2010年10月30日土曜日

僕は服従し、自由になった ~「自由」 を捨てて自らを解き放つ 2~(再)

 ここ数日、 「型」 と 「自由」 の関係を考え続けている。

一つが全部だ、全部繋がっている、という小関先生の有機的な哲学を論理的に説明するのはとても難しい…。あれこれ考えたあげく、自分自身の学びの過程を分かち合うことが最善なのではないかという結論に至った。


 中学校教員時代、僕は小関先生に服従し、自由になった。
だが、最初から盲目に服従したわけではない。 『小関先生との出会い』 でも書いたが、僕は最初、日本の教育の現状を視察するスパイのつもりで教員になった。だから出会ったばかりの小関先生に服従しようなんて気持ちはさらさらなかったし、他の教員との関係でも、良い所だけ盗んで後は 「はい」 「はい」 と話を合わせるずるい優等生だった。


 一見自由に見えるその頃の自分は、極めて不自由だった。いろいろな先生方の様々な教えに自分を支配され、教員としての 「自分」 がなかったのだ。職業柄、教員は皆 「正しい」 ことを言うが、言っていることや教育観はそれぞれ違う。それに、一般的には 「正しい」 答えが、その瞬間、目の前の子や周りの子どもたちのためになるとは限らない。だから、いろいろな先生方のアドバイスを聞けば聞く程自分の中に矛盾が生じ、生徒の不信を募らせた。学びは横に広がる一方で、なかなか前へは進まなかった。


 随分と長い時間がかかってしまったが、最終的に何もわかっていない自分 (『無知の知』) に気付き、小関先生の教えに心を開き、服従する決意をした。自分が解放されたのはそれからだ。


 服従することはきついと同時に楽でもあった。来る日も来る日も叱られたが、暗闇の中手探りで仕事に没頭する日は過ぎ去り、自分の進むべき道がはっきりと見え始めた。生活の中の無駄が減り、調和が取れていくような感覚を覚えた。初めて自分が真っ直ぐになれているような気がした。


 もちろん、修行中も他の教員の指導を見続けたし、自分に教えてくれようとアプローチしてくる教員もいた。でも、いつしか自分は流されなくなった。他の教えに全く心を閉ざしたというのではない。しっかりと聴きながら、何が正しく、何が間違っているのかを自分で判断できるようになったのだ。ただそれは、それまでのように根拠のない直感による判断ではなく、小関先生の教えに対する絶対的な信頼に基づいた判断だった。 「この人が言っているのは、この前小関先生が話していたこと同じだ」 と思う時もあれば、 「この人に対して小関先生はきっとこう言い返すだろう」 と思う時も多かった。


 小関先生の教えを守り始め、過信が自信へと変化していくのを感じていた。



あとがき (2010年10月30日)
 
 大保木輝雄先生の『武の素描 ~気を中心にした体験的武道論~』という本のあとがきで、次のような源了圓氏の言葉が引用されている。


「高度成長で日本の社会、文化が急激に変化し、今までの文化の 『型』 が壊れ、他方で新しい型は生まれそうもない。いわば 『型なし』 状態になっている。私は特に教育に関心があって、日本文化のなかで人間形成の問題を考えると、『型』 を考えざるを得なくなった。」


 次回も引き続き、守破離の教えに見られる 『型』 の概念を、文化、教育、そして特に 「自由」 と結び付けて考えていきたい。

2010年10月29日金曜日

Re: 不自由無くして自由は生まれない ~古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性~

まえがき

 盲目の和太鼓奏者、片岡亮太君とのかかわりを通して出会ったマサさんからのコメントをピックアップしたいと思います。



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 70年代終わりに始まり、まだ30年の歴史しかない現代和太鼓演奏というのは、甚だ新しい芸術で、鼓童というグループが作った「和太鼓」というイメージを追って、和太鼓音楽は行き詰まりをみせています。

 その大きな理由には、多くの人々がそれまでの古典・伝統邦楽(祭囃子・能囃子・歌舞伎黒御簾音楽を含む)を学ばないため、伝統楽器である和太鼓の可能性や意味に気づいていないというのがあると思います。


 亮太と僕の師匠である仙堂新太郎先生は「汝の足下を掘れ」と常におっしゃり、古典を学ぶ重要性を説きます。能には四拍子と呼ばれる、笛・小鼓・大鼓・締め太鼓の囃子方が舞台後方に並びます。その締め太鼓の打ち方(3つ目の動画)は独特で、正座し、両腕を前方に延ばし、短いバチを手のひらの中に収める形で握ります。


 それはunreasonableな打ち方に見えるのですが、熟練者の太鼓から響く澄んだ音、そして持ち方からは想像もできない信じられないスピードがそこで生まれます。入門者がその持ち方をすると数時間で肩がばりばりに固まり、腕が上がらなくなる。ただ、それを毎日続けていると、次第に解きほぐれてきて、いつしか音が鳴るようになる。そして、それは腕先だけではない、肩甲骨と肋骨を使ったすばらしいストロークであり、どんな打楽器にでも応用が可能な普遍的な打法だということを理解するのです。


 「不自由無くして自由は生まれない」、そのアナロジーとして、古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性を思い浮かべました。

「自由」 を捨てて自らを解き放つ 1 ~不自由なくして自由は生まれない~ (再)

 小関先生はよく過激なことを言うが、その中でも特に過激な名言がある。

「生徒に服従することを教えなければならない。」

もしこの部分だけが全国ネットのTVや新聞で報道されたら、彼は間違いなくパブリックエネミーに祭り上げられるだろう。だが、 『自分を持つということ② ~「守」「破」「離」~』や、 『叱るとは愛すること』や、 『守・破・離の前の信』を読んでくれた人は分かるだろう。小関先生にとって 「服従することを教えること」 とは 「人を信じることを教えること」 であり、 「背負わせること」 であり、 「愛すること」 である。


 それに、もし、 「何のために服従させるのか?」 と訊かれたら、きっとこう答えるだろう。


「彼らを自由にするためだ。」


 矛盾している、と思うかもしれない。でも、僕が解釈するに、これはまさに 「守・破・離」 の哲学そのものだ。 「型こそが自由の前提」 と 「守・破・離」 の教えは説いているように思えてならない。




無から自分独自の型は見つからない。

人を知らずして自分を知ることはできないのと同様に、

人は、型を守ることを通して初めて自分独自の型を持つ。


不自由なくして自由は生まれない。




あとがき (2010年10月29日)


 小関先生が言う、「服従させること」 というのは、ドイツ出身のユダヤ人哲学者、Hannah Arendt (ハンナ・アーレント) が言う 「権力を持って教える」 というのと通ずるものがある。彼女は言う。大人は自分たちの世界を、権力を持って子どもに教え込むのだ。その過程において、大人と子どもが平等の関係にあってはならない。

 Arendt は Crisis in Education (教育における危機) という論文でこう書いている。大人の代表である教師は、子どもたちを前にしてこう言って教えるのだと。


"This is our world." 「これが私たちの世界だ。」


 この言葉には、自らが歩んできた道や築いてきた世界に対する大人たちのプライドと共に、「さあ、おまえたちはここからどこに向かう?」 という子どもの未知なる可能性にかける親の愛情と期待が感じられる。


 また、「不自由なくして自由は生まれない」 という守破離の解釈も、Arendt に見ることができる。彼女の哲学は、リベラルか保守かのどちらか一方に陥りがちな現代教育理論に一つの問いを投げかけているように思う。
 
 
限界を知らずして、どこに自由を求めることができるのか?

