただけでなく、個人ではあるが全国制覇まで果たした剣道部を誰に任せるかというのは、千葉市の剣道界にとっては非常に切実な問題だった。首脳陣がさんざん悩みぬいた果てに、彼しかいないだろうということで抜擢されたのが岩井君だった。子どもたちが全国レベルであれば、親もまた全国レベルだ。一家を挙げて子どもの剣道に懸けている親たちが勢揃いして待っている所へ、中途半端な指導者が来ようものならその指導者自身が潰れてしまうだろう。



 僕は以前何度か岩井君に会ったことがある。その時は会話は交わさなかったが、最初に会ったのは5年前に小関先生にとっての母校である、埼玉大学剣道部の寒稽古に参加させてもらった時のことだ。小関先生は毎年自分の剣道部を連れて参加していたが、お誘いを受け、僕も自分の野球部のリーダー達数人を連れて行った。岩井君は当時の埼玉大学エースにして主将を任されていた。



 一年生が 「大将」 やら 「大当たり」 やら、わけのわからない印をわざと防具につけて上級生やOBのしごきを受けていた。どうやら埼大剣道部の恒例らしい。



 そこはまさに修羅場だった。大体育館にて何百人という剣道家たちが剣を交えている。奇声が飛び交い、大学生たちがそこら中にのたうちまわっていた。馬乗りされて最後には面を剥がれている者も少なくなかった。そんな修羅場で君臨していたのが主将の岩井君だった。



 小関先生は数年前から、 「ここを任せられるのは岩井しかいないだろう」 と僕に漏らしていた。しかし、そのように小関先生にも認められた岩井君でさえ、この夏会った時には大学時代の自信に満ち満ちている面影は全くなかった。



 僕が、 「大変だね。」 と言うと、



 「いや~。もう本当に何もわからなくて。昨日も女子にこてんぱんにやられてしまって…。」 と答えた。



 そう言う彼の表情からは、彼が心底悩んでいることがうかがわれた。



    無知の知ってやつだね、と僕は言った。



 「ほんとにもっと早く小関先生にいろいろ聴いておけば良かったです。」 と言う彼からは、ここ数年間、小関先生から距離を置いていた自分を悔やんでいるように感じられた。

 

 実は、小関先生は、彼のことを認めながらも、この数年間ずっと彼のことを心配していた。



    「あいつは俺に寄って来ない。」 そう言っていた。



 やはり大学の剣道部で主将をやるということは王様になるようなものだし、教員としては部活だけでなく生徒指導もできるだろうし、ちやほやされてわかった気になってしまってるのだろうとのことだった。



 その岩井君、今では毎日のように小関先生に電話しているそうだ。



 最初に小関先生の後釜が岩井君に正式に決まったと聞いた時、僕は全身に鳥肌が立ったのを覚えている。岩井君が小関先生から距離を置いていたことも、小関先生が彼を心配していたことも、いざ始まれば彼が相当苦労するであろうことも知っていた。



   これが俺が築き上げてきた財産だ。全部お前にやる。好きなようにやってみろ。



 小関先生から岩井君へと繋がれたバトンには、そのようなメッセージが込められていたように思う。



 ちなみに、これもまたすごいめぐり合わせなのだが、小関先生が新しく赴任した中学校の剣道部の前任顧問もまた、彼の直の教え子だ。俺は感謝の心を宮原から学んだ、と小関先生が言っていたことがあり、今でも彼の机には彼女の最後の試合の写真が飾られてある。



 自分の後釜に自分の恩師が来ると知った彼女はいったいどう思ったのだろうか。想像を絶するプレッシャーだったのではないかと思う。彼女にとってもまた、最高の教えの機会となったことは間違いない。現に、この夏彼女に会った時、小関先生に毎日のように叱られてあげくの果てに見放されていると嘆いていた。



 2010年7月下旬のある日、千葉市中学校総合体育大会剣道女子団体の決勝戦が行われた。勝ち上がってきたのは、小関先生の前任校と新任校の両校だった。そして、前年度関東大会出場を果たし、今年度は全国大会出場を狙う小関先生の前任校が優勝という結果となった。小関先生にしてみれば、市内大会は勝って当然というチームを作ってきたつもりだったし、それに最後の最後まで食らいついた新任校の子たちは良くやったと言える内容だった。



 数日後、千葉県大会があり、岩井君率いる小関先生の前任校は決勝まで駒を進め、勝てば全国大会という所まで行ったが、あと一歩及ばなかった。試合後、小関先生は岩井君に惜しみない賛辞を贈った。



    「ジュンは良くやった。」


(続く…)

どれだけ真っ直ぐでいられるか ~繋いでいくこと 2~

教員時代の写真


 今年の夏の学びは、日本帰国2日目のできごとに集約されていた気がする。何の前ぶれもなしに訪れた以前の勤務校。そこで見つけたのは世代を超えた人の繋がりだった。



 日本に帰国すると、たいていは家族4人で調布にある妻の実家でお世話になる。ただ、そうすると久しぶりに日本に帰っていながら僕自身の実家に挨拶することもできないので、長旅で疲れている子どもたちを連れまわさないように、自分だけ帰国した次の日には必ず千葉の実家に顔を出すことにしている。