2010年10月28日木曜日

自分を信じるために人を信じ、自由を捨てて自らを解き放ち、自由になって不自由を楽しむ (再)

まえがき 


     「一つが全部」


 この言葉を何度小関先生から聞かされてきたことだろう。
その度に、 「はい」 と答えてはきたものの、今になってようやく 「そうだよな」 と思う自分がいる。「一つできる奴は全部できる」 という言葉も今だから納得できる。


 小関先生に教わったこと、自分が先生のもとで経験したことを振り返りつつ、 『先生の教え』 というカテゴリーで実に様々なことを書いてきた。でも、読み返せば読み返すほど、全てが繋がっているのが見えてくる。いろいろな状況でいろいろな言葉を聞いてきたが、先生が教えたいことはみんな同じことで、それはまさに「守・破・離」そのものなのだと思う。


 「守・破・離」 の教えは矛盾に満ちている。小関先生の言葉を道しるべに 「守・破・離」 を考えていくと、一つのメッセージが見えてくる。


自分を信じるために人を信じ

自由を捨てて自らを解き放ち

自由になって不自由を楽しむ


数回に分けて、これらを一つひとつ考えていこうと思う。



1.自分を信じるために人を信じる
① 「信じる」 ことの意味


人は、他人を知ることなく自分のことを知ることができるのだろうか
誰も深く知らずして、自分を深く知ることができるのだろうか
誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか


 小関先生が頑なに 「信」 そして 「守」 の大切さを中学生に教えるのは、彼の哲学の根底にこのような問いがあるからではないだろうか。小関先生はきっと、人を信じることを通して生徒に自信を持たせ、人を信じ抜いた時に見える世界を生徒たちに見せたいのではないかと思う。


 小関先生にとって、 「信じる」 こととは心を全開にすることを意味している。中途半端に信じることは 「信じる」 うちに入らない。例えば、剣道部の生徒が完全に小関先生を信じた時、生徒は自分がした良いことだけでなく、悪いことや普通だったら言い辛いことまで先生に報告するようになる。隠していてもすぐに見透かされてしまうからというのもあるが、先生が心から自分のことを考えていてくれていることを生徒は分かっているし、先生に叱られることが自分のためになると知っているからだ。上級生になればなる程、自分から先生に叱られに行く。叱られるのが嬉しいのだ。彼らは言う、 「先生に叱ってもらった。」


 もう一つ。小関先生にとって、「信じる」ことは決して一方通行ではない。なぜならば、 『勝って己の愚かさを知る Part II ~可能性無限~』 でも書いたように、子ども一人ひとりが無限の可能性を持っていると信じている小関先生を信じるということは、自分の無限の可能性を信じるということでもあるからだ。だから、信じるということは、同時に先生の想いを背負うことでもある。これが大変なのだ。自分は一生懸命やっていると思っている生徒に先生はさらりと言う。 「お前はまだ10%の力しか出してない。」



② 自信は 「他信」
 中学校で部活の顧問などをやっていると、試合で、 「自分を信じて思いっきりやってこい!!」 などと激励する監督を目にすることがよくある。実際、自分もその一人だったのではないかと反省している。でも今になって、これは非常に無責任なことなのではないかと感じる。試合の命運が分かれるような大事な場面になればなるほど、このような激励は選手にとって酷である。


 中学生に 「自分を信じろ」 と言っても、どこまで信じ切ることができるだろうか。自分に対する自信など脆いものだ。自分の強さを知っているだけでなく、自分の弱い部分も知っているのだから。最後の最後で迷いが生じるのではないだろうか。


 その意味では、自分を信じるよりも他人を信じる方がよっぽど楽だ。 『自分を持つということ① ~信じること~』 でも書いたが、小関先生に対する信頼こそが、剣道部の子たちの自信そのものだ。普通だったら名前を聞いただけでも震えあがるような全国の強豪相手にも、小関先生が 「負けるわけがない」 と言えば、臆さずに闘ってくるのだ。それでも負けた時には、先生が全責任を負うのだ。「自分を信じろ!!」 などと言って子どもに責任をなすりつけたりはしない。


 前に、 『勝って己の愚かさを知る Part III ~人々の想いを背負って~』 で紹介した子が良い例だ。中学校女子個人の部で日本一になった子だ。


 全国大会女子個人の部、優勝候補とのベスト8懸けの試合。 「水入り」 を挟む10分を超える死闘に決着をつけて帰ってきた彼女の言葉が全てを物語っている。


「だって先生笑ってたから…。自分の感覚信じろって言ったじゃない。
先生が笑ってたから自信持って打てた。」


 最初から自分を信じ切れる人間などいないと思うし、もしいたとしたらそれはただの傲慢でしかない。人は努力をし、失敗を積み重ね、人に認められて初めて自信をつける。


 小関先生の教えは我々にこう問いかける。


人は、誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか?

(続く…)

2010年10月27日水曜日

「守・破・離」の前の「信」 (再)

まえがき


 現在、教育哲学の授業の中間試験として書いている論文がある。

Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)、Maxine Greene (マキシン・グリーン) に見る 「守・破・離」 の教えについてだ。

 こんな突拍子もないテーマ、もちろん教授から出された課題ではなく、特別に許可をもらって書いている自分だけのものだ。自分の博士論文とも関係してくる。

 そんなわけで、今後数回に渡り、「守・破・離」 関連の記事を再投稿していこうと思う。一緒に考えて頂けたらありがたい。


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「守・破・離」の前の「信」  (2010年2月2日投稿)

1.修行に必要とされる心の土壌

 今回の帰国で小関先生が口にした言葉で、もう一つ引っかかる言葉があった。


    「守・破・離」 の前には 「信」 が来る。


 「守」 「破」 「離」 については以前も 『自分を持つということ ② ~「守」「破」「離」~』 で書いた通りで、剣道やその他の武道、茶や能などの日本古来の伝統芸能などで、 「道」 を究めるための精進の過程を表している。


 最初の段階は 「守」 で、与えられた型を守ることを意味している。何日も何カ月も何年もその型を守り抜いた者は、初めてその型を破り、応用できるようになる。これが 「破」 だ。しかし、型を破ったことにいつまでもとらわれている者に道を究めることはできない。その執着から己を断ち切った者のみが、何にもとらわれない 「離」 の境地に立つのだという。


 これからもわかるように、この精進過程に 「信」 は見当たらない。では、小関先生が考える「守・破・離」 の前の 「信」 とはどういうことなのか。小関先生は言う。


    「信」 とは人を信じる 「信」 であるし、自信の 「信」 でもある。


 誰もが最初から修行に入る精神の準備ができているのか。誰でも 「今日からこれをしっかりと身につけなさい」 と与えられた型を守ることができるのか。これらの疑問が 「信」 の根底にあり、ここで問われているのは修行に必要とされる心の土壌なのだと思う。


2.「教えが入る」

 小関先生がよく使う言葉に、 「教えが入る」 というのがある。

それは、先生があの手この手で指導してきた子どもが、先生が言い続けてきたことをやっと理解し、先生の教えを受け入れる瞬間を意味している。もっと言えば、それは子どもが変わる瞬間でもある。


 小関先生の剣道部を例にとって話してみよう。子どもたちの誰もが最初から小関先生を信用するわけではないし、先生の教えを受け入れられるわけでもない。実際、うわべだけで話を聞いている子も始めは少なくない。


    「お前たち、わかったな。」


 さもわかったようにうなずく生徒たちに、先生はにやりと笑いこう言う。


    「そうか。でもな、知っていることとわかっていることは違うんだぞ。」


 部内の人間関係、部員の生活態度、試合展開など、あらゆることにおいて小関先生は予言をする。


    今こうだろ?次にこうなって、こうなって、最後はこうなるぞ。見てろ。


そしてそれらの予言が全て当たるのだ。そう考えてみると、小関先生の教え方は剣道そのものだ。自分がこう動いたら相手はこう動く。それに対して自分がこう出れば相手はこうなるだろう。常に先を読んで勝負しているのだ。


 そのような予言的中が繰り返され、生徒は少しずつガードを下ろし始める。そして気付くのだ。


    全部先生の言ってる通りになる。


 そうなってしまえば後は時間の問題だ。タイミングは生徒によって様々だが、ここぞと思う時に小関先生は勝負をかけるのだ。狙っているのは 「教えが入る」 瞬間であり、それは生徒自身の 「無知の知」 の気付きに他ならない。


    自分は知っていただけで本当は何もわかってはいなかった。


 こうして生徒は小関先生の 「バカ!」 を受け入れ、初めて 「守・破・離」 の 「守」 へと入っていくのだ。


3.前提としての 「信」

 一つの疑問が残る。


では、なぜ 「守・破・離」 の教えには 「信」 が明示されていないのか。


 小関先生と話をしていて、きっと 「信」 は精進の道に入るための 「前提」 だったのではないかという結論に至った。新たな疑問が生まれる。ではなぜそれが前提として成り立っていたのか。なぜ今の時代、小関先生のような教員が子どもに 「信」 から教えなくてはならないのか。きっとそれは、 「守・破・離」 の教えが確立された時代には存在し、徐々に失われてきた地域や家庭の教育力だったのだろう。


 もし子どもが、何の疑いも持たず、人の良さだけを信じるまっさらな状態で学校や道場に来たら、おそらくその学校の教員や道場の師範は、 「信」 から取り組む必要はないだろう。これは今の時代、非常に珍しいことなのではないかと感じる。


 今日、多くの子どもは不信感に満ちている。そして、それこそが教育の邪魔をしているように思えてならない。子どもたちは、見知らぬ人に話しかけられても絶対に話すんじゃない、学校の教員より塾の先生の言うことをしっかりと聞きなさい、と家では言われ、テレビや新聞からは信じられないような悪質な事件や学校教育や教員を疑問視するニュースを毎日のように聞かされている。放課後や週末に通うピアノや水泳も、多くの子にとって 「習い事」 の一つでしかなく、子守の代わりと認識している親もいたりする。


 今日、親の言葉はどれだけの重みを持って子どもの心に届いているのだろう。

これは2児の父である自分にとっても非常に重い問題だ。もし、親の言葉が子どもにとって絶大の意味を持ち、その親が 「学校で先生の言うことをしっかりと聴きなさい」 と伝えていたら、教員が 「信」 から取り組む必要はまずないだろう。それに、もし大人たちが地域を挙げて教育に取り組み、学校や道場を支援していたら、子どもたちはすんなり 「守」 から入ることができるのではないだろうか。


 小関先生の剣道部の生徒たちと話をしていると、いつも心が洗われる想いがする。これは以前、 『子どもこそ大人、大人こそ子ども』 で言いたかったこととさして変わりはないように思う。生徒たちが本当に無垢で子どもらしいのだ。何よりも、多くの子たちは人の良さ心から信じている。だから、話をする時は怖いほど近くまで寄って来て、人の話を真剣に聴こうとするのだ。そんな生徒たちを前にすると、話すこちらの方の身が引き締められる想いがする。


 もちろん、小関先生自ら土壌づくりをしてあげた子も少なくないが、中には最初から 「信」 の前提を持ってやって来た子もいる。そんな子たちは決まって、子どもを本気で一流にしようと思っている一流の親を持っている。


 今、こうして書きながら、自分に言い聞かせている。他のことができなくてもいい。ただ、人の良さを心から信じられる子どもを育てたい。そして、願わくば、親が安心してそのような子育てをできる社会があれば、と思う。

2010年10月25日月曜日

「愛というか。」

 次々と出されるペーパーが首まで詰まっていると言うのに、また苦笑いをしながらこれを書いてしまっている。昨夜初めて電話でお会いしたマサさん、そして古い付き合いのかおるさんから、 『世界に一つ』 と 『(続)世界に一つ』 に書いた自分だけの感性について共感の言葉をもらった。かおるさんはコメントの中で、パウロ・フレイレに言及しながらこんなことを言っている。



 「自分の思っていることを勇気を出して言うことは、人とつながることなんだと思う。愛というか。」



 実は、自分だけの感性や主観性を大事にすることについて書きながら、僕自身の脳裏にもパウロ・フレイレの言葉がちらついていた。



 かおるさんからコメントをもらい、久し振りに自分のquote bookを読み返してみた。そしてこんな言葉を見つけたので、ここでシェアしたいと思う。



 これを読んでくれているあなたへのプレゼントのような気持ちでタイプしました。



“To deny the importance of subjectivity in the process of transforming the world and history is naïve and simplistic. It is to admit the impossible: a world without people. This objectivistic position is as ingenuous as that of subjectivism, which postulates people without a world. World and human beings do not exist apart from each other, they exist in constant interaction” (Freire, P. 1970. Pedagogy of the Oppressed. p. 32).



“Human existence cannot be silent, nor can it be nourished by false words, but only by true words, with which men and women transform the world” (p. 69).



“Dialogue cannot exist, however, in the absence of a profound love for the world and for people. The naming of the world, which is an act of creation and re-creation, is not possible if it is not infused with love. Love is at the same time the foundation of dialogue and dialogue itself” (p. 71).


Paulo Freire

 2009年8月9日に始めたこのブログ、今回の投稿でちょうど200本となった。読んで下さっている皆様から勇気をもらい、続けられています。ありがとう。

                              With love,



                                                                 Daiyu

2010年10月22日金曜日

(続)世界に一つ

 今日これを書いてることそのものに僕の性格が表れているのかもしれない。中間試験中だが、『世界に一つ』 を書き直してみようと思う。昨日書き終えた時点で、どこかしっくりこないところがあり、ずっと気になっていたのだ。



 昨日の記事で、勉強とは関係のないことに没頭しながら、そうすることが 「無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ」 と書いた。これは嘘だ。



 自分に正直に振り返ってみると、これら 「関係のないこと」 に没頭しながら、どこか焦りを感じている自分がいた気がする。そうだ。決して無駄ではない、きっと自分のためになっているのだと言い聞かせてきただけだ。これらのことに打ち込みながら、どこかで自分の学びとも繋がっているのではないかと思っていたが、それが本当なのか、だとしたらどう繋がっているのかは分からなかった。



 博士課程3年目に入り、博士論文のテーマがいよいよかたまりつつある。今度改めて書こうと思うが、テーマも、切り口も、手法も、人とは全く違うのだ。授業を受けていても、自分が発する問いや主張が他の人にとって極めて新鮮なものらしいということが最近よくわかる。



 この 「自分らしさ」 が何から生まれているのかと言えば、今まで自分が歩んできた人生としか言いようがない。今までめぐり会った素晴らしい書物の数々、一本一本真剣に向き合って書いてきた無数の論文、そのプロセスから得た技術や内在化してきた自分の価値観は、今の自分に大いに関係ある。ただ、自分の最大の強みはと訊かれれば、躊躇することなく、様々な経験や人との出会いだと答えるだろう。そして、それらの経験や出会いの多くは、「関係のないもの」 を通して得たものだ。



 もう迷いはない。無駄になったことは一つもなかった。全ては、世界中で自分だけにしかない感性の源だったのだ。







 意見を述べるにしても、主張を書くにしても、大事なのは自分を隠さないことだと思う。

 自分の感性に心を傾け、恐れずに自分にしかない主観性を表現するのだ。

 それが人生の恩恵に対する恩返しであり、そうしないことは自分の人生、そしてそこで出会った全ての優しさを否定することだ。





 『世界に一つ』 を読んで、同じTeachers Collegeで頑張っているさきちゃんがすてきなQuoteを紹介してくれた。



"The precious, intangible gems like happiness, satisfaction, self-respect,
and pride―they are the thanks to the people who come into your life.
Life is not what you alone make it. Life is the input of everyone
who touched your life and every experience that entered it.
We are all a part of one."