 千葉に向かう電車の中、2年前まで勤めていた中学校にむしょうに行きたくなった。 「少しだけ顔を出そう。」 そう決めて進路を変更した。



 学校近くになって、教務主任の関先生に電話した。まだ僕や小関先生がその学校にいた頃、僕たちの仕事をさんざんバックアップして下さった先生だ。名を名乗ると、 「おおー!お帰りなさーい!!」 と大きな声で歓迎して下さった。 「今どこにいるの?」 という問いに、実は校門まであと20メートルくらいだと伝えると、 「しょうがないな~」 と大笑いして、わざわざ玄関口まで出迎えに来て下さった。



 校舎の中に入ると、懐かしい緊張感に包まれた。



 教員というのは、人に見られる職業だ。学区を歩くだけでもそうだが、学校の中では特に自分の一挙一動が見られていると思った方がよい。つま先から髪の毛、そしてTシャツの裾まで神経を行き届かせ、一つひとつの行動に意味を与えることが求められている。自然と背筋が伸び、気持ちが引き締められる。気持ちの良い緊張感だ。



 もう自分が知っている生徒は3年生だけになってしまったなと少し寂しく感じていた矢先、2階の廊下でその日偶然母校を訪れていた卒業生2人に出くわした。両方とも僕が良く知っている生徒たちだった。そのうちの一人は、一年生の時に僕が彼女にdyslexic (失読症という学習障害) の可能性があることを親に指摘した子だった。デリケートな問題なので、指摘するにあたっていろいろ悩んだが、彼女が小学生の時からバカ扱いを受けていたこと、彼女自身も自分のことを頭が悪いと思い込んでいたこと、以前彼女の姉を僕が担任させてもらっていて親御さんとも親しかったことなどを理由に思い切って母親に相談してみたのだった。



 ちょうど帰国するちょっと前に、 Like Stars on Earth という彼女と同じ障害を持つ子どもを主人公にした素晴らしい映画を観ていたので、彼女に会いたいと思っていたところだった。そのことを話すと、高校一年生になった彼女も興奮気味にいろいろなことを話してくれた。あの時僕に指摘されて良かったということ、僕が学校を去ってからいろいろ自分の障害のことについて調べて全部ノートにまとめたこと、そのノートをいつか僕に見せたいと思っていたこと、将来自分のような学習障害を持った子どもと係る仕事をしたいということ…。心から嬉しかった。



 次に、どこから聞きつけたか、僕が去った時に野球部を任せてきた後輩が挨拶に来てくれた。今野球部がどんな状態なのかなどを話しながら、筋トレをしている部員たちの所に案内してくれた。あの時一年生だった彼らは三年生となり、皆ひとまわり大きくなっていた。



 その三年生たちが僕を取り巻くように整列したので、一言二言話をした。僕の話を聴く部員たちを前にして、ああ確かにこんな感覚だったと懐かしく感じた。彼らの前で嘘は言えない。真っ直ぐでないものを子どもたちは信じないし、まやかしを言っても自分が惨めな想いをするだけだ。子どもを前にしてどれだけ真っ直ぐでいられるか - 問われるのは自分の生き様であり、子どもが鏡となって今の自分を映してくれる。

(続く…)

2010年8月19日木曜日

繋いでいくこと 1

 このブログを始めたのが2009年の8月9日。旅行中に一周年を迎えてしまった。その間、様々な感動体験や出会いに恵まれ、大学院の勉強の合間に180本の投稿をすることができた。

久しぶりに、 「最初に…」 というこのブログの一番初めの投稿を読み返してみた。一年経った今、伝えたくてたまらなかった当時の心境とあまり変わらない自分がいる。ありがたいことだ。

この夏たくさんの感動を経験して得た溢れんばかりの想い。それをこのブログに注いでいこうと思う。

(続く…)

2010年8月6日金曜日

答えは子どもが持っている

 教育のこと、社会のこと、考えれば考えるほど複雑になってしまう。でも本当はもっとシンプルなのかもしれない。




    大人になるということは想いを背負って生きるということ



 先日、7回に渡って書いた翼のシリーズを読んだ愛さんがこのように感じたとコメントしてくれた。その通りだと思う。子どもは背負うことによって大人になっていく。



 物、お金、経験、命…。背負うものはいろいろあるけれど、最後は人の想いだ。だから周りの大人たちにできることは自分の想いを背負わせるのに値する生き方をすることだと思う。



 子どもにどれだけ持たせることができるのか…、突き詰めると全部自分に返ってくる。子どもを大人にするのが大人であるのなら、「大人」を大人にするのもまた子どもなのだと思う。