- Yuri Kochiyama -

2010年10月21日木曜日

世界に一つ




 先日、ある決意をした。

    僕は、人生を 「感性」 で生きていく。

 体を動かすのは好きだし、逆に動かしていないと気が済まない性格だが、自分の身体能力で生きていくことはまずないだろう。かといって、今は教育学の理解を深めるためにひたすら勉強しているが、知性のみで生きていくつもりもさらさらない。知性というのは、その人のある一つの側面に過ぎないと思う。







 当たり前のことなのだが、日々の勉強の中、人と同じ物を読んでも、同じ講義を聴いても、同じテーマについて書いても、話しても、自分がどう感じどう表現するかに 「自分」 というものが表れる。もし、純粋な 「知性」 というものが存在するのなら、自分がどう感じどう表現するかということに関しては、知性だけでは割り切れないものがある。自分の生い立ち、育った環境、自分の肌の色、性格、様々な経験や出会い、それら全てが影響してくる。






 
僕は昔から、「勉強」をしながら、一見勉強とは全く関係のないことに没頭することが日常茶飯事の生活を送ってきた。今でも Teachers College にいる日本人のネットワーク作りをしたり、イベントを企画したり、お父さんサークルを作ったり、このブログを書いたり、新たなブログを立ち上げたり…。でも、これらのことが無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ。



でも、この前気付いたのだ。自分の最大の強みは、今まで読んできた数々の本から得た知識でも、書いてきた無数の論文で練り上げた技術でもない。様々な経験や人との出会いこそが僕の最大の強みなのだと思う。たった37年の人生だが、本当に良い想いをたくさんさせてもらってきた。様々な物事や人からもらってきた優しさの数では誰にも負けない。(もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。だとしたら、そんないいことはないだろう。)そして、それらの優しさが一瞬一瞬自分にどう囁きかけているのかに耳を傾け、対話し、表現していくのだ。 「客観性」 の名の下に聞こえないフリをするのではなく。










 人の一挙一動を統合しているのが感性。






 そしてそれは間違いなく、世界に一つしかない。




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2010年10月15日金曜日

答えのない問い

 このブログにもう何度も登場しているマキシン・グリーン(Maxine Greene)という一人の女史がいる。現在93歳でありながら自宅で授業を教え続ける教育界の巨匠だ。93歳と聞いてピンとこない人も、昔彼女がジョン・デューイ(John Dewey)の隣人だったと聞けばセンスがつかめるかもしれない。



 コロンビア大学Teachers Collegeで彼女ほど重要な人物はいないのではないだろうか。1年に一度か二度、何かのスペシャルオケージョンの時のみ大学に姿を現すが、その時は必ずそのイベントの主催者から、「今日は我らがマキシン・グリーンも会場に来てくれている」 と紹介を受ける。



 その彼女の自宅で、先日ミニコンサートがあった。彼女の授業を受けたミュージシャンの学生が発起人となって、ある晴れた日曜日の午後に行われた。



 僕も娘二人を連れて参加させてもらった。マキシンは、自宅にやってきた子どもたちを見てことのほか嬉しそうだった。



 ミュージシャンたちをソファーやイスで大人たちが囲む中、うちの子たちは最前列の床に陣取り、踊ったり手を叩いたり。下の美風は途中から熱くなって上半身裸になる始末。そんな子どもたちにマキシンはずっと暖かい視線を送っていた。



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 2008年、僕が彼女の授業を受けていた際、彼女が繰り返し言っていた言葉がある。



“The most important questions are
those that are unanswerable.”


「最も大事な問いは答えのない問いだ。」



 教育政策、教育法と、様々な紆余曲折を経て哲学に戻ってきた今だから分かる気がする。マキシンは問いのない、一見安静な状態を恐れている。



 大切なのは答えを出すことではない。動き続けることだ。



 停滞の中から新しいものは生まれない。そして、進みゆく時代の中、止まることは死を意味している。


 人間は、時代から投げかけられる問いのみでなく、20世紀以上にも渡ってずっと格闘してきた問いと向かい合い、問い続けることによってのみ、人間であることを主張できる。


友人のSeungho、そしてMaxineと娘たち。



2010年10月12日火曜日

アメリカ教育最前線!!

皆さま、

 早速アメリカの教育最新情報を専門に発信するブログを創設しました。

その名も…


(上の文字をクリック。または以下のアドレスからどうぞ。)



 とにかく、「教育改革を志す人集まりましょう。そしてどんどん知識を共有していきましょう!」 ということをテーマにやっていこうと思うので、できるならば多くの同志と一緒に作っていければ良いなぁと思っています。

『分かち合いたいこと』 共々応援よろしくお願いします!!

2010年10月11日月曜日

時代のテーマ

 最後の更新から2週間以上が経ってしまった。

思えばこれほどすっぱりとブログから気持ちを切っていた期間も珍しい。今まではどこかで気になり、「何か発信せねば!」 という無駄な焦りがあった気がする。

でもこれは自分がやりたいからやっていること。無理にやるもんじゃない。焦りを感じつつやってしまうと、自然と書くもののクオリティーは低くなったり、小さいことが思いの他ドラマティックな表現になったりしてしまう。

だから決めたのだ。これからは、心から分かち合いたいと思うことだけ、せっかく読んでもらうのだから読むに値するものだけ書こう。

Google Analyticsを久しぶりにチェックしたら、ずっと更新されてなかった間も毎日チェックしてくれていた読者の方たちがいたことを知って心が痛んだ。
ごめんなさい。そしてありがとう。

新学期が始まってからというもの、自分は本業である教育の勉強に没頭している。今学期から授業数は半分に減り、少しずつだが確実に博士論文に向かいつつある。だから気持ちがそっちにフォーカスしてきているのも無理はない。今学期取っている授業はNarrative Inquiryの権威であるJanet Miller教授との個人授業、そして哲学科のSchool & Societyというイスラエルからのvisiting scholarによる教育哲学の授業だ。どちらも面白い。

教育の勉強に没頭すればするほど感じることがある。それはアメリカで教育を勉強させてもらっている自分の責任だ。



パウロ・フレイレ(Paulo Freire)はEducation for Critical Consciousnessという本の中でこう言っている。

“If men are unable to perceive critically the themes of their time, and thus to intervene actively in reality, they are carried along in the wake of change” (Freire, 1973, p. 6).


(もし人々が、自らの時代のテーマを批判的に捉え、現実に能動的に介入できないならば、彼らは変化の跡を追って流されるだけだ。)


自分が今ここにいる意味は何なのだろう?

フレイレが言う、「時代のテーマ」とは何なのだろう?

どんなことが時代のテーマとして設定され、「現実」として我々に提示されているのだろうか?自分はどのようにこの現実に介入していけば良いのだろうか?そんなことをずっと考えている。



先日、Twitterなるものを始め、そこにて自分の責任を追及し始めた。このブログの右端にもリンクされているが、自分が読んでいて感銘を受けたものや、日本が知るべきアメリカの教育最前線のニュースを発信し始めたのだ。

アメリカでは教育破壊が行われている。もはや教育を通してパブリックを語ることも難しい状況になっている。アメリカ主導の消費資本主義が加速する中、日本の社会、そして教育が受ける影響も必至だと僕は考える。日本の教育がアメリカの二の舞を踏まないためにも、今じっくりと、クリティカルにアメリカの教育動向を見つめることが必要だと思う。

とは言っても、Twitterでは字数の制限もあるし、かなり専門的な内容になってしまうので、これからはアメリカ最先端の教育情報を専門に発信する別のブログを作ろうと企んでいる。

ただし、『分かち合いたいこと』はこのままの形で続けていきたいと思う。人生の美しさを共有できるすてきな人たちが集まってくれている。もちろん僕自身も発信していくつもりだし、今まで通り、ゲスト投稿として誰でも発信できる分かち合いの場として使って頂けたら幸いだ。

これからもどうかよろしくお願い致します。

p.s. アメリカの教育最前線ブログの方はでき次第連絡いたします。


                  大裕

訳責:鈴木大裕
(10月12日に新設完了しました! http://us-education-today.blogspot.com/)

2010年9月24日金曜日

縛られている




夏のある朝、ふとスケジュールが気になった僕が言った。


「今日は木曜日だねぇ。」


窓にとことこと歩いて行く愛音。


外をきょろきょろ見ながらこう言った。


「え~?なんでぇ?どこがぁ?」





大人の世界が、急に窮屈に感じ始めた瞬間だった。




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2010年9月21日火曜日

"Responsibility" and its etymology

     Here is an attempt to translate an essay I wrote a while back, in 1999. No translation is ever perfect, and this “translation” turned out to be a completely different essay which, at least, tried to preserve the original essence. For those who can read Japanese, the original version can be found here.




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     When I was teaching ESL in Japan, I came across the word origin of “responsibility.”

I learned that it consisted of three parts:

  “re” (return), “spondere” (promise), and “ability” (ability).

A strange sensation of comfort took over me. I couldn’t make sense of it then, but my heart somehow knew and accepted it.


      Later, I came to interpret the etymology in this way.

The components imply a relationship between the giver and the given, where there is a sense of obligation in the latter to give back for what has been given. In this sense, this relationship assumes continuity and growth of capacity over time.

It is also a relationship that is sustained by trust and a promise. On one hand, the giver waits, believing in the potentiality of the given. On the other hand, the given builds on what was entrusted to him and commits himself to a promise that one day he would return the gratitude in his own way.

Responsibility, then, is proactive in essence rather than reactive, internal instead of external.

It emerges out of one’s appreciation, resolution, and the ability to live it.

2010年9月18日土曜日

Waiting for a Superman





今日、Teachers Collegeにて Waiting for Superman という新作ドキュメンタリー映画の特別試写会がありました。『不都合な真実』 でオスカーを受賞したことでも知られる デイビス・グッゲンハイム (Davis Guggenheim) がアメリカの悲惨な公立教育の現状をテーマに挑んだ映画です。『不都合な真実』 と同様に世論を大いに動かす力を持っている作品だ、とメディアによる前評判も高かったので観に行きました。とりあえず英語でメモをとったのでシェアしたいと思います。アメリカの公教育に興味を持っている人に読んで頂けると嬉しいです。時間があれば今度日本語でまとめたいと思っています。



          Today, Teachers College hosted as the Constitution Day Program an event titled “Special Pre-Release Film Screening and Faculty Panel: Waiting for Superman.” This is a new documentary film on education by an Oscar-winning filmmaker Davis Guggenheim, the director of AN INCONVENIENT TRUTH. As a former public school teacher and an education student very much interested in school reform that mobilizes non-traditional vehicles of communication for reaching out to a wide range of audience, I couldn’t miss this opportunity. There was also a post panel discussion by 4 professors of education, which was very very interesting.

          It was a meaningful learning opportunities in many ways, and I wanted to share my memo with you. If I have time, I want to organize my thoughts into an essay in Japanese in a near future.





About the film

It contrasts the horrible conditions of today’s public schools in the U.S. and a couple of successful charter schools and their leaders’ heroic stories. Although the film does portray hopeful educational interventions, it confronts the audience with harsh realities - “Choice” does exist but is not for everybody and many of our children’s futures are decided by lottery to get into those rare choice schools.





My reaction to the movie

A good film which stirs the audience’s emotions regarding the education of this country’s children…however, the narrative it provides is very one-sided and it fails to understand the complexity of school reform by providing very simplistic solutions…a good example of non-education expert who thinks he has a magical idea for school reform. But then, this film still gives me a slight hope that it might raise people’s consciousness about the failing public school system and stir up a major dialogue on education.



Points made by the film

The primary reasons our public schools are failing are bad teachers and the tenure system as well as teachers’ unions that protects them. There are a few successful charter schools that point to these problems, but the changes are not so easy because of the teachers’ unions that stand in the way.



A major assumption made by the film

“Good teachers” are simply those who can raise students’ test scores.



What the movie didn’t show...

- That only 1 out of 5 charter schools are given “successful” evaluation.

- That those succeeding charters really enjoy the privileged schooling environment such as parents who are extremely committed to their children’s education and enormous funding from the private sector. This begs an important question: Is it still possible to scale up these “hot” school reform initiatives to the national level reform?

- The unfair school funding scheme and the resulting funding disparity between rich and poor districts. Yes, there are hopelessly bad teachers who shouldn’t be teaching our children. BUT, given that there are a number of education finance lawsuits such as Campaign for Fiscal Equity, is it really fair to blame on the failing schools and their teachers without addressing this issue? It was extremely interesting to hear Prof. Michael Rebell’s point about the right to decent education not being a constitutionally guaranteed fundamental right and what’s really needed is a movement to address this issue.





Interesting commentaries

- Charter school movement’s original intent was to understand what standard regulations stood in the way of improving public schools (Michael Rebell).

- The kind of ideology that’s driving today’s mainstream school reform discourse is twofold:

 Get rid of bad teachers

 Recruit teachers from topnotch universities (Jeffrey Henig).

- The title, “Waiting for a Superman”, is completely contradictory because the film starts out giving a message that Superman never comes so we need to start doing something by ourselves but ends up providing a simplistic solution that, most likely, would never come true (Jeffrey Henig).

- The missing voice: Teachers (Aaron Pallas). So, here we are discussing how to improve schools and teachers, but why are we not hearing from the very teachers? Unfortunately, the discourse of school reform is done always in this way even in Japan…

2010年9月13日月曜日

63歳で留学の夢を果たしたある社長の話

 2008年に再渡米してから、毎日のように僕が通って来た場所がある。コロンビア大学Teachers College(TC)の図書館だ。授業の有無にかかわらず、最初の2年間はたいていそこで勉強してきた。



 TCはアメリカで最古にして最大の教育大学院。1889年創立、100以上のプログラムがある。マンハッタンの120丁目、Amsterdam AvenueとBroadwayの間に位置するが、その中央部にそびえ立つ古いレンガ造りの建物が図書館だ。



 1階は本の貸し出しカウンターがある他、コンピューターが並んでいる。2階はディスカッションできるオープンスペースになっている。グループワークをしたりする時に便利だ。3階は静粛な雰囲気で勉強できるスペースとなっている。6人掛けの大きなテーブルが大部屋に左右均等に並べられ、両端の窓際には、より隔離された雰囲気で勉強したい人用に、サイドに仕切りのある勉強机が並べられている。日本の建築では優に2階分のスペースを取るほど天井が高くて気持ちがいい。



 2階と3階の間の踊り場の床石には小さな窪みがある。最初からそうだったのか、誰かがよほど重い物を落としたのか、それとも長年人々に踏まれ続けその重みに耐えかねたのかは分からないが、いつもその窪みを踏んで3階に登るのが僕の習慣になっている。きれいに統一された筈のデザインの中に存在するそんな一つの不規則が愛嬌となり、人に愛着を持たせる。



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 2010年2月、TCの図書館で威光を放つ白髪のアジア人男性がいた。少なくとも50歳後半はいっていると思われた。髪は短く、推定年齢の割にはがっちりしていて、背も高く、アジア人離れした体型をしている。今年に入ってから図書館でほぼ毎日見かけるようになった。



 時折席をはずすことはあったが、たいていは朝早くから夕方まで、常に3階の僕の定位置の後ろ斜め右の席で書物やパソコンと向き合っていた。



 何をしている人なのだろうか。きっと教授に違いない。でも何故毎日ここで勉強しているのだろう。教授だったら自分のオフィスがあるだろうに。まさか学生じゃないだろう…。



 いつからか僕はこの男性のことがとても気になり始めていた。相手も僕がいつもそこにいることを認識していたようだ。



 ある時から互いに会釈を交わすようになっていた。いかにもアジア人らしい、何とも言えない微妙な距離感。周りのアメリカ人にはどう映っていたのだろう。



 ある日、トイレに行く途中すれ違った。僕は思わず話しかけていた。



    “Hi, we have seen each other so many times. My name is Daiyu.”



そう言って僕が握手を求めると、彼も嬉しそうに、 Nice to meet you, too. と握手してくれた。そして今度は Where are you from? と彼が訊いてきたので、Japan と僕は答えた。



 すると、その男性は笑顔で細めていた目を丸くさせて、Oh! と言い、今度は両手で握手を求めてきた。



 まさか、と僕は思ったが、そのまさかだった。



 日本人だったのだ。しかもコロンビアの国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程所属の留学生だというではないか。



 がっちりした外見といい、行動といい、僕のデータに無いタイプの日本人だったので僕は仰天した。



 そこでは簡単な挨拶にとどめ、詳しくは後日ランチでもしながら、ということになった。貰ったコロンビア大学の名刺には佐々山泰弘と書かれてあった。





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 数日後、いつものように背中合わせの形で勉強していた僕らは、12時になると荷物をまとめてTCのカフェテリアに向かった。



 この日は終始日本語での会話だったが、まず驚かされたのは、佐々山さんの声の大きさだ。その大きな体から、少ししゃがれた重低音が響いてくる。毎日同じ席に着き、静かに勉強し、静かに帰る、そして顔を合わせた時は目を細めて会釈する…。そんな佐々山さんの姿しか知らなかった僕は、勝手にシャイな男性を想像していた。だが実際の佐々山さんは全く違っていて、いかにも体育会系でパワー溢れる人間だった。



 日本人にしては随分大柄でいらっしゃるけど何かスポーツをやっていらしたのですか、と僕が尋ねると、学生時代にウェイトリフティング部で鍛えたと教えてくれた。これは後で分かったことだが、佐々山さん、実は国体3位という実力の持ち主だ。



 留学する前は何をしていたのかという質問に対しても面白い答えが返ってきた。「Mac Fan」や「PCfan」などの出版でも知られる毎日コミュニケーションズの社長を長年務めた後、最高顧問などのポストに就きながら、最後はその子会社である毎日オークションの社長を務めていたそうだ。



 そんな輝かしい経歴を持つ佐々山さんだが、彼には大学生時代から持ち続けた一つの夢があった。



 それがアメリカ留学だったのだ。



 社会人になった佐々山さんはその夢を持ち続けた。英語の雑誌を購読したり、留学のことを調べたりしながら、しまいには自分の会社で留学ガイド作成の事業部を立ち上げてしまい、それにかこつけてアメリカ中の大学を取材して回った。そうしてできたのが『毎日留学年鑑』という、日本初の包括的留学ガイドだった。



 そして2008年、毎日オークションの社長を務めながら63歳でコロンビア大学School of International and Public Affairs (SIPA)に合格、その結果をもって定年退職を志願した。親会社である毎日コミュニケーションズで当時社長を務めていた元部下には、「コロンビアに受かったから辞めさせてくれ」と言ったそうだ。



 40年越しの夢を叶えた佐々山さんの専攻は、「ずっと知りたかった」 という近代アジア史。でもやはり英語がネックだと言う。



 授業の英語はリーディングをやっていれば何とかなるけど、日常会話がなかなかうまくならない。「若い人は羨ましいですよ。」 そう笑いながら年齢の不公平を訴える佐々山さんは、とても無邪気に見えた。





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 図書館での出会いから3ヶ月後、佐々山さんは晴れて修士号を取得した。卒業式には日本に残してきた奥様だけじゃなく、大学時代の友人3人も日本からツアーを組んで駆け付けた。



 コロンビア特有の卒業式用の水色ガウンに身を包み、卒業証書を受け取る彼の姿を見届けたご友人たちはさぞ誇らしかったことだろう。



 また、自分の夢を追いかけるために63歳で勇退し、実現した社長の後ろ姿を元部下たちはどんな想いで見つめているのだろう。佐々山さんの生き様からはこんなメッセージが見えてくる。



問題なのは、夢を叶えるか叶えないかではなく、いつ叶えるか。



先生なんだな、と僕は思った。



 くじけそうな時、満足してしまっている時、教え子は前を走る先生の背中を見て苦笑いするのだ。



    「まだまだ!!」





あとがき

 先日、佐々山さんから届いた一通のメールを見て僕は思わず吹き出してしまった。



 「メールありがとうございます。
小生の方は日本に帰ってはや2ヶ月がたちました。
怠惰な老年生活を送るつもりでありましたが、
早くも体の底から何かがうごめき始め、
昨日から上智大学の朝鮮語講座に通い始め、
日本のPHD過程で東アジアの勉強を続けてみようかと、
幾つかの大学のApplication書類を取り寄せ準備を
始めたところです。」

2010年9月6日月曜日

軽井沢インターナショナルスクール・サマースクールに参加をして

ゲスト投稿: 野宮あす美さん

 人は、味わったことのない衝撃を受けた時に、life changing な瞬間を迎えるのかも知れない。夏、長野の大自然の中、子どもたちの言葉、表情、涙と笑顔に、心打たれる衝撃を受け、何度もハッとさせられた。信じ続けること、そして、出会いに感謝をしながら、皆で手をつないで歩いていくこと。出会い、共感し、共に考えることで、少しずつでも世界を変えていけるのかもしれない。

 7月、軽井沢インターナショナルスクールのはじめてのサマースクールに参加をした。ミッションは、社会が抱える課題と向き合っていくために、社会的・経済的バックグラウンド多様な生徒同士が互いに学び合い、社会を一緒に変えていく力を養っていく。小林りんさんと創設メンバーが立上準備をしている全寮制のインターナショナルスクールに先立って開催された2週間のプログラム。

 森の中の教室に溢れる彩り。日本、ネパール、ミャンマー、フィリピンなど8カ国から34人の生徒が集まり、いろんな国の、最初は少し緊張した笑顔が広がった。ボランティアとして、東南アジアからの子どもたちの奨学金のファンドレイジング、キャンプ期間中のボランティアとして参加をした。アメリカからの先生、子どもたちのことを熱心に想うStudent Volunteerが集い、少人数・生徒参加型の授業とアクティビティーが行われた。

 生物の生態系について学ぶため、ロールプレイをしながら自然の中、走り回った理科の授業。 「子どもの人権」 をテーマにお互いの国の子どもたちが抱える問題を、調べシェアし合った歴史の授業。Design Thinkingを通じて、子どもの人権の問題を解決するために、何ができるかを皆で考えた。暗号を解きながらのTreasure Huntの数学。夜は、お互いの国の文化に触れるワークショップ。止まることのない質問の数々、体全体で吸収する生徒たち。 

 「同じ11歳なのに、生まれた場所が違うだけで、どうしてもこんなに生活が違うのだろう」 フィリピンの生徒からストリーチチルドレンについて知り、涙した日本の生徒。ポル・ポトの大虐殺を生き抜き、希望を捨てずに歩き続けたエアン・ショー氏の話を聞いて、 「夢を絶対に信じる!」 と誓った生徒。家族から離れて過ごすはじめての2週間、 「寂しさで眠れなかった、だけど、今は笑顔で帰れるよ」 自信のある表情をみせた生徒。

 「ミャンマーは世界で一番多くの子どもが兵士として戦っているけど、今まで知らなかったことが恐い。何ができるか考えていきたい」 と恐れを乗り越え心に決めた生徒。 「言論の自由がないということどれ程苦しいものであるのか、考えたことなかった」 とシンガポールからの生徒。 「ミャンマーについて知ってもらえて嬉しい。友達がたくさんできたから、自分の国を変えられる、絶対変える」 と皆に誓ったミャンマーからの学生。

 あふれる生徒たちの感情、日々の変化、知り合ったばかりの友達への思いやり、友達が住む世界を良くしていきたいという強い思いに衝撃を受けた。そして、はじめは小さな、人と人とのつながりが、やがて大きな力になっていく、そう感じた。遠い国に、思い浮かべられる友達の笑顔があるということで、その国の子どもたちとその社会の平和を願う気持ちにつながっていくと思う。この輪が広がっていくように、できることから一歩ずつ続けていきたい。



軽井沢インターナショナルスクールホームページ: http://isak.jp/isak/

2010年8月30日月曜日

いつの日か ~ 繋いでいくこと(完) ~




 「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」



あなたはこの二つの言葉の共通点をご存じだろうか。



 漢字にするとわかり易いかもしない。



   「感謝」 そして 「謝罪」



そう、答えは 「謝」 の字にある。



 1999年、アメリカで修士号を取得した僕は、日本に帰って来て、かおるさんと一緒に Learning Community for Change (LCFC) という名の教育に関する勉強会を立ち上げた。ある日の勉強会で、話に出てきた謝罪という言葉が妙に気になった。



 「ごめんなさい」 を表す言葉なのに、どうして感謝の 「謝」 の字を使うのか。



 当時中国語を勉強していた友人に電話をしたり、自分で 「漢字源」 を使って調べたりした。その結果、非常に興味深いことがわかった。



 「謝」 は、分解すれば大きく二つの部分に分けられる。



   「言」 と 「射」 だ。



 なるほど、共通点は 「言葉」 を 「射る」 ことか、と思うかもしれないが、早とちりをしてはいけない。ただ単に言葉を射るのであったら、別に 「おはよう」 や 「さよなら」 など何でも良いということになってしまう。でもそれらの言葉には 「謝」 の字は使わない。




「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」 

共通点や如何に。



 実は 「射」 という字の語源に大きなヒントが隠されている。



 「射る」 とは何を意味するのかと言えば、むろん弓で矢を射ることである。その証拠に 「射」 の字は左側が 「身」、右側が 「寸」 だが、これは元々、人間が矢を放とうと弓を構えた姿が字になった象形文字だそうだ。



 では、 「ありがとう」 「ごめんなさい」 と弓矢の間にどんな関係があるのか。

 

 あなたには、ずっと言いたくても言えていない 「ありがとう」 や 「ごめんなさい」 がないだろうか。



 もしあるのであれば、そのあなたの心こそが弓なのだ。



 ただその一言を放ちたくて、あなたの心の弓は時間が経てば経つほど張りつめていく。その緊張から解放される道はただ一つ。相手を想う気持ちをその相手に向かって解き放つしかない。








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 人生には何とも奇妙なタイミングというものがある。 『ルーツ ~繋いでいくこと 4~』 で僕の高校時代の恩師であるMr.Walkerに触れ、彼の写真をブログ上に掲載したまさにあの日、彼の脳に癌が再発し、今回は手術もできないほど末期であることを彼の愛妻から知らされた。



 ショックだった。Mr.Walkerは自分の人生における初めての恩師だった。彼に出会っていなくても僕は日本の教育に疑問を抱いていたかもしれない。でも彼に出会っていなければ、自分が日本の教育を良くしよう、できるんだ、などと大それたことは思ってもいなかっただろう。前にも書いたが、僕にとっては彼との出会いが第二の人生の始まりだった。



 幸せなことに、僕はそうして、自分の中に潜在する可能性を心底信じてくれる先生に出会えた。Mr.Walkerは、僕が大学の卒業式、大学院合格、教員としての船出、結婚、子どもの誕生など、人生の節目節目に報告をすると、それを自分のことのように喜んでくれた。



 自分なりに先生を大事にしてきたつもりだ。でも、一つやり残したことがあった。



彼のもとに家族を連れていくことだ。それが自分にとっての責任であり、けじめであり、何よりの 「ありがとう」 だということを、心のどこかでわかっていた。



 すぐに妻の了解を取り、同じくMr.Walkerにお世話になった僕にとっての妹分である幸恵を連れ、次の日の夜には彼のいるニューハンプシャー州に向かって車を走らせていた。



 ニューヨークから車で5時間。大したことはない。遥かかなたのように感じていた距離は、せわしない日常が僕に抱かせていた幻想だった。



 久しぶりに会ったMr.Walkerは相変わらず大きく、驚くほど元気だった。あの日は本当に調子が良かったのか、それとも教え子を前に張り切っていたのかはよくわからない。ただ、そんな夫を心配そうに見ていたPhyllisがどうにも痛々しかった。高校生の時からずっとMr.Walkerを陰で支えてきた女性だ。



 話したいこと、分かち合いたいものはたくさんあったが、どうやったって時間が足りないのも事実だった。



 40分程して、僕たちは先生に別れを告げた。








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教えるという行為はリレーのようなものなのだと僕は思う。



一人の努力で完結できるものではない。教える側が渡したバトンを教えられる側はしっかりと受け止めるのだ。



師に感謝の気持ちを伝えたいのなら、自分の生き様を見せるしかない。先生の想いが詰まったバトンを持って走り続けるのだ。



そして自分もまた、いつの日か、そのバトンを後から来る者に繋げるのだ。








心から「先生」と呼べる人間に出会った人は幸せだ。背負うもの、繋ぐべきものを持っているのだから。

そんな教えを育むことこそが 「教育」 なのであり、我々に与えられた責任なのではないだろうか。



(終わり)
 
左から愛音、Mr.Walker、美風。
 
 
 
右から2番目が幸恵とその愛娘ハナちゃん。その隣がPhyllis。

2010年8月29日日曜日

再投稿: 君たちに伝えたいこと3 ~Responsibility~

 

 昨日、KAPLAN[1]で生徒にTOEFLを教えていた時、responsibilityという単語に出くわした。

 生徒に、 「この単語の意味知ってる?」 と聞くと、知らないと言う。 「責任」 という意味なのだが、何か良い教え方はないものかと思い、いつものようにこの単語を分解してみることにした。

 Responsibility は単純に大きく分けると、 response と ability に分解することが出来る。 Response は「応答」 、 「反応」 等の意味を持つ。いずれにせよ、漢字の 「応」 という字がその意味に最もふさわしいイメージを持つように思う。そして ability は 「能力」 という意味。

 おや? Responsibility… 応える、能力?それが 「責任」? 予想外の発見に僕は驚くと同時に不思議な説得力を感じていた。その場は responsibility の持つ、 「責任」 という意味、そしてそれを構成する要素を教え、それらの関連性については僕と生徒の次回までの宿題とした。

 家に帰った僕は早速、自分の持つ一番大きな英英辞典を開いた。それによると、 responsibility の元となる respond (応える) という単語はラテン語の respondere という単語に語源を持つ。

Re は 「返す。」
Spondere は 「約束する」 という意味をそれぞれ持つ。

つまり、 respond は元々、 "to promise in return" (約束をもってお返しをする) という意味なのだ。よって、 responsible は 「約束をもってお返しをすることが出来る」 という意味を持ち、その能力を持つ者を描き出す。

そして、論理的には responsibility の持つ 「責任」 とは、 「約束をもってお返しをする、その能力」 ということになるのだが、これがそうではないのだ。面白いことに、それは 「能力」 自体を指すのではなく、その能力を持つ者に 「課せられるもの」 を指すのである。

僕の持つ辞典には responsibility の説明の一つとして次のようなものがある

“a particular burden of obligation upon one who is responsible”
(Random House Webster’s College Dictionary,
1997, NY: Random House, Inc.. p.1107). 

Responsibleの意味を踏まえて訳すと、このようになる。

「約束をもってお返しをする能力を持つ者に課せられる、ある種の義務の負担。」

 能力を持つからこそ義務を背負う。こうして語源を考えると、それは世間一般に考えられている、 「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものであることが分かる。それは本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。





 教育を受ける機会を得た者として、親や友人に恵まれた者として、人や大地の温もりに触れた者として、学生として、教育者として、大人として、母親として、父親として、女として、男として、人間として、そして一つの生命として、僕達が持つ 「責任」 とは何なのだろうか。僕達はどんな素晴らしいことを約束し、お返しすることが出来るのだろうか?そこには、しばしば 「責任」 とは遠いところに位置付けられる 「自由」 が顔を覗かせているように思う。

1999年作

[1] KAPLANとは自分が教員になる前に努めていた留学予備校。留学を希望する社会人や学生に英語(TOEFLやTOEICなど)を教えていました。

2010年8月28日土曜日

脈々と流れる教え ~繋いでいくこと 6~



学校が核となって人と人とを繋げていく。



奥村先生がおっしゃったまさにこの一言を僕は帰国2日目のあの日、目の当たりにした。剣道場を訪れ、そこで小関先生の教え子である岩井君と師匠である奥村先生にお会いしたことは既に書いた。その後、毎週水曜日の夜に行われている稽古会に参加するために続々と人が集まってきたのだ。県内に散らばった奥村先生のお弟子さんたちだ。その中には小関先生の姿もあった。以前、このブログに真摯な コメント を送ってくれた新任校の教え子たちを伴って。



 前日、成田に到着してすぐ小関先生には挨拶の電話を入れてあったが、まさかそんなにすぐにお会いできると思っていなかったので嬉しかった。



 それにしても、弟子、孫弟子たちが、それぞれの教え子たちを従えて師匠の下、一堂に会したその光景には強く心を打たれた。そこで見たのは、3代の教育者が何世代、何百年にも渡って脈々と流れてきた教えをしっかりと繋いでいこうとする姿だった。



 その光景に心震わせていた時、後ろで、 「大裕先生!」 と呼ぶ声がした。振り向いたら、立っていたのは僕が初めて担任として送り出した代の女の子だった。この前紹介した 翼 の世代だ。今、教育実習生として母校でお世話になっているのだと教えてくれた。そして、もう一人後から挨拶に来た。二人とも親の匂いがする活発な子たちだったので良く覚えていた。



彼女たちは言った。



    教員になりたい。



僕は心から嬉しかった。



    「おまえもしっかり繋いでいくのだ」



きっと、僕にそう伝えようとした神様のいたずらだったのだろう。
(続く…)

「そうか」 ~繋いでいくこと 5~

     「はい。昨日帰って参りました。」



あの日、孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらした奥村先生にそう答えると、先生は、 「そうか」 とだけ言ってすたすたと控室に入って行かれた。



 僕がついて行くと、竹刀を壁に立て掛け、まあ座れとおっしゃった。失礼しますと正座する僕に、いいから足をくずせ、と奥村先生。そうは言われてもこの先生の前ではなかなかそうする気になれない。



 どんなお話が聴けるのだろう、と期待していた矢先、いきなり面が飛んできた。



    「(日本で)教員をやっててなにかアメリカで役に立ったことはあるか。」



 予期せぬ質問に、 8年前の光景 がフラッシュバックとして蘇った。



 2002年3月下旬のある日曜日、同じ部屋、同じように暑い日の昼下がりだった。出会ったばかりの小関先生に開口一番訊かれたのだった。

   

   「なんで教員になったの?」



 あの時と同じ面だと思った。







 奥村先生にアメリカで何が役に立ったと訊かれた僕は無意識に答えていた。



    「先生をもったことです。」



 とっさに出た言葉だったが、嘘ではなかった。博士課程1年目を終えた時に感じたことだが、 『自分を持つということ① ~信じること~』 でも書いたように、小関先生の存在が再留学をした自分に芯を与えてくれ、新たな学びに自信を持って身を委ねることを可能にしてくれたのだ。



 奥村先生はおっしゃった。



    「そうか」


奥村先生は納得されたのだろうか。それとも失望させてしまったのだろうか。余韻だけが狭い剣道場の控室を支配した。



 答えを得られないまま、僕は、自分の恩師のルーツを辿るという今年の夏のテーマを説明し、しいては小関先生の師匠である奥村先生のお話を是非お伺いしたいとお願いした。既に小関先生から話があったらしく、わかった、と了解して頂けた。







 後日、同じ部屋で話をお聞きすることができた。



 まずは、どうして教育の道を志したのかということ。



 奥村先生が教員になってから出会った安藤先生という師匠の話は既にお話しして頂いていたが、今回はもっと以前のお話を聞けた。体が弱く病院ばかり通っていた小、中学生時代。やりたかった剣道をやっとまともにやれるようになった高校生。高校最後の年に経験した一人の強烈な先生との出会い。そこから開けた剣の道。行けと言われるがままに先生の母校である国士舘大学に進み、気がつけば国体選手として千葉県に引き抜かれ、教員の道を歩んでいた。熊本の師匠との関係は今でも続いているという。



 その他にも、教育について実に様々な質問に率直にお答え下さった。資本主義が教育にもたらす影響。歯止めのかからないこの個人主義の時代にいかにしてパブリック ― 「公」 ― の部分を考えていけばいいのか。教員の社会的地位を高めるにはどうしたらいいのか…。



 特に心に残ったことが幾つかある。自分なりに解釈すると、まずは、これからは学校が地域の核となってばらばらになった人と人とを繋げる役割を果たしていくのだということ。そして、家庭の教育力が低下し続ける今、子どもをつかむことが教員の生きる道だということ。奥村先生らしい、非常に複雑な社会問題の真理を貫いた答えだった。







 1時間半ほどお話し頂いたのだろうか。僕とのかかり稽古を終えた奥村先生は一言こうおっしゃった。



    「先生をもったこと…。小関もえらくなったな。」

(続く…